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永井裕子(キングレコード) 「海猫挽歌」 初の荒木・浜作品 こぶしと唸りをなくして新たな挑戦 [インタビュー]

永井裕子.jpg◆これはまったく新しい永井裕子である。今の歌謡界を代表し、永井に初めて楽曲提供をする作詞家荒木とよひさと作曲家浜圭介の2人による、2018年1月1日発売の「海猫挽歌」は、彼女は得意とするこぶしも唸りもない「声の色味や言葉をシンプル・軽快に伝える」(永井)新たな歌唱を聴かせる。デビュー20周年を迎える2020年を目指して一昨年から続けるコンサート「夢道 Road to 2020」は、今年もデビュー記念日の6月21日に予定している。「海猫挽歌」のほか、4月に発売するアルバムの中から荒木・浜作品のカバー曲も披露するという。






 1月1日の発売は2016年の「音信川(おとずれがわ)」以来である。新しい永井裕子を表現するには格好の発売日であり、この日には東京都内のショッピングモールでのインストアライブでスタートを切った。同8日付のオリコン演歌・歌謡曲チャートでは、初登場2位にランキングされている。翌週も2位を確保し、4週連続でベスト10を記録した。

 「海猫挽歌」を書くにあたって浜は、永井のデビュー曲から前作までの全曲を聴き、最も気に入ったデビュー4作目の「菜の花情歌」(2003年)をしイメージしながら、「今までの永井にはない楽曲を書きたかった」と、永井に話している。
 もっとも永井は従来通りのパンチの利いた歌を期待していたのだが、出来上がってきたのはまったく違ったものだった。

 「最初は戸惑いもありましたね。4拍子の歌だけど、倍のリズムで刻んで歌うと、言葉の表現も決して重々しくならずに、軽快に伝えることができて、切なさが一段と高められるんです」

永井裕子・海猫挽歌.jpg こうした歌唱は永井にとっては初めての体験であった。
 彼女の師匠は作曲家四方彰人であるが「今までは自由に歌わせてもらっていたので、今回は荒木、浜両先生の2人から教えてもらった1つひとつがとても新鮮でした」と永井は話す。
 この楽曲はメロディーが先に出来上がっていたのだが、それを聴いた永井は「今までの私の歌とはガラリと変わった歌世界に鳥肌が立ち、気持ちはワクワクとして、アレンジがどのようになるのかが楽しみでした」と感動が隠せないようであった。

 数多くの永井の楽曲の中でも一番、心に残ったと、浜がいう「菜の花情歌」は、作詞が阿久悠、作曲が四方彰人であるが、永井は「阿久悠先生は映画『幸せの黄色いハンカチ』をモチーフに書かれたと聞いていますが、浜先生は『海猫挽歌』を映画『駅』の女性主人公(倍賞千恵子)をイメージしたそうです」と、レコーディング当日になって浜から聞かされている。

 この話を聞いてから永井は何度となく「駅」のビデオを見ている。「そのたびに自分の『海猫挽歌』が流れてくるんです」と永井。それほどに映像と歌が見事にマッチングした作品に仕上がっている。

■ライフワークのコンサート

 永井は2020年にデビュー20年を迎える。同16年目から毎年1回、東京都内でコンサートを開いている。自身の夢の道の通過点である20年に向けて、心のうちの想いを歌に託して伝えようというもので、歌手人生のライフワークにしたいと意気込んでいる。

 今年は東京・渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで、6月21日に開く。

 コンサートではオリジナル曲のほか、子供の頃に良く歌ったり、聴いていた歌もカバーして聴かせる。去年は「長崎は今日も雨だった」(内山田洋とクール・ファイブ)「みちのくひとり旅」(山本譲二)などを歌った。今年はどんな歌が飛び出すかが楽しみである。

 それに先駆けて3月1日にはランチショー・バースデーパーティーを予定している。誕生日の3月3日に合わせて、ファンクラブなどを対象にバス旅行を行ってきたが、2年ほど前からライブ形式に切り替えている。





[永井裕子 オフィシャルサイト]
http://www.yuko-nagai.net/
[永井裕子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=13787






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「渡辺要物語 歌は心の港」  第4回 穴子鮨 [インタビュー]

「要鮨」では渡辺要は、客作りとともに、信用作りにも精を出した。何を買うにも現金払いを通したし、1坪でもいいから土地を買おうと「目の前にある1円、10円から、とにかく貯金をしました。履物は下駄と長靴、着るものは白衣で通して、一切買わずに貯めて貯めて貯めて頑張りました」と振り返っている。そんな中で全国に知られた穴子鮨を生み出す。

渡辺要・要鮨看板.jpg
高松・ライオン通りの新店舗に掲げた欅の看板


 爪に火をともすよう生活を切り詰め、質素倹約を通した結果、6年間で約2000万円の蓄えが出来た。それを担保に銀行から資金を借りて、高松のもうひとつの繁華街、ライオン通り商店街のビルを約4000万円で買うことになる。この時は現金ではなく、借金であったのだが。
 とにかくそれによって、高松の目抜き通りに約90平方メートルの「要鮨」の看板を上げることが出来た。27歳の時だった。

渡辺要・名物穴子鮨を作る.jpg 新店舗は香川県にはない鮨屋を目標に、カウンターには欅の板を使って持てなしの気持ちを表したし、柱には欅と杉の丸太を存分に使って、坪当り100万円も費やして店を整えた。当時の飲食店舗は坪平均20万円程度だったと言われているから、それがいかに桁違いな店だったかが分かる。
 調理師も大阪から呼んだ。海外からの観光客も多かったので、英語のメニューも作り、英会話に堪能な調理師もふたり採用した。従業員にはネクタイを締めさせ、胸にはネーム札を付けて、礼儀正しい接客に徹することにした。

 腕に自慢の鮨は、最高級の米、コシヒカリを使った。大事なのが合わせ酢なのだが、酢にリンゴ酢を加えるこだわりを見せた。わさびは当時、高松ではなかなか手に入らなかった静岡産を現地まで出かけて買い付け、1本3000円もするわさびをディスプレイに置いた。客には1本200円の小さなものを出して、自分で摺って楽しんでもらうことにした。


<歌う寿司職人>と今なお呼ばれる渡辺要


 客に出す鮨も、木の葉や竹の皮を敷いてその上に出すことで、味だけではなく見栄えを考えた結果だった。

■名物誕生

渡辺要・鮨職一代.jpg 1番店になるためには色んな工夫をしていった。
 それにもまして「醤油は鮨屋の最後の仕事なんです。どんなにいい米やネタを使っても、醤油が良くなければ鮨は終わってしまいます」と、要鮨特製の醤油にも一捻り加えた。

 香川県は小豆島など醤油の産地としても知られるが、3つのブランドの醤油を合わせることで味にコクを出した。まずブレンドした醤油を大きな鍋で火にかけて、黄色い泡が出るまで温める。泡をすくい取る作業を根気よく繰り返し、大豆のアクを取るとアミノ酸が増えて甘みが出てくる。



インディーズ時代に鮨職人をしながら出した「鮨職一代」

 そこに鰹と鯖の削り節を入れ、沈殿するのを待って濾す。瓶に入れ暗い場所で保存しておき、醤油注しに移して客に出していた。「これが旨いんですよ。やはり鮨は醤油が命ですね」と渡辺は力説する。

 「瀬戸内の穴子は格別である」
 渡辺は絶対の自信を見せる。その頭を落とし、みりんに漬けて串に刺して火にかける。こうしてアルコールを飛ばすと、いい酒の肴になるのである。
 穴子の胴は開いて、水飴や調味料などを加えて作ったダシに漬け、とろ火で3時間、4時間かけて炊くと、口の中で溶けるように柔らかくなる。その穴子を握った鮨飯にのせると絶品の鮨が出来上がる。

 この穴子鮨は東京のテレビ局が取材したことで、全国鮨名店8店舗に選ばれるきっかけとなった。瀬戸の味そのものの穴子鮨は、こうして要鮨の名物になった。
 鮨職人を辞めた今も渡辺は、世間からは今でも「歌う寿司職人」と言われている。事実、彼が鮨を語る表情は、歌っている時と同じように実に生き生きとしていた。


 記者は「要鮨」が高松にオープンしてから6年後の同53年に京都から高松に転勤している。それから間もなくして、新店舗が出来たことになる。
 回転しない鮨屋へ行くなんて、とんでもない話であったから、その味は知らずに過ごしていたのであるが、渡辺のそんな努力もあって高松・ライオン通りの要鮨の新店舗はオープンすると、たちまち「次々と客が来るわ来るわの大賑わい」だった。

続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ [インタビュー]

◆水飴や調味料を入れて作ったダシに、開いた穴子を漬けて、とろ火で3時間、4時間かけて炊くんです。そうすると口の中で溶けるような穴子になります ー 。

 渡辺要が鮨について話す時、目は輝き実に楽しそうな顔になる。

 「要鮨」を高松市常盤新町に開店したのは1972(昭和47)年だった。
それは小さな小さな店だったが、鮨を握る腕だけには自信があった。店に一度でも来てもらえると、良さは分かってもらえる。そのためにも店の存在をたくさんの人に知ってもらおうと躍起であった。

渡辺要・鮨職人時代を彷彿させるステージ.jpg
鮨職人時代を彷彿させるステージの渡辺要

 当時、要鮨の近くには7軒の同業者が店を構えていた。数軒のキャバレーも軒を並べていたが、そこで働くホステスで賑わう寿司店が1軒あった。女性の職人が寿司を握るということでも話題になっていた。

 渡辺は開店する前に高松市内の鮨店をくまなく食べ歩いている。「お金がないから食べるのはきゅうり巻き1本なんですが、味をチェックしていった。要注意な店は訪ねた100軒のうち。わずか3軒ぐらいでした」
 女性が握る店も訪ねている。しかも「こんなもん食えるか」と、タカをくくっていたのである。

 ところが店はホステスがいっぱいなのである。どうしたらこのホステスを自分の店に呼び込めるか。そう考えた渡辺は女性には欠かせないストッキングのプレゼント作戦を思いついたのだ。

 問屋で1足50円で売られていたものをたくさん買い込んで、ホステスが出勤する時間に合わせて配った。
 その頃は自転車で通勤するホステスが多かったから、近くの自転車置場立って、封筒に入れたストッキングを要鮨の名刺と一緒に「今度オープンした鮨屋です」と言って、1人ひとりに手渡していった。

 それは歓迎され、少しづつ客を伴って店に足を運んでくれるホステスが増えていった。「当時の女性用ストッキングは縫い目かがり(シーム)のあるものがまだ多くありました。戦後強くなったと言われたストッキングですが、破れると繕って履いている人も多かっただけに喜ばれましたね」

 こんなこともあった。
 ほぼ同時期に開店した隣の寿司店には、タクシーで乗り付ける人が多かった。そこで目をつけたのが、タクシーの運転手だった。乗客が隣の店に入るのを見計らって、用意しておいた10本入りのピースに、やはり名刺を付けて「良ければ次回、お客さんを連れて来てください」と手渡していった。
 それが運転手の間で「タバコをくれる鮨屋」と噂になり、見る見るうちに客は増えていった。

 ストッキングにタバコのプレゼント作戦など、あれやこれやの宣伝を続けていると開店して3ヶ月で、毎日、店は満員になっていた。

■ジャンケンして眉毛を剃って話題作り

 開店した時はまだ20歳の若造だったけれど、腕には自信があったというから、隣が鮨店であっても絶対に負けないと、鼻っ柱は強かった。
 それにしても同じビルに鮨屋が2軒並ぶとは、店を貸す方も貸す方であるが、そこを敢えて借りた渡辺もなかなかの度胸であった。

 その頃、渡辺が何時も考えていたのは、どうしたら客が来てくれるか、ということばかりだった。ところがオープンを知らせる先がなかった。

渡辺要・大阪で修業時代.jpg
大阪での修業時代

 新聞やテレビに広告を出せばいいのだが、そんな金もない。何とかタダで出来る方法はないものか、と頭を悩ませていた。
 客とのジャンケンは、そんな時に出てきたアイディアだった。客が勝てば代金を半額にして、渡辺が勝つと伝票通りするというのである。客が喜んだのは言うまでもないが、それだけでは終わらせないのが、渡辺なのである。

 客を装って地元の新聞社とテレビ局に「旅行者やけど、今、かなめ何とかという寿司屋に行ったら、面白いことをやってたで」と、電話をするのである。
 「一体何をしているのですか」と取材になって、街の話題にするという寸法なのだ。

 眉毛の片方を剃って「女房と喧嘩して剃られた」と店で吹聴すると、それが新聞に載ったり、とにかく思いつくことは何でもやった。
 喧嘩は実際に頻繁にしていたらしいが、それを逆手にとって「女房と喧嘩したから、逃げられたから半額」と宣伝したのである。

 このように香川県で1番店になるための方法を、あれやこれやと考えていった。


続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店 [インタビュー]

歌手渡辺要は、天皇・皇后陛下に自ら握った寿司を献上したことがある寿司職人であったことでも知られている。その彼が今年も、マグロを解体して寿司を握って見せる歌謡ショーを、大阪・道頓堀の寿司店でやってのけた。彼と寿司との関わりのきっかけは前回に触れているが、職人時代を過ごした高松では、四国でも有数の寿司店にまで築き上げたほどである。しかしそこに至るまでには、驚くような職人魂と商売人根性があった。

渡辺要6.jpg
1年ぶりに寿司店の板場に立った渡辺要(2018.1.26 まぐろ解体歌謡ショーで)

 高松市屈指の繁華街、丸亀町商店街の近くに、渡辺は母親に50万円を借り、蓄えていた15万円と合わせて資金65万円で、カウンターだけの小さな寿司店「要鮨」をスタートさせた。毎月の家賃は2万7000円であった。

 ビルの1階のそこは、カウンターと壁があるだけだった。ネタケースは寿司職人として修業を積んだ、大阪の寿司店の親方から独立祝いにもらっていたので、それを置いたが、厨房機など寿司店に必要なものは何もなかった。そこでまず2000円を出してタイルの流し台を買った。ビール箱を重ねて、その上に置き、ホースで排水設備を整えた。

 1年間は店の奥に3畳間ほどの広さの部屋を作って、後に6畳1間のアパートを借りるまでは、そこで夫婦2人が生活した。家財道具と言えば整理箪笥と卓袱台、布団。そんなものであった。
 渡辺が「彼女も苦労してくれましたよ」と懐かしむ、その女性は大阪で修業中に親しくなった、東京からやって来た客のひとりだった。気の強い彼女とは、結婚してからも喧嘩が絶えなかったのであるが、要鮨創業時から一緒に苦労を共にしたのは事実であった。

 彼女と知り合った大阪での修行時代は、絶えず金のない状態が続いていたから、デートはもっぱら公園や喫茶店、少しゆとりが出来ると映画を見に行っていた。そんな2人が並んで歩くと、162センチの渡辺の身長は決して高くは見えなかった。店ではいつも高下駄を履いていたから、カウンター越しに見える渡辺は結構高く見えていた。

 しかしデートでは高下駄を履く訳にはいかないから、同じ背の高さの彼女から見る渡辺は小さく見えた。ある時、渡辺は「意外と小さいのね」と言われるのだが、この日から、彼女には頭が上がらなくなったのかもしれない。

■隣も寿司屋

渡辺要7.jpg 店も何とか寿司店らしくなった。いよいよ開店となったのだが、同じ香川県内にある実家の近所の人たちや親戚の人たちが、祝いに来てくれた。元々、客も知り合いも少ない中でのオープンであった。親しい人たちが一巡すると、オープンの賑わいは早々に途絶えてしまった。案内状は100枚ほど作ったが、90枚も残った。

 予想はしていたものの、決して順風満帆ではなかった。
 しかも隣は同じ寿司店だったのだ。数日早かったが、ほぼ同じ時期の開店であった。その店はオープンしてすぐに繁盛していた。高松の家具屋の息子兄弟2人で経営していたが、父親の家具屋は同じ市内のキャバレーに家具を納めており、その支配人とも親しく、店はいつもキャバレーの客でいっぱいであった。

 キャバレーには歌手が出演していたから、彼らは客と共にやって来るし、歌手が来たというので、店の外は野次馬が群がる。とにかく数日早くオープンしたにもかかわらず、隣の店は連日大賑わいであったのだ。
【写真】魚をさばく包丁を手にする渡辺要


 その店とはブロック壁で仕切られているだけ。しかもトイレは共同であった。これが渡辺に幸運をもたらした。

 1日に2、3人は、店を間違えて渡辺の店に入ってきた。店が違うことが分かると、スッと出て行くのだが、中には義理堅くカウンターに腰掛けて注文する人もいた。ある時、隣の店と親しいキャバレーの支配人が、やはり間違って入ってきた。お互いにバツが悪いが、間違ったことには触れずに、渡辺は注文を尋いて、酒を出した。

 その日は支配人から代金を受け取らずに、その代わりに名刺をもらい、後日、請求書を送ることにした。

 その頃、渡辺は開店を知らせるために、名刺を1枚でも欲しかったのである。
 翌日、手土産を持って支配人を訪ねて「10回に1回でもいいので、また間違えて来てください」と微笑むと、わざわざ来てくれたことを喜んでくれた支配人は、その後も律儀に10回に1回は「要鮨」にやって来て、いつのまにか常連客になっていた。

 「これだ、と思いましたね。それから名刺をもらうたびに、1軒1軒お礼を言って歩きましたね」

 続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23










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羽山みずき(日本クラウン) 「酒田カモメ唄」 北前船の酒田港で歌う もっともっと好きでいてほしかった [インタビュー]

羽山みずき1.jpg◆日本クラウンの歌手、羽山みずきが2017年12月に出した新曲「酒田カモメ唄」はその名の通り、かつて北前船の寄港地として栄えた山形県酒田市が舞台。恋に破れた悲しみを歌うが、彼女のにこやかな笑顔からは、そんな屈託は微塵も感じさせない。デビュー直前まで山形・出羽三山の巫女として働いていたこともあって、デビュー曲は巫女スタイルの衣装。前作もハカマ姿だったが、サードシングルの今作では振り袖姿に変身して見せている。


羽山みずき・酒田カモメ唄.jpg









 デビュー曲「紅花慕情」で2016年にレコード大賞新人賞を受賞して、それを受けての去年は「たくさんの愛情をいただけ、充実した1年でした」と、受け応えはもう立派なプロ歌手であるが「歌唱やステージでのトークで、自分をどうしたら伝えられるかといった迷いがあります。特にカバー曲は情感の入れ方など難しいですね」と羽山。

羽山みずき2.jpg ディナーショーも去年12月に東京都内で開いている。緊張の初体験だったが「皆さんファミリーな雰囲気で、キャンペーンを思わせるような楽しいひと時を過ごすことが出来ました」と、次はコンサートにつなげたい考え。

 このほど大阪・堺市のCDショップで行った歌唱キャンペーンでは、彼女の話に耳を傾けていたファンから「もう少しゆっくりしゃべらないと疲れるよ」とアドバイスを受ける一幕もあった。彼女が生まれ育ったのは歌の舞台となった酒田の隣、山形県鶴岡市。それだけに「寒い土地なので、話すのもつい早口になってしまいます。でも大阪って温かい人が多いと聞いていましたが、その通りですね」と、笑顔を見せていた。

 「酒田カモメ唄」は、前2作と違ってグッと大人びた歌詞の作品である。それでも羽山は「最初は表現が難しいと思いましたが、メジャーなメロディーなので気持ちを入れやすかった」とも。
 今年4月でデビー3年目になる。去年にはファーストアルバムも出しているが「毎日歌うたびに課題が出てくるんです。この歌い方、しっくりこないなぁ、と言った具合に。その繰り返しなんです」と新人らしい悩みも。

 カップリングの「いのち舟」は夫婦の情愛を歌っている。26歳、未婚の彼女にとっては「メイン曲よりもさらに大人っぽい楽曲」(羽山)で、前作のカップリング同様に「背伸びをして歌っている」と見せる笑顔には、まだまだあどけなささが残る。

■もっと成長

 平成3年生まれというから、今年で27歳になる。演歌・歌謡曲が好きになったのは1934(昭和9)年生まれの祖母の影響だったという。
 正月休暇は実家の鶴岡で過ごしている。すでに子供もいる仲良しの同級生たちと会って、高校時代の話題に花を咲かせた。

羽山みずき3.jpg

 「身体に気をつけて頑張っての 〜 」と、それぞれ庄内弁で今年の活躍を誓い合ったが、羽山は「故郷に近い酒田を舞台にした『酒田カモメ唄』を多くの人と一緒に歌えるように、より自分が成長出来るように努力する」と話していた。

 先ごろ行った大阪キャンペーンでは、初めて生姜入りのお好み焼きを食べて感動。身体もほかほかになって「これからも、心を込めて精一杯歌っていきます」と話していた。





[羽山みずき オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/hayama-mizuki/
[羽山みずき 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/hayama/whats.html





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あさみちゆき(テイチクエンタテインメント) 「四畳半の蝉」 得意のマイナーメロディーが好評 4月には台湾での初のコンサート [インタビュー]

あさみちゆき.jpg◆2018年11月でデビュー16年目を迎えるテイチクエンタテインメントの歌手、あさみちゆきが、大好きな人にふられてしまい、悲しみのどん底にで喘ぐ女性を歌った、切なく悲しい「四畳半の蝉」が好評だ。彼女らしいマイナー楽曲がファンの心を惹きつける。4月には台湾での初のコンサートも予定している。プライベートでは2歳半になる愛息が可愛くて仕方がないようで、テレビの前で番組の主題歌を一緒に歌っているという。


あさみちゆき・四畳半の蝉.jpg









 マイナー調の楽曲が好き、というあさみちゆきにはデビュー以来、もの悲しい楽曲が多い。そんな中でも2017年11月に出した「四畳半の蝉」は、これぞあさみの世界だー といった声も聞かれるほど、自ら「どん底」と表現するように究極の悲しさを歌う。

 これは作曲がシンガーソングライターの山崎ハコで、彼女の作品らしく、心がどんよりと曇る楽曲である。
 あさみは「好きな人と別れて、どん底の悲しみに打ちひしがれながらも、未来への光を見出そうとする女性を歌っています。今を真剣に生きようとしているから、心が痛くなります。そんな歌ですね。これが皆さんの人生の光になるとうれしいです」と話していた。

あさみちゆき3.jpg

 カップリングの「神保町」も山崎の作曲。古書店街の東京・神保町の風景が目に浮かんでくるような楽曲である。これの失ったラブソングで、面影を追って神保町にやって来るが、そこはくすぶる愛の火が街を赤く染めているーといったフォークタッチな作品。
 これもあさみらしさを感じさせる1曲である。

 「四畳半の蝉」は第50回日本作詩大賞新人賞・最優秀賞受賞作品、「神保町」は同・優秀賞受賞作品である。

■一児の母

 プライベートでは2015年に結婚した一般男性との間に男児をもうけたが、その子も2歳半になる。「ママ歌って、という息子と一緒に歌うんです。コンビニでは<ママの 〜ママの 〜 >という指の先には缶ビールが。ビール好きの私のことを良く見ているんですね。その仕草がとても可愛いんですよ」と、目を細める彼女は幸せいっぱい。

 「好きなことをやらせて、色んな事にチャレンジさせるチャンスを与えてやりたいです」

あさみちゆき2.jpg

 彼女のオリジナル曲に父と娘の情愛を歌った杉本眞人作曲の「鮨屋で...」があるが、それとダブらせるかのように母親になった彼女は「私も両親にこうして育ててもらったのかと思うと、これからはいっぱい親孝行しなくては」と話す。

 仕事にはいつも2歳半になる息子を伴う。新幹線も飛行機も何度も何度も乗っているほどで、仕事場で自分がステージに上がる際はマネージャーが母親代り。

■大阪でもストリートライブを

 今年初めての東京・井の頭公園でのストリートライブを3月10日午後2時から予定している。まだデビューする以前の2001年に始め「最初は誰も聴いてくれる人はいなかった」が、去年9月に200回目を迎え、次回で203回目になる。今では彼女も<井の頭公園の歌姫>と呼ばれ、沢山の団塊世代ファンなどから熱い支持を得るまでになっている。
 あさみは、母親になったが、歌声はますます絶好調。「いつかは大阪でもストリートライブをやってみたい」とも。

あさみちゆき4.jpg

 ストリートライブは海外でも中国、台湾、ハワイなどでも経験しているが、今年は杉本眞人、森山愛子とともに4月10日に台湾でコンサートを開くという。






[あさみちゆき オフィシャルサイト]
http://www.chiyuki.jp/
[あさみちゆき テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/chiyuki/







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中澤卓也(日本クラウン) 「彼岸花の咲く頃」  大人っぽく切ない哀愁感があるラブソング  同世代の歌謡曲を届けたい [インタビュー]

2018.01.18 中澤卓也インタビュー.jpg◆たくや 〜 !彼が元気いっぱいに歌う会場でそんな声援が飛び交う。2017年の日本レコード大賞新人賞を受賞した、日本クラウンの歌手、中澤卓也である。セカンドシングルの「彼岸花の咲く頃」は、懐かしい青春歌謡を思わせる1曲。さわやかなデビュー曲の「青いダイヤモンド」とは一変して大人っぽいラブソングを歌う。「わずかデビュー1年ですが、その間で新しい僕を感じ取ってもらえるのではないでしょうか」と中澤は、同世代をはじめ若い人たちに演歌・歌謡曲をとどけることに意欲を見せる。



中澤卓也・彼岸花の咲く頃.jpg









 デビュー2年目に入っている。「青いダイヤモンド」で、日本クラウンから2017年1月にデビューした。それはテンポ感ある走り抜けるようなさわやかな楽曲だった。ところが11月に出した「彼岸花のの咲く頃」では、打って変わって「ちょっと大人っぽい、切ない哀愁感がただようラブソングになりました」(中澤)と、成長ぶりを見せる。

 世界観がまったく異なる2曲を歌うことになった中澤は「皆さんからすんなりと受け入れてもらっており、僕にとってそれはプラスになっています」と胸を張る。
 それは11月の発売後のオリコンの演歌・歌謡曲チャートでは、初登場1位にランキングされたほど。
「デビューしてわずか1年ですが、その間で新しい僕を感じ取ってもらっているのではないでしょうか」

中澤卓也3.jpg

 若い世代に演歌・歌謡曲を届けたい、と大きな夢も膨らませる。
 「歌謡曲にはポップスに近いものもあれば、演歌に近いものもあって、同世代の者にとっては逆に新鮮に感じてもらえる」

 中澤は2018年1月10日、去年9月に東京・赤坂のライブハウス、赤坂BLITZで開いたコンサートの模様を収めたDVDを出したばかりである。そこでは「勝手にしやがれ」(沢田研二)「星降る街角」(敏いとうとパッピー&ブルー)「君恋し」(フランク永井)「さそり座の女」(美川憲一)など、たくさんの昭和を代表する歌をカバーしているステージが再現されている。

 「森山直太朗さんの『愛し君へ』も入っていますが、選曲したどれもがいい曲で、コンサートで歌った時も、初めて聴く人たちにも心のうちに届いていることが良く分かりました」

中澤卓也2.jpg

 インタビューの前、大阪と神戸で開かれた流行歌ライブでは、去年9月に出したカバーアルバム「繋ぐ Vo l.1 〜カバーソングス7つの歌心〜 」にも収録した、
「君は心の妻だから」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)「初恋」(村下孝蔵)を聴かせて、会場を沸かせた。

 想像を交えながらのムード歌謡、懐かしさを再現してくれるラブソングなど、言い尽くされた言葉ではあるが「22歳が演じる3分間のドラマで、色んな歌に挑戦することで、若い人たちにも演歌・歌謡曲を届けて行きたい」と、ダイヤモンド・ミラクルボイスを響かせる。

 それに合わせるように、行く先々で熱い声援が返ってくる。出身地の新潟・長岡の花火のように大空に輝く日を夢見る中澤の目標は、NHK紅白歌合戦への出場である。「大きな目標を持つことで自分を向上させることになる」と、自らに鞭を打ち続ける。






[中澤卓也 オフィシャルサイト]
http://www.office-pansy.co.jp/takuya-nakazawa/
[中澤卓也 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/nakazawa/whats.html






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島津悦子(キングレコード) 「海峡みなと」  映画を見るような新たな海峡演歌  カップリングは自身の作曲  最初で最後? [インタビュー]

島津悦子.jpg◆こんな海峡演歌はなかったね ー 。フェリー乗り場の近くだろうか、うらびれた居酒屋で無口な男と苦労がにじむ女、互いに知らない同士が酒を飲んでいる。いつしか心が寄り添って、一緒に旅でもするか・・・と見つめ合う。まるで映画のワンシーンかのようである。キングレコードの歌手、島津悦子のデビュー30周年記念シングル第2弾の「海峡みなと」。2018年1月1日にリリースされた。作詞は去年10月に亡くなった仁井谷俊也である。20周年記念シングルの「おんなの日本海」も仁井谷が書いていた。10年前よりも今のほうが地に足がついて歌えるようになったという。


島津悦子・海峡みなと.jpg









 寂しい男と女が結びつく。良くある話である。「海峡みなと」では、それの舞台を港の居酒屋に置いた。生きることに疲れたふたりがここで出会って、意気投合する。良くある海峡演歌と言えば、海峡を臨む寒々とした港町で、別れた人を想ったり、過ぎた切ない日々への訣別を歌っている。
 「そこが他と違うんですよね。恐らく仁井谷先生が病床で書かれたのでしょうが、この作品は、黙っていても映像が目に浮かんできます」

島津悦子2.jpg これのプロモーションビデオ(PV)には、もちろん島津悦子本人が出演しているのだが「私が配役を決めるとすれば、迷わずに主人公の男性は高倉健さん、女性は吉永小百合さんですね」と島津。仁井谷が元気だったらPVには、絶対に出演していたであろう、と彼女は残念がる。
仁井谷は2014年10月発売の「惚れたのさ」では、夫役としてそのPVに出演しており、なかなかの〈名俳優〉ぶりで知られていた。
 「ご覧になった方から、本当の旦那さんですか、と訊ねられたこともあって、それを伝えると先生はうれしそうな顔をしておられました」

 「海峡みなと」は、まるで最後の力を振り絞って書いたかのような作品である。島津がこの歌詞を手にしたのは、30周年記念作品の第1作の「大菩薩峠」を受け取った去年2月だった。1年間温めてようやく形になったが「先生には私の歌は聴いてもらえなかった」と悔やむ。

 島津のシングル作品は、デビュー曲「しのび宿」(1988年)から今作の「海峡みなと」まで、30年で53作になる。デビュー曲は自身唯一のレコード盤だった。

 「生きてきた半分以上の年月を歌ってきたことになります。皆さんの支えがあったからこそですが、良くぞここまで歌わせてもらったと思います。デビュー当時には30年後のことなどは想像も出来ませんでしたが、これから先の30年は自分がどんな姿かが良く分かりますね」

 去年は金沢、鹿児島、東京・浅草の3ヵ所で30周年記念コンサートを行ってきたこともあって「月日が経つのが早かったですね。それに三味線と端唄の習い事とも始めたこともあって特に忙しかった」という。
 三味線、端唄は記念コンサートで披露している。スポーツジムへも通うなど体力作りに励むなど「ステージでは10年前よりも落ち着いて歌うことが出来るようになりました」と、その変化を語る。

■背中を押してもらった最初で最後の1曲

 カップリング曲の「人生は夢のように」は、作曲が島津の手によるもので「自分で書くのは最初で最後の作品です」と照れて見せる。
「30周年なので詞を書いてみないか、と話を頂いたのですが、それは無理ですと断ったところ、日頃歌っているので作曲なら何とか出来るのでは、と書いてみました」

島津悦子3.jpg

 若々しく島津の声は「子供たちに夢は必ずかなう、と人の人生を大切さを伝えたかった」という彼女の想いをそのままのせている。
 コーラスで歌えるものを書きたかったと言い、演歌を歌う島津悦子のイメージは一切無視して出来上がっている。





[島津悦子 オフィシャルサイト]
http://www.shimazu-etsuko.net/
[島津悦子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10397







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MARI(アクトラスレコード) 「男と女の第2章」で念願の歌手デビュー 4月にはお披露目ライブも [インタビュー]

MARI2.jpg◆歌番組「演歌ジャックス」にレギュラー出演しているMARIが2018年1月24日、アクトラスレコードから「男と女の第2章」で本格的に歌手デビューする。3年前の12月、同番組収録ディナーショーに網タイツのバニーガールスタイルでいきなり登場したが、番組では今まで洋楽や歌謡曲をカバーしてきた。すでに今年放送の番組ではデビュー曲は紹介されているが、4月8日には大阪・京橋のライブレストラン・ベロニカでデビュー発表ライブを開く。大好きな馬の絵を描く画家としても活動しており、多才な歌手の誕生である。

MARI・男と女の第2章 小.jpg












 「男と女の第2章」は荒木とよひさが作詞した。作曲は古川三四郎、編曲は川村栄二である。男性の心はすでに遠のいてしまったが、別れても心の何処かに私のことを留めておいて ー と、切ない心の内を持ち前の高音で歌う。
カップリングは軽快なダンス歌謡「ダンスDEムーチョ」(作詞・高橋光太郎、作曲・古川三四郎、編曲・山田恵範)。

 歌手としてはまったく素人だったMARIが、歌の世界に飛び込んだのは3年前だった。それまで百貨店などに勤めていた彼女は、馬の絵を描いては日本中央競馬会(JRA)などで個展を開くなど、ホースペインターとして活動していた。子供の頃からなんでもやってみたいといった好奇心が旺盛だったこともあって、ある日「ストリートライブをやってみたい」と、大阪・難波の高島屋前に立って歌ったのがきっかけだった。

 まったく経験がなく、たくさんの人が行き交う街頭で歌うというのである。周りは驚いたが、度胸があるのか、怖いもの知らずなのか、この時も彼女の何でもやってみよう精神が100パーセント高まった。

MARI.jpg

 夜、酔客や家路を急ぐ人たちがたくさん行き交う繁華街の道端に、1ヶ月間、週に2、3回立ってテレサ・テン、由紀さおり、薬師丸ひろ子や北島三郎など、色んな歌手の歌をカバーした。
「歌うのは1回30分ほどでしたが、遠巻きに聴いてくれたり、声をかけてくれたり、プレゼントをくれた人もいました」(MARI)

 それがきっかけで「演歌ジャックス」を制作する会社、メディアジャックス(大阪市)の関係者と知り合い、その年の番組公開収録を兼ねたディナーショーの前座に出演することになったのである。
この時、何とバニーガールのスタイルで網タイツといった衣装で「愛の水中花」(松坂慶子)を歌うといった、奇抜なステージデビューを飾った。

■広がる夢

 デビュー曲「男と女の第2章」のリリースと歌手デビューを記念して、4月8日、大阪・京橋のライブレストラン・ベロニカでライブを開くことになっている。約1時間のステージではデビュー曲を披露するとともに、ポップスから演歌まで幅広くカバー曲も歌う。

 ライブではもちろん、網タイツのバニーガールスタイルも見せてくれるといい「待ち望んだ『男と女の第2章』を長く歌っていきたいし、個展でお世話になったJRAで、今度はのミニライブを開いてみたいです」と、MARIの夢は際限なく広がっている。





[MARI メディアジャックス]
http://www.mediajacks.jp/






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水城なつみ(キングレコード) 2月に初の単独コンサート 東京・亀戸 新曲「帰って来やれ」やカバー曲を披露 [インタビュー]

水城なつみ.jpg◆小学6年からキングレコード歌謡文化アカデミー(KBA)のカラオケコンテストに出場して以来、毎年挑戦し続け、高校3年で初めてグランドチャンピオンに輝いたキングレコードの歌手、水城なつみが、2013年にキングレコードから歌手デビューして今年で5年目になる。子供の頃、河原の土手に座らせた同級生を観客に見立てて、コンサートで歌う歌手を演じていた彼女が、2018年2月、単独で本物のコンサートを開く。デビュー5周年記念コンサート「勇徃邁進」である。









 プロになって5年になるが、本番前の緊張は子供の頃から一向に治らない。「本番1週間前からドキドキして眠れない日が続くんです」と水城。テレビやラジオではスタッフから背中を押してもらって本番に向かうという。

 そんな彼女が2月23日に東京・亀戸の亀戸文化センターのカメリアホールで、初の単独コンサートを開く。今度はステージは河原の土手ではないし、観客は同級生だけのの5、6人でもない。約400席を収容出来る会場である。何処からともなく、ガンバレなっちー!の声援が飛んで来そうである。

水城なつみ・コンサート.jpg もっとも去年12月には初の単独ディナーショーを地元の茨城県つくば市で開いている。200人という人たちを前に、オープニングはドレスで「筑波の風」(2016年)を歌った。「着物と違って肌の露出もある」(水城)ので、ここでもソワソワ。

 それでも客席も近いこともあって、ファンとの触れ合いを楽しむことも出来たようだ。
 去年8月にはデビュー6枚目のシングルで、父と娘の絆を歌った「帰って来やれ」を出している。カップリングには23歳の水城が背伸びをして歌っている「雪の隠れ里」を収録している。「演歌だからこそ経験できる、母にも言えない大人の恋の世界」(水城)なのである。

 デビュー5周年記念コンサート直前の2月21日には、デビュー第2弾のアルバム「ウタツグミ2」を発売する。母親に習ったという「みちのく挽歌」(綾瀬一美)などカバー曲10曲とオリジナル5曲の計15曲を収録する。
 2年前のファーストアルバムの続編である。彼女の若々しい伸びやかな歌声が聴きどころの1枚である。

■ドキドキそわそわの5年

 デビュー前から吉幾三の大ファンである。水城に歌の楽しさを教えた祖父から続く〈好きな人〉で、自室には暖簾、パズル、掛け時計など色んなグッズが並ぶ。そんな吉と去年暮れ、テレビの収録で一緒になった。

水城なつみ2.jpg

 ところがやはりドキドキで、なぜか口から出たのは「いい匂い」の一言だけ。それでも吉は、水城のデビュー曲「泣いてひとり旅」(2013年)を聴いていたようで「民謡をやってたの、と話しかけてもらいました。格好いいですよね」と水城。

 色んなドキドキそわそわを繰り返しながら、デビュー5年目を迎えた。
 去年は学びの1年だったという水城、今年は「今までに学んだことを生かして前へ前へと進んでいきたい。まだまだ初めて体験することも多いので、それら1つひとつを積み重ねていけるといいな」と、年女という節目の年の抱負である。






[水城なつみ オフィシャルサイト]
http://www.mizuki-natumi.com/
[水城なつみ キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=44259







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小桜舞子(テイチクエンタテインメント) 「よされ三味線」 初の演歌チャート1位   作詞家仁井谷俊也最後の作品  大阪でのコンサート開催にも意欲 [インタビュー]

小桜舞子1.jpg◆三味線を手に遠くを見つめるテイチクエンタテインメントの歌手、小桜舞子。2017年12月にリリースしたCD「よされ三味線」に、プロモーション映像を収録したDVDが付いた、もう1枚の「よされ三味線(DVD付き)」のジャケット写真である。作詞は仁井谷俊也、作曲が岡千秋。小桜が三味線を持つのは、同じく仁井谷が作詞し、岡が作曲を担当した作品「母娘(ははこ)じょんがら」(2009年)以来である。仁井谷は去年10月に帰らぬ人となった。「よされ三味線」は彼が小桜に提供した最後の作品である。小桜は「今年は皆さんの前で三味線を披露出来るようになって、天国の仁井谷先生にも聴いてもらいたい」と話す。



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 小桜舞子の今作は雪の青森が舞台。北の津軽で、忘れられない人を想う女の激しい心情を歌っている。「初めて仁井谷先生からもらった作品が『母娘じょんがら』でした。それがいつも心に残っていて、同じ民謡演歌の今作では鮮明に蘇ってきます」

 新曲「よされ三味線」は、去年、仁井谷が小桜にと持ち込んだ作品だったという。その小桜が担当ディレクターたちと打合せを済ませた日「11月のレコーディングでは先生に会えるね、と喜んでいたのですが、その夜、ネットニュースで訃報を知らされたんです」と、あまりにも突然の知らせに小桜は信じられない思いだった。

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 2017年12月に「よされ三味線」がリリースされると、オリコンの演歌・歌謡曲チャートで、小桜にとっては初めての初登場1位にランキングされた。2年前の「浮世草」(2016年)の2位を上回る記録となった。小桜は「仁井谷先生が押し上げてくれたようです」と感慨深げである。

 タイトルの「ーー 三味線」には〈じゃみせん〉と、わざわざふり仮名を付けている。これには少々、理由がある。「先生がお亡くなりになった後になって〈しゃみせん〉と読むのか〈じゃみせん〉なのか話題になって、結局はよされとしっくりとつながる〈じゃみせん〉に落ち着いたんです」
 どちらでも良さそうでもあるが、言葉一つに微妙なニュアンスの違いを大切にする小桜ならではの繊細さの表れのようである。

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 この事からも分かるように小桜は、歌詞の一句一句の意味と表現を人一倍大切にする。たとえば ♪ バチを叩けば 〜 は「三味線のバチを叩く音が硬いように、声の色も硬くする」し、♪ 男抱くように 〜 に至っては「仁井谷先生が自ら書かれた『母娘じょんがら』を、母に褒められた、と相好を崩しておられたのを思い出して、そんなふうに思われる母親の子供への母性愛を歌に表してみました」と、何とも細やかである。
 歌詞の一つひとつをこのように解釈して、全体像を頭の中で映像化する。それが小桜の歌唱なのである。「年に1回のコンサートに芝居を盛り込むようになって、そうしたコツが分かってきたんです」と小桜。

■2年連続ブラジル公演

 「よされ三味線」より先、2017年10月に出したアルバム「小桜舞子2018年全曲集」には、前作の「女の雪国」(2017年3月)も収録されている。これは27年前に31歳で亡くなった村上幸子が最後にレコーディングしたものをカバーした作品。小桜の歌唱力が買われて白羽の矢が立ったのだが「村上さんはこの歌を観客の前で歌うことは叶わなかったと聞いています。そんな1曲を歌い継いでいます」(小桜)と意欲を見せる。

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 2016、17年と2年連続してブラジル・サンパウロでコンサートを開催して、日系人の人たちなどを楽しませている。その人気はもちろん日本でも変わりはないのだが、大阪では2015年に続いて、2度目の今宮神社の宝恵駕行列に参加している。「2回も乗れえるとは思いもしませんでした。光栄なことでした」と、神前では新曲「よされ三味線」のヒットを祈った。

 さらに小桜は「大阪でもコンサートを開けますように頑張ります」と、40歳になる今年には並々ならぬ力の入れようである。





[小桜舞子 オフィシャルサイト]
http://www.kozakuramaiko.com/
[小桜舞子 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kozakura/







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中西りえ(日本クラウン) 「おんな牛若 運命(さだめ)橋」  カッコイイ主人公・女牛若丸  SF小説のように楽しい楽曲 [インタビュー]

中西りえ.jpg◆「京都・五条大橋にある牛若丸と弁慶の石像前で記念写真を撮ってきたんですよ」2017年12月6日に新曲「おんな牛若 運命(さだめ)橋」を出した日本クラウンの歌手、中西りえは、関西キャンペーンの合間を縫って趣味の写真撮影をするなど、新曲のアピールに励んでいた。今日12月16日には、大阪市内でテレビ番組「演歌ジャックス」の収録にゲスト出演して歌を披露する。


中西りえ・おんな牛若 運命(さだめ)橋.jpg









 「土佐っぽカツオ船」(2015年)から前作の「おんな花火師 花舞台」(2016年)まで、3作続けてはかま姿の衣装で歌ってきたが、「おんな牛若 運命橋」では両肩を露出した真っ赤なドレスに着替えて、今までの作品の中で最も女っぽい衣装で歌う。
 「周りの人たちを驚かせてやりたい、と和楽器など〈和〉を一切使わずに和を表現してみようと、今回ははかまを脱いで洋服にしました」(中西)
 そうは言うものの、初めて肌を露出する衣装には少し照れも隠せない様子である。

 本人の想いとは裏腹にドレス姿はかなり格好いい。それと同じように「おんな牛若 運命橋」は、牛若丸が女の子だったら・・・と「まるでSF小説のような内容で、格好良く仕上がっている」と中西。
 そのおんな牛若丸は好きな人を守るために、♪ ひらりひらりと 舞い踊る 〜 のであるが、中西は「牛若が好きな人は、もしかすると弁慶かも」と想像する。

 これもなかなかSFチックで、なんと楽しい歌なのだろう。
 「私の歌はしばしば玄人っぽい、と言われるのですが、この歌は演歌らしくなくて、聴いても歌っても、どちらでも楽しめます」(中西)
 しかも主人公の牛若は ♪ あなたと私 引き裂くものは 許さない 〜 と、芯の強い女の子でもある。
どこか中西と牛若が重なるようにも思える。

 発売間もないが、「いい曲」「りえちゃんの作品の中で一番好き」などと、反響も上々のようである。

■30年後でも歌える歌を

 カップリング曲の「ニッポン女子のお出ましよ」は、毎日々、満員電車で出勤している独身女子の1日を歌っている。中西は「女子に向けての新感覚応援歌ですね。毎日満員電車に乗っている私にも共感出来ます」と、自らを励ます歌のように歌う。
 彼女は三重県から上京して13年になる。「今もたとえば ・・・やんなぁ 〜 など伊勢弁が飛び出すことがあります」
 伊勢と言へば「赤福」「伊勢神宮」を連想するが、今年は伊勢神宮奉納花火大会でオープニングの挨拶を任されている。そこで「おんな花火師 花舞台」の歌が流れるなど、充実した1年を送っている。

中西りえ2.jpg
牛若丸と弁慶が出会ったとされる五条大橋を
「おんな牛若 運命橋」を歌いながら歩いたという中西りえ

 来年は「今年から始めたものの、中途半端になっているソプラノサックスの練習や写真撮影の腕をあげたい」といい、本業の歌については「20年、30年後でも歌えるものを歌っていきたいです」と、高いハードルを掲げる。





[中西りえ オフィシャルサイト]
http://www.sunnysb.jp/rie/
[中西りえ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/nakanishi/whats.html






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北川裕二(キングレコード) 「酔風(よいかぜ)ごころ」に良い風が吹いている 来年はデビュー35周年 大阪でディナーショーも [インタビュー]

北川裕二.jpg◆大衆演歌と呼ぶジャンルを歌い続けるキングレコードの歌手、北川裕二に今、〈良い風〉が吹き始めている。2017年11月に出した新曲「酔風(よいかぜ)ごころ」が好調なのだ。発売第1週目のオリコンチャート(12月3日付け)では3位、2週目では4位と「今までにない高順位にランキングされている」と笑顔を見せる。プロ野球に例えると「開幕ダッシュ」といったところか。これを「長く持続させて、来年のデビュー35周年を飾りたい」ところである。









 北川裕二は今作でも絶好調な歌いっぷりを見せる。彼の作品を手がけるキングレコードのディレクター、中田信也は「ノリノリで良いねぇ〜」と、北川に語りかけた。北川を蘇らせた自負もあるのだろう、演歌好き、とりわけ大阪人が好むとされる、テンポ感があって、粘っこい節回しの〈大衆演歌〉路線が北川に定着してきたことが嬉しいようでもある。

 新曲の「酔風ごころ」は、カップリング曲「ひとり北国」とともに、11月22日にリリースされた。いずれも作曲は彼の師匠である弦哲也である。当初は「ひとりー」が、メイン曲候補に挙がっていたが「定着してきた大衆演歌の方が、ファンの心をつかむのが早い」(北川)ことから「酔風 ー」がメインになった。

北川裕二・酔風ごころ.jpg その「酔風ごころ」、一連の大衆演歌の中でも聴かせどころが多く「歌い甲斐のある歌で、覚え易くイメージも描きやすい」(北川)だという。
 カップリングの「ひとり北国」はメイン曲候補に上がっただけはあって、同様に北川ファンの心をつかむ。

 好評な2曲連合戦隊で臨む今作を北川は「動きが今まで以上に良い。この機会を逃さずに、ヒットへと結びつけたい」と意欲満々。
 また、このほど5日間の関西キャンペーンを行って「自分が乗って歌えるのは疲れませんね。それは自然と笑顔にもなるし、ファンにも伝わります」と、好調な成果を語っていた。

■全国5会場でディナーショー

 来年はいよいよデビュー35周年を迎える。それを記念した初の大阪でのワンマンディナーショーを9月頃に開催する予定だという。再来年2、3月の東京会場まで札幌、福島、千葉の全国5会場で行う計画である。
 「大阪では地元をテーマにした歌をメドレーで歌うなど、お世話になったたくさんの人たちに喜んでもらいたい」
 と、今からトマトなど野菜たっぷりの食事を摂って体調管理に努め、35周年へ向けての〈良い(酔)風〉を吹かせようと張り切る。





[北川裕二 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-yuji.com/
[北川裕二 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10436






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北岡ひろし(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「薔薇ものがたり」  女形で歌って踊るエンターティナー  見どころ聴きどころたっぷりな新曲 [インタビュー]

北岡ひろし.jpg◆「日本に女形の歌手、北岡ひろしがいることを知ってほしい」日本で唯一で、初の女形で歌い踊る演歌歌手である徳間ジャパンコミュニケーションズの北岡ひろしは、そのように自信いっぱいに語る。今から10年ほど前から、カラオケの普及で素人がプロ顔負けの歌を聴かせるようになってきた。まだスーツ姿で歌う、ごく普通の男性歌手であった彼は「これからは特徴がないと歌手として生き残れなくなる」と考えて、子供の頃から日舞を習っていた経験を生かして、女形で歌うことにしたのである。2017年7月には2年ぶりの新曲「薔薇ものがたり」を出した。








北岡ひろし

 「僕の生の舞台を見てほしいですね」
 確かに北岡ひろしのエンターティナーとしての魅力はライブが最も良く伝わる。
 衣装こそ着けていないものの、物腰柔らかくインタビューに応えて話す、その仕草は女性そのものであった。
 しかも新曲「薔薇ものがたり」の ♪ 痛さこらえりゃ 恍惚の 涙はらはら きぬぎぬの ~ と志賀大介の詞を歌う彼は、何とも言えず妖艶である。

北岡ひろし・薔薇ものがたり.jpg 志賀の詞を歌うのは今回が初めてだという。志賀と言えば男っぽい作品をイメージしがちだが、今作では「ドキッとする表現も多く、しかも女性の本心を抉るような作品」(北岡)という。しかも弦哲也によるカルメン調メロディーは、どこか身にしみいってくるようでもある。

 女形の北岡はそれを見事に演じ、聴かせるのである。
 しかし彼はれっきとした男性である。周りの人たちも彼について「酒の飲みっぷりもいいし、男の中の男といった性格ですよ」と笑うほどである。
 しかし女形を演じるためには、並々ならない努力もあるようだ。日舞にお茶といった習い事は言うまでもなく、女優のDVDを見てその所作を学ぶのだという。
 「女優の岡田茉莉子さんは、女優とは女に優れると書きます、と言っていた。ですから女性よりも女らしさを身につけなければ」(北岡)

■目指すNHK大阪ホールでのコンサート

 「この新曲をいい形に持っていって、ヒットにつなげたい」
 北岡は「薔薇ものがたり」に、今までになく並々ならぬ力を入れる。10数年ぶりに久々の大阪でのマスコミ出演などのキャンペーンを行ったのも、そのひとつである。

 そのひとつ、関西で放映されている歌番組の収録にも出演した。
 そこで再会したのが、日本クラウンの歌手、木下結子だった。彼女とはデビューが同じ1984(昭和59)年で、レコード会社も日本コロムビアで一緒だった。大阪でのテレビ収録で10年ぶりに顔を合わせたわけで、昔話に花を咲かせた。
 「毎年、レコードメーカーのカレンダー用の写真を撮影するのですが、新人の僕たちはいつも6人揃ってあまり目立たないページでしたよ」
 そんな新人の頃を思い出していた。





 北岡は山形県鶴岡市出身で、活動の多くは関東地区だが、1997(平成9)年に大阪府枚方市の天野川に架る、かささぎ橋をモチーフにした「かささぎ橋」を歌っている。それを機に大阪でのキャンペーンなど活動を増やしてきたが、99(平成11)年には旧大阪厚生年金会館芸術ホールに満員の1100人を集めてコンサートを開いている。
 新曲「薔薇ものがたり」では、同寝屋川市のアルカスホールで2018年2月、久々に大阪でコンサートを開く。
 北岡はさらに「いずれはNHK大阪ホールの大会場でもコンサートを行いたい」と、夢を膨らませている。


[北岡ひろし オフィシャルサイト]
http://www.office-kitaoka.jp/
[北岡ひろし 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/kitaoka.html






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内田あかり(日本クラウン) 「ホテル・サンセット」 大人の恋歌 歌を伝える楽しさ実感 [インタビュー]

内田あかり.jpg内田あかりと言えば、70万枚を売上げ自身1番のヒット曲となった、あの「浮世絵の街」(1973年)を思い出す。2017年11月には日本クラウン移籍第2弾シングル「ホテル・サンセット」を出したばかりである。大人の失恋歌であるが、ムードたっぷりに聴かせるあたりは、歌手歴50年というキャリアならではの技なのだろう。一時、女優業に専念していたが、ここ20年ほどは歌1本に集中する。10月に70歳を迎えた内田は「今、歌うのがとても楽しい」と話し、歌う喜びを身体いっぱいに表現しているようである。


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 このほど大阪でのキャンペーンを終えた内田あかりは「初めてカラオケ喫茶店での歌唱キャンペーンを体験しました」と、歌好きな人たちと一緒に歌を楽しんだ。CDショップやショッピングモールでのインストアライブは去年から始めており、今回、新曲「ホテル・サンセット」のPRを兼ねて、大阪・堺市内のおおとりウイングスでもたくさんの人を集めた。

 その「ホテル・サンセット」は、内田のカラーを大切にして作られた作品で、失恋した切ない昔を思い出す大人の歌謡曲。「難しいカラオケに挑戦したい人にはピッタリなお洒落な歌」と内田。

 愛を残したままに別れてしまった女性。ある日、誰の目にも幸せそうに映る相手の男性の姿を見かける。その瞬間、かつての恋を思い出してしまう女心の深層へと入っていく。それをまるで自ら演じるドラマのように歌う。

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言葉を伝える歌唱を続ける

 彼女の歌は「詞の内容を理解して、喋るのではなく、リズムの中で言葉を大事に相手に伝わるように」(内田)と歌うのである。それは芸能界デビューが女優からだった、という経験から掴んだものだった。

 大阪の中学を卒業してジャズ喫茶で歌っていたが、16歳の時にスカウトされて上京。3年後にTBSの連続ドラマに出演しており、歌手としてデビューするのは翌年になってからである。1990年代になって女優としての仕事を増やしていった。
 「トレンディドラマで母親役を演じたことがありましたが、これが歌にもいい影響を与えてくれましたね。歌は語れ、セリフは歌えと言いますが、そのあたりから語るように歌えるようになりました」

■歌のアスリート

 そんな女優業を少し離れて歌一本に集中するようになって20年になる。若い時には分からなかった、歌うことに幸せを感じるようになってきたのは、最近の10年だという。
 「ステージで歌う声の一言ひとことが、どのように響いているのかを考えるようになり、それが分かるようになったのです。それまでにはなかったことでした」
 それが幸せ感を紡ぎ出している。

 ステージで内田はオリジナル曲よりも、カバー曲をよく歌う。しかも決して崩さずに、オリジナル曲のように伝えている。
 そうした歌も何年歌っていても、絶対に満足感はないというが、歌を伝えれていることを実感することで「やり終えたという感覚が得られ、それは歌のアスリートのように、全力投球したような気分にしてくれる」のだという。

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幾つになってもロマンチックさを忘れない歌い手の内田あかり

 ロマンチックな心を「今はごく自然に歌えるんです」と、新曲「ホテル・サンセット」で、多くの女性ファンの心を響かせているのも、そうした彼女ならではの歌への想いがあるからであろう。





[内田あかり オフィシャルサイト]
http://www.uchidaakari.com/
[内田あかり 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/uchida/whats.html






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神野美伽(キングレコード) 夢を追い求めて来春、米・オースチンでのフェス参加 1月1日にはデビュー35周年記念曲リリース 3日からは新歌舞伎座公演も [インタビュー]

神野美伽2.jpg◆ニューヨークで演歌を歌い続け、その反応を問い続けて4年になるキングレコードの歌手、神野美伽が、2018年3月、米・テキサス州オースチンで開かれる音楽と映像のフェス「サウス・バイ・サウス・ウエスト」に初参加する。世界中から音楽関係者が有能な新人アーティストを求めて集まってくると言われ、事前のオーディションには毎年約8000組の応募があったという。デビュー35周年を迎える来年は1月1日にシングル「千年の恋歌」と、同曲を収録したアルバム「夢のカタチ」(全11曲)を日本でリリースするとともに世界120ヶ国で同時配信する。






 「フェスでは海外のプロデューサーと出会いたい」
 神野美伽は早くも期待に胸を膨らませる。
 先ごろオーディションの合格通知を受け取ったばかりで、目下、参加のために必要な書類を英文で作成中で、渡米へ向けてのビザも申請中だという。
 フェス当日の歌唱持ち時間は45分で「神野美伽の音楽をすべて見てもらいます。衣装は着物です」と、日本らしさを精一杯に演出して、ニューヨークで歌ってきた4年間の成果を、そこで結実させる考えである。

 歌うのは「たとえば『無法松の一生』にアレンジを加えるとか、オリジナル曲をアカペラでとか、または新曲の『千年の恋歌』もありえるなど、日本を感じさせる」ことを狙って選曲を進める。

神野美伽3.jpg 神野は「ここ10年ほどは演歌の閉塞感に危機を抱いてきました」と、カラオケで歌いやすい楽曲だけがもてはやされている今の状況を危ぶむ。演歌はもっと可能性のある音楽ジャンルであるはずなのに、どうすれば立ち直れるのか。
 それを考えた彼女が目を向けたのは海外だった。

 世界的なジャズヴォーカルグループ「The Manhattan Transfer」のジャニス・シーゲルは、神野が歌う「リンゴ追分」のニューヨークでのライブ音源を聴いて「これは何という素晴らしい音楽」と驚嘆したというが、それに背中を押されるように神野は「演歌が格好良くて自由な歌であると、多くの外国人が言ってくれることで、その評価は国内でも変わるかもしれない」と期待を寄せる。

 米国・フェスへの挑戦はその試みのひとつなのである。




 しかし、フェスへの参加に至るまでには、決して一筋縄ではなかった。初めてニューヨークへ渡って「(演歌を)歌わせて」とライブハウスの門をたたくが、行く先々で断られ続けた。ようやく1軒のジャズクラブが「15分やるから歌いな」とOKをくれたのが、今につながり、そこで4年間繰り返し歌ってきた。それが少しずつニューヨーカーに演歌を届けることになった。


 来年2018年4月28、29の両日には仙台市の隣、宮城県川崎町、みちのく公園北地区エコキャンプみちのくで行われる東北最大級のロックフェス「ARABSKI ROCK FEST .18」にも参加することが決まっている。古市コータロー、クハラカズユキと共に参戦するという。

 神野は「夢は若い人が見るもの、と思われがちですが、わたしはこれからも夢を追いかけていきたい」と、世界に通用する演歌を届ける夢を見続ける。

■無駄のないメロディーな35周年記念曲

 デビュー35周年の来年、1月1日に神野はシングル「千年の恋歌」と、デビューから今まで彼女と一緒に音楽を作ってきた音楽家と1曲1曲を作ったアルバム「夢のカタチ」(全11曲)を同時リリースする。そこに収録した1曲「千年の恋歌」(カップリングは「夢のカタチ」)をシングルカットしている。

神野美伽・千年の恋歌.jpg神野美伽・夢のカタチ.jpg
デビュー35周年記念シングル(左)と同アルバム

 神野が歌う楽曲の8、9割は作詞家の荒木とよひさが書いている。「千年の恋歌」も荒木が詞を書き、作曲家の弦哲也が曲を付けた。編曲は船村徹の子息、蔦将包。神野にとっては初のワルツ調で、3拍子の楽曲である。
 荒木と離婚して2年半になる神野だが「わたしに歌わせたい、と思う詞を書いてください」と、改めて願い出ている。
 すると2、3日して「すごく良いのが出来た」と電話をかけてきた荒木は、電話口で詞を読み上げて「良いだろう」と自信たっぷりなところを見せた。

 「それを弦先生が、荒木さんが紡いだ言葉のテンションそのままに、無駄なく音楽にしてくれました」と神野。
 彼女を知り尽くした荒木と弦の2人のコンビによって「わたしが歌うべき絶妙な作品に仕上がった」と、神野は笑顔を見せる。

■新歌舞伎座新春特別公演

 エキサイティングに米国のフェスに参加するかと思えば、国内のコンサートホールを巡るツアーや地方の公民館で演歌を聴かせもする。さらにはロックライブハウスのクラブクアトロで歌うなど、いろんな顔をを見せる神野美伽。

神野美伽・新歌舞伎座特別公演.jpg

 そんな彼女が2018年1月3日からは大阪・上六の新歌舞伎座での新春特別公演に出演する。人情喜劇「おおきにな ~浪花のゆうれい女房~」と歌のオンステージ「感動!天下無双の神野節」の2部構成である。
 芝居は次々と待ち受ける困難から、愛する家族を助け出そうとひとり奮闘するお春に神野が扮し、その亭主役に太川陽介が出演。そのほかにもおりも政夫、山田スミ子、曽我廼家寛太郎らが顔を揃える。

 昭和の名曲からオリジナルナンバーまでを歌うオンステージでは、もちろん夢の結晶でもある「千年の恋歌」なども披露してくれるはずである。公演は1月25日まで。





[神野美伽 オフィシャルサイト]
http://www.shinno-mika.com/
[神野美伽 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=13450






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花咲ゆき美(日本クラウン) 「港わかれ雪 / 諏訪湖・・・哀愁」 抑えて歌う哀しみが人気 目下、関西キャンペーン展開中 [インタビュー]

花咲ゆき美4.jpg◆デビュー10周年を迎えている日本クラウンの歌手、花咲ゆき美が、新曲「港わかれ雪 / 諏訪湖・・・哀愁」で、ますます哀愁感を増している。2007年、実母の人生をモチーフにして歌った「哀愁本線」でデビューしている。そのタイトル通りに哀愁を漂わせたそれは、その年の第40回日本有線大賞新人賞を受賞している。以来、女の切なく哀しい心情を表してきた。今作のメイン・カップリングの2曲では、その哀しさの表現は衣装の白色のドレスとともにヒートアップしている。


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 「歌い出しがビーンと張るところから始まります」と、花咲ゆき美が説明する新曲「港わかれ雪」は、ヤマ場の ♪ あゝやるせない 〜 では120パーセントの力を出せるように、作曲家岡千秋のアドバイス通りに歌う。その前の ♪ あなたでしょうか 〜 は、彼女の予想に反して、裏声と地声の間ぐらいに抑えている。
 それらによって「歌い終わった時には、歌った〜という達成感か感じられます」と彼女は話している。

 花咲はデビュー当初から、ステージでの自分の歌唱をスマートフォンで録音し続けている。それをその日のうちに聴くことで、出来栄えを確かめるためであるが「毎回、100パーセントの出来はなく、歌はまるで生き物のように感じさせられます」と、自分が納得するまで練習して完璧を目指す。

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 10年前、デビュー曲をレコーディングした際も、最初の録音で物足りないところがあるから、と録り直しを願い出た。結局、録音を2度行なっている。ふたつを聴いたレコード会社の判断は「軽い気持ちで歌った最初の歌が、より哀愁が出ている」と、1回目の録音が採用されたことがあった。

 このように彼女は「練習を重ねることで、逆に作り過ぎるようです」と笑う。この時の経験からも「気持ちを込めるのは大事ですが、込め過ぎると歌が伝わらなくなる」と、抑えることで逆に(哀しみの)表現を増幅出来ることを学んできた。
 今作の「港わかれ雪」では、歌い出しとサビの部分などの歌唱にそれが生かされている。

■赤より白

 花咲ゆき美のイメージカラーは、決して燃えるような赤ではなく、白・ブルー・ピンクだそうだ。それがより哀しさを引き立たせるからである。今作から花咲を担当している日本クラウンのディレクターはそのように指摘して、「港わかれ雪 / 諏訪湖・・・哀愁」の衣装も白色のドレスにと注文した。髪飾りのリボンにも白を基調に黒のラインが入る。

 ディレクターの勝手な個人的好みかと思ったが、彼女の東京・関東地区のファクラブへの聞き取りでも「ゆき美ちゃんのイメージカラーは白かピンク」といった結果が出ているから、あながち外れているとも言えないようである。

 そのファンクラブのクリスマス・忘年会が12月23日に東京・立川で開かれる。ここでファンの目を喜ばせることになるだろう、と期待されるのが、珍しい花咲の着物姿である。彼女はコンサートを除いて、ステージなどで着物を着ることは稀である。「去年、おばから10周年の祝いにプレゼントされているものに袖を通してみたい」と花咲。

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今年からレッスンを始めたベリーダンスのポーズを見せる花咲ゆき美

 また今年2月からベリーダンスを習い始めているが、今年10月、東京・日本橋三井ホールでの開いたコンサートで初披露している。身長156センチ、程よくくびれた肢体をくねらせた踊りは「評判は良かった」ようだ。
 今回のファクラブイベントでは、花咲にダンス指導する女性インストラクターによるサプライズ出演があるかもしれないという。

 ベリーダンスは哀愁感とは程遠いイメージだが、どちらも練習熱心な花咲ならではの表現の成果なのかもしれない。





[花咲ゆき美 オフィシャルサイト]
http://www.t-force1.com/
[花咲ゆき美 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/hanasaki/whats.html






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O2 原大輔・大下香奈(ホリデージャパン) 「キターラ・ネロ 〜 黒いギター 〜 」 大阪で12.11新曲発表ライブ [インタビュー]

O2 1.jpg◆ホリデージャパンの新ユニット、O2(オーツー)が2017年12月11日、大阪市浪速区のライブハウス、フラミンゴ・ジ・アルーシャで、11月22日にリリースした新曲「キターラ・ネロ・ 〜 黒いギター 〜 」の発売記念ライブを開く。低音の歌声で多くの人を魅了して1983年の日本有線大賞新人賞を「秋冬」で受賞した原大輔と、アナウンサー時代に身につけた高い表現力を歌に生かした歌唱が評判の大下香奈の2人による大人のユニット。共に名前に「大(O)」の文字があるのと、なくては生きられない「酸素(O2)」を意味するユニット名。ふたりは「なくてはならない歌を届けていきたい」と、この歌にかける想いを話している。


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 ラテンの情熱がほとばしるような曲調の「キターラ・ネロ 〜 黒いギター 〜 」。この楽曲に合わせてフラメンコダンスも習った、という大下香奈が自ら振付けを考えている。これに代表されるように、そのダンスも見ものであるプロモーションビデオ(PV)の制作でも、制作に携わった全員が情熱的だった。

 大下香奈は「撮影は半日をかけましたが、当日の朝までスタッフが小道具を買いに走ったり、レコード会社の社長は原さんが弾く黒いギターを、わざわざ買ってきてくれたり、皆さんの熱心さには頭が下がりました」と、振り返っている。

 その大下は前作「トワイライト横浜 / めぐり逢い」で、同じレコード会社の加門亮とデュエットしている。今回はお相手を原大輔に替えての作品である。
 ふたりは2017年4月から夏まで、テレビ番組「歌う!セールスマン」(歌謡ポップスチャンネル)で共演して、石川さゆりと琴風が歌った「東京めぐり愛」などをデュエットしたのが、新曲に繋がった。

O2 原大輔.jpgO2 大下香奈.jpg
O2(原大輔・大下香奈)のふたり

 ふたりの歌唱は決して演歌ではなく、リズム感も良かったことから、周りのスタッフの評価も高かった。それをきっかけにレコード会社も原と大下の新曲の制作に乗り出すことになった。楽曲のコンセプトも<大人による大人が楽しめる音楽>に決まった。
 原大輔は「皆さんの力のかけ方が尋常ではないことが感じられ、それが嬉しかった」と話しているし、大下はカッコいい大人の男女をモノクロームで表したフライヤー(チラシ)まで、自分の手で作ったほど。

 そのフライヤーをベースに作詞家の朝比奈京仔がイメージを膨らませ、黒をテーマに詞を書いた。PVでもその黒を、恋の駆け引きを表す炎の赤色で際立たせた。

■スパニッシュな風

 「時代の流れに身を寄せてアニメ主題歌、ロックなどと歌ってきた」という原だが、音楽への関わりは洋楽からだった。34年前に出したヒット曲「秋冬」にも洋楽のスパイスが入るなど「自分が奏でるのは洋楽です」と、こだわり続ける。
 そんな自らの音楽観と自然と融和したような「キターラ・ネロ・ 〜 黒いギター 〜 」に、原は「大変満足している」と話す。

 ターゲットは30〜40代の女性に置いている。スパニッシュな風が彼女たちに届くか。大いに楽しみである。
 12月11日、大阪で初めての新曲発表ライブ、会場のフラミンゴ・ジ・アルーシャにはふたりの魅惑的な声が響くことだろう。






[O2 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/kana-oshita/ (大下香奈)
[O2 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_ha5_hd.html
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_a8_ok.html







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瀬口侑希(日本クラウン) 「雪舞い岬」 前作を上回る評判 早くもヒットの兆しも カップリングには「霧にむせぶ夜」 [インタビュー]

瀬口侑希.jpg◆「ヒットする楽曲は決まって、歌っていて心地いいんです」日本クラウンの歌手、瀬口侑希はそのように話す。前作の「津軽の春」は去年(2016年)12月の発売だか、「遊び心のある歌詞とメロディー、アレンジがベストマッチして、とにかく歌い心地が良かった」(瀬口)こともあって、今なおCDの売行きは伸び続けている。2017年11月1日に出した「雪舞い岬」もまた、その歌い心地の良さから滑り出しは好調である。カップリング曲は「霧にむせぶ夜」で、10年前に一度レコーディングまで済ませてカバー収録する予定だったが、その時はお蔵入りしている。今回、新録音してようやく発売となった。








 ヒットする要素である心地良さの要素が備わっている。それが「雪舞い岬」なのだという。CD発売直後のチャートで1位、3位と上位にランキングされたのが、それを裏付けている。数多くのヒット曲を手がけている作曲家鈴木淳による作品であることも、瀬口を力づける。

 「ドラマチックな作品に、とお願いしていた今作を歌うに際して、久しぶりにお会いした鈴木先生の事務所に何度も伺って、門下生になった気分でレッスンを受けました」

 歌の舞台は凍える北海道・宗谷。1番から3番までの最後 ♪ 雪が舞う 〜 は、瀬口自身にとっても「歌っていて気持ちの良いところ」で、最大に歌が盛り上がっていく。

 ドラマチックさに華を添えるのが、瀬口が着る衣装の着物。
 前々作の「八尾しぐれ」から衣装を着物に替えている。ドレス姿の瀬口から着物姿がすっかり定着してきた。デビュー17年、ビジュアル面でも演歌歌手の定番とも言える姿に。「最初はドキドキでしたが、今は着付け時間も30分もかかりませんよ」(瀬口)。

■中高年に人気の「霧にむせぶ夜」

 ところで鈴木淳と言えば、今作のカップリング曲「霧にむせぶ夜」も彼が書いた作品で、黒木憲が1968(昭和43)年に歌って、累計で130万枚を売上げたヒット曲。
 実はこの楽曲は10年前に1度、瀬口によってカバーリリースが予定されていた。2006年に村上幸子の「不如帰」をカバーしてヒットしたことから、それを受けてのものだった。レコーディングまで済ませたが、急きょ別の作品に差し替えられている。

瀬口侑希・雪舞い岬.jpg 瀬口が生まれる前の楽曲だが、彼女にとっては忘れられない思い出がある。
 「父は黒木さんに似ていたことが自慢だった、と聞いています。そんなこともあったのでしょう、『霧にむせぶ夜』のレコードを買ってきて、得意げに歌っていたそうです」

 ヒットから49年経った今、それを彼女が歌う。
「父はわたしがデビューした2000年に59歳で亡くなりましたが、これを歌うことを喜んでもらえると思えて嬉しいです」
 「霧にむせぶ夜」の収録が決まって瀬口は、父親の霊前に歌える喜びを報告している。


 販売枚数が5万枚以上を超えたと言われる「不如帰」。前作の「津軽の春」はそれに並ぶほどに多くのファンから支持を受けた。瀬口の代表曲のひとつになるものと思われる。それに続く今作も発売直後から好調で、1年近く歌ってきた「津軽の春」を上回る可能性も大きい。2020年のデビュー20周年に向けて力が入る。


 12月13日にはアルバム「瀬口侑希 プレミアムベスト」を出す。「津軽の春」「不如帰」など全13曲が収録される。これにはまた「淋代(さびしろ)海岸」「波止場のれん」「海峡わかれ雨」といった新録曲3曲も収録される。価格は2700円(税込み)。





[瀬口侑希 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/seguchi/wn.html
[瀬口侑希 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/seguchi/whats.html






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「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業 [インタビュー]

◆中学生の渡辺要(日本クラウン)はとにかく早く家を出て働きたかった。名古屋のミシン工場に職を得たのもそのためだったが、長続きはしなかった。四国へ戻った彼は実家へは帰らずに、見つけた働き先は坂出市にあった蒲団店だった。住み込みであった。ところがここでも彼は我慢できなかった。
 「親方に使われるのはいいが、仕事が終わると使いっ走りや、店の子供を肩車をして商店街を歩かされたりして面倒をみせられる。それが嫌で堪らなかった」
 いつしか「こんなことをしていたら、あかん」と思うようになっていた。

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寿司屋を開業した当時の渡辺要と亡き母とのツーショット

 店の近くには何店舗かの商店が並んでいたが、その中に1店の寿司屋があった。次郎長寿司というその店の板前がさらしを締めた上に法被を羽織り、頭にははち巻をした威勢良く出前をする姿が、渡辺の目にもしばしば入っていた。
 「颯爽と歩くその姿が格好いいんですよ」
 見るほどに寿司屋への憧れが増す彼は、ある日、想いを募らせてその寿司屋を訪ねた。
 「なんや、僕」
 突然やって来た子供の来店に少々いぶかり顔の大将に、渡辺は「寿司屋になりたいんや」と答えると、意外にもすんなりと「働きに来い」と承諾してくれた。

 念願かなって寿司屋で働き始めた渡辺は「いっぺん旅に出てこい」と、大阪・法善寺横丁の寿司店・すし半へ修業に出された。
 香川の田舎と違って大阪のミナミは賑やかで刺激的だった。彼の心をわくわくさせ、いっぺんに舞い上がらせてしまった。
 「天にも昇る気分で、何やら自分がエリートになったようにも思えてきました」
 と言っても観光客ではなく、修業の身である。毎日、朝早くに起きて店に出て、親方の包丁を研いで、朴の木で出来た高下駄を石粉で磨く。

 刃はピカピカに、柄も真っ白に磨き終わると、まな板に布巾を敷いて、その上に並べると、今度は板前全員が板場の隅に並んで、親方を迎えるのである。少しでも磨き漏れがあると、大目玉をくらう。
 ある日「誰や、これを磨いたんは」と親方が語気を荒げた。親方に気に入られていたことを知っている同僚は、渡辺を突いて身代わりを強要する。
 仕方なく「はい、僕です」と名乗り出ると親方は「ちゃんと磨いとけ」と言っただけで事は収まった。

 「親方はすべて分かっていたんですんね」

渡辺要・ファンに囲まれて.jpg
昔も今も渡辺要の周囲はファンでいっぱい

 渡辺はいつもどうしたら相手が喜ぶか、をいつも考えていたという。
 「要領がいいと言うか、顔色ばかり伺っていました。しかも動作も機敏でした」
 板前もうだつが上がらない者は巻き寿司ばかりを担当させれたし、テイクアウトのみやげ物係といった具合なのである。
 彼は早くから客の前で寿司を握っていた。それも声が人一倍大きくて、威勢が良かったからで、その前にはいつも客が座っていた。

 「いらっしゃいと大きな声で客を迎え、客を喜ばせる。寿司を美味しく感じさせるために、手際よくご飯とネタを取って、それを頭の上でさっと握っていました」

 さばきが早く、見せる寿司屋を演じていたそれは、客を退屈させないパフォーマンスはすぐに評判となった。
 1人の若い女性が店にやって来たのは、そんな時だった。後に妻となる千恵子であった。


【渡辺要物語 歌は心の港 プロローグ】
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23

[渡辺要 オフィシャルサイト]
http://www.kaname8739.com/index.html







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