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岩出和也(キングレコード) 「咲いてみないかもう一度」 出足好調 チャート上位を維持 デビュー曲の続編を思わせる [インタビュー]

岩出和也1.jpg◆キングレコードの歌手、岩出和也が2018年7月、大阪市内で初めてのスーパーライブを開く。2月に出した新曲「咲いてみないかもう一度」をはじめオリジナル曲や自身による書き下ろし曲など全20曲余を歌う。デビュー20周年に当たる去年をあえて避けて、すでに21世紀も18年目に入った今年にタイトルも「21世紀・・・21周年記念スーパーライブ」とする。久々に生バンドを起用するほかライブオリジナルのプレゼントも用意している。








 24枚目のシングル「咲いてみないかもう一度」の詞は、香川県在住の作詞家・原文彦が岩出和也に初めて書いた作品である。作曲は徳久広司、編曲は南郷達也である。
 デビューしてすでに21年目になる岩出だが、「咲いて ー 」に著された詞は、まるでデビュー曲の「おまえに雨宿り」(1997年)と2作目の「赤いハマナス」(98年)の続編のような内容である。

 デビュー曲では愛しい人といきなり別れることになるのだが、2作目では主人公は別れた人を目にしたという噂を耳にする。そして今作では、見事に再会を果たすのである。20年間、別れ別れに過ごしてきた2人だが、もう一度俺に賭けてみないか、と心揺さぶるといったストーリーである。

 まるで仕組まれたかのような〈21周年記念曲〉なのである。

岩出和也・咲いてみないかもう一度.jpg 「聴き心地が良い」「歌い応えがある」など、発売後の反響も上々だ、オリコンの演歌チャート初登場は7位だった。その後も20位以内を保ち続けている。最新の4月2日付けでも20位を維持している。20周年記念曲の前作「東京陽炎」から、こうした好調が続く。
 「1年1作のペースで新曲を出し、その都度そんなに変わったことはしていないのですが、やはり楽曲の良さに支えられているんでしょうか」
 岩出は控えめである。

 去年の「東京陽炎」は、杉本眞人作曲の歌謡曲タッチな作品だったということもあって、「新しいファンの応援もあった」と岩出。ところが今作では、引き続いての新しいファンたちに混じって、旧来からのファンによる応援が多い。
 それも2011年の「おまえに やすらぎを」からの一連の〈やすらぎ演歌〉という、岩出らしい男の優しさを歌う路線へ戻っているからなのだろう。

■松山千春に触発されたライブ

 デビュー20年を境に岩出和也の中で、何かが動きはじめている感がある。今年はそれを形にする。7月15日に大阪・新大阪駅近くのメルパルクOSAKAホールで開く「21世紀・・・岩出和也21周年記念スーパーライブ」がそれである。

岩出和也・スーパーライブ.jpg

 地元大阪でのスーパーライブは富田林市などで行ってきたが、大阪市内に会場を移すのは初めてのことである。そこに今年は久し振りに、10人編成規模のの生バンドを入れる。
 オリジナルの岩出演歌・歌謡曲は言うまでもないが、自らによろ書き下ろし曲も2曲ほど聴かせるほか、カバー曲も盛り込む。

 さらに今回は周年を記念して「ぼく自身のデビューから今までの奇跡を写真と文章で綴った小冊子を来場者にプレゼントする」といった趣向も凝らす。
いつもとはちょっと違ったステージが期待が期待されている。





[岩出和也 オフィシャルサイト]
http://www.sunnysb.jp/iwade/
[岩出和也 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=20199






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北川大介(日本クラウン) 「菜七子」 デビュー20周年記念曲 昭和のタフガイを歌い続ける [インタビュー]

北川大介.jpg◆人柄が出ていてとても良かったですよ ー 。日本クラウンの歌手、北川大介は、女優・浅丘ルリ子のそんな言葉に心躍らせた。2018年3月15日、東京・銀座で開かれた歌謡ショーで、出演者の1人として2月に出したばかりの新曲「菜七子」を歌った時のことだった。石原裕次郎らかつての〈日活タフガイ〉に憧れてムード歌謡を歌い続ける北川にとっては、裕次郎の恋人役を数多く演じてきた浅丘からもらった一言は、まるで天にも昇るようだったからである。ファンの手応えも十分というデビュー20周年記念曲にとっては、幸先の良いスタートとなった。








 北川はステージでありったけのパフォーマンスをして見せる。大好きな石原裕次郎や小林旭など、かつて銀幕で大活躍したタフガイたちの物真似も盛り込むのである。彼らへのオマージュ作品となったカバーアルバム「目指せ ! タフガイ」(2003年)も出したほどである。
 このアルバムに収録した石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」(1957年)からも感じられるように「男らしさへの自信が裕次郎さんの世界観の魅力ですね」という北川は、新曲「菜七子」でも ♪ 俺を抱きしめて すすり泣いていたね 〜 と存分に真似て見せるのである。

北川大介・菜七子.jpg 曲中に「菜七子 どこにいるんだ・・・」とセリフが入る。
 イントロや間奏にセリフが入る歌はしばしばあるが、こうして曲中に挿入されるのは極めて珍しいという。しかもなんとそれに続く歌詞が ♪ 俺は待ってるぜ 〜 とくる 。何処までも裕次郎なのである。

 ところで菜七子とはまた風変わりな名前のタイトルであり、歌の主人公だと思ったが、何と中央競馬会には同じ名前の人気女子ジョッキー・藤田菜七子(20歳)という人物がいるのだというから驚きである。
 それはそうとして、「菜七子」の歌は「覚えやすくて、歌っていて気持ちが良い」(北川)だけに本人は「必ず売れる」と自信を見せる。実際に「手応えは良くて、セリフの菜七子は色んな名前に変えて歌うことで皆さんに楽しんでもらっている」と笑って見せる。

■楽しまないと歌は伝わらない

 インタビューの間、北川はずっと笑顔を絶やさない。ステージでも同じである。
 「歌っている本人が楽しくないと、聴いている人たちには、楽しさが伝わらないから」
 彼がデビュー以来守り続けてきたことである。

 そのためステージに立った時にはいつも「客席にはもう1人の自分が座っている」と、思うようにしているのだという。
 「客席の自分が面白くなければ演らない」とまで、エンタティナーぶりに徹する。幸いなことに、今のところすべて楽しいステージだったそうである。

■欠員の代役で出たカラオケ大会が歌手の道へ

 石原裕次郎などが出演する映画やムード歌謡好きは父親の影響が大きかったが、ある時に見た野球のユニホームを着た、まだ高校生だった山本譲二の姿にいっぺんに魅せられたという。日焼けした顔から覗く白い歯がとても眩く映ったのである。以来、北川は野球一筋に走り、神奈川県大会ベスト4にまで進出する。

 それが今度は父親のゴルフ練習で知り合ったレッスンプロに薦められ、ゴルフに人生をかけることになる。大学時代には学生選手権にも出場し、卒業してからは1年間米国へゴルフ留学。帰国するとトーナメントプロを目指していたが、身体の故障が原因でレッスンプロの道へと方向転換する。

北川大介2.jpg北川大介3.jpg
笑顔と八重歯とリーゼントがうりの北川大介。ただし生まれた時には八重歯はなかったとか
大阪・イズミヤ今福店でのキャンペーンで(2018.3.27)

 そんなある日、ゴルフレッスンの生徒からカラオケ大会に欠員が出たから、と勧められて出場し、憧れていた山本譲二の「みちのくひとり旅」を歌った。その時の審査員の1人が「ラブユー東京」などムード歌謡の大家と呼ばれた作曲家の中川博之であったことが、歌手へと再び方向転換を決意させることになった。

 デビュー曲は「前橋ブルース」(日本クラウン、1998年)。星野哲郎の詞に中川が曲を書いたムード歌謡だった。当時は「クラウンのテスト生のような立場」(北川)で、1年半で14万キロを1人で車を運転して、全国でCDを売り歩いた。人の集まるところならどこでも歌ったが、最初に飛び込んだのはトンカツ屋だったというのは、彼の体育会系男子らしいエピソードのひとつである。
 それから20年たった。27作目のシングルとなった「菜七子」への想いはひとしおだという。

 照れ隠しだというステージでの裕次郎たちを真似たパフォーマンスも「ファンに楽しんでもらうためのもの」で、北川本人も思い切り全身で楽しんで歌っている。






[北川大介 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-daisuke.com/
[北川大介 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kitagawa/whats.html






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大江裕(日本クラウン) 「大樹のように」 デビュー10周年記念曲 夢に一途な男の歌を原譲二(北島三郎)が贈った [インタビュー]

大江裕1.jpg◆大阪・岸和田生まれの18歳の青年が、大好きな北島三郎に憧れて歌手デビューしたのは2009年であった。日本クラウンの歌手、大江裕である。今年、10周年を迎えている。2018年3月21日に出した15枚目のシングル「大樹(たいじゅ)のように」は、自らに重ねるかのように、夢に向かって一途に生きる若者を歌っている。師匠の北島から「10周年に相応しい曲」としてプレゼントされた。歌のように「大樹になりたい」と夢は大きい。5月からは同じ事務所の先輩歌手、北山たけし(テイチクエンタテイメント)と2人で「北山兄弟」の名前で、全国約40ヶ所を巡るジョイントツアーコンサートを始める。大阪など関西は来年になる予定。






 ステージの大江裕に〈サブちゃ〜ん〉とかけ声が寄せられる。彼は「好きな先生に1歩でも半歩でも近づいたような気がしてうれしい」と、心の内を明かす。その大江に北島は「80代の俺の真似をするな。20代の自分の色を出してお前の歌を歌え」と諭す。
 大江らしい色とはー。
 勢いがあって、優しさだという。28歳なりの経験からの感情を込めて歌う大江だが「込め過ぎるとどうしても先生(北島)に似てしまうんです」と笑う。

大江裕・大樹のように.jpg 新曲「大樹のように」は、初めて歌う3拍子のワルツのリズムである。一般的には歌いやすいとされるリズムだが、それまで歌ってきたのは4拍子だった彼には3拍子での表現は難しく感じた。オケ録りでスタジオに入ると「3拍子とは思えない、今までに聴いたこともないような音が耳に飛び込んできた」(大江)といい、それが逆にデビュー当時の新鮮な気持ちに引き戻してくれたのであった。

 北島からは、これを歌うに際して今まで歌ってきた10年間の癖をすべて取るように、とアドバイスされている。

 2017年は北島が所有する競走馬・キタサンブラックが大活躍した年でもあった。その年末、北島は大江たちに向かって「来年はお前たちが活躍する年だから」と、それぞれに意気込みを語らせた。
大江は「檜舞台に立ちたいです」と、持ち前の大きな声で夢を話した。
 ところが北島は「いつも立っているステージが檜舞台だろう。勘違いしてはいかん。毎日を大切にするように」とたしなめたという。

 それまでの大江は、大劇場での1ヶ月公演やワンマンショーを演り、全国ツアーが出来るようになることが檜舞台だとばかり考えていたから、すでに自分が檜舞台に立たせてもらっていることが分からなかったのである。北島が「大樹のように」を彼にプレゼントしたのも頷ける。

 「大樹にとっては10年など、まだ根っ子なんですね。10年を過ぎるとようやく芽が出て、成長することも教えられました」

大江裕2.jpg

 大江には大好きな北島はまさに人生の師と言っても良いようである。

 と言っても、北島から歌唱指導を受けることはない。教えられるのは「歌で大事なのは気持ちである。自分の気持ちをステージから思い切り投げかけて、相手(客)とのキャッチボールから学べ。他人にからは良いところ盗め」や礼儀・作法、受けた恩義は忘れるなーといったことばかりである。

■北山兄弟でジョイントツアー

 同じ北島音楽事務所に所属する北山たけしが今年、デビュー15周年を迎えている。大江はその北山と2人で「北山兄弟」を名乗り、今年5月から全国約40会場でジョイントツアーコンサートを開く。会場はいずれも収容人員が1500〜2000人という規模になるという。

 スタートは5月の愛知県刈谷市。2人のオリジナル曲のほか師匠北島の歌を歌って盛り上げる。初めてコントにも挑戦する。「芝居は苦手なんです。歌詞と違って、台詞は覚えられないしね」という笑う大江。地元大阪では来年になってからの公演になるという。





[大江裕 オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/yutaka/
[大江裕 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/ohe/whats.html






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津吹みゆ(日本クラウン) 「哀愁の木曽路」 4枚目シングルで初の大人の恋愛歌 プライベートでは只今、恋愛禁止中! [インタビュー]

津吹みゆ.jpg◆22歳になったばかりの日本クラウンの歌手、津吹みゆが、4枚目のシングル「哀愁の木曽路」で、初めて大人の恋を歌っている。前3作のふる里を想う望郷演歌から、恋に破れた1人の女性が木曽路を傷心の旅へと成長している。そろそろ都会生活にも慣れてきた津吹に合わせたものだ。と言っても現実の津吹は「25歳までは恋愛厳禁」を師匠で作曲家の四方章人夫妻から言い渡されており、大好きな宝塚歌劇を思い浮かべながら哀しい恋物語に挑戦している。


津吹みゆ・哀愁の木曽路.jpg









 憧れていたという5行詞を初めて歌えるのが嬉しかったという。作詞家たかたかしの詞をもらうと「寝る前に読んでは、素敵な悲恋の世界に浸っていました」と津吹。
 その歌の世界では、男性の幸せを願いながら別れてきた女性が木曽路を旅するが、四方に「22歳になったのだから大人の女性を歌わないと」と勧められたという。それに合わせて衣装も黄色のドレスに変えた。

 インタビューの間も屈託なく良く笑う彼女からは、大人の恋愛など程遠いようでもある。好きなテレビドラマも見るのは専ら刑事もの。かと思うと華麗な宝塚歌劇も大好きという乙女チックな一面も見せる。

津吹みゆ2.jpg
初のネイルアートにも挑戦して大人の仲間入り

 そんな津吹には中学3年から3年間続いた恋物語があった。両想いだったという。2人はスーパーへ一緒に買い物に行ったり、互いの家で家族と夕食を共にしたりと、可愛らしいものだったが、高校が別々になってその恋は終わってしまった。
 やはり別れは悲しくて「学校帰りのコンビニで焼き鳥1本を買って〈やけ食い〉しました」と笑う。

 以来、恋愛とは縁遠くなってしまった。25歳からはどんどん恋愛を、と逆に勧められているそうだが、日々忙しくなる歌手業では「恋愛に浮かれている場合ではない」と、しばらくは難しそうである。


 ところで「哀愁の木曽路」の舞台となっている木曽路は、津吹にとってはまだ見ぬ〈異郷〉の地である。今のところ東京・銀座にあるアンテナショップで〈木曽〉を勉強しているところだとか。





[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubuki/
[津吹みゆ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/tsubuki/whats.html






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藤森美伃(徳間ジャパンコミュニケーションズ)   「あなたに贈るララバイ」  デビュー20周年記念曲  死に物狂いで歌う [インタビュー]

藤森美伃2.JPG◆綺麗でしょう 〜 悲しいでしょう 〜 笑うでしょう 〜 。のっけから、こんな問いかけの詞が3行に渡って続く。女がつぶやくように、自分に向かって投げかけ、そして自ら答える。綺麗だと。それでも悲しいし、可笑しい。徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、藤森美伃のデビュー20周年記念曲「あなたに贈るララバイ」である。デビュー20年を迎えた今年、今までの演歌の衣装の着物から、初めてドレスに変えてタンゴのリズムにのせて歌う作品である。藤森はこの歌を「死に物狂いで、なり振り構わず頑張って歌っていきます」と話し ている。









 ララバイ(子守歌)という言葉が13回出てくる。冒頭の奇麗でしょう ~ との言葉と重なって、別れの切なさ辛さが歌の真ん中から高まっていく。後半にかけてさらにそのスケールが大きくなる。そんな女性主人公の哀愁感を、1つひとつのララバイの1語1語に込めているかのようでもある。
 「女性であれば多くが持ち合わせる心の内を表している」(藤森)のが、この「あなたに贈るララバイ」なのである。

藤森美伃・あなたに贈るララバイ.jpg 藤森がここで歌う主人公は「優しくて、思いやりのある人」で、その女性の想いは歌の2番、しかも最後の2行に最も良く出ているのだという。それをタンゴのリズムに合わせて響かせる。
 「ためてためて歌う演歌と違って、キレ良くドラマチックに歌っています」

 カップリングの「風のれん」は、藤森自身が作曲した作品である。自らは下戸ながらも、手酌で別れた人への未練を飲み流している女性を歌う。


 藤森のシングル枚数は12作目。元は電子オルガンの講師をしていたが、子供の頃からの夢であった作曲家への道を諦めきれずに作品を作りつずけていた。薦められて演歌を書いたのをきっかけに、自分で歌うことに。それに際して作曲家のたきのえいじに師事し、「祝辞」(1998年)を歌ってプロ歌手デビーを果たしている。

 デビーから20年、今でも忘れられない作品は、2008年に出した「エプロンの詩」である。折れそうになる彼女をずっと支えてくれていたのは、亡き母だったという。

 「今までに色んな大きな波を乗り越えてきましたが、そつど多くの人に助けられてきました。中でもいつも応援してくれていた母への感謝の気持ちは人一倍で、『エプロンの詩』は、そうした母への想いをを歌ったものです」と、これからも大事に歌っていくとしている。





[藤森美伃 オフィシャルサイト]
http://www.87yume2.com/hp/fujimori/
[藤森美伃 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/fujimori.html






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井上由美子(キングレコード) 「夜明けの波止場」 26年前の作品をリメーク 自分の歌世界を表現 [インタビュー]

井上由美子.jpg◆キングレコードの歌手、井上由美子が2018年2月7日に出した新曲「夜明けの波止場」は、波止場での悲しい別れを歌う、自身にとって19枚目のシングルである。実はこの歌、26年前に別の歌手が歌っていた楽曲。今回、伊戸のりおが新たに編曲し直してリリースしたものだった。カップリングは円香乃作詞、岡千秋作曲の「水の月」である。











 井上由美子の楽曲でタイトルに波止場が付くのは、デビュー2作目の「赤い波止場」(2004年)以来である。今では波止場もイメージ出来ない人もいるそうだが、かつての演歌には波止場、別れは定番中の定番のキーワードでもあった。

井上由美子・夜明けの波止場.jpg 「夜明けの波止場」を1992年に、最初に歌ったのは東千春(あずま ちはる、テイチク)だった。現在は歌手を休業しているらしい。当時、テイチクに在社して、現在は井上を担当するディレクターは「当時から自分がどうしても手がけたかった楽曲だった」といい、今回、井上に歌わせることでその想いを実現させた。

 何処か古いイメージも持たれそうなタイトルだが、新しいアレンジによって蘇ったそれは「イントロがとても気に入っています。この部分を聴いてもらった瞬間から、歌の世界に入ってらえます」と、元のうたを意識せずに井上ならではの歌世界を作り出している。

 イントロから早くもエンジンがかかるというこの歌で、彼女は「3行目の ♪ 啼いて・・・(1番)から 4行目の ♪ 心です 〜 で一気に気持ちをぶつけ、自分なりの表現で歌う」ことで、演歌ファンの心をつかみ取るのである。

■カップリングは初の円香乃作品

 カップリングの「水の月」は、前々作の「ひとり北夜行」(2016年)を出した際に、メイン曲候補として、初めて作詞家円香乃によって書かれ、岡千秋が曲を付けたが、結局はお蔵入りとなった経緯がある。
 しかし井上と円はそれをきっかけに共に食事をするなど、互いにサバサバとした性格の者同士の気が合ったのか、親しく付き合うようになる。

 いつか機会があれば世に出したい、と2人が思っていた「水の月」は、カップリングながらようやく今回、リリースされた。
 井上は「円先生には、良いところも悪いところも、もっともっと私を知ってもらって、詞を書いてもらいたいと思っています。それを楽しみにしています」と、胸を膨らませる。





 5月には同じキングレコードの永井裕子とのデュオ「なでしこ姉妹」で、新曲を久々に出す予定である。
 その永井は「子供の頃に『夜明けの波止場』を歌っていた記憶がある」と話す。が、井上にとってはまったく耳新しい楽曲であったそれだが「自分の大事な歌として歌っていきたい」としている。


[井上由美子 オフィシャルサイト]
http://arder-jiro.co.jp/yumiko/
[井上由美子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=13792






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原田悠里(キングレコード) 「無情の波止場」  女の強い覚悟をドラマチックに伝える  カップリングは35周年記念アルバム収録曲から [インタビュー]

原田祐里.jpg◆師匠の北島三郎にあやかってデビュー36年目の今年を「36(さぶろう)イヤー」と、特別な1年と位置付けているキングレコードの歌手、原田悠里が2018年2月28日に出した「無情の波止場」は、聴くものにまったく新たな原田を感じさせる1曲である。演歌推薦レコードメーカー倶楽部がCDショップなどに配布する3月度の演歌・歌謡曲ダイジェスト盤の中で「店が良いと思う曲」ベスト10では、ユーザーの評判とともに1位にランキングされている。制作段階から彼女の代表作に、といった思い入れもひと際強い作品でもある。









 歌詞は通常の演歌と比べても倍ほどに長い。中でも ♪ 涙 涙 涙 あゝ枯れても 待っていますと 叫ぶ声 〜 (1番)の、原田自身が印象的というフレーズは最高に気持ちが高まる。前半は抑え気味に歌っているが、「情景を語るように歌う」(原田)この後半部分で、物語は一気に展開する。原田演歌の真骨頂でもある。

 「無情の波止場」は先に曲ができていた<メロ先>であった。岡千秋が書いたそれは「原田の代表作にしたい」と制作スタッフの思いもあって、詞はヒットメーカーの石原信一に依頼された。

原田祐里・無常の波止場.jpg 別れの波止場ではなく、無情のー としたところに、この歌の想いが込められている。
 「無情には引き裂かれる永遠の別れを思わせ、海が2人を引き裂く今生の別れであり、どん底へ突き落とされる悲しさを感じさせます。そんな悲しみを乗り越えて生きていく、といった強い意思も込められており、ある意味この歌は応援歌でもあります」(原田)
 そんな女性の強い覚悟を原田はドラマチックに伝えるのである。

 彼女の地声は低いという。♪ 待っていますと 叫ぶ声 〜 では、声を響かせるため裏声になるという。聴くものにこの歌を心地良くさせ、魅力が一層高まるところでもある。

 誰もがスマートフォンを持ちLINEなどSNSでリアルタイムに連絡を取り合う今、波止場で涙なみだに別れるのは、如何にも時代錯誤の感が強い。ところがこの楽曲を担当したレコード会社のディレクターは「今の時代だからこそ、波止場を舞台にしたい」と、いつも以上の強いこだわりを見せた。

 それがファンの心を捉えた。
 演歌っぽくなくて歌謡曲のようだけど「そこが他の歌とちょっと違っていて、いい歌だね」と、評判も高まる。

■11月頃に大阪でコンサート

 カップリング曲の「我愛妳(ウァアイリー)」は、日本統治時代の台湾でダム建設で農業水利事業に大きな貢献をした日本人技術者の八田與一の妻、外代樹が日本敗戦後に、先に戦死した夫の後を追うように、夫が建設したダムの放水口に投身自殺を遂げた話に感動した原田が、それをテーマに吉幾三に作詞作曲を依頼。

 デビュー35周年記念アルバム「原田悠里大全集」(4枚組)に収録していたが、今回、カップリングに収めた。
 しかも今回初めて、プロモーションビデオもメイン曲とともにカップリング曲も制作している。いずれも本人が出演する。こうしたことからも、原田の今作への力の入れようがうかがえる。

 大阪では11月頃に恒例のコンサートを開催する予定で、大舞台で「無情の波止場 / 我愛妳」を聴かせてくれる。






[原田悠里 オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/yuri/
[原田悠里 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10099






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川野夏美(日本クラウン) 「孔雀の純情」 哀しさを内面に込めた新たなドラマチック歌謡 今秋には10年ぶりに大阪でコンサートも [インタビュー]

川野夏美1.jpg◆1年ぶりの新曲「孔雀の純情」を2018年2月21日に出した日本クラウンの歌手、川野夏美が10月に大阪で、デビュー20周年記念コンサートを開く。大阪でのコンサートは10年ぶり。パンチの効いた男歌でデビューを飾った彼女だが、このところ数曲は女心をドラマチックに表現する歌謡曲が人気である。新曲では破れた恋の哀しみにくれる純朴な女性を孔雀にたとえて歌っている。ドラマチックでありながら、また違った路線への挑戦に川野は「わくわくドキドキ」を隠せないでいる。



川野夏美・孔雀の純情.jpg









 川野夏美は18歳で歌手デビューしている。デビュー曲の「あばれ海峡」は、生まれ故郷である大分の海を思わせる歌詞が印象的な楽曲だった。今年11月21日にはデビュー20年目を迎える。それを記念したコンサートを東京、大阪、大分の全国3会場で予定している。

 6月24日には地元、大分・津久見市の市民会館、10月8日は大阪・北浜のエル・おおさか、最終会場は11月30日に東京・浅草公会堂。
 大阪での開催は10年前に、大阪・OBPの円形ホールで行って以来のものである。

 デビュー20年を間近に控える川野は「デビュー当時のディレクターさんはすでに退職されていますし、マネージャーは6人目になります。20年間よくやって来たなぁ、とも言われますが、私にとってうれしい節目です」と話す。

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 「孔雀の純情」は29枚目のシングルである。中でも思い出に残る歌のひとつが、2004年にNatumiの名前で出した母と娘の愛情を歌った、日本作詩大賞新人賞受賞曲でもある「紙のピアノ」だという。「歌手としての視野を広げてくれた1曲で、一生の宝物です」と、今でもそれを大事に歌い続けている。

 3月9日に出演した大阪市内で行われた「第24回 歌う王冠ライブ」でも、それを聴かせて会場を沸かせた。コンサートではこの「紙のピアノ」を聴かせてくれるであろうし、着物で歌っていたまだデビー間もない頃の歌も、今ではほとんど目にすることもなくなった着物姿も見ることが出来るかもしれない。

■安定は好まない

 新曲「孔雀の純情」は、孔雀が羽根を1本、また1本と抜いていくかのように、失恋した女性の激しい感情を歌っている。
 前作までと同じ路線のように感じる楽曲だが「レコーディングでは最初、いつものように哀しさにぎりぎりまで耐えて、感情をぶつけるように歌いました。その後で今度は、感情は内面に押し込めて女性の優しさを大事に歌ったところ、これが採用されました」と、川野はまた新たな路線を見つけたようである。

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 「安定することを好まないのかもしれない」
 このようにいう川野は、色んな場面で新しいことを好む。
 「失敗しながらも新しいことに挑戦してみたくなるんです。ヘアーメイクもそうです。先日も友だちから、そのヘアースタイル、グチャグチャだけど成り立っているね、と言われました」

 この歌と出会えたことは幸せだったという「紙のピアノ」も、今歌う「孔雀の純情」への先駆け的な挑戦であったのかもしれない。色っぽくなったね、とファンからかかる声も、彼女の挑戦の結果なのだろう。






[川野夏美 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/kawano/wn.html
[川野夏美 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kawano/whats.html






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椎名佐千子(キングレコード) 「舞鶴おんな雨」 しっとり感いっぱいに降らせる涙雨 6月には舞鶴で新曲キャンペーンも [インタビュー]

椎名佐千子1.jpg◆会うたびに女らしさが増すキングレコードの歌手、椎名佐千子が2018年1月に出した新曲「舞鶴おんな雨」は、恋に破れひとりで生きていくことを決めた女性を、数少ない京都・舞鶴を舞台に歌った演歌。主人公はこのところ椎名が挑戦し続けている、静かに落ち着いた「しっとり感いっぱい」な女性である。所作だけではなく、歌の表現力も今作の作曲家岡千秋からもらっていた課題をクリアして、聴くものの心を揺さぶっているようである。










 舞鶴出身の記者が、椎名佐千子が新曲で舞鶴を歌うということを知ったのは去年だった。それだけに、どんな楽曲になるのかが楽しみであった。歌詞には定番の赤れんが倉庫が出てくる。しかし演歌には欠かせない岬宿や北行く船の最終便は、この街のシンボルとしては意外なようにも思えた。
 ところが北行く船は、舞鶴と小樽を結ぶフェリーであり、これからひとりで強く生きて行く、と主人公の芯の強さを表すものとして重要な意味を持ってくる。舞鶴湾に突き出た岬の宿も、女性が切なさに堪えてひとり佇む舞台にはもってこいなのであった。

 舞鶴へは2、3年前に歌のキャンペーンで1度行ったことがある、という彼女が抱くその街のイメージは・・・。「情緒があって、出会った人たちには品があり、いつかはこの街を歌ってみたい、とその時に思わず口にしたほどでした。そんな街です」。

椎名佐千子・舞鶴おんな雨.jpg キングレコードの若手ディレクター、竹内凉が椎名の新曲にイメージしたのは、彼女の「哀愁・・・日本海」(2015年)以来という日本海側の街を舞台にすることだった。それが舞鶴なのである。3作前から椎名を担当する彼は、しっとりとした女性に彼女を仕立て上げようとしている。

 デビュー曲「御意見無用の人生だ」(2002年)がハカマにブーツという衣装だったように「私は本来しっとり女性よりも、そちらの方に近い」(椎名)という活動派なのだが。


 そんな椎名が今、新しい自分を作ろうとしている。
 「しっとり感を出すために一生懸命に所作を習い始めています。もっと早くやるべきことだったかもしれませんが、それが表現力につながれば、と思っています」

 歌い方も改善した。
 それまで彼女の楽曲の作曲はすべて師匠である鈴木淳が担当していたが、「哀愁・・・日本海」から岡千秋が書いている。その岡が指摘したのは「スピード感が弱い。それを良くするには母音を前に出して歌うこと」だった。
 そうすることで「歌の骨格が出来て、聴く人にしっかりと届けられる」というのである。

 それから1番から3番まで母音をすべて書き出して、母音を前に出して歌う練習を繰り返した。それによって「出船桟橋」(2016年)「ソーラン鴎唄」(2017年)と、弱いと指摘された部分は1作1作改善され「今作ではレコーディングで何も注意されませんでした」と、歌は徐々に情感を増してきている。


 6月に椎名は舞鶴で新曲発表キャンペーンを開く。久方ぶりの訪問である。新曲「舞鶴おんな雨」は舞鶴の街にしっとりと雨を降らせるのだろうか。





[椎名佐千子 オフィシャルサイト]
http://shiina-sachiko.jp/
[椎名佐千子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=18032






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まこと(日本クラウン) 「愛☆ケセラセラ / 宝物」 カラオケ好きの間で高まる人気 [インタビュー]

まこと・お初天神.jpg◆還暦を迎えた記念にーと、2016年に初めてCD「実をつけない花」を出したまこと(62歳)が、2枚目の「愛☆ケセラセラ / 宝物」(作詞・川井みら、作曲・樋口義高、編曲・伊戸のりお)を2017年8月に日本クラウンから出したが、カラオケ好きな人たちの間で人気が高まっている。「愛☆ ー 」が情熱的なボサノバ調な楽曲なのに対して「宝物」はロック調。「両A面として出した」(まこと)2曲で、年齢・性別に関係なく、カラオケ発表会・大会で歌われることも多い。「大会で歌うからね」という声も増えている。


まこと・愛ケセラセラ.jpg








 まことがCDを出すのは2016年の「実をつけない花」に次いで2度目である。今回初めて日本クラウンからリリースした。「CDにするとカラオケとしても残せます。私がこの世に存在したということの記録にもなりますからね」と話す彼女だが、かつてはピアノ・バンド&ボーカルで歌う一方で、モデルの仕事もしていたというキャリアを持つ。

スリムなボディーラインを強調するドレスで歌うまこと

まこと11.jpg 身長158.5cm、体重44kg、B80、W60、82という抜群のプロポーションが、その頃のステージを想い起させる。しかも「昔からミニスカート姿の派手系のファッションで通している」というそれは、今も変わらない。ライブ・キャンペーンでは大きく切れ上がったスリットが入ったドレスを着て脚線美を見せる。

 「愛☆ケセラセラ / 宝物」を発売してからは、地元の愛知県はもとより関西各地でもカラオケ喫茶店などでキャンペーンを繰り返して、CDの販売や自身のPRに精を出す。

 ボサノバ調に仕上がったという「愛☆ケセラセラ」は、情熱がほとばしるような歌。それに対して「宝物」は ♪ この世でいちばん 宝物は あなたに会えたこと 〜 と、大好きな人がいなくなってしまった時のことを想像して歌う。
 「もしも愛する主人が亡くなったらどんな気持ちになるだろう、と想って歌っています」
 そう言われている主人も「良い詞だね」と目を細めている。

 地元・愛知県のカラオケ喫茶店では、祖母とやって来る小学3年の男の子から、去年妻を亡くしたという88歳の男性まで、彼女のファンは数多い。「そのおじいちゃんにとっては、亡くなった奥さんが宝物だといい、良く歌ってもらっています」
 歌好きな人の間ではカラオケ大会や発表会で歌う人も増えているという。

まこと・ヒット祈願.jpg
大阪・曽根崎のお初天神でヒット祈願

 ところで還暦とは思えない、その若さを保つ秘訣は?
 「常に他人から見られることを意識することですね。それに胸を張って歩くこと」
 魚より肉が好きだし、絶食ダイエットなどはせずになんでも食べる。意外と単純なようだが「自宅で寝転がって菓子を食べるようなことはしません」とは、記者にとっては耳が痛い忠告であった。

 自宅では体長1mもの大トカゲ・アルゼンチンレッドテグーの<サクラちゃん>を飼う。15歳にもなるというから、かなりの高齢である。「サクラの世話があるから長く自宅を空けられない」と言い、キャンペーンで遠出しても大抵は愛車で日帰りしているそうだ。






[まこと オフィシャルサイト]
http://m-asper.com/
[まこと クラウン徳間ミュージック販売]
http://crowntokuma-shop.com/products/detail/CTM0000ABI






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水田かおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「人生夢灯り」  デビュー25周年記念作品  多くのファン支えられて歌う [インタビュー]

水田かおり.jpg◆デビュー25周年を迎えている徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、水田かおりが2018年2月7日に新曲「人生夢灯り」を出した。3番にある ♪ 苦労する為 生まれた人が どこにいますか 〜 の歌詞が1番好き、という水田の25年の歌手人生を振り返って作られた応援歌である。水田は「今まで大ヒットもなく来ていますが、長く歌ってこられたのは、下積み時代から応援してくれる人たちがたくさんいるから」と、新たな気持ちで次の一歩を踏み出している。


水田かおり・人生夢灯り.jpg









 新曲「人生夢灯り」の関西キャンペーン初日の2018年2月22日、京都駅からラジオ局へ向かうタクシーで60代と思える運転手から「水田さんですか。新曲を出されたんですよね」と話しかけられ、水田かおりは25年のベテランにもかかわらず、思わぬ声がけに感極まってしまった。そのうれしさを抱えたまま番組に出演した。

水田かおり3.jpg 25年の間には沖縄県を除く全都道府県をキャンペーンで訪ね歩いている。それが津々浦々に水田のファンを作ってきた。運転手もそんな1人だったのかもしれない。

 徳間ジャパンに移籍して第1弾の「霧笛の波止場」(1998年)を出して間もなく、カラオケ喫茶店などへの1000ヶ所訪問キャンペーンを始めた。それは3年で達成したが、その時に訪ねた先のひとつに今の兵庫県南あわじ市があった。淡路島南端に位置する。その時に知り合ったのが、当時はまだ作詞家志望の長山たかのりだった。

 長山は2006年に水田の「明日舟」のカップリング曲「冬桟橋」で作詞家デビューを果たす。その後も彼女の最大のヒット曲となった「東京砂漠に咲いた花」をはじめ、同曲の続編で今作のカップリング曲「もう一度・東京(ニューボーカル)」などを手がけている。


 こんなこともあって関西・淡路島はいつのまにか、水田にとっては「第2のふる里」になってしまった。

 訪問キャンペーンはその後も続き、マネージャーが運転する車で全国を移動して5、6年続いた。「1日に6ヶ所を回って声を潰したこともありましたし、その間に2000ヶ所以上のお店などを訪ねましたね」。

 水田の下積み時代の話である。

■25周年を新たな一歩に

 「人生夢灯り」は徳間ジャパンに移籍して19枚目のシングルである。水田の周辺から話を聞いたたきのえいじが詞を書いた。作曲は影山時則、編曲は丸山雅仁である。去年秋口にほぼ内容が決まって、急ピッチで制作が進められた。

水田かおり2.jpg

 2012年に出した歌謡曲「東京砂漠に咲いた花」は、水田の全作品の中でも最もたくさん売れたが、今作は「記念曲には人生の応援歌が相応しい」と演歌にした。
 カップリングの「もう一度・東京」は2016年に出したアルバム「全曲集 〜 明日舟 〜 」に収録された楽曲を新録音したものである。

 これら新曲は2018年2月23日、大阪・今福のイズミヤ今福店でのキャンペーでも披露したが、水田のアマチュア無線仲間も応援に駆けつけるなど、電波女子ぶりも振りまいていた。

 水田は「今年、地元茨城と東京で記念コンサートを開きたかったが、延期しました。25周年を新たな一歩として大きく羽ばたいて行きたいです」と話していた。





[水田かおり オフィシャルサイト]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/mita.html
[水田かおり 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.fmpalulun.co.jp/mitakaori/






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松尾雄史(日本クラウン)  「さよならを嘘にかえて」  これが松尾スタイル  亀戸天神の鷽替え神事でモチーフに男心を歌う  去年テレビを見ていた年末の僕の姿を嘘に変えたい [インタビュー]

松尾雄史2.jpg◆日本クラウンの歌手、松尾雄史がデビュー6年目の2017年12月6日に出した7枚目のシングル「さよならを嘘にかえて」。デビュー曲の「くちなし慕情」と第2弾の「純子の泪」を足して2で割ったような楽曲だ、と彼自身がいうそれは、聴く者の期待を裏切らない、松尾スタイルな楽曲そのものである。発売前に行った予約会の成果もあってか、オリコンの演歌チャートでは初登場1位にランキングされるなど、順調なスタートを切っている。


松尾雄史・さよならを嘘にかえて.jpg










 182センチの長身である。ステージで堂々と歌い話す姿は、もう新人ではないといった風格さえ感じさせる。そんな松尾雄史は去年12月、シングルと同時にファーストアルバムも出している。アルバムには「肥前路の女(ひと)」「門出船」「思いどおりに」のニューオリジナル3曲も収録している。シングルのメイン、カップリングを合わせると、計5曲を3日間かけて同時にレコーディングしたのである。

 もちろん初めてのことだが、その5曲の中から制作スタッフがシングルに入れるもの、さらにどれをメイン曲のするかを検討した。「全員の総意で、しかも僕も気にっていた『さよならを ー 』をシングルのメインにすることで決まりました」と松尾。

 誰もがこれが松尾と感じる「さよならを嘘にかえて」は、最初に示されたメロディーとは違っていた。水森が「こういうのも作ってみたんだよなぁ」と言って聴かせたものが採用されている。一方で森田いずみの詞は、東京・亀戸天神の鷽替(うそかえ)神事をモチーフに、愛する人を取り戻したいという、出来ることならば別れをうその変えてしまいたい男性の想いを綴っている。

松尾雄史5.jpg

 前作の「トマム絶唱」前々作の「メルボルン特急」など、松尾が歌う作品の多くはお洒落なものが多いのだが、今作は「メロディーの雰囲気が少しコミカルで、今までのものとは様子が異なりますが、何度か聴くとスッ〜と入ってきます」と、松尾にとっても期待以上な作品になったことを指摘している。

 新曲のジャケット写真の撮影に合わせて松尾は髪の毛を緑に染めている。亀戸天神の池に沢山いる亀の甲羅に似せたのである。しかしこれはその時だけのことで、今はすっかり元の黒髪に戻っているのだが。
 「それは自分自身の考えでやったことなんですが、元の色を全部抜いてから染めるんです。それがまた痛いのなんのって、3日間苦しみました」
 そんな想いは2度としたくない、といったところのようである。

 今、各地を回っている新曲キャンペーンでは、同時にレコーディングした5曲すべてを歌うように心がけている。彼にとってはすべてが可愛い新曲だからである。中でも「思いどおりに」は、同じ事務所の歌手、レーモンド松屋が作詞作曲した作品であり「楽しみな作品」(松尾)でもあった。

松尾雄史4.jpg

 デモCDが届いた時、譜面はなくコード進行だけが書かれていたという。レッスンのためにレーモンドが四国から上京してきたが「そうじゃない!リズムで歌ってほしい。巻き舌歌唱はしないように」と言われながらも、1時間余りでそれは終わった。
 「その時は指摘されたことがうまく理解できなかったんですね。まぁ、自分なりに考えて歌ってみようとレコーディングに臨んだら、ディレクターからOKが出ました」
 それを聴いていたレーモンドからも「いいよ」の言葉をもらっている。

 そんな5曲であるから大事に歌って行きたい、と真剣に捉えている。2月20日の大阪発流行歌ライブのステージでも、カバー曲を1曲含めて5曲すべてを歌っている。「約30分の持ち時間で1人だけ6曲も歌いました」。


 自分自身にとって嘘に変えたいことは・・・?
 「過ぎたことを引きずらないタイプですからね」と言い切ったが、先の流行歌ライブでは「去年は仕事をしなかった12月31日ですが、今年は仕事をしていたいですね」と話していた。





[松尾雄史 オフィシャルサイト]
http://matsuoyushi.com/
[松尾雄史 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/matsuo/whats.html






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三代沙也可(キングレコード) 「おんなの岬」 舞台は湘南から真鶴へ 神奈川県の景勝50選の真鶴岬 ロングドレスでイメチェン [インタビュー]

三代沙也可・インタビュー.jpg◆〈湘南演歌の女王〉でキングレコードの歌手、三代沙也可が歌の舞台を今まで4作続いた湘南から、さらに西の真鶴(神奈川県真鶴町)に移した新曲「おんなの岬」を歌っている。これで5作連続して神奈川県内が舞台となり、地元真鶴町では「町を歌った演歌は初めてで、町をPRしてもらえうれしい」と大歓迎で、2018年6月頃には同町内での歌謡ショー開催の話も持ち上がっているほど。ジャケット写真も従来の着物から目を引くロングドレスに替えてイメージチェンジを図っている。


三代沙也可・おんなの岬.jpg









 詞は旅好きで知られる作詞家、志賀大介が書いた。「江ノ島ひとり」(2014年)に始まる湘南演歌は前作の「江ノ島絶唱」(2017年2月)までの4作で取り敢えず終止符を打った。今作「おんなの岬」では旅先を、箱根峠を越えて魚の美味しい町としても知られる真鶴にしている。さらに歌には天城、初島、箱根峠、相模湾と周辺の名所も数多く登場して、旅情をそそるのは今回も同じである。

 曲は三代の師である伊藤雪彦が書いている。三代自身が「今までの作品とはちょっと違うと分かってもらえるはず」というように、それは歌い出しが今まで歌ってきた作品とまったく異なるからである。

 高音のメロディーで始まる歌の出だしは、多くのカラオケ好きの人たちに抵抗感を持たせるのでは、と周囲の懸念もあった。実際、初めて耳にしたファンたちの間には「歌うのが難しい」という人が多くいた。
 ところが「発売して2ヶ月も経つと、歌われる人も多くなってきましたね」(三代)と、食わず嫌いも歌い慣れると抵抗も薄らぐようである。

 タイトルにある岬は神奈川県の景勝50選にも選ばれている真鶴岬なのだが、今回はタイトルにその地名を入れていない。
 三代が「カラオケを歌う人が好きに地名を入れ替えて歌われてもいいですよ、と勧めています」というように、高知県の足摺岬であっても島根県の日御碕にでも、勝手に地名を替えて歌うことが出来るから親しみやすい。

■目を引くロングドレス

三代沙也可・ドレス姿・小.jpg 「おんなの岬」が発売されたのは2017年12月6日。これに先駆けてCDジャケットを見た記者は少々ビックリした。それは衣装は専ら着物と決めていた彼女が、派手なドレスに替えていたからである。
 それでも三代自身がデザインしたというそのドレスは「あまり肌を露出するのは自信がないので」(三代)と、足がスッポリと隠れる裾広がりのロングドレスで、肩にも袖を付けて肌を出すのは最小限にとどめて控えめ。

 どうしてドレスに? どのような心境の変化が・・・。
 「去年6月からしばらく体調を崩していましてね、起き上がれないほどだったの。新曲の話も出てくるし、そんな気弱なことばかり言っていられないので、新曲では衣装を替えることで気分転換を図ろうと考えたんです」

 ドレスの胴の部分には、3番の歌詞に ♪ 茜の雲が行く ~ とあるように、真っ赤な花の刺繍を施している。これがまた目を引く。
 今では体調もすっかり元に戻り、2月3日には真鶴町でごく小規模に開いた新曲発表会でこのドレスも披露した。

 2月11日から始まっている関西キャンペーンでは残念ながら、ドレスを目にすることは出来そうにないが、このところ増えているという企業のイベントでの歌謡ショーなどでは見られるかもしれない。
三代の師匠で、今作も作曲を行なっている伊藤雪彦の作曲家生活50周年を記念した歌謡ショーを今年6月頃に真鶴町で開く予定で、そこでは再びそのドレスがお目見えすることになりそうである。





[三代沙也可 オフィシャルサイト]
http://www.mishirosayaka.com/
[三代沙也可 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10053






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「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、渡辺要のインタビュー「渡辺要物語 歌は心の港」も不定期ながら、すでに5回目となる。今回も鮨の話が続くのだが、渡辺はインタビューで「また握ってみたくなってきたな」と笑みを漏らすほど鮨への思い入れは今なお強い。彼と鮨はやはり切っても切れない関係であり、捨て難い魅力があるのに違いない。


 渡辺が高級鮨店「要鮨」をはじめ7店舗の鮨店を構えていた香川県高松市は、企業の多くが支店を置く四国の中核都市として知られている。その支店が街の経済を活気づける支店経済都市とも呼ばれている。支店の人たち、とりわけ接待交際費を使える社員が、すでに高松で1番の高級店になっていた「要鮨」を利用していたのである。

渡辺要・高松港.jpg
テレビなどマスコミに登場することも多くなった渡辺要(高松港で)

 坪100万円もかけてライオン通りにあった本店の店舗力を高めたのも、そのためであった。最高の贅を尽くした本店のほかには、均一価格で鮨を提供する今の回転寿司の走りのような店や、飲食店街のど真ん中で10席ほどの小さな深夜鮨も出店していた。そこは夜12時頃から朝まで営業し、本店で残ったネタを使うので仕入れはほとんどゼロだった。檜の真っ白い店内は、やはり高級感をかもし出していた。

 「本店のネームバリューがあるのと、その頃はほかに開いている鮨店がなかったので、クラブやスナックのママなど客はたくさん来てくれましたね」

 アイデアたっぷりの経営者ぶりを見せていた渡辺がオープンした均一価格の店は、天井を鏡張りにしたパブ鮨だった。行列ができるほどの人気店で、調理師は4、5人でカウンターだけの店だった。

 鮨はすべて70円均一価格だった。オープン記念の3日間限定で鮑、トロ、雲丹をはじめ、何を食べても500円均一で、1時間食べ放題の企画を打ち出すと、初日は障害者学校の生徒を招待したが、2日目からは体格の良い一般学生など若い子が並んで、またまた街の話題をさらった。

■天皇・皇后陛下の鮨を献上

 要鮨の目標を地域1番店の香川県1としていた渡辺は、その後、従業員数、店舗数、売上高のすべてでトップを確保し、名実ともに四国1番店となっている。売上は最高2億8千万円を記録している。

 そんな彼の名前をさらに高めたのが、天皇・皇后陛下が皇太子時代に四国・高松で行われたに植樹祭の際に宿泊したホテルでの食事に、鮨を献上したことであった。その時に握ったのは県魚のハマチのほか要鮨名物の穴子、そしてコノシロ、鯛、平目などだったという。

 両陛下は後のインタビューで高松で印象に残ったことを尋ねられて「要鮨が美味しかった」と答えられたといい、それを耳にした新聞などの取材もあって、要鮨は一躍有名になる。「高松に皇室関係者が来られると、要鮨を指名して頂きました」と渡辺は回想している。

■アイディア弁当

 7つあった要鮨の店舗のうち1店舗は仕出しセンターであった。瀬戸大橋が1988(昭和63)年に開通して、香川県坂出市の瀬戸内海に浮かぶ与島に京阪電鉄が経営する商業施設「フィッシャーマンズ・ワーフ」がオープンした。
 それに先駆けて、ここへ瀬戸内海の味と香りが詰まった弁当を供給する事業者を募集するコンペに応募すことになった。応募総数1000社余という競争であったが、それがなんと優勝してしまったのである。

 出品したのは、竹の皮で包んだ鯖の棒鮨「讃岐ぶおとこ」や瀬戸内の魚をふんだんに使ったちらし寿司「瀬戸ちらし」さらには薄いピンク色した蒲鉾で巻いた巻き寿司をパックにした「瀬戸の花嫁」幕の内は瀬戸内の島々の美しさを表現した「多島美弁当」などの弁当であった。

 「遊び感覚で応募したんです。毎日弁当500食も作る設備も人もなかったので、急きょ別会社を作って、選挙事務所に使っていた広さ50坪のフレハブを借りて調理台や大型冷蔵庫も入れ、パートも募集しました」
 求人の条件は午前3時から10時までの勤務時間で、当時の平均時給を300円も上回る800円だったが、広告を出したその日のうちに見る見るうちに人が集まった。

渡辺要・マグロ3.jpg
今も年に1度は鮨店の板場に立って歌謡ショーを企画している

 順調にスタートして1日500食を作って与島へ運んでいた弁当も、徐々に減り始め、終いには日毎発注に変わり、1日30食、20食といった具合で、採算が合わなくなってしまった。そんな時、島内のホテルに供給した弁当が原因で食中毒が発生する事故が起こった。それを機会に、別会社にしていた仕出しセンターは廃業することになる。

 京阪電鉄が「日本のハワイにする」と言って意気込んだ与島のフィッシャーマンズ・ワーフも、1990年代に入ると年々観光客は減り、神戸淡路鳴門自動車道やしまなみ海道がオープンすると更に減少し、ついに2003年には京阪電鉄は撤退してしまった。

 食中毒騒動は要鮨には影響はなく、四国No. 1の地位は不動だったが、渡辺は少しづつ歌に魅力を感じるようになっていく。

 そして渡辺はある日、惜しげも無く「要鮨」を廃めて歌手に専念する内容のチラシを新聞に入れた。歌手の道を選んだきっかけは次回に譲るが、歌手デビュー後にも「世界の金持ちが集まるというシンガポールで、月に1回で良いから演歌を歌いながら鮨を握ってみたらどうかーといったオファーがありました」というほど、彼が鮨職人の道を捨てることに納得いかない人たちは、1人や2人ではなかったようである。

続く


「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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岩波理恵(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「ハローアゲイン」 フリフリミニドレスで80年代アイドルに [インタビュー]

岩波理恵8.jpg◆フリフリミニドレス姿でポップな徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、岩波理恵。2017年10月に出した新曲「ハローアゲイン」は、大人が歌うアイドル歌謡曲ーをキャッチフレーズに歌う彼女は、80年代のアイドル、松田聖子を彷彿させる。新事務所に移ってから、ここ2年ほどは毎月80年代のアイドル歌手のモノマネをするショーも見せる。「関西とは肌が合う」いう彼女、アイドルへの〈挑戦〉で、2月6、7日の関西キャンペーンでは新たなファンも引き寄せたようである。


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 身長162センチのスラリとした容姿の岩波理恵。松田聖子に代表される80年代のアイドルに憧れて歌手になったというだけに、昔からアイドルのモノマネを得意としてきた。ところが「仕事でアイドルを演じるのは今回が初めて」(岩波)なのだが、その歌う姿にファンからも〈聖子さんみたい〉と声がかかる。

 彼女の楽曲は今まで、シンガーソングライターで作曲家の杉本眞人が多くを手がけ、切ない女心を歌ってきた。制作スタッフは、ここらで新しい風を巻き起こしたい、と他にはない作品をねらった。津城ひかるが作詞し、樋口義高が作曲、編曲は猪股義周が手がけて、44歳の大人が歌う歌謡曲が出来上がった。

 「どこか懐かしくて、可愛らしい70、80年代のアイドル歌謡曲を思わせる作品です。若い人には新鮮に受け取ってもらえるのでは」

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 自分の年齢に合っているのか、と心配しながらも「思い切ってフリフリのドレスを着てみました」と、スーパー・イズミヤ今福店でのキャンペーンで関西初披露した。フリフリのピンクのスカートに白い上着。鳥の羽根のように風に揺らぐ。

 「背中とお腹に5枚のカイロを貼ってきました」と、防寒対策も万全。
 興に乗ったのか、上着を脱いで肩を出し、さらにはキャンペーンでは珍しいアンコールにも応えて、寒風を物ともせずにピンクレディーの「ペッパー警部」など2曲を熱唱するサービスぶり。

 デビュー以来、もっぱらロングドレスばかりだったが「アイドルはやっぱりミニじゃなくっちゃ、と思い切りました」と岩波。

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 断然、男性ファンを引きつける。岩波の歌に合わせて〈エリちゃ〜ん〉と掛け声を投げかけたり、カメラを向けたりと、大阪でのキャンペーンでも大人気。
 ただし女性ファンの中からは「以前の『流星エアポート』(2013年)や『こんな夜はせつなくて』(2014年)などの歌が好き、といった声も聞かれる」が、たくさんある楽曲の中ではアクセントにもなる、とアイドルに撤する。

■月1のモノマネショー

 約2年前に現在の事務所に移籍している。「ハローアゲイン」は移籍2枚目のシングル。同じ事務所には先輩歌手の若山かずさ(日本コロムビア)などがいるが、ものまねタレントがたくさん所属している。
 そんなこともあってか、移籍後は毎月1回、東京・麻布十番のショーパブで松田聖子や森高千里、竹内まりやなどのモノマネをするショーを続けている。

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 3月25日にはまた、ラジオ番組「岩波理恵の本気ートーク」(KBS京都、CBC中部日本放送、IBS茨城放送など)で共演するタブレット純と一緒に、東京・小岩ヒットパレードでライブ「本気ートークライブ 〜春のうた祭り〜 」も予定している。

 ファンクラブイベントとして年間4回の定期ライブも開催しているが、会場はいずれも東京である。「一度は大阪に住んでみたい」というほどの大阪びいきとあって、大阪でもぜひライブを行いたい、と意欲を見せる。

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 今作のカップリングには岩波自身が作詞した「未来へと・・・」と、出身地の長野県諏訪市内の6つのエリアを盛り上げようと地元下諏訪向陽高校吹奏楽部のコーラスも入った「6本の心の絆」の2曲を収録してしている。





[岩波理恵 オフィシャルサイト]
https://lineblog.me/iwanamirie
[岩波理恵 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/iwanami.html







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永井裕子(キングレコード) 「海猫挽歌」 初の荒木・浜作品 こぶしと唸りをなくして新たな挑戦 [インタビュー]

永井裕子.jpg◆これはまったく新しい永井裕子である。今の歌謡界を代表し、永井に初めて楽曲提供をする作詞家荒木とよひさと作曲家浜圭介の2人による、2018年1月1日発売の「海猫挽歌」は、彼女は得意とするこぶしも唸りもない「声の色味や言葉をシンプル・軽快に伝える」(永井)新たな歌唱を聴かせる。デビュー20周年を迎える2020年を目指して一昨年から続けるコンサート「夢道 Road to 2020」は、今年もデビュー記念日の6月21日に予定している。「海猫挽歌」のほか、4月に発売するアルバムの中から荒木・浜作品のカバー曲も披露するという。






 1月1日の発売は2016年の「音信川(おとずれがわ)」以来である。新しい永井裕子を表現するには格好の発売日であり、この日には東京都内のショッピングモールでのインストアライブでスタートを切った。同8日付のオリコン演歌・歌謡曲チャートでは、初登場2位にランキングされている。翌週も2位を確保し、4週連続でベスト10を記録した。

 「海猫挽歌」を書くにあたって浜は、永井のデビュー曲から前作までの全曲を聴き、最も気に入ったデビュー4作目の「菜の花情歌」(2003年)をしイメージしながら、「今までの永井にはない楽曲を書きたかった」と、永井に話している。
 もっとも永井は従来通りのパンチの利いた歌を期待していたのだが、出来上がってきたのはまったく違ったものだった。

 「最初は戸惑いもありましたね。4拍子の歌だけど、倍のリズムで刻んで歌うと、言葉の表現も決して重々しくならずに、軽快に伝えることができて、切なさが一段と高められるんです」

永井裕子・海猫挽歌.jpg こうした歌唱は永井にとっては初めての体験であった。
 彼女の師匠は作曲家四方彰人であるが「今までは自由に歌わせてもらっていたので、今回は荒木、浜両先生の2人から教えてもらった1つひとつがとても新鮮でした」と永井は話す。
 この楽曲はメロディーが先に出来上がっていたのだが、それを聴いた永井は「今までの私の歌とはガラリと変わった歌世界に鳥肌が立ち、気持ちはワクワクとして、アレンジがどのようになるのかが楽しみでした」と感動が隠せないようであった。

 数多くの永井の楽曲の中でも一番、心に残ったと、浜がいう「菜の花情歌」は、作詞が阿久悠、作曲が四方彰人であるが、永井は「阿久悠先生は映画『幸せの黄色いハンカチ』をモチーフに書かれたと聞いていますが、浜先生は『海猫挽歌』を映画『駅』の女性主人公(倍賞千恵子)をイメージしたそうです」と、レコーディング当日になって浜から聞かされている。

 この話を聞いてから永井は何度となく「駅」のビデオを見ている。「そのたびに自分の『海猫挽歌』が流れてくるんです」と永井。それほどに映像と歌が見事にマッチングした作品に仕上がっている。

■ライフワークのコンサート

 永井は2020年にデビュー20年を迎える。同16年目から毎年1回、東京都内でコンサートを開いている。自身の夢の道の通過点である20年に向けて、心のうちの想いを歌に託して伝えようというもので、歌手人生のライフワークにしたいと意気込んでいる。

 今年は東京・渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで、6月21日に開く。

 コンサートではオリジナル曲のほか、子供の頃に良く歌ったり、聴いていた歌もカバーして聴かせる。去年は「長崎は今日も雨だった」(内山田洋とクール・ファイブ)「みちのくひとり旅」(山本譲二)などを歌った。今年はどんな歌が飛び出すかが楽しみである。

 それに先駆けて3月1日にはランチショー・バースデーパーティーを予定している。誕生日の3月3日に合わせて、ファンクラブなどを対象にバス旅行を行ってきたが、2年ほど前からライブ形式に切り替えている。





[永井裕子 オフィシャルサイト]
http://www.yuko-nagai.net/
[永井裕子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=13787






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「渡辺要物語 歌は心の港」  第4回 穴子鮨 [インタビュー]

「要鮨」では渡辺要は、客作りとともに、信用作りにも精を出した。何を買うにも現金払いを通したし、1坪でもいいから土地を買おうと「目の前にある1円、10円から、とにかく貯金をしました。履物は下駄と長靴、着るものは白衣で通して、一切買わずに貯めて貯めて貯めて頑張りました」と振り返っている。そんな中で全国に知られた穴子鮨を生み出す。

渡辺要・要鮨看板.jpg
高松・ライオン通りの新店舗に掲げた欅の看板


 爪に火をともすよう生活を切り詰め、質素倹約を通した結果、6年間で約2000万円の蓄えが出来た。それを担保に銀行から資金を借りて、高松のもうひとつの繁華街、ライオン通り商店街のビルを約4000万円で買うことになる。この時は現金ではなく、借金であったのだが。
 とにかくそれによって、高松の目抜き通りに約90平方メートルの「要鮨」の看板を上げることが出来た。27歳の時だった。

渡辺要・名物穴子鮨を作る.jpg 新店舗は香川県にはない鮨屋を目標に、カウンターには欅の板を使って持てなしの気持ちを表したし、柱には欅と杉の丸太を存分に使って、坪当り100万円も費やして店を整えた。当時の飲食店舗は坪平均20万円程度だったと言われているから、それがいかに桁違いな店だったかが分かる。
 調理師も大阪から呼んだ。海外からの観光客も多かったので、英語のメニューも作り、英会話に堪能な調理師もふたり採用した。従業員にはネクタイを締めさせ、胸にはネーム札を付けて、礼儀正しい接客に徹することにした。

 腕に自慢の鮨は、最高級の米、コシヒカリを使った。大事なのが合わせ酢なのだが、酢にリンゴ酢を加えるこだわりを見せた。わさびは当時、高松ではなかなか手に入らなかった静岡産を現地まで出かけて買い付け、1本3000円もするわさびをディスプレイに置いた。客には1本200円の小さなものを出して、自分で摺って楽しんでもらうことにした。


<歌う寿司職人>と今なお呼ばれる渡辺要


 客に出す鮨も、木の葉や竹の皮を敷いてその上に出すことで、味だけではなく見栄えを考えた結果だった。

■名物誕生

渡辺要・鮨職一代.jpg 1番店になるためには色んな工夫をしていった。
 それにもまして「醤油は鮨屋の最後の仕事なんです。どんなにいい米やネタを使っても、醤油が良くなければ鮨は終わってしまいます」と、要鮨特製の醤油にも一捻り加えた。

 香川県は小豆島など醤油の産地としても知られるが、3つのブランドの醤油を合わせることで味にコクを出した。まずブレンドした醤油を大きな鍋で火にかけて、黄色い泡が出るまで温める。泡をすくい取る作業を根気よく繰り返し、大豆のアクを取るとアミノ酸が増えて甘みが出てくる。



インディーズ時代に鮨職人をしながら出した「鮨職一代」

 そこに鰹と鯖の削り節を入れ、沈殿するのを待って濾す。瓶に入れ暗い場所で保存しておき、醤油注しに移して客に出していた。「これが旨いんですよ。やはり鮨は醤油が命ですね」と渡辺は力説する。

 「瀬戸内の穴子は格別である」
 渡辺は絶対の自信を見せる。その頭を落とし、みりんに漬けて串に刺して火にかける。こうしてアルコールを飛ばすと、いい酒の肴になるのである。
 穴子の胴は開いて、水飴や調味料などを加えて作ったダシに漬け、とろ火で3時間、4時間かけて炊くと、口の中で溶けるように柔らかくなる。その穴子を握った鮨飯にのせると絶品の鮨が出来上がる。

 この穴子鮨は東京のテレビ局が取材したことで、全国鮨名店8店舗に選ばれるきっかけとなった。瀬戸の味そのものの穴子鮨は、こうして要鮨の名物になった。
 鮨職人を辞めた今も渡辺は、世間からは今でも「歌う寿司職人」と言われている。事実、彼が鮨を語る表情は、歌っている時と同じように実に生き生きとしていた。


 記者は「要鮨」が高松にオープンしてから6年後の同53年に京都から高松に転勤している。それから間もなくして、新店舗が出来たことになる。
 回転しない鮨屋へ行くなんて、とんでもない話であったから、その味は知らずに過ごしていたのであるが、渡辺のそんな努力もあって高松・ライオン通りの要鮨の新店舗はオープンすると、たちまち「次々と客が来るわ来るわの大賑わい」だった。

続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ [インタビュー]

◆水飴や調味料を入れて作ったダシに、開いた穴子を漬けて、とろ火で3時間、4時間かけて炊くんです。そうすると口の中で溶けるような穴子になります ー 。

 渡辺要が鮨について話す時、目は輝き実に楽しそうな顔になる。

 「要鮨」を高松市常盤新町に開店したのは1972(昭和47)年だった。
それは小さな小さな店だったが、鮨を握る腕だけには自信があった。店に一度でも来てもらえると、良さは分かってもらえる。そのためにも店の存在をたくさんの人に知ってもらおうと躍起であった。

渡辺要・鮨職人時代を彷彿させるステージ.jpg
鮨職人時代を彷彿させるステージの渡辺要

 当時、要鮨の近くには7軒の同業者が店を構えていた。数軒のキャバレーも軒を並べていたが、そこで働くホステスで賑わう寿司店が1軒あった。女性の職人が寿司を握るということでも話題になっていた。

 渡辺は開店する前に高松市内の鮨店をくまなく食べ歩いている。「お金がないから食べるのはきゅうり巻き1本なんですが、味をチェックしていった。要注意な店は訪ねた100軒のうち。わずか3軒ぐらいでした」
 女性が握る店も訪ねている。しかも「こんなもん食えるか」と、タカをくくっていたのである。

 ところが店はホステスがいっぱいなのである。どうしたらこのホステスを自分の店に呼び込めるか。そう考えた渡辺は女性には欠かせないストッキングのプレゼント作戦を思いついたのだ。

 問屋で1足50円で売られていたものをたくさん買い込んで、ホステスが出勤する時間に合わせて配った。
 その頃は自転車で通勤するホステスが多かったから、近くの自転車置場立って、封筒に入れたストッキングを要鮨の名刺と一緒に「今度オープンした鮨屋です」と言って、1人ひとりに手渡していった。

 それは歓迎され、少しづつ客を伴って店に足を運んでくれるホステスが増えていった。「当時の女性用ストッキングは縫い目かがり(シーム)のあるものがまだ多くありました。戦後強くなったと言われたストッキングですが、破れると繕って履いている人も多かっただけに喜ばれましたね」

 こんなこともあった。
 ほぼ同時期に開店した隣の寿司店には、タクシーで乗り付ける人が多かった。そこで目をつけたのが、タクシーの運転手だった。乗客が隣の店に入るのを見計らって、用意しておいた10本入りのピースに、やはり名刺を付けて「良ければ次回、お客さんを連れて来てください」と手渡していった。
 それが運転手の間で「タバコをくれる鮨屋」と噂になり、見る見るうちに客は増えていった。

 ストッキングにタバコのプレゼント作戦など、あれやこれやの宣伝を続けていると開店して3ヶ月で、毎日、店は満員になっていた。

■ジャンケンして眉毛を剃って話題作り

 開店した時はまだ20歳の若造だったけれど、腕には自信があったというから、隣が鮨店であっても絶対に負けないと、鼻っ柱は強かった。
 それにしても同じビルに鮨屋が2軒並ぶとは、店を貸す方も貸す方であるが、そこを敢えて借りた渡辺もなかなかの度胸であった。

 その頃、渡辺が何時も考えていたのは、どうしたら客が来てくれるか、ということばかりだった。ところがオープンを知らせる先がなかった。

渡辺要・大阪で修業時代.jpg
大阪での修業時代

 新聞やテレビに広告を出せばいいのだが、そんな金もない。何とかタダで出来る方法はないものか、と頭を悩ませていた。
 客とのジャンケンは、そんな時に出てきたアイディアだった。客が勝てば代金を半額にして、渡辺が勝つと伝票通りするというのである。客が喜んだのは言うまでもないが、それだけでは終わらせないのが、渡辺なのである。

 客を装って地元の新聞社とテレビ局に「旅行者やけど、今、かなめ何とかという寿司屋に行ったら、面白いことをやってたで」と、電話をするのである。
 「一体何をしているのですか」と取材になって、街の話題にするという寸法なのだ。

 眉毛の片方を剃って「女房と喧嘩して剃られた」と店で吹聴すると、それが新聞に載ったり、とにかく思いつくことは何でもやった。
 喧嘩は実際に頻繁にしていたらしいが、それを逆手にとって「女房と喧嘩したから、逃げられたから半額」と宣伝したのである。

 このように香川県で1番店になるための方法を、あれやこれやと考えていった。


続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
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「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店 [インタビュー]

歌手渡辺要は、天皇・皇后陛下に自ら握った寿司を献上したことがある寿司職人であったことでも知られている。その彼が今年も、マグロを解体して寿司を握って見せる歌謡ショーを、大阪・道頓堀の寿司店でやってのけた。彼と寿司との関わりのきっかけは前回に触れているが、職人時代を過ごした高松では、四国でも有数の寿司店にまで築き上げたほどである。しかしそこに至るまでには、驚くような職人魂と商売人根性があった。

渡辺要6.jpg
1年ぶりに寿司店の板場に立った渡辺要(2018.1.26 まぐろ解体歌謡ショーで)

 高松市屈指の繁華街、丸亀町商店街の近くに、渡辺は母親に50万円を借り、蓄えていた15万円と合わせて資金65万円で、カウンターだけの小さな寿司店「要鮨」をスタートさせた。毎月の家賃は2万7000円であった。

 ビルの1階のそこは、カウンターと壁があるだけだった。ネタケースは寿司職人として修業を積んだ、大阪の寿司店の親方から独立祝いにもらっていたので、それを置いたが、厨房機など寿司店に必要なものは何もなかった。そこでまず2000円を出してタイルの流し台を買った。ビール箱を重ねて、その上に置き、ホースで排水設備を整えた。

 1年間は店の奥に3畳間ほどの広さの部屋を作って、後に6畳1間のアパートを借りるまでは、そこで夫婦2人が生活した。家財道具と言えば整理箪笥と卓袱台、布団。そんなものであった。
 渡辺が「彼女も苦労してくれましたよ」と懐かしむ、その女性は大阪で修業中に親しくなった、東京からやって来た客のひとりだった。気の強い彼女とは、結婚してからも喧嘩が絶えなかったのであるが、要鮨創業時から一緒に苦労を共にしたのは事実であった。

 彼女と知り合った大阪での修行時代は、絶えず金のない状態が続いていたから、デートはもっぱら公園や喫茶店、少しゆとりが出来ると映画を見に行っていた。そんな2人が並んで歩くと、162センチの渡辺の身長は決して高くは見えなかった。店ではいつも高下駄を履いていたから、カウンター越しに見える渡辺は結構高く見えていた。

 しかしデートでは高下駄を履く訳にはいかないから、同じ背の高さの彼女から見る渡辺は小さく見えた。ある時、渡辺は「意外と小さいのね」と言われるのだが、この日から、彼女には頭が上がらなくなったのかもしれない。

■隣も寿司屋

渡辺要7.jpg 店も何とか寿司店らしくなった。いよいよ開店となったのだが、同じ香川県内にある実家の近所の人たちや親戚の人たちが、祝いに来てくれた。元々、客も知り合いも少ない中でのオープンであった。親しい人たちが一巡すると、オープンの賑わいは早々に途絶えてしまった。案内状は100枚ほど作ったが、90枚も残った。

 予想はしていたものの、決して順風満帆ではなかった。
 しかも隣は同じ寿司店だったのだ。数日早かったが、ほぼ同じ時期の開店であった。その店はオープンしてすぐに繁盛していた。高松の家具屋の息子兄弟2人で経営していたが、父親の家具屋は同じ市内のキャバレーに家具を納めており、その支配人とも親しく、店はいつもキャバレーの客でいっぱいであった。

 キャバレーには歌手が出演していたから、彼らは客と共にやって来るし、歌手が来たというので、店の外は野次馬が群がる。とにかく数日早くオープンしたにもかかわらず、隣の店は連日大賑わいであったのだ。
【写真】魚をさばく包丁を手にする渡辺要


 その店とはブロック壁で仕切られているだけ。しかもトイレは共同であった。これが渡辺に幸運をもたらした。

 1日に2、3人は、店を間違えて渡辺の店に入ってきた。店が違うことが分かると、スッと出て行くのだが、中には義理堅くカウンターに腰掛けて注文する人もいた。ある時、隣の店と親しいキャバレーの支配人が、やはり間違って入ってきた。お互いにバツが悪いが、間違ったことには触れずに、渡辺は注文を尋いて、酒を出した。

 その日は支配人から代金を受け取らずに、その代わりに名刺をもらい、後日、請求書を送ることにした。

 その頃、渡辺は開店を知らせるために、名刺を1枚でも欲しかったのである。
 翌日、手土産を持って支配人を訪ねて「10回に1回でもいいので、また間違えて来てください」と微笑むと、わざわざ来てくれたことを喜んでくれた支配人は、その後も律儀に10回に1回は「要鮨」にやって来て、いつのまにか常連客になっていた。

 「これだ、と思いましたね。それから名刺をもらうたびに、1軒1軒お礼を言って歩きましたね」

 続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23










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羽山みずき(日本クラウン) 「酒田カモメ唄」 北前船の酒田港で歌う もっともっと好きでいてほしかった [インタビュー]

羽山みずき1.jpg◆日本クラウンの歌手、羽山みずきが2017年12月に出した新曲「酒田カモメ唄」はその名の通り、かつて北前船の寄港地として栄えた山形県酒田市が舞台。恋に破れた悲しみを歌うが、彼女のにこやかな笑顔からは、そんな屈託は微塵も感じさせない。デビュー直前まで山形・出羽三山の巫女として働いていたこともあって、デビュー曲は巫女スタイルの衣装。前作もハカマ姿だったが、サードシングルの今作では振り袖姿に変身して見せている。


羽山みずき・酒田カモメ唄.jpg









 デビュー曲「紅花慕情」で2016年にレコード大賞新人賞を受賞して、それを受けての去年は「たくさんの愛情をいただけ、充実した1年でした」と、受け応えはもう立派なプロ歌手であるが「歌唱やステージでのトークで、自分をどうしたら伝えられるかといった迷いがあります。特にカバー曲は情感の入れ方など難しいですね」と羽山。

羽山みずき2.jpg ディナーショーも去年12月に東京都内で開いている。緊張の初体験だったが「皆さんファミリーな雰囲気で、キャンペーンを思わせるような楽しいひと時を過ごすことが出来ました」と、次はコンサートにつなげたい考え。

 このほど大阪・堺市のCDショップで行った歌唱キャンペーンでは、彼女の話に耳を傾けていたファンから「もう少しゆっくりしゃべらないと疲れるよ」とアドバイスを受ける一幕もあった。彼女が生まれ育ったのは歌の舞台となった酒田の隣、山形県鶴岡市。それだけに「寒い土地なので、話すのもつい早口になってしまいます。でも大阪って温かい人が多いと聞いていましたが、その通りですね」と、笑顔を見せていた。

 「酒田カモメ唄」は、前2作と違ってグッと大人びた歌詞の作品である。それでも羽山は「最初は表現が難しいと思いましたが、メジャーなメロディーなので気持ちを入れやすかった」とも。
 今年4月でデビー3年目になる。去年にはファーストアルバムも出しているが「毎日歌うたびに課題が出てくるんです。この歌い方、しっくりこないなぁ、と言った具合に。その繰り返しなんです」と新人らしい悩みも。

 カップリングの「いのち舟」は夫婦の情愛を歌っている。26歳、未婚の彼女にとっては「メイン曲よりもさらに大人っぽい楽曲」(羽山)で、前作のカップリング同様に「背伸びをして歌っている」と見せる笑顔には、まだまだあどけなささが残る。

■もっと成長

 平成3年生まれというから、今年で27歳になる。演歌・歌謡曲が好きになったのは1934(昭和9)年生まれの祖母の影響だったという。
 正月休暇は実家の鶴岡で過ごしている。すでに子供もいる仲良しの同級生たちと会って、高校時代の話題に花を咲かせた。

羽山みずき3.jpg

 「身体に気をつけて頑張っての 〜 」と、それぞれ庄内弁で今年の活躍を誓い合ったが、羽山は「故郷に近い酒田を舞台にした『酒田カモメ唄』を多くの人と一緒に歌えるように、より自分が成長出来るように努力する」と話していた。

 先ごろ行った大阪キャンペーンでは、初めて生姜入りのお好み焼きを食べて感動。身体もほかほかになって「これからも、心を込めて精一杯歌っていきます」と話していた。





[羽山みずき オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/hayama-mizuki/
[羽山みずき 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/hayama/whats.html





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