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「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ [インタビュー]

◆水飴や調味料を入れて作ったダシに、開いた穴子を漬けて、とろ火で3時間、4時間かけて炊くんです。そうすると口の中で溶けるような穴子になります ー 。

 渡辺要が鮨について話す時、目は輝き実に楽しそうな顔になる。

 「要鮨」を高松市常盤新町に開店したのは1972(昭和47)年だった。
それは小さな小さな店だったが、鮨を握る腕だけには自信があった。店に一度でも来てもらえると、良さは分かってもらえる。そのためにも店の存在をたくさんの人に知ってもらおうと躍起であった。

渡辺要・鮨職人時代を彷彿させるステージ.jpg
鮨職人時代を彷彿させるステージの渡辺要

 当時、要鮨の近くには7軒の同業者が店を構えていた。数軒のキャバレーも軒を並べていたが、そこで働くホステスで賑わう寿司店が1軒あった。女性の職人が寿司を握るということでも話題になっていた。

 渡辺は開店する前に高松市内の鮨店をくまなく食べ歩いている。「お金がないから食べるのはきゅうり巻き1本なんですが、味をチェックしていった。要注意な店は訪ねた100軒のうち。わずか3軒ぐらいでした」
 女性が握る店も訪ねている。しかも「こんなもん食えるか」と、タカをくくっていたのである。

 ところが店はホステスがいっぱいなのである。どうしたらこのホステスを自分の店に呼び込めるか。そう考えた渡辺は女性には欠かせないストッキングのプレゼント作戦を思いついたのだ。

 問屋で1足50円で売られていたものをたくさん買い込んで、ホステスが出勤する時間に合わせて配った。
 その頃は自転車で通勤するホステスが多かったから、近くの自転車置場立って、封筒に入れたストッキングを要鮨の名刺と一緒に「今度オープンした鮨屋です」と言って、1人ひとりに手渡していった。

 それは歓迎され、少しづつ客を伴って店に足を運んでくれるホステスが増えていった。「当時の女性用ストッキングは縫い目かがり(シーム)のあるものがまだ多くありました。戦後強くなったと言われたストッキングですが、破れると繕って履いている人も多かっただけに喜ばれましたね」

 こんなこともあった。
 ほぼ同時期に開店した隣の寿司店には、タクシーで乗り付ける人が多かった。そこで目をつけたのが、タクシーの運転手だった。乗客が隣の店に入るのを見計らって、用意しておいた10本入りのピースに、やはり名刺を付けて「良ければ次回、お客さんを連れて来てください」と手渡していった。
 それが運転手の間で「タバコをくれる鮨屋」と噂になり、見る見るうちに客は増えていった。

 ストッキングにタバコのプレゼント作戦など、あれやこれやの宣伝を続けていると開店して3ヶ月で、毎日、店は満員になっていた。

■ジャンケンして眉毛を剃って話題作り

 開店した時はまだ20歳の若造だったけれど、腕には自信があったというから、隣が鮨店であっても絶対に負けないと、鼻っ柱は強かった。
 それにしても同じビルに鮨屋が2軒並ぶとは、店を貸す方も貸す方であるが、そこを敢えて借りた渡辺もなかなかの度胸であった。

 その頃、渡辺が何時も考えていたのは、どうしたら客が来てくれるか、ということばかりだった。ところがオープンを知らせる先がなかった。

渡辺要・大阪で修業時代.jpg
大阪での修業時代

 新聞やテレビに広告を出せばいいのだが、そんな金もない。何とかタダで出来る方法はないものか、と頭を悩ませていた。
 客とのジャンケンは、そんな時に出てきたアイディアだった。客が勝てば代金を半額にして、渡辺が勝つと伝票通りするというのである。客が喜んだのは言うまでもないが、それだけでは終わらせないのが、渡辺なのである。

 客を装って地元の新聞社とテレビ局に「旅行者やけど、今、かなめ何とかという寿司屋に行ったら、面白いことをやってたで」と、電話をするのである。
 「一体何をしているのですか」と取材になって、街の話題にするという寸法なのだ。

 眉毛の片方を剃って「女房と喧嘩して剃られた」と店で吹聴すると、それが新聞に載ったり、とにかく思いつくことは何でもやった。
 喧嘩は実際に頻繁にしていたらしいが、それを逆手にとって「女房と喧嘩したから、逃げられたから半額」と宣伝したのである。

 このように香川県で1番店になるための方法を、あれやこれやと考えていった。


続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店 [インタビュー]

歌手渡辺要は、天皇・皇后陛下に自ら握った寿司を献上したことがある寿司職人であったことでも知られている。その彼が今年も、マグロを解体して寿司を握って見せる歌謡ショーを、大阪・道頓堀の寿司店でやってのけた。彼と寿司との関わりのきっかけは前回に触れているが、職人時代を過ごした高松では、四国でも有数の寿司店にまで築き上げたほどである。しかしそこに至るまでには、驚くような職人魂と商売人根性があった。

渡辺要6.jpg
1年ぶりに寿司店の板場に立った渡辺要(2018.1.26 まぐろ解体歌謡ショーで)

 高松市屈指の繁華街、丸亀町商店街の近くに、渡辺は母親に50万円を借り、蓄えていた15万円と合わせて資金65万円で、カウンターだけの小さな寿司店「要鮨」をスタートさせた。毎月の家賃は2万7000円であった。

 ビルの1階のそこは、カウンターと壁があるだけだった。ネタケースは寿司職人として修業を積んだ、大阪の寿司店の親方から独立祝いにもらっていたので、それを置いたが、厨房機など寿司店に必要なものは何もなかった。そこでまず2000円を出してタイルの流し台を買った。ビール箱を重ねて、その上に置き、ホースで排水設備を整えた。

 1年間は店の奥に3畳間ほどの広さの部屋を作って、後に6畳1間のアパートを借りるまでは、そこで夫婦2人が生活した。家財道具と言えば整理箪笥と卓袱台、布団。そんなものであった。
 渡辺が「彼女も苦労してくれましたよ」と懐かしむ、その女性は大阪で修業中に親しくなった、東京からやって来た客のひとりだった。気の強い彼女とは、結婚してからも喧嘩が絶えなかったのであるが、要鮨創業時から一緒に苦労を共にしたのは事実であった。

 彼女と知り合った大阪での修行時代は、絶えず金のない状態が続いていたから、デートはもっぱら公園や喫茶店、少しゆとりが出来ると映画を見に行っていた。そんな2人が並んで歩くと、162センチの渡辺の身長は決して高くは見えなかった。店ではいつも高下駄を履いていたから、カウンター越しに見える渡辺は結構高く見えていた。

 しかしデートでは高下駄を履く訳にはいかないから、同じ背の高さの彼女から見る渡辺は小さく見えた。ある時、渡辺は「意外と小さいのね」と言われるのだが、この日から、彼女には頭が上がらなくなったのかもしれない。

■隣も寿司屋

渡辺要7.jpg 店も何とか寿司店らしくなった。いよいよ開店となったのだが、同じ香川県内にある実家の近所の人たちや親戚の人たちが、祝いに来てくれた。元々、客も知り合いも少ない中でのオープンであった。親しい人たちが一巡すると、オープンの賑わいは早々に途絶えてしまった。案内状は100枚ほど作ったが、90枚も残った。

 予想はしていたものの、決して順風満帆ではなかった。
 しかも隣は同じ寿司店だったのだ。数日早かったが、ほぼ同じ時期の開店であった。その店はオープンしてすぐに繁盛していた。高松の家具屋の息子兄弟2人で経営していたが、父親の家具屋は同じ市内のキャバレーに家具を納めており、その支配人とも親しく、店はいつもキャバレーの客でいっぱいであった。

 キャバレーには歌手が出演していたから、彼らは客と共にやって来るし、歌手が来たというので、店の外は野次馬が群がる。とにかく数日早くオープンしたにもかかわらず、隣の店は連日大賑わいであったのだ。
【写真】魚をさばく包丁を手にする渡辺要


 その店とはブロック壁で仕切られているだけ。しかもトイレは共同であった。これが渡辺に幸運をもたらした。

 1日に2、3人は、店を間違えて渡辺の店に入ってきた。店が違うことが分かると、スッと出て行くのだが、中には義理堅くカウンターに腰掛けて注文する人もいた。ある時、隣の店と親しいキャバレーの支配人が、やはり間違って入ってきた。お互いにバツが悪いが、間違ったことには触れずに、渡辺は注文を尋いて、酒を出した。

 その日は支配人から代金を受け取らずに、その代わりに名刺をもらい、後日、請求書を送ることにした。

 その頃、渡辺は開店を知らせるために、名刺を1枚でも欲しかったのである。
 翌日、手土産を持って支配人を訪ねて「10回に1回でもいいので、また間違えて来てください」と微笑むと、わざわざ来てくれたことを喜んでくれた支配人は、その後も律儀に10回に1回は「要鮨」にやって来て、いつのまにか常連客になっていた。

 「これだ、と思いましたね。それから名刺をもらうたびに、1軒1軒お礼を言って歩きましたね」

 続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23










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キングレコード歌謡文化アカデミー、2018年度キングレコード歌謡選手権の日程発表 熊本・中九州地区はじめ9会場で地区大会開催 [カラオケ]

◆キングエンタープライズ(東京都文京区、長谷川律夫社長)は2018年1月31日、キングレコード歌謡文化アカデミー(同、三田誠理事長、KBA)が運営する「2018年度キングレコード歌謡選手権」の日程を発表した。

グランドチャンピオンに78歳の小笠原茂夫2.jpg
去年のキングレコード歌謡選手権全国決勝大会でグランドチャンピオンに選ばれた小笠原茂夫さん
写真・右はゲストの三笠優子(キングレコード)、同左は水城なつみ(キングレコード)

 KBAのキングレコード歌謡選手権は毎年、傘下のカラオケ教室会員が参加して全国で開催しているカラオケコンテスト。75歳以上のゴールドから35歳以下のプラチナまで年代別に6コースに分けて、地区大会と全国決勝大会が行われている。

 今年の地区大会は、去年まで仙台市と名古屋市で実施してきた東北大会と東海北陸大会を中止し、9会場で行う。

 中止する東北大会は北関東地区大会、東海北陸大会は近畿大会と合同開催する。地区大会への参加は、居住地域に関係なく都合のいい日程に合わせて会場を選ぶことができる。

地区大会の日程と会場は次の通り。
6月2日 中九州地区大会(熊本市・熊本新都心プラザ)
6月9日 四国地区大会(松山市・総合コミュニティーセンター)
6月16日 中国地区大会(広島市・東区民文化センター)
6月30日 北関東・東北地区大会(さいたま市・大宮ソニック小ホール)
7月14日 近畿・東海北陸地区大会(大阪府守口市・エナジーホール)
7月21日 南関東地区大会(東京都江東区・江東区文化センター)
7月28日 北海道地区大会(札幌市・かでる2.7かでるホール)
8月5日 南九州地区大会(鹿児島市・かごしま県民交流センター)
8月26日 北九州地区大会(福岡市・パピヨン24ガスホール)

 歌唱曲は、2017年大会参加者は今回も同じ曲が認められるが、同大会で最優秀賞受賞者は別の曲が義務付けられている。参加料は1万200円。
 全国決勝大会の日程と各大会のゲスト歌手は未定。


[キングレコード歌謡文化アカデミー オフィシャルサイト]
http://www.kingrecords.co.jp/KBA/







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