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真木柚布子(キングレコード)   「紺屋高尾」デビュー30周年記念曲    ラップで歌う [インタビュー]

真木柚布子2.jpg◆デビュー30周年を迎えているキングレコードの歌手、真木柚布子が、その記念曲で47枚目のシングル「紺屋高尾(こうやたかお)」を2018年11月に出している。花魁の最高位である高尾太夫と、紺屋の染物職人との純愛を描いた浪曲、古典落語の演目として知られる「紺屋高尾」。それをセリフ入りで、しかもラップ調で真木ならではの演歌に仕上げている。2019年10月には東京・渋谷の伝承ホールで30周年を締めくくるコンサートを行う。「紺屋高尾」の歌謡芝居もリストに加わるかもしれない。カップリングの「30年の歌語り」はその名の通り、真木の歌手人生を綴っている。







 花魁姿で初めてジャケット写真に収まった。真っ赤な背景に黒地の着物に花柄。帯は元禄調の結びを再現している。その絵柄は30周年を迎えている表現者、真木柚布子の熱い想いを端的に表すものである。

 「真木らしさを出してみたかった。ファンの皆さんからも目立つよ、と高評価をもらっています。花魁に入り込めますね」

真木柚布子・紺屋高尾.jpg 新曲「紺屋高尾」作詞が久仁京介、作曲が弦哲也、編曲は前田俊明である。
 歌のストーリーは良く知られているが、初めて聴いた人からは「どうしてこんな難しい歌を」と指摘されるが、真木は「今までの紺屋高尾の物語のイメージと異なった、ラップ調のメロディーが、セリフと共に歌を楽しく明るいものへと変えてくれています」と返している。しかも歌はハッピーエンドに終わる。

 一方、カップリング曲「三十年の歌語り」は真木の歌手人生を重ねて、作詞家の中嶋年張が書いた。♪ 拍手一つが嬉しくて 〜 、そんな想いで真木は30年間ずっと歌い続けてきた。辛いこともあったが、♪ 誰が勧めた訳でもないし 好きで歩いた道だから 〜 、と歌ってみせる。
 それでもまだ、♪ 語りつくせぬ歌があり 辿りつけない芸もある 〜 と、決して現状に満足しない彼女がそこにはいる。

 「30年は20年と重みが全然違いますね。歌っていて、グッと心にしみてきます。私が感じていることを書いてもらいました」

 2019年5月12日、真木の30年を振り返る歌謡ショー「三十年の歌語 真木柚布子 京都公演」を京都のファンクラブである京都柚の会が、京都市上京区にある京都府立文化芸術会館で開く。
 「ゲストに五条哲也さん、舞踊団正藤さんたちが加わって、華やかなショーをお届けします」と真木。

 これに先駆けて3月11日には、今年、三周忌を迎える作詞家、下地亜紀子との思い出を語り、歌い伝へていく「真木柚布子が綴る下地亜紀子先生との思い出ライブ」を、東京・中野にある中野サンプラザコスモルームで予定している。

真木柚布子1.jpg

 このライブでは多くの下地作品を歌うことになるが、真木が下地の作品を最初に出合ったのは2001にリリースした「宝船」からであった。
 「ここ数年は下地先生の作品を歌うことが多かったです。詞を提供していただいている中では最も多いと思います。セリフものまでバラエティに富んだ、素敵な詞を書いてもらった。困った時に相談すると、なんでも応えて頂きました」

 真木にとってはまた、姉のような存在で「ファンクラブの旅行会に参加してもらったり、洋服やバッグを頂いたりもしました。ハワイ公演にも一緒に出かけてもらいました」といい、30年の歌手生活の中で最も「ウエイトの重い人」だったという。

■寺でミニライブも

 30年の中で真木にとって忘れられない作品のひとつが、歌唱時間が10分4秒にもなる「歌謡芝居 九段の母」だという。2012年に出した「さくら月夜」のカップリング曲として収録されているが「作ってもらったのは今から20数年前」である。
 「長くCD化されずに、ステージや慰問先などで歌っていたのですが、12年にようやくカップリング曲として収録されることになったんです」
 この楽曲で今の真木のスタイルが生まれた、と言ってもいい。

真木柚布子3.jpg

 「これからも1年1年を大切に歌っていきたい」という彼女。
 そうした中でもライフワークのように続けたいと、今考えるのが「立派な照明がなくてもいい、会場もお寺のような小さな所でも構わない、そんなミニライブをやりたい」のである。
 第1回目を今夏、5歳から16歳までを過ごした埼玉県秩父市の寺の本堂で開催する計画を進めている。

 「それは昔からの夢だったんです」
 大きなステージでは決して味わえない、体温が伝わるような熱のこもったイベントに真木は今、意欲を見せている。





[真木柚布子 オフィシャルサイト]
http://www.yukomaki.com/
[真木柚布子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=12453







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福島はじめ(日本クラウン) 「女の時雨」 メジャーデビュー曲    初の女歌に<はじめちゃんコール> [インタビュー]

福島はじめ 4.png福島はじめ、デビュー23年目の日本クラウンの歌手である。その名前の通り福島県出身で、東日本大震災では被災して避難所生活を送る。その中から、歌手としての再起を誓う。それから8年。麻こよみ、徳久広司のコンビによる「女の時雨」でメジャーデビューを果たす。メジャーとは言え、まだ無名に近いが、いずれは大きなステージへと飛躍する実力は十分との評価も。今、そのステップを踏み出したところである。



福島はじめ・女の時雨.png








 福島はじめが歌手への第1歩を踏み出したのは、福島県南相馬市から単身京都にやって来た21歳の時だった。京都に着いて、真っ先に訪ねたのは高校時代に出場したカラオケイベントで名刺をもらっていた、作詞家清水峰湧が社長をする事務所だった。
 「高校3年の時にテレビで見た美空ひばりスペシャルの番組に触発されて、歌を一から勉強したくなって、清水先生に手紙を出したんです」
 返事をもらって、福島は地元で清水と会った。
 本気でやりたいのか、と清水に訊ねられて「大学へ行って勉強するつもりで京都で歌の勉強をする」と答えて入門が決まった。

福島はじめ.png 京都での生活には親からの仕送りはあったが、先斗町の京料理店・山とみで調理補助をしたのをはじめカラオケボックス、引っ越し会社などでアルバイトをして生活費を稼いだ。事務所社長の付き人や先輩歌手が出演するテレビ番組のADを務めるなど下積みの生活が続いた。

 そこでの下積み生活から得たものは ー 。
 「歌は教えてもらえないことの辛さはありました。そんな中でも将来、売れた時に恥ずかしくない姿を見せたい、とにかく今は自分で勉強して多くのことを吸収しようという思いでいっぱいでしたね」

 京都に来た翌年、高田まさひろの名前で日本クラウンから「女のかさね夢 / ひとり旅」を出してCDデビューしている。4年後、今度は大阪の事務所に移っていた。芸名も椿あきらに変えて、2枚目のCDになる「海は命さ / 福島慕情」を日本コロムビアから出していた。この時期に全国で飛び込みキャンペーンの過酷さを味わっている。
 「タウンページでスナックを探して訪ね歩きました。1つのスナックビルで100軒ほどのスナックを1軒1軒ドアを叩いていくんです。それでも歌わせてもらえるのは2軒程度といったこともありました」

 仙台では表につまみ出されたし、北海道では酔っ払いに絡まれて蹴られたこともあった。惨めな気持ちになったが、それでも「負けないぞ、といった気持ちだけで頑張りました。歌わせてもらえなくても、ありがとうございました、の言葉は忘れたことはなかった」

 門前払いばかりでも続けられたのは「歌をたくさんの人に届けたい、という思いがあったから」だった。しかも1度、歌を聴いてもらうことができると、引きつけられる、といった歌には自信を持っていた。まだ25歳の時であった。

■震災からの再起

 2011年になると椿あきらは、大阪の事務所から東京の事務所に移籍していた。その年の2月には、そこを辞めてふる里、福島県南相馬市に帰省していた。
 同3月11日午後2時46分、東北をはじめ東日本全体に未曾有の被害をもたらした東日本大震災が南相馬の町をも襲った。実家は海から1キロメートルほどの所にあったが「実家はもちろん町全体が壊滅状態でした。幸い母が営んでいた居酒屋は難を逃れたので、そこの床に新聞紙を敷いて生活する状態」だった。

 救援物資の配給があってもガソリンがないので取りに行けなかったし、1ヶ月も風呂に入ることが出来ない状態が続いた。そうした生活の中でも彼は避難所を回ってボランティア活動励んでいた。
すると大阪のファンが「こっちにおいでよ」と救いの手を差しのべてくれた。早速、母親を伴って大阪へ移るが、そこでの避難生活は3年にも及んだ。
 そうして生まれたのが、ふる里を歌った原田伸郎作詞作曲の「おかえり」(マースジャパン)だった。

福島はじめ 3.png

 あの頃、合言葉のように誰もが頑張れと言って被災地を励ましていた。でも、この歌はそうではなかった。
 「そんなに頑張らなくてもいいよ。もっと気持ちを楽に持って、歌うことが今の悲しみを癒してくれて、立ち直る力を与えてくれる、という内容でした」

 震災から5年、南相馬も落ち着いてきた頃、彼はレーベルを今度はホリデージャパンに変えた。演歌歌手としての位置付けを明確にするのが狙いだった。そこでは「津軽恋ふぶき / 安達太良カントリーロード」(2016年)を1枚だけ出したが、その頃に今、所属している事務所と親しく付き合うようになった。
 そしていよいよ2018年10月には、日本クラウンのオーディションを受けて念願のメジャーデビューを果たすことになる。

■念願のメジャーデビュー

 福島は日本クラウンからメジャーデビューするに際して、芸名を三たび変えることにした「一(はじめ)」を平仮名の「はじめ」にしたのである。今度こそヒットチャートに加われる曲に、と満を持して出したのは、通算9枚目のシングルにして初めての女歌となった「女の時雨」である。
 マスコミや業界関係者も招いて、かつてやったことのないほどの盛大な新曲発表会を開いている。東日本大震災の日「今に見ていろ、歌で見返してやる」と、天を仰ぎ見た時のことを思い起こすかのように、彼はステージに立っていた。

福島はじめ 2.png

 「女の時雨」のレコーディングを控えて、移動の車の中は言うに及ばず、どこにいても納得いくまで何度も詞を読んで、切ない気持ちを表現するための練習を繰り返した。「そのうちに主人公は辛い人生の人なんだ、と思えるようになって涙が出てきたんです」

 カップリング曲の「夢屋台」と共に、作詞は麻こよみ、作曲は徳久広司である。当初、メイン曲候補は「夢屋台」だったという。ところが麻はレコーディングの日に「『女の時雨』って良くない?これ絶対にいいですよ」と言い出して、ついにメイン曲とカップリング曲を逆転させてしまったのだ。

 麻の閃きと福島の主人公に成り切るまでの歌い込みが、女の哀切をここまで表現できる演歌歌手を誕生させることになった。

■夢へ熱く燃える

 夢の第1ステップに踏み出した福島だが、当面の目標は・・・?
 「僕は実績を積んでメジャーデビューした訳でもないから、人一倍勉強しないと勝ち残れないと思っています。その上で歌謡ショー番組をやりたいですね。ほかの番組と正面から戦える内容のものをね」

 小柄で童顔な福島だが、その体の中は誰にも負けないといった、熱く想いが燃えているようである。


[福島はじめ オフィシャルサイト]
https://warakasu.jimdofree.com/福島はじめ/
https://ameblo.jp/fukushima-hajime/
[福島はじめ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/fukushima/whats.html







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梓夕子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  「どうしたらいいの!?」 念願のバラード 3年ぶりの新曲 [インタビュー]

梓夕子 2.jpg◆時代にあった流行歌を歌う歌手でありたい。徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、梓夕子が2018年12月に3年ぶりに出演した大阪流行歌(はやりうた)ライブでは、同9月にやはり3年ぶりに出した新曲「どうしたらいいの!?」などオリジナル曲のほか、「三百六十五歩のマーチ」「北の宿から」「舟唄」「津軽海峡冬景色」「人生いろいろ」と、さまざまな楽曲をカバーしてみせた。新曲はかねてから歌いたかったバラードで、明朗快活な性格とは裏腹に、女の悲しみを歌う。









 新曲「どうしたらいいの!?」はバラード調の楽曲である。
 恋に破れた女性の切なさを歌っている。
梓夕子・どうしたらいいの.jpg 「聴く人たちに如何に共感してもらうか、それがバラードですよね。歌いたかったんです。作曲の桧原さとし先生にお願いして作ってもらいました」
 今なお好評だという。前作の「冬恋かなし」も、そんな悲しい女性を同性の目で切々と歌っており、今回の3年ぶりの新曲につなげた。

 徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍して12年目。前々作までは着物で、主に演歌を歌ってきた。そんな中でも「1曲1曲、違う顔を出してきました。可能性があるうちは、今しか歌えない、いろんな歌を聴いてもらいたい」と、梓は可能性に挑戦する姿勢を見せる。

 彼女がまだ幼かった頃、音楽は流行歌であり、今のように細分化されていなかった。テレビやパチンコ屋でもいろんな曲が流れていた。それを聴いて育った彼女は、とにかく様々なジャンルの歌に関心を示す。

■純烈がコーラス

 カップリングは純烈のコーラスが入った「人生お宝節(ニューバージョン)」である。
 笑顔年中無休の梓の明るい性格がそのまま出ているような、明るく楽しい歌なのが特徴だ。「これを歌って踊ると、皆さん喜んでくれるんです」。中には立ち上がって、ハアと掛け声を投げかける人もいる。
 「辛いこと、悲しいことあっても、ショーの間は忘れてもらって、帰る時には楽しかった、また(私に)会いたいねぇ、と思ってもらえるステージにしたいといつも心がけているんです」

梓夕子.jpg

 彼女のねらいにピッタリな1曲である。
 歌って踊る基本はスクールメイツ時代に叩き込まれた。「音楽が好きで、芸能界に憧れがあって入りました」。高校受験準備のために辞めるまで2年間通っている。

 カップリング曲では踊りも入る。バックでは純烈がコーラスを入れている。
梓は宿泊先のホテルの部屋でも鏡の前で踊り(振り付け)の練習をするが「スクールメイツ当時から踊るのは苦手でした」と苦笑いをしてみせる。


 愛知県出身で、今までは手薄だった関西地区でも徐々に歌う機会を増やしており「ファンも増えつつある」という。さらに今年は「47都道府県すべてを踏破したい」と意欲を見せる。





[梓夕子 オフィシャルサイト]
http://azusayuko.main.jp/
[梓夕子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/azusa.html







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北川大介(日本クラウン) 「噂の湘南漁師町」 そーなんだ、そーなんだ!湘南の歌なんだ 地元も全力で応援 [インタビュー]

北川大介.jpg◆デビュー曲は「前橋ブルース」最近では横浜(ハマ)を歌ってきた日本クラウンの歌手、北川大介が、2018年12月発売の新曲「噂の湘南漁師町」では初めて湘南を舞台にしている。自称<湘南ボーイ>の面目躍如というところか。ジャケット写真では、地元で漁師を目指す人が増えることを願ってスーツ姿でサーフボードを抱えるといった、格好いいSHONANをアピールする。











 意外であるが神奈川県藤沢市・江の島や片瀬は、今でもれっきとした漁師町でもある。サザエ、アワビ、しらすやタコなどが多く獲れるという。しらす丼はここの名物でもある。北川が1月28日、ここにファンを集めた歌謡イベントでは、地元の江の島片瀬漁業協同組合などの協力を得て行われたというほど。
 ジャケット写真のブルーのスーツにサーフボードとは、あまりにも漁師には似つかわしくないスタイルである。
 「これは僕のアイディアなのです。最初は釣り竿にしようかとも迷いましたが、今の湘南のイメージにピッタリなサーフボードにしました。マネージャーの私物を借りました」

北川大介・噂の湘南漁師町.jpg 湘南は音楽で言えば演歌よりもポップスのイメージが強い。一方の漁師町と言えばコテコテの演歌が似合う。このアンバランスなタイトルの楽曲からは、ノリのいい明るくてポップなメロディーが流れてくる。
 詞はこの作品で第51回日本作詩大賞新人賞を受賞した、大阪市在住のはまだゆうこうによるものである。1番は ♪ サーファー娘の 潮焼け素顔 〜 で始まる。



 「この地には実際に2人のサーファー娘が住み着いて漁師になったという。彼女たちは今も現役で頑張っているそうです」
 そんなエピソードを聞かされると、そーなんだ、そーなんだ、とつい頷いてしまう。
 確かに歌には ♪ ソーナンダ が全部で5回も出てくる。このソーナンダには4つの意味があるという。
 1つは「湘南との掛け言葉」2つ目は「そうだねぇ〜という納得」さらには「はい、といった断定」そして最後は「ソーラン節の香りを持たせた掛け声」だという。

 歌う際にもそれらを使い分けると、より説得力が増すのかもしれない。

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 湘南ボーイを名乗る北川だが、湘南の作品を歌うのは初めてである。湘南ボーイは格好良くてはならない。記者は勝手なイメージを持っているが、それには北川は「1番から3番までそれぞれ、歌い終わりは ♪ 守ってやろうぜ 〜 ♪ 名乗りを上げるぜ ♪ 祝ってやろうぜ 〜 と、男らしくて格好いい」と、得意のポーズを決めた。


 カップリング曲の「横須賀挽歌」は、自ら命を絶った友を偲ぶ作品である。
 赤い電話機、スカジャン、立ち飲みなど昭和の香りが漂う詞、しかも外国船や海軍カレーといった言葉が横須賀っぽさを感じさせている。
 「泣かせる演歌ですね」
 北川は、やはりここでも格好よく決めた。





[北川大介 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-daisuke.com/
[北川大介 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kitagawa/whats.html







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島津悦子(キングレコード) 「長崎しぐれ」 覚えやすく、歌いやすい     遠くなった昭和を懐かしむ歌 [インタビュー]

島津悦子.jpg◆昭和を振り返ってみようー。そんな想いが平成30年も終わろうとしていた頃、デビューの翌年に昭和から改元され、そんなことが平成を駆け抜けてきたキングレコードの歌手、島津悦子の頭をよぎった。昭和の歌はわかりやすく、覚えやすい、歌いやすいといった特徴があった。そうした要素を取り込んだ作品「長崎しぐれ」が出来あがった。楽曲のコンセプトである<昭和>を感じ取って欲しい、と昭和女の島津はいう。


島津悦子・長崎しぐれ.jpg








 島津悦子、1961(昭和36)年生まれ。歌手デビューは1988(同63)年である。翌年から平成の世の始まりであり、間もなくバルブ経済も終わりを告げた。島津の歌手活動は実質、平成と共に歩んできたことになる。
 2018年10月発売の「長崎しぐれ」は、54枚目のシングルになる。その新曲発表会を東京で開いた彼女は「しっとりと落ち着いた長崎の風景が思い出される曲。昭和を思い出し、ほんわかとした気持ちになっていただければ」と期待を込めた。

 歌を聴いたファンからは「泣けてくるね」と言った声が届いてきた。

島津悦子4.jpg

 キングレコードの中田信也ディレクターは、今までにいろんな島津を引き出してきたが、今回は昭和50年後半から60年代にかけてこんな歌があった、といった昭和を懐かしむイメージで作り上げた。

 「タイトルからして昭和でしょ。期待した通りの楽曲です。それを存分に感じ取ってほしい。歌っていても癒されます。そこにはすべてを受け入れてくれて、一緒に人生を歩んでいこうという男性がいて、主人公の女性には幸せが見えてくるようです」

島津悦子3.jpg

 冒頭の ♪ 傘を差す手に 〜 の詞、まるで映画を見ているように情景が浮かんでくる、という。それだけに「詞は自然と覚えられる」ようなのである。
 映画ならば相手の男性役は。
 「差し詰め高倉健さんですかね」
 島津は言い切った。

 カップリング曲の「湯河原湯情」は、やはり昭和のどこかで聴いたことのある作品である。「三味線をいっぱい使った」といった工夫が、ここでも昭和を感じさせてくれる。


 2月23日には石川県津幡町の文化会館・シグナスで開かれる「美貌・美声4歌手競演 シグナス歌謡音楽祭」に、3月3日には大阪市大正区、京セラドーム大阪での「第15回関西かごしまファンデー」にも出演する。





[島津悦子 オフィシャルサイト]
http://www.shimazu-etsuko.net/
[島津悦子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10397








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花咲ゆき美(日本クラウン). 「ひとり象潟」 秋田の景勝地・象潟が舞台 印象的なロングトーン 2月には「掛魚まつり」で披露 [インタビュー]

花咲ゆき美 2.jpg◆象潟(きさかた)は今は雪景色だろうか。日本クラウンの歌手、花咲ゆき美が訪ねたのはまだ一面に黄金の海が広がり、遠くに鳥海山が浮かんでいた。2018年12月リリースの彼女の新曲「ひとり象潟」は、象潟を旅する恋に傷いた女性の心の内を描いている。象潟を歌ったのは松尾芭蕉、島倉千代子に次いで3人目ということで、地元の秋田県にかほ市からはふるさと宣伝大使に任命されたほどで、19年2月4日には300年も続くと言われる、同市の金浦山神社で行われる掛魚(かけよ)まつりでは、市内の道の駅で「ひとり象潟」を披露する。








 象潟とは秋田県にある景勝地のひとつ。江戸時代の地震で海底が隆起して陸地化、現在のような水田化された。今、そこには島と呼ばれる103の小さな山が点在し、象潟ならではの景観を作っている。

花咲ゆき美・ひとり象潟.jpg デビュー14作目で初めてそこを訪れた花咲ゆき美が歌うのは「ひとり象潟」。恋をなくした歌の主人公の女性は小島に涙を流し、芭蕉も立ち寄った蚶満寺(かんまんじ)で過去を悔い、そして鳥海山に未来を占うー。歌には象潟の景色が散りばめられている。
 「ご当地ソングでは津軽を歌っていますが、今回のようにピンポイントを歌うのは初めてです。私の歌には寒くて悲しい歌が多いのですが、この歌もやはり寒い北国ですね」

 詞は麻こよみが書いた。
 作曲はデビュー前からの恩師、新井利昌である。この新井に花咲は「ロングトーンで歌い終わりたい」と、初めてわがままを言った。
 ♪ あなたに 逢いたい 〜〜 確かに長く伸ばしている。「物語を長く続かせて余韻を持たせたかった」
「こんなお願い、今まで言ったことなかったのですが、すんなりと聞いてもらえました」

 麻が「素晴らしい所がある」と詞に現したのが象潟だった。
 その地を歌ったものには、江戸時代には松尾芭蕉が「奥の細道」に著した、象潟や雨に西施がねるの花、があるし、近年では島倉千代子が合併前の象潟町の依頼で歌った「象潟小唄」が知られている。
 花咲は芭蕉以来3人目ということになり、「ひとり象潟」は象潟史の残る名誉ある作品となったのである。

秋田・にかほ市ふるさと宣伝大使・小.jpg
にかほ市宣伝大使の名刺

 間近に迫った掛魚まつりではそれを歌うが、掛魚とは漁師が氏神に供える魚のこと。ここでは地元で獲れる鱈が主役で、祭りはタラまつりとも言われている由縁である。
 「地元の食べ物も色々と食べてみたいですね。見かけたきりたんぽスープカレーにも興味がわきます」


 カップリングの「酒場のまねき猫」は、ノリのいいリズム演歌。キャンペーンで配る歌詞カードには、振り付けの踊りを見ることが出来るQRコードを添付している。





[花咲ゆき美 オフィシャルサイト]
http://www.t-force1.com/
[花咲ゆき美 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/hanasaki/whats.html







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川野夏美(日本クラウン) 「なみだ雲」 新たな世界に挑戦の21年目 初の羽衣マリコ作品 [インタビュー]

川野夏美.jpg◆日本クラウンの歌手、川野夏美にとって新境地の楽曲となった新曲「なみだ雲」は、脚本家の梅田みかが羽衣マリコのペンネームで初めて詞を書いた話題作であるが、それにも増して川野自身にとっては新たな気づきを与えてくれた作品だった。デビュー21年目の今年、新曲は歌手人生で大きなターニングポイントとなる「実験的で挑戦的」(川野)な1曲になったようである。カップリングの「蛍月夜」は京都を舞台に、美しい言葉を紡ぐまるで和歌でも詠んでいるような女性らしい作品。



川野夏美 ・なみだ雲.jpg








 「メロディーラインは曲を書いた弦哲也先生らしいそのものですが、レコーディングで中低音にキーを下げて歌うようにアドバイスを受けました」
 2018年11月に出した新曲「なみだ雲」である。現代を生きる女性のリアルな心情を歌っている。
 今まで中高音で歌ってきた川野にとっては、中低音は大きな挑戦でもあった。
 38歳の川野は十分に大人なのだが、中低音に下げることで「大人の歌」に仕上がっ た。聴いた人たちからは「低音がすごく良い」と、むしろ好反響である。
 「聴く人にはこの声が心地良いのだ、と気づかせてくれました」

 意外に思うが「引っ込み思案な性格なんです」と自身で言うように、川野は石橋を叩いても渡らない、といった慎重なタイプである。
 ところが昨秋、大阪と東京でのデビュー記念コンサートでは、その石橋を渡ってしまったのである。これまで尻込みをしていたことも、このコンサートでは「とにかくやってみよう」と1步を踏み出した。
 スタッフが選曲したホイットニー・ヒューストンの楽曲に挑戦したり、難しいと言われる美空ひばりなどが歌っているのは「城ヶ島の雨」も聴かせたのである。

川野夏美・2018.10.08 20周年記念コンサート.jpg
デビュー20周年記念コンサートin大阪で歌う川野夏美(2018.10.08 )

 コンサートの模様は川野にとって初めての映像作品として、2019年2月6日にDVDとして発売される。

 コンサートでの試みは彼女に自信を持たせることになった。それが新曲での新たな試みにつながったというわけである。
 「型にはまらないで表現している人たちへの憧れはずっと持っていたんですが、私が実際に今までの型を破ってみると、スタッフも良かったと言ってくれたし、学びの場を与えてくれた」

■大人に変身させた作品

 川野にとっては挑戦だった「なみだ雲」。その詞を書いた羽衣マリコ(梅田みか)との出会いもまた、冒険であった。「頂いた詞はとてもきれいで、現代女性のリアルな心情が良く表現されていました」と川野。

 かつて読んだこともあった羽衣(梅田みか)のベストセラー「愛人の掟」は、川野にとっては、かけ離れた<大人の世界>であった。それでもレコーディング当日に初めて顔を合わせることになった羽衣は「(キーを変えたことで)一瞬で大人っぽくなった」と、驚いていたほど。

川野夏美 2.jpg

 「なみだ雲」が作詞家デビュー作となった羽衣を口説いたのは、川野を担当する日本クラウンのディレクターであった。書店で見つけた梅田のベストセラー「愛人の掟」に川野の次作のヒントを得た彼は、何度となくメールで梅田にアタックして詞作へとつなげたという。

 新しい楽曲に挑むきっかけとなった羽衣との初対面の印象は。
 「東京でのコンサートには娘さんを伴って来て頂きました。女優さんのようにきれいな方で、大人の女性として憧れます」

 インタビューの終わりに、歌手として最終目標は・・・ありきたりであるが、こんな質問を投げかけてみた。
 「ライブで良いパフォーマンスが出来て、表現者としての川野夏美らしい歌を喜んでくれる人がいる。そんなスタイルを目指したい」
 新曲の「なみだ雲」はそれを実現するに相応しい「飛躍するための作品」としている。「聴く人に納得してもらえる説得力を持ちたい」





[川野夏美 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/kawano/index.html
https://ameblo.jp/kawano-natsumi/
[川野夏美 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kawano/whats.html







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小桜舞子(テイチクエンタテインメント) 「他人傘」 小桜に仁井谷が書き残した優しくなれる哀恋歌 昨秋には3度目のブラジル公演 [インタビュー]

小桜舞子 1.jpg◆傘を人生に例えるならば、差し詰め相合い傘の2人は同じ人生を一緒に送ることができる果報者。でも2本だと別々の人生を歩むことになる他人傘。テイチクエンタテインメントの歌手、小桜舞子が2018年12月に出した「他人傘」は、愛しているからこそ身を引き、それぞれの傘を持つことを選んだ女性を描く哀恋歌である。去年、3年連続してブラジル公演も果たした。世界文化遺産にも選ばれている、まるで映画のセットのようだったというオペラハウスが会場。発売前の「他人傘」を歌うと、そこは拍手と歓声で包まれていた。


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 男の出世のために犠牲になる女性を描いた「婦系図」の世界と、「他人傘」はどこか似ていないでもないが、こちらは辛い辛いと悔やみながらも、罪な恋を夢と思って振り切る。発売前から歌い始めていたが、行く先々での評判は上々だという。

 ブラジルマナウス市にあるオペラハウス、アマゾナス劇場で2018年11月25日、3年連続で行ったブラジル公演でもリリースに先駆けて「他人傘」を日本語で披露している。大歓声に包まれたが、翻訳詞を読んだその観客からは「日本人らしい詞」だとコメントをもらったという。

小桜舞子 3.jpg
哀しい恋の物語が板についてきた

 前作同様に作詞は仁井谷俊也、作曲は岡千秋のコンビである。仁井谷は自らがペンを撮り、小桜の前作となった「よされ三味線」のレコーディングを前にして亡くなっているが、生前に「舞子ちゃんに大人の歌を」と、残した作品である。
 だからこそ、歌の内容とも重なって「胸が苦しくなるほどの作品です」と、小桜は仁井谷を懐かしむ。

 反面「歌っていて気持ちの良い、優しくなれる」とも言い、そのポイントのひとつが歌い出し。「♪ 雨に 濡れると 〜 をふたつに分けて、雨がポタッと落ちてきたようなタイミングをつかむのがコツ」だという。

■大成功のブラジル公演

 2年前のブラジルでの公演を終えて東京に帰った小桜は「2度とブラジルには来ることがないだろう」と思っていた。しかしホンダの現地法人が、ブラジル移民110周年を記念してスポンサーになって、3度目の公演が実現した。
 彼女にとっては信じられない出来事だったが「三たびブラジルの地を踏めたことを楽しもうと臨んだこともあって、ステージでもまったく緊張しなかった」と振り返る。

小桜舞子 2.jpg
和服と日本語でブラジル公演も大成功に収めた

 コンサートでは挨拶こそ「オブリガーダ」とブラジル語を使ったが、歌は全曲日本語だったし、MCも日本語で通した。
 それでも演歌の心は伝わるよで「美空ひばりさんの『悲しい酒』を歌うと、場内は静まり返り、歌い終わるや否や今度は大きな歓声に変わって、どよめいていた」という。

 日本とは何もかも勝手が違う海外だが「言葉が違っても悲しい、嬉しい、楽しいといった感情は同じなのですね」と、海外公演で演歌の真髄に少し触れたようである。





[小桜舞子 オフィシャルサイト]
http://www.kozakuramaiko.com/
[小桜舞子 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kozakura/







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澤敬子(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「人生がまん坂」   2度目のお披露目に大歓声   関西での活動に意欲 [インタビュー]

澤敬子3.jpg◆カラオケ喫茶店、シャルマン(大阪市此花区梅香)でのビンゴゲームでクリアファイルが当たった。そこには「人生がまん坂 全曲新録音 澤敬子」と書いてあった。それは歌手、澤敬子が提供した賞品のひとつだった。この日集まった多くの関西人にとっては馴染みの薄い名前であったようだが、彼女は新潟県を地盤に活動するデビュー31年目の徳間ジャパンコミュニケーションズのベテラン歌手である。「人生がまん坂」はデビュー曲で、去年、30周年を記念して新たに収録し直している。自らの歌手人生と重ねるかのような、その歌を聴かせてくれた。








 澤敬子とは、2018年10月に神戸市内で開かれたライブ以来2度目の出会いであった。今回は以前に増してより近くから歌を聴くことができた。

澤敬子・人生がまん坂2.jpg 今回、カラオケ喫茶店の店内で万雷の拍手を受けていた「人生がまん坂」は、作詞がいではく、作曲は遠藤実である。1989(平成1)年にキングレコードから出した、歌手人生を踏み出す第1歩となった楽曲である。去年、デビュー30周年を迎えるにあたって再度レコーディングし直した。

 彼女の芸名は、亡くなった今もなお、師と仰ぐ遠藤実が付けたもので「常に人を敬う心を持つように、という思いが込められています」と、その心を忘れずに歌い続けてきた。

 「歌はしっかりとしている」
 今回歌を聴いた音楽関係者が太鼓判を押すように、CDも何枚も売れていた。
 地元新潟ではラジオのパーソナリティもするなど、その存在感は強く、去年新潟市内で開いた30周年記念ディナーショーでは、会場は300人超という場内いっぱいの人たちで膨れ上がっていた。

澤敬子.jpg

 その澤が去年の30周年を機に、活動の場を関西に広げようとしている。
 「20年前に1度、関西でキャンペーンをしたことがあるんですよ」というものの、去年10月の神戸市内でのライブが本格的なお披露目であった。今回はその第2弾で、観客の反応に大いに手応えを感じていた。

 澤はこれを機に、関西での定期的な歌唱活動も検討するなど、31年目にして新たなステップを踏み出そうとしている。


[澤敬子 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/sawa-keiko/







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北野まち子(キングレコード) デビュー30周年記念曲「こころの灯り」 小さな幸せを支えに歌ってきた自らを写す [インタビュー]

北野まち子11.jpg◆キングレコードの歌手、北野まち子が2018年11月にリリースした「こころの灯り」。デビュー30周年記念曲である。1989年に「包丁一代」(作詞・いではく、作曲・岡千秋、編曲・前田俊明)でソニーからデビューして28枚目のシングルになる。支えられながら歌ってきた今までの歌手人生と重ねている。





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 「自分を今まで支えてくれた人などへの感謝の気持ちと、歌の道に邁進してきた自分と重ねて、歌手人生30年を表現出来る内容の作品を作ってもらいました」
 北国の人らしく、北野まち子の言葉の端々には誠実さが滲んでいる。

 北野のデビューは平成元年である。
 そのデビュー曲の「包丁一代」は、音楽ディレクター・馬渕玄三氏のプロデュースによる歌手募集コンテストでグランプリを受賞したもの。それをきっかけに、CBSソニーから北乃町子の芸名でデビューした。今の北野まち子に名前を変えたのは、1975年5月に出したシングル「しぐれ海峡」からである。
 「平成とともに歩んできました。28枚のシングルはどれもが大切な宝物です」と北野。

 キングレコードは2002年2月の「おんな春秋」からである。移籍後に出したシングルの枚数は今作で23枚目になり、名実ともにキングを代表するアーチストになっている。

 その新曲「こころの灯り」は、小さな幸せを支えに生きていく女性を歌っている。
 彼女も今までファンの応援を心の支えにして歌の道で頑張ってきた。まさに彼女自身と重なる作品なのである。
 北野も「皆さんが心の支えにしていらっしゃる方を思い出しながら、この歌を聴いていただけたらうれしいです」と、話している。

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 キングレコードに移籍してから、CDショップなどでの店頭キャンペーンの回数が増えたという。
 「上手く歌えたか、お客様に届いているかなど自分の評価になりますね。『良かったよ』なんて言ってもらえると励みになります」
 今作でも聴いた人たちから「いいですね」といった声が返ってくる。

■北陸のやすらぎの里、能美を歌う

 カップリングの「能美の里から」は、石川県能美市を舞台に歌ったもの。2010年に「あなたがいたから」のやはりカップリングで、同市辰口町にある辰口温泉を舞台にした「たつのくち恋歌」を歌ったのをきっかけに同温泉観光大使に。
 毎年8月には同町で開かれる「たつのくち祭り」にゲスト出演して歌を披露している。
 去年5月には能美市観光大使にも就任している。

 今回の30周年記念曲のジャケット写真では同じ石川県の名産である加賀友禅の着物を見せているのも、そんな縁があってのことだという。





[北野まち子 オフィシャルサイト]
http://www.machiko-k.com/
[北野まち子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=18678







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入山アキ子(テイチクエンタテイメント) デビュー10年目の「悪女の季節」 歌う看護師から悪女に大変身 [インタビュー]

入山アキ子・インタビュー.jpg◆本当は着物の方が落ち着くんですよ。2018年9月に出した新曲「悪女の季節」(作詞・かず 翼、作曲・大谷明裕、編曲・伊戸のりお)で、大胆に黒と赤色のドレスの悪女コスチュームに身を包んだ、テイチクエンタテインメントの歌手、入山アキ子。デビュー10年目にして初めての大変身である。♪ 未練はおとこのもの 〜 愛しすぎて強くなれたの 〜 と、かず翼の詞は、元看護師という優しい天使のはずだった彼女に、女性が持つもうひとつの側面を歌わせることになった。


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 左が黒、右が赤という彼女が履くハイヒールの高さ11センチあるという。これによって身長は175センチにもなる。ドレスや小物類ともコーディネートさせて、今ではすっかりと「悪女を楽しんでいる」(入山)ようである。
 「デビューして10年になるのだから、ガラリっと変わった、インパクトが強烈な作品を」と、事務所の和久井保社長の提案で実現したのが、この「悪女の季節」だったのである。
 「自分も率先して悪女になってみようと、悪女の衣装やポーズを考えたりして結構楽しんでます」

 その悪女ポーズ、意外なところで活躍している。
 今までは演歌には無縁だった30〜50代のトラック運転手たちが今秋から、運転するトラックの後部に、悪女ポーズに収まるA4サイズの「悪女の季節」シールを貼って全国を走り回っているのである。
 前作までは優しさを大事にして歌っていた。ところが今作は正反対のこうした大変身が、新たな熱いファンを作っているようである。

 「多くの人たちに見て楽しんでもらうことができると嬉しいです」

入山アキ子・インタビュー4.jpg入山アキ子・インタビュー3.jpg
悪女は何を祈るのか

 女性が持つ2面性をドラマティックに歌った今作は「悪女に成り切って演じて歌う」のが楽しむコツのようである。
 2013年リリースの「きずな道」から連続6回目になる全国カラオケ大会を今回も実施する。決勝大会は2019年3月9日、東京・新宿の新宿キリストンカフェで行なわれる。今回はヒット曲の「ザンザ岬」から「悪女の季節」カップリングの「大事な人だから」まで10年間のオリジナル全曲が課題曲になっている。

■悪女が来たりて歌を歌う

入山アキ子・インタビュー5.jpg 悪女になっても彼女の優しさは今まで通りで、病院や施設へ歌を届ける活動は今も続けている。今秋で61ヶ所目を訪ねているが、自分の9月9日(救急の日)生まれに合わせて99ヶ所の訪問を目指す。
 次々とリクエストは入っているようで、中には群馬県内のある施設では190人もの人たちが会場に集まったケースもある。歌うのは1曲はオリジナル曲も入れるものの、専ら懐かしい昭和の名曲なのである。

 「ベッドやストレッチャーに寝たまま聴いてくれる人もいますが、皆さんに喜んでもらっています。笑顔が見られるのが嬉しいですね。看護師時代の同僚や上司が応援に来てくれることもあります」



 介護雑誌への連載記事を書いたり、健康講座の講師も務めるなど、悪女は今でも歌える看護師でもあるようだ。
 ただし「世の中に悪女を増やしたい」というから、男性にとっては少々怖い歌なのかもしれない。

 入山は「歌手になって10年でもドヒャーなのに、悪女にまでなってダブルでドヒャーです。女性なら誰でも持っている表と裏を表現しています」
 来年の大晦日には黒と赤のドレスを紅と白のドレスに着替えて、大きなステージを楽しんでいる悪女がいるかもしれない。





[入山アキ子 オフィシャルサイト]
http://xn--cckwa042wikihmb.jp/
[入山アキ子 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/iriyama/








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浅田あつこ(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 関西にこだわり続けて25年 新曲「いさりび鉄道」 舞台は 「霧多布岬」(‘05年) 以来の北の大地 [インタビュー]

浅田あつこ2.jpg◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、浅田あつこがデビュー25周年記念シングル「いさりび鉄道」を2018年12月5日にリリースする。舞台は北海道の旧JR江差線の函館から木古内間を走る第3セクター、道南いさりび鉄道。作詞家の鈴木紀代が実際に乗車して着想したという。すでに函館観光大使就任が決定しており、来春には現地で任命式も。デビューから一貫して大阪を拠点に活動してきた彼女、これからも関西にこだわり続けて歌って行くという。


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 この歌が、先の地震で落ち込んでいる北海道の元気を押し上げてくれればうれしいー。浅田あつこはこのように、新曲「いさりび鉄道」に期待を寄せる。
 この楽曲を書いた作曲家の杉尾聖二、編曲家の伊戸のりおはいずれも北海道・札幌市の出身である。さらに歌詞を書いた鈴木紀代は今年、北海道で骨折し、現地で入院生活を送っていたという。そこで生まれたのが、かつて乗車したことがあるいさりび鉄道を題材にした、この恋歌だったのである。

 なんとも稀な3人の北海道繋がりで出来上がった「いさりび鉄道」である。浅田は北海道を舞台に歌うのは、2005年に出した「霧多布岬」以来だという。
 「北海道旅行で行ってみたい所のナンバーワンは函館なんですって。新曲はきっと、漁火を見ながら走るロマンチックないさりび鉄道との架け橋になってくれるでしょうね」

 そんな新曲はすでにファンの前で披露されている。反応は上々だという。
 「まるで私が掃除機にでもなったかのように、聴く人たちを次々と吸い込んでいくようで、気持ち良く歌えますね。イントロが流れると、北海道の景色が浮かんでくる壮大さを感じます」

■大阪のあっちゃんやで、オッチャンと違うで

浅田あつこ1.jpg カップリングは「河内のおとこ」
 お得意の河内ものである。前作の「河内のからくち」など、彼女には地元の河内を歌った楽曲は多い。河内もののオリジナル楽曲を集めた、たとえば「ザ・河内」のようなアルバムも出してみたいという。

 浅田あつこと言えば関西。関西と言えば浅田、というように、25年間、脇目も振らずに活動拠点は関西に置いてきた。東京へ来ないか、といった誘いもあったが「一度も関西を離れたことがありません。自分らしくいられる、居心地の良さが一番の理由ですね」と、関西でのポジションを作り上げてきた。

 大阪で形になるものを追い求め、関西から演歌・歌謡曲を盛り上げて行きたい、と頑張り続けてきた。ステージを降りると大阪のあっちゃんだが。一度、ステージに上がると全国区のあっちゃんの顔になる。


 もちろん大阪にいるハンディもあった。
 「ラジオ番組も少ないし、全国ネットのテレビにもなかなか出演できなかった」
 遠回りしたものの関西の顔になった今は、東京からも声がかかるようになった。
 これからも関西に居続けるのに変わりはない。
 「東京に住み家を持てるように頑張ります」

 25周年を記念したイベントも企画中である。コンサートも演りたいという。
 「これを機に自分を見つめ直してステップアップさせたいですね。今までもそうであったように、後は振り返らずに、前だけを見て行きたいです」
 浅田あつこはこれかもぶれることなく、大阪のあっちゃんとして愛くるしい笑顔を振りまいてくれることだろう。





[浅田あつこ オフィシャルサイト]
http://www.anchi.tv/top.html
[浅田あつこ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/asada.html






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渚月あかり(ホリデージャパン) 男性ファンを惹きつける「済州島」 魅せて聴かせるライブショーを [インタビュー]

渚月あかり2.jpg◆歌手でモデルの渚月あかり、才色兼備な女性に付けられるという〈美魔女〉の異名も持つ。2018年7月に、ホリデージャパン移籍第4弾の「済州島(チェジュド)」を出した。情熱的でダイナミックな歌詞とメロディーが男性から支持されている。「もっともっと女性力を高めたい」と、自らの磨きをかける。



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 「済州島」作詞が坂本晃歌と下村耕史、作曲が下村耕史、編曲は牧野三朗である。下村の作品は渚月がまだ、田中みきを名乗っていたフリーボード時代に歌った「かもめが泣いた」(2004年)の作曲を手がけた人である。

 「かもめー」を出す際に、すでに「済州島」は完成しており、渚月の新曲候補として上がっていたという。その後も彼女は「歌わせてほしい」と、何度もリクエストを出していたのだが、それが今回、ようやく叶ったのである。

 「自分の持ち味を初めて出すことができた」というほど、「済州島」は彼女にピタリとハマった。それに合わせるかのように、衣装も今までの着物から和服へと替えた。
 そんなことも影響しているのだろうか「圧倒的に男性に歌ってもらえるケースが多いんですよ」と、渚月は話す。

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 1番の ♪ この震えを止めて い激しく抱いて 〜 や、3番の ♪ 掻き乱れたこころ ああ崩れてしまう 〜 など「ダイナミックで情熱的な歌詞が、男性から受け入れられている」(渚月)理由のようでもある。

 そこからまた、ラジオ番組のパーソナリティなどのオファーが舞い込むなど、活動の場は広がりつつあるというから、待ち望んでいた「済州島」は渚月にとってまさに天恵のようでもある。

 演歌でも歌謡曲でもない、しかも「聞いていてオシャレな感じさえ与えてくれる今作は、声、歌唱法のどれもが私にピタリとハマっています」と渚月。

 歌手デビュー25年になる。
 「自分がやりたいこと、好きなことを仕事に出来ている私は、幸せな人生だと思います。これからはさらに女性としての魅力に磨きをかけていきたい」

 来て、見て良かったと思ってもらえる魅せて聴かせる、そんなショーを演りたいー渚月の夢は広がる。






[渚月あかり オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/nazukiakari
[渚月あかり ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_na5_na.html







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真田ナオキ(夢レコード) 人気急上昇 ファンと楽しい時間を共有したい! 3rdシングル「酔いのブルース」も好スタート [インタビュー]

真田ナオキ2.jpg◆その歌唱で歌手になるには厳しいよー。師事していた民謡の師匠から、そう指摘されてスポーツで鍛えた負けじ魂に火が着いた。吉幾三に弟子入りして1年後の2016年、念願の歌手デビューを果たした。夢レコードの歌手、真田ナオキである。それから8ヶ月後にはNHK・BSテレビに出演するが、40代50代の女性の間で本格的に人気が出始めるのは、昨年末あたりから。18年9月には3枚目のシングル「酔いのブルース」を出し、売れ良きも急上昇中。「やはり紅白を狙いたいけれど、それよりも今はファンと楽しい時間を共有したい」と、謙虚である。


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 2018年11月12日、京都市伏見区のカラオケ喫茶店、味楽には店内いっぱいの真田ナオキファンが集まっていた。店が始まって以来の熱気ようであった。大阪や神戸からやって来たという女性たちもいる。中には「次の奈良県内でのキャンペーン会場へも行きます」という熱烈なファンも。

 師匠の吉幾三が作詞作曲した新曲「酔いのブルース」を歌い始めると、客席のファンはナオキ、ナオキ〜と連呼。さらにはペンライトが揺れて、ヘェイ- ヘェイ- の掛け声。1曲目から早くもオーバーヒート気味である。
 今年4月に出したカバーアルバム「メイド イン ナオキ」に収録された、やはり吉幾三書き下ろし作品の「HAMAでダンス」を歌うと、ノリは最高潮に達していた。

真田ナオキ4.jpg 「デビュー3年でパパ(吉幾三)からもらった楽曲は7曲ありますが、書き下ろしてもらったのは2曲だけ。新曲の『酔いの ー』はパパが自分で歌うために書いたもので『お前にはやらないよ』と言われていました。でも素敵な曲だったので勝手にレコード会社に持ち込んで、僕のために書いてもらいました、と言ってレコーディングしたんです。先生からはバカヤローと怒られましたが、今では喜んでもらってます」

 真田は師匠の吉幾三をパパと呼ぶ。そのパパが作詞作曲した「れいこ」で2016年4月にデビューしている。ヒット曲「雪國」などで知られた吉の元に、彼が転がり込んだのは、その1年前だった。

 一度は「厳しい」と歌手としての可能性を否定されていたのだが、空手や野球をしていたスポーツマンだっただけに、持ち前の「何クソ」の精神で歌手デビューを果たす。21歳で歌手になりたい、と思ってから5年かかっていた。

女性ファンの心をつかむ真田


 「歌では身を立てるのは難しいと、民謡の先生から言われていましたが、その言葉が逆にバネになりました。デビューするには中途半端な自分のハスキーボイスに特徴を持たせたほうがいい、と考えて海辺で無理に声を出すなどして、今のようなしゃがれた声にしました」

 デビューしてからは「最初はポスターケースを背負って、飛び込みキャンペーンの連続でした」と、地道なキャンペーンを続ける毎日だった。ところがデビューして8ヶ月たった頃、NHK・BSテレビに出演するチャンスをつかんだ。


 女性を中心に彼の人気は日増しに高まっている。
 京都・伏見でのキャンペーンの前日、大阪・箕面温泉スパーガーデンで「天空歌のコンサート」に出演している。若手の人気歌手がたくさん出演している歌謡イベントである。ここではCDショップが用意したCDが全部売り切れてしまう、といったほどだった。
 販売を担当したショップも「1人で2、3枚とまとめて買っていく人がたくさんいました」と驚くほどの人気ぶり。

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京都・伏見のカラオケ喫茶、味楽で歌う真田ナオキ

 真田はこれからどのような歌手を目指すのか。
 「やはり紅白が最大の目標ですが、いきなりそんなことを望むのではなく、支えてくれているファンの皆さんと楽しい時間を共有できればいいかな、と思っています。結果は自然とついてくると思います」

 自信とも余裕とも思える言葉である。真田ナオキ、28歳。ファンの大きな期待を背負った新人であることに違いない。


[真田ナオキ オフィシャルサイト]
https://sanadanaoki.com/
[真田ナオキ 夢レコード]
http://www.yume-gr.jp/yumerecords/YZYM-15073.htm
http://www.yume-gr.jp/yumerecords/YZYM-15030.htm







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大月みやこ(キングレコード) 55周年記念シングル第2弾「海鳴りの駅」 大月演歌の真骨頂 生まれ故郷・八尾で店頭キャンペーン ヒットへ意欲 [インタビュー]

大月みやこ1.jpg◆デビュー55周年記念シングル第2弾「海鳴りの駅」を2018年9月に出したキングレコードの歌手、大月みやこが同11月1日、自らの出身地でもある大阪府八尾市にあるショッピングセンター、アリオ八尾で歌唱キャンペーンを行った。1階のイベントスペースは、一目、郷土が産んだ大歌手を見よという人たちで満員。「こんな立派な施設が出来ているとは知らなかった」という大月。CD購入客1人ひとりと握手して、言葉を交わすなど記念曲第2弾のヒットへ向けての意気込みの強さをみせた。


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 記念曲第2弾はファルセットを生かした、これぞ大月みやこといった王道演歌である。
 同4月に出した第1弾の「母なる海よ」は、望郷歌であり、今までの大月演歌とは大きく違った。ところが今作は「女の港」「女の駅」「白い海峡」といった彼女が今まで築いてきた、女の歌世界そのものなのである。

 ファルセットは大月の歌の大きな魅力のひとつである。デビュー当時は若さを生かした「金属的な声だった」というが、年齢に重ねるに従って「それに合うように、一生懸命に歌ってきた結果」が、今のファルセットを作り出してきた。

 大月の歌は、時には哀しさに耐え、また切なさに堪える女の世界を表現する。「大阪ふたりずれ」(1982年)以降あたりから、その傾向が強くなってきたという。

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アリオ八尾で歌う大月みやこ

 今、我々が持つ大月のイメージの多くは、周りの制作スタッフが作り上げてきたものである。新曲のたびに与えられるテーマを彼女は研究し、今までなかった自分を作り出してきた結果なのである。
 「さぁどうだ、と工夫を凝らして作り上げた新たな歌世界で、毎回、スタッフたちと立ち向かいます」と大月。

 スタッフからの新たな提案は、決して大月自身が気持ち良く歌えるものばかりではないこともある。
 「自分が満足するだけでは、決して聴く人たちに届かないことも今までの経験で知っていますから、スタッフの提案は信じるようにしています」

■きょうよりは明日と進化を続ける

 今年4月で72歳を迎えた。
 それでも歯は1本も抜けていないという。そんな健康の秘訣を訊くと「歌っていられるからかな。有難いことです」と、さり気ない。

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両親が眠る墓に手を合わせてからキャンペーン会場入りした

 先の東京オリンピックの開会式の日、新しくなったキングレコードの本社6階の窓から見た、真っ青な空に自衛隊ブルーインパルスのジェット機がきれいな五輪を描いたのが、大月には昨日のことのように眼に浮かぶ。
 17歳で大阪・八尾から上京した彼女は、この年の6月に「母恋三味線」でデビューしたばかりだった。

 2年後には2度目の東京五輪が開かれる。その頃大月は「いい出会いを信じて、スタッフと一緒に新しい空気を作り出していることでしょう。今よりは明日、ずっと素敵になっていることと思います」と、60周年へ向けて明るく意欲を語った。





[大月みやこ オフィシャルサイト]
http://www.otsukimiyako.com/
[大月みやこ キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10066






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松浦百美子(キングレコード)  大阪から実力派新人登場   デビュー曲はささやきかける大人の恋物語「聴かせて・・・」 [インタビュー]

松浦百美子.jpg◆20代から大阪・北新地のピアノバーでピアノの弾き語りをしていた女性が、去年、親族が亡くなったのをきっかけに「自分が生きてきた証を残したい」と、歌手を目指して一念発起、2018年8月に念願かなってキングレコードから歌手デビューを果たした。チェウニのヒット曲「東京トワイライト」の作詞者、夏海裕子と秋元順子のヒット曲「愛のままで」の作曲者、花岡優平によるデビュー曲「聴かせて・・・」を歌う松浦百美子(ゆみこ)=写真左。その歌がYouTubeや口コミで徐々に広がり、USENの演歌チャンネルのチャートでは7位にランキングされるなど、一躍、実力派新人歌手として注目されるまでになっている。








 スローなボサノバ調の花岡ミュージックにのって、魅惑的にささやくような歌声が流れてくる。松浦の「聴かせて・・・」である。これを聴いた瞬間にファンになったという人も少なくない。

 彼女は大阪音楽大学短期大学部ポピュラー科を卒業後、大阪・北新地でピアノバーを開業して、ピアノの弾き語りを始めた。グランドピアノを弾きながら松浦が歌う、静かな落ち着いた店は、有名人が数多く集い瞬く間に評判となった。

 ところが9年前に突然、ピアノバーを閉め「ゆったりと人生を過ごそうと」と、早すぎる余生を送っていた。そんな中で身近な人が亡くなったり、自身も腕を骨折するなどのアクシデントが重なったことが、彼女の人生観をいっぺんに変えてしまった。「人生は儚い。自分がこの世で生きていた証を残しておかなければ、と思うようになったんです」

松浦百美子・聴かせて・・・.jpg その手段として選んだのはやはり音楽だった。歌には自信があったし、歌手はあこがれであった。「CDを出して、聴いていただく人たちに夢を与えられる歌手になりたい」
 そう思った松浦は自ら書いた人生設計に沿って、それを実現させるために動き始める。レコード会社に相談し、「愛のままで」以来、大ファンになっていた花岡優平に楽曲を依頼した。

 「花岡先生とは東京で会って、歌を聴いてもらってお願いしたところ、1週間後に出来上がってきました。『ボサノバ調で難しい歌だがいいか』と聞かれたので、大丈夫ですと答えました」

 レコーディングまでには、花岡による2度のレッスンと最終チェックを経ている。
ささやきかける松浦の歌は、花岡が「歌い過ぎずにささやくように歌うように」とアドバイスしたものである。
 ささやく「聴かせて・・・」は、大人の男女の恋物語である。北新地で長年歌ってきたことは、松浦に自然と歌世界の表現に説得力を持たせることにつながったようだ。それだからこそ聴く者を惹きつける。

 インターネットでも配信されているプロモーションビデオは、ベルサイユ宮殿を彷彿させるシャンデリア輝く室内で撮ったもので、まさに北新地風な大人の恋物語を醸し出させている。

 松浦は屈託のない親しみやすい大阪の女性であるが、小学2年で父親を亡くして以来、何事も計画的に行う習慣が付いたという。歌手デビューしたこれからの人生設計については「愛と音楽に包まれて、ゆったり過ごす可愛い女性でありたいし、50、60代の人たちが夢を持って頑張ってもらえるような歌を歌っていきたい」といった絵を描いている。





[松浦百美子 キングレコード]
http://kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?sort=gn&artist=45628







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はやぶさ(ビクターエンタテインメント)  子供たちに人気のアニメテーマ曲「ジョー☆デッキー!!!」  11月3日は箕面温泉スパーガーデンで<はやぶさショー> [インタビュー]

はやぶさ・ヒカル ヤマト右.jpg◆ビクターエンタテインメントの歌謡コーラスグループ、はやぶさが、3人組からリーダーのヒカルとヤマトの2人になって初めてのシングルCDを2018年8月に出している。グループ7枚目のシングル「ジョー☆デッキー!!!」。3作目のアニメのタイアップ曲である。アニメを歌うかと思えば、大阪・箕面市にある箕面温泉スパーガーデン箕面劇場に出演して歌謡浪曲を披露するなど、新しいはやぶさを試行している。11月3日には同劇場での今年3度目となる公演も控えており、月に1度は関西にやって来るなど、関西地区での知名度アップにも力を注いでいる。








 キッズ世代を中心に人気のアニメ「デュエル・マスターズ!」(毎週日曜日午前8時30分からテレビ東京系で放送中)のオープニングテーマ曲である。同アニメの前シリーズのオープニングテーマであった「エボレボ!」(2016年)「未来はジョー!ジョー!」(2017年)が好評だったことを受けての発売。前作「蜘蛛男のダンス」と同様に、ヒャダインこと前山田健一がサウンドプロデュースするとともに、作詞・作曲・編曲までを手掛けた。

 ポップなサウンドに乗せて、ヒカルのこぶしを交えた演歌なボーカルとヤマトの低音のボーカルがひとつになり、それが子供たちのコーラスと重なって、アニメ「デュエル・マスターズ!」の楽しい世界を広げている。初回限定版のほか通常盤A、B両タイの3バージョンを発売している。

 「アニメの力はすごいですね。自分たちの知らないところで、子供たちが口ずさんでくれています。アニメ祭典やキャンペーンなどで歌うと、僕らの歌に合わせてみんな歌ってくれますね。会場には子供たちと一緒に大人にも来てもらえるので、そこで懐かしい昭和の歌謡曲などを盛り込んでいます」

はやぶさ・ジョー☆デッキー!!!.jpg 2012年2月にヒカル、ショウヤ、ヤマトの3人組の歌謡コーラスグループとして、「ヨコハマ横恋慕」でデビューした。今年3月にショウヤが引退して2人で再スタートしている。
 3人が2人になって一時は心配するファンもいたが「2人でしかできないことを模索しながら、歌も違うものを選んだり、振付も2人バージョンに替えて、新しいはやぶさを見てもらえるようにしています」と、鋭意変身中なのである。

 今年からは箕面温泉スパーガーデン箕面劇場の箕面天空歌のコンサートに出演している。新しいはやぶさの一面を見せるステージでもある。今夏には天津羽衣の歌謡浪曲「お吉物語」を盛り込んだ構成で、寸劇を交えた約1時間の舞台を演じてみせた。

 「歌や芸の幅を広げたいですね。特に関西ではトークが面白くないと受けないから、笑ってもらったネタをノートに書留めておいて、次に試してみるなど、いろいろ試行錯誤しています。関西での仕事はいい勉強になりますね」

 このところ関西には月に1度は足を運んでキャンペーンなどを行っているが、11月3日には今年3回目の箕面天空歌のコンサートに出演する。最新曲のアニメテーマソングだけでなく、衣装を着物に着替えて歌謡浪曲も披露するという。
 関東から彼らを追いかけて、家族3人でやって来る熱烈なファンもいるなど、新しくなったはやぶさはファミリー層に支持層をますます広げて、新しいコーラスグループとして成長しているようである。

 12月には愛知県春日井市でクリスマス歌謡ショーを開き、1月には東京都内でコンサートも予定している。





[はやぶさ オフィシャルサイト]
http://8823.click/
[はやぶさ ビクターエンタテインメント]
https://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A023877.html







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木下結子(日本クラウン) 今までと違う自分を見て!   人気のサイケな衣装 [インタビュー]

◆デビュー 35年目の日本クラウンの歌手、木下結子が初めてのアップテンポな新曲「おはじき」に挑んでいる。70年代を思わせるサイケデリックなデザインの衣装も人気。J:COM11chで11月に放送予定の「歌に恋して!」の収録現場で「歌よりも衣装を見に来る人もいるんですよ。目立ったものが勝ちかな」と、笑ってみせていた。

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関西では初お目見えとなった帽子姿のサイケ衣装

 日本クラウン移籍6枚目のシングル「おはじき」は、作詞が高畠じゅん子、作曲は杉本眞人、編曲矢田部正で2018年7月4日にリリースされた。
 木下にとっては初の杉本作品で 「この作品をでは今までとは違った私を見てもらいたかった」と、60〜70年代を象徴するようなサイケな衣装がディレクターによって選んでもらったという。

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デビュー前はたくさんCMソングを歌っていたと話す木下結子、左は音楽評論家・石井誠

 衣装の効果もあるのか新曲の反応は上々で「人目を引くのもいいですね」と木下。この衣装ではパンツスタイル彼女は、ヒール高13センチの靴を履いているので、身長は170センチになるという。だからだろうか、衣装が一段と映えるようである。

 35年前のデビュー曲「放されて」とともに木下の代表曲である「ノラ」(日本コロムビア)は、デビューして5年目の5周年記念曲として誕生した。多くの歌手がカバーリリースして「曲が1人歩きした」とされるが、彼女は「生命力の強い歌」とオリジナル歌手としての矜持は強い。「これを歌うといい女性を演じられます」とも。

 木下の「ノラ」が大好きだというラジオパーソナリティーの唐渡吉則は「僕の得意な歌で、もう何十年も歌い続けています」と話している。

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新曲「おはじき」をアピールする木下結子

 デビュー前は経理事務をするOLだったが、数多くのCMソングも歌っていた。
 8年間も歌ってきたという高知県の日本酒「土佐鶴」の歌や、香川県の銘菓「かまど」の歌も長く歌ってきた。中にはいまだに歌われているものもある。
 「和歌山・白浜のとれとれ市場で流れている、♪ とれとれとれ 〜 市場 〜 は、その1曲です」
 「ノラ」と同様に、誰もが知っている歌である。

 木下は12月20日に大阪・太閤園で恒例のクリスマスディナーショーを開く。ステージではサイケな衣装も披露してくれるかもしれない。


[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/
[木下結子 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kinoshita/whats.html






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西田あい(日本クラウン) 新曲「愛が足りなくて」  ポップス調な歌謡曲  SNS世代へ向けて情報発信も [インタビュー]

西田あい.jpg◆日本クラウンの歌手、西田あいが、前作の「最後の頁」から1年10ヶ月ぶりの新曲「愛が足りなくて」を2018年8月に出している。哀愁歌謡バラードとも呼ばれる今作は、恋への迷いを切なくポップスタッチで歌っている。曲を手掛けたのは「愛が足りなくても」とカップリング曲「翔べない踊り子」共に、作詞は岡田冨美子、作・編曲が1980年代に上田正樹の「悲しい色やね」中森明菜の「北ウイング」などのポップスのヒット曲を数多く生み出した林哲司である。西田は「演歌・歌謡曲、ポップスなどの垣根のない歌を歌っていきたい」と話している。








 その林哲司が今まで手掛けてきたのはポップスであった。彼の曲作りについて西田は次のように話している。
 「7月に開かれた林先生の作曲家45周年記念ライブの席で、今まで演歌・歌謡曲に如何に背を向けて曲を作るかに力を入れていたけれど、演歌や歌謡曲がいいなぁ、と思える歳になって初めて今回、歌謡曲を書くことになった、と話していました」
 しかし制作の進め方は、今まで慣れ親しんできた師匠の故・平尾昌晃と、気さくなミュージシャンタイプの林とでは全く異なり「新鮮に感じた」という。

 その林が書いた歌謡曲が「愛が足りなくて」。それでも「ポップスっぽいところは何か所かありますね。イントロや間奏の置き方などは演歌・歌謡曲の定番とはやはり違う印象を受け、それだけに新鮮に歌えています」と西田。

 歌が演歌・歌謡曲、ポップスなどと区分けされる現在の状況に違和感を感じていた西田は「今作のようなポップスよりの歌謡曲が多く生まれることで、今まであった歌の境が少しづつグレーになっていってほしい」と、これからの音楽の変化に希望を感じ取っている。

 「愛が足りなくて」は、アップダウンも激しい歌であるが、後半の ♪ 愛が足りなくて結ばれないなら ~ からは歌っていても最高に盛り上がるところだという。「歌好きの人はきっと気持ちよく歌えるんじゃないかなぁ」(西田)

■裏切りの連続

西田あい・愛が足りなくて.jpg 最初、彼女がデモ曲を手にした時、カップリング候補は「愛が足りなくては」だった。曲の印象は「ただポップスっぽいなぁ、というだけ」で、そしてメイン曲は「翔べない踊り子」であった。
しかしそれは簡単に逆転することになる。
 レコーディングでは先に「翔べない踊り子」を録り終え、続いて「愛が足りなくて」に録った。

  レコーディングが進むに従って、西田の中で変化が生じ始めた。
 「演歌・歌謡系のど真ん中といった感じのイントロが鳴り始めると、ここで緞帳が上がってステージには自分が立っている映像が浮かんできたんです。そこでいっぺんに胸を打たれました。周りを見ると制作スタッフの誰もが、やっぱりメインはこれだよねといった同じような顔になっていた」
その場でメイン曲は「愛が--」になってしまった。

 「ところが曲はさらにイントロが続き、今度はポップス調へと変わっていく。かと思えば後半のサビの部分は演歌っぽい。心地いいほどの裏切りの連続が、今までと違う構成を作り上げていました」
これこそ林哲司の真骨頂なのか。

■YouTubeチャンネルで情報発信

 演歌っぽいものへ抵抗を感じる人たち、中でも林哲司の楽曲に親しんできた世代の人たちにとっては、今回の「愛が足りなくて」は抵抗なく受け入れられるだろう、と西田は期待を寄せる。

 その西田は「デビューして8年が経って、進むべき道を定められるようになってきた」という。それは「ポップスの要素を取り入れながらの未来につながる、今の時代にマッチした歌謡曲」なのだろうと模索する。

 そのひとつとして今春からは、SNS世代に向けて「ニシアイチャンネル」をYouTubeで始めている。同世代の人たちに自分の存在を知ってもらうもので、絵本を読んだり、子守唄を唄ったりと試みている。歌を聴きたいというリクエストには「ライブに来て生で聴いてほしい」と、応えている。





 その一方でリアルなファンとのつながりを求めて歌謡コレクションライブを東京と大阪で開催している。10月21日には大阪・京橋のライブレストラン、ベロニカで開く。終演後にはファンクラブ会員限定のアフタートークショーも予定。大阪開催は来年4月にも計画しており、今後、定期的に開催したいとしている。

 西田は「新曲は歌謡曲と西田あいの未来に向けて大きな鍵となる作品ですこれがターニングポイントになった、と言われるように気合いを入れてヒットを目指します」と意欲満々に語っていた。




[西田あい オフィシャルサイト]
http://www.ai-official.jp/
[西田あい 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/nishida/whats.html






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水城なつみ(キングレコード)  能登・曽々木海岸観光大使へ 3年前の「曽々木海岸」に再びスポット [インタビュー]

水城なつみ2.jpg◆2018年6月に24歳になった水城なつみが歌う新曲「江差恋しぐれ / 湯平雨情」。北海道・江差と大分県・湯平温泉が舞台である。キーを低めにして哀愁感を出すことで、少し大人になったところを見せる、デビュー5周年で5曲目のご当地ソングである。カップリング曲の「湯平雨情」では、発売後の6月に初の観光大使・湯平観光大使に就任しているが、今度は11月にも能登・曽々木海岸の観光大使にも任命されるという。地元・能登では「この歌はよく曽々木海岸の情景を感じさせている」と、3年経った今でも評判だという。









水城なつみ・曽々木海岸.jpg デビュー3年目で出した「曽々木海岸」は、作詞が麻こよみ、作曲は影山時則で編曲は前田俊明。初のご当地ソングとして2015年に発売している。終わってしまった恋を忘れるために女性が髪の毛を切って心機一転のひとり旅に出る。やって来たのが石川県輪島市にある曽々木海岸。はかない恋心と女性の強さを表した1曲である。

 発売当時、関西の演歌・歌謡曲情報を配信する「Music news jp」のインタビューで水城は「私もそんな大人の女性に少しでも近づきたい」と、髪の毛を30センチも短くして3年目の正念場に気合を入れて臨んでいたのは、まだ記憶に新しい。

 曽々木海岸は輪島市にある能登半島有数の景勝地。国の名勝および天然記念物に指定されており、<<能登の親不知>と呼ばれるほどの難所として知られている。日本海の荒波に浸食された、無数の奇岩が見られる。
 水城の歌はそんな険しい海岸で、恋に破れた女性が日本海の荒波に出直すことを誓うのだが、 地元の輪島観光協会では「海岸の情景と歌がマッチしている」という。

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アルバム「ウタツグミ2」をアピールする水城

 今年は能登国立国1300年にあたることから、それに合わせて水城は曽々木海岸観光大使として再び「曽々木海岸」を盛り上げていきたいところである。

■大人になったナッチーの歌

水城なつみ・江差恋しぐれ.jpg 新曲「江差こいしぐれ」のカップリング曲が「湯平雨情」で、今年6月には湯平観光協会から湯平温泉観光大使に任命されており、同月には現地で新曲発表も兼ねて観光大使就任披露イベントを開催。来年も予定されているという。

 メイン曲の「江差恋しぐれ」は、水城なつみがデビュー5周年で出した7枚目のシングル。内容は望郷演歌。
 デビュー以来。声を張った力強い歌が多かった水城だが、落ち着いた大人の女性を感じさせる今作には「ねらい通りの表現が出来た」と、満足気だった。ファンからも「歌ってみると予想に反して歌いやすい」と評判は上々で、水城も「是非、挑戦して下さい」と呼びかけている。






[水城なつみ オフィシャルサイト]
http://www.mizuki-natumi.com/
[水城なつみ キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=44259






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