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蒼彦太 (徳間ジャパンコミュニケーションズ)  「樹(き)」  自然の中で生きる樹木を人生に重ねて歌う  デビュー5枚目シングル [インタビュー]

◆ひこたんの愛称で親しまれている徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、蒼彦太が、デビュー6年目にして初めて王道演歌に挑んでいる。2017年1月11日に出た「樹」(作詞・久仁京介、作曲・宮下健治)がそれである。厳しい自然の中で生きる樹木を、人生に重ねて歌う。人の温かさを伝えられる歌い手を目指し「30歳までには紅白に出て、応援してくれている人たちに喜んでもらいたい」と、夢は大きくふくらむ。その第1歩が新曲の「樹」をヒットさせることである。


蒼彦太.jpg








蒼彦太・樹.jpg










 まだ28歳だというのだが、蒼は「僕がこれまで生きてきた道と重ねて、自信をもらえる歌です。スケールが大きい歌詞の1行1行に励まされ、共感させられます」と、詞を自らの身に映して歌っている。
 その想いを蒼と共有出来るのだろうか、キャンペーン先でも「いいねぇ~」とか「いい歌をもらったんだから、頑張らないとね」などといった声が、ファンの間から聞こえてくる。今までの楽曲以上に今作では共感して聴いてくれる人も多いようである。

 「聴いてくれる人に幸せな気持ちを持ってもらい 、共感してもらって、涙してくれるような歌を歌っていきたい」
と蒼は考え続けている。

 「樹」を歌う蒼の表情は、前作までのそれとは違って力強い。
 「この楽曲で男らしい蒼の姿を出したかった」という担当ディレクターの想いが反映されているかのようである。蒼も「男らしいメロディーと詞ですから、自然と男っぽくなってしまいますね」と話す表情は真剣である。

 蒼はこの歌を「義理と人情」の世界でイメージして表現したという。
 「人生は人と人の支え合いで出来ていますから 、そこには優しさや温かさが求められます。他人への感謝の気持ちが大切ですね」
 彼にとって男らしさとは「義理と人情」の世界であるようだ。歌詞の1つひとつにそれを感じているようだ。

 ♪ 幹を持て ~ と拳を握りしめて、力強く歌い上げる。「歌い甲斐がありますね」と蒼は、さらに高音で始まる歌い始めを「歌を楽しめるところですね」とも。

■生涯歌いたい「樹」

 2011年のデビュー曲は「カラオケ流し」だった。北海道を舞台にカラオケで流しをしながら旅する男を描いた楽曲で、1983年発表の作品のカバー曲であった。第2弾はそれの続編のような「カラオケ情け」、そして第3弾は東京駅八重洲口の酒場で繰り広げられるドラマを描いたヒューマン演歌「八重洲の酒場」。前作の「ねずみ小僧」は、一転して時代劇(芝居)の世界を歌い、盗人装束で演じた。

 そして本格的な王道演歌の今作。新人歌手を鍛える道のりのようでもあり、新曲「樹」とも重なって見えてくる。

 「聴く人たちの心を動かし、心に触れるような歌を歌っていきたい」
 そんな歌が歌える日を夢見る蒼だが、「まだまだ勉強の毎日です」と先は長い。と言うものの、30歳までに紅白に出場する大目標を立てるのは、蒼らしい強気の性格なのだろう。
 蒼は「『樹』は、一生かけて歌っていきたい歌です。歌のスケールも少しずつ大きくしていきたいです」と、自らの代表曲へと意欲を燃やしている。




[蒼彦太 オフィシャルサイト]
http://aoi-hicota.com/
[蒼彦太 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_hikota.html




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大城バネサ(ビクターエンタテインメント) ミニアルバム「沖縄のかほり」 世界へ伝えたい沖縄の歌 祖父母たちの望郷の想いを歌う [インタビュー]

◆ビクターエンタテインメントの歌手、大城バネサ。アルゼンチン生れで日系アルゼンチン2世である。縁があって岐阜県に住むが、祖父母が沖縄県出身ということもあって、子どもの頃から沖縄の民謡に親しみ、3年前からは美ら島(ちゅらしま)沖縄大使を務める。2017年3月1日には、自ら作曲したオリジナル新曲「今帰仁(なきじん)の春」を含む沖縄の楽曲ばかりを集めたミニアルバム「沖縄のかほり」を出している。

大城バネサ・小.jpg

 移民した沖縄県出身者と県系人は世界各地に散らばっている。アルゼンチンに住む大城バネサの祖父母もまた、沖縄県中部の人口が1万人にも満たない小さな今帰仁村で生まれている。
 2016年10月、沖縄県内各地で開かれた、5年に1度の「世界のウチナーンチュ大会」に、89歳になる祖母(おばあ)が36時間をかけてアルゼンチンから沖縄までやって来た。
 大城は、1万6千人が集まったそのメイン会場の沖縄セルラースタジアム那覇でのグランドフィナーレのオープニングで「三線(さんしん)のかほり」を歌っている。

大城バネサ・沖縄のかほり.jpg 夢と希望を抱いて移住したアルゼンチンのブエノスアイレスでの現実は、苦労ばかりの生活だったという。 唯一心の支えになったのが三線の音色に合わせての沖縄の歌と踊りだった。「三線のかほり」は、そんな祖父母たちが体験した実話を元に書かれた青山るみの詞に、大城が曲を書いた。
 「そこで私が歌うと知ったおばあは、1万8千キロを旅して沖縄までやって来てくれて、歌を聴いてくれました。おばあはまた、何十年ぶりに同級生や親戚の人たちにも会って、絆を確かめ合っていました」



 アルバム「沖縄のかほり」には、大観衆を前にフル歌唱した「三線のかほり」のほか、祖母が生まれた今帰仁村での親友と お想い出などをモチーフに書かれた「今帰仁の春」など沖縄を歌った7曲と、スペイン語で歌うアルゼンチンの反戦歌「神にのみ頼む」もボーナストラックとして収録している。

 シングルリリースもされている「逢いたい島」は、沖縄の自然や人の素晴らしさが、聴く人誰もが共感する話題の楽曲で、評判の収録曲もひとつである。

■沖縄の風を歌う

 アルゼンチン生れの大城だが、家の中は三線と歌に踊り、自家製のゴーヤなどを使った沖縄料理といった具合に、いつも<沖縄>であふれていた。会話は「沖縄の言葉とスペイン語がチャンプルだった」(大城)というが、来日した2001年には大城はスペイン語しか話せなかった。
 デビューは2003年8月。NHKのど自慢チャンピオン大会にアルゼンチン代表で出場してグランドチャンピオンを射止めたのがきっかけだった。デビュー曲はEMIミュージック・ジャパンから出した「鷗も飛ばない海だよ」。15年年にはビクターに移籍している。

 去年9月には、ブラジル・サンパウロで地上デジタル放送が始まって10年になるのを記念したイベントに参加した。ここまで来たのなら「アルゼンチンまで足を伸ばして、日系の人たちに聴いてもらいたい」と、ブエノスアイレスでコンサートを開いている。
 もちろん「沖縄の風を感じてもらいたい」と、たっぷりと沖縄の歌を歌った。

 ナンクルナイサーの言葉通りに 沖縄はおおらかな風土。そのDNAとアルゼンチンの情熱っぽさを持つ大城は今、「1人でも多くの人たちに歌を聴いてもらいたい」と、きめ細かく全国各地へ出かけて歌い続けている。



[大城バネサ オフィシャルサイト]
http://vane-music.com/
[大城バネサ ビクターエンタテインメント]
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A025045.html




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三代沙也可(キングレコード)  「江ノ島絶唱」  湘南3部作+ワンで10万枚目指す  新たな気持ちで歌う湘南 [インタビュー]

◆キングレコードの歌手、三代沙也可が2017年2月8日に、24枚目のシングル「江ノ島絶唱」を出した。前作の「逗子の恋港」(16年)で完結したはずの湘南3部作だったが、今作ではなんと、シリーズ第1作の「江ノ島ひとり」(14年)の舞台、江ノ島に戻ってしまった。「新たな気持ちで大好きな湘南・江ノ島を歌っていきます」と三代は、ここまで歌えば「湘南エリアの歌なら三代」と呼ばれるまでこだわりたいようすだ。

三代沙也可・小.jpg


 かつてあの人と過ごした江ノ島は、終わったはずの恋なのに、江ノ島の街を歩くと見るものすべてが、あの日のまま・・・でも、新たな恋と出逢えるかもしれない。
 まるで「江ノ島絶唱」が、三代沙也可の新たなシリーズの始まりを暗示しているかのような歌である。

 湘南3部作の累計で販売したCDは10万枚に達しようとしている。今は1万枚を売るにも大変な時代である。CDを買わずに、スマートフォンで歌を聴いたり、それを覚える人が多いからだ。それだけに「江ノ島絶唱」で、早々に10万枚突破を達成させたいところである。

■キャンペーンの楽しみは玉子サンド

三代沙也可・江ノ島絶唱.jpg 三代は1年の多くを、自宅を出て地方でのキャンペーンで過ごす。期間中はマスコミによる取材もあるが、カラオケ喫茶店で歌うのがメインである。その数は多い時で年間200ヶ所にもなる。それだから自然と旅慣れてくる。必須の持ち物であるスーツケースは、行き先のホテルに宅配便で送り、身の回り品だけの身軽なスタイルで移動するのが最近の常となっている。

 「旅のお供は玉子サンドです。厚い大きな玉子焼きが、そのまま挟んであるんですよ。かつては空弁として空港でしか買えませんでしたが、 今はJRでも買えるようになりましたので、これとサラダを必ず購入します。列車での楽しみですね」

 訪ねるカラオケ喫茶店は田舎も多い。一緒に歌ったり写真を撮ったり、持って帰れと土産ももらう。「数少ないこうしたイベントに喜んでもらっているようです」と 三代。
 訪ねた先には新曲が出る度にサイン入りのポスターを送っているという。その数は1500枚にもなるが 、廃業のためだろう「宛名不明」で返送されてくるものも 、このところ増えてきているそうだ。

 キャンペーンでは新曲をアピールが一番の目的だが 、歌うのは決して新しいものばかりではない。2002年の「酒がたり」や2011年の「夢蕾」、そして「江ノ島ひとり」のカップリング曲「水色のハンカチ」などの楽曲も歌う。
 「この3曲を歌うと、必ずアルバムが売れるんですよ」(三代)と、人気が高いようである。

 こうした現場でのニーズを新たに出るアルバムの楽曲構成に反映させているという。

■キャンペーンひとり旅

三代沙也可・ベストセレクション.jpg 「江ノ島絶唱」のカップリング曲は「愛は永遠に・・・」
 「ファンの人たちには、これが好きな人も多いのですが、私にとっては苦手なジャンルの歌かな。レコーディングの時には、秋元順子さんならどのように歌うかな、と考えながら歌いました」
 確かに秋元順子を想わせるような楽曲だが、それを三代節に昇華させて歌っているところは
ささすが26年のキャリア、と言わざるを得ない。



 キャンペーンは途中、中国地方でのスケジュールを挟んで、関西での予定がしばらく続く。三代沙也可「江ノ島絶唱」の<がんばりキャンペーンひとり旅>は、まだ始まったばかりなのである。




[三代沙也可 オフィシャルサイト]
http://www.mishirosayaka.com/
[三代沙也可 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10053




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夏木綾子(キングレコード)  デビュー25周年  大阪で育まれた演歌歌手への道  記念曲「雪舞い桜」 [インタビュー]

夏木綾子2小.jpg◆デビュー25年を迎えているキングレコードの歌手、夏木綾子を育てた大阪の街。デビュー曲「浪花の母」はそのタイトルの通り、大阪を舞台に歌手夏木の原点を歌っている。それ以降も大阪を歌った楽曲は4曲ある。大阪は夏木の中で忘れられない街として生き続けている。子供の頃に住んだ通天閣のある新世界など、大阪では20年の時を過ごしている。そんな想いを込めて2017年3月8日に出したデビュー25周年記念曲「雪舞い桜」のカップリングには、浪曲を挿入した「浪花の母 ~ 25周年バージョン ~ 」を収録した。


夏木綾子・雪舞い桜.jpg









 デビュー25周年記念で34枚目のシングル「雪舞い桜」。25周年を飾る記念曲に相応しい美しいタイトルである。
 夏木綾子はこの楽曲を最初に手にした時の印象を「まるで1枚の美しい風景画を見ているような気持ちになりました。伴奏の琴の音が、恋に落ちていくひとりの女性の心のうちをドラマチックに表現しており、ドラマのストーリーと映像が自然と浮かんできました」と述懐している。

 この楽曲を「歌いごたえがある歌」だという夏木が、最後の ♪ 雪舞い桜 〜 と歌って感情をぐっと高ていくのを見ていると、本人がまるで主人公に成りきって歌の世界へと入り込んでいるようでもある。

夏木綾子4.jpg

 夏木の歌には「雪」「花」「雨」「海峡」などと、いくつかのキーワードがある。女唄だけでなく、男唄も歌っている。
 「バラードもサンバにも挑戦しましたよ。今回、カップリングの『浪花の母 -- 』には、25周年バージョンということで浪曲も入れました」

 「何か新しいことにチャレンジするのが楽しみなの」と、挑戦欲の旺盛な夏木は今、ステージで自分が歌う演歌に合わせてバイオリンを弾いてみたい、と新たな取り組みに意欲を燃やす。

■福岡生まれの浪花っ娘

 20歳を前にして夏木綾子は生まれた福岡へ母親と一緒に戻っている。それまで大阪で飲食店を営んでいた母親が、体調を崩したためであった。
 歌手への第一歩は、川中美幸の「越前岬」(岸本健介作曲)が大好きだった母親の知人に紹介してもらった、作曲家の岸本健介氏との出会いだった。歌手になりたいと願っていた夏木は母が亡くなってから、岸本氏を頼って上京することになる。

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岸本健介氏(左)と夏木綾子

 ところが夏木は「弟子は取らない」と、岸本氏から断られているのだが、作詞家の田村和男氏が仲介して弟子入りが実現している。

 大阪時代は小さな小料理屋を営んでいた母親は天王寺、新世界、道頓堀などと20年近くの間に場所を転々と変えて、ひとりで夏木を育てた。
 店か新世界の大衆演劇の劇場の近くにあった頃、店の掃除にやってきていた女性は、掃除を素早く終えると、幼い夏木を散歩に連れていくと言って、劇場で芝居を見ていた。もちろん夏木は女性に連れられて、毎日、大衆演劇を見ていたのである。

 このことを母親は知っていたのかは分からないが、母親の夢だった娘を歌い手にすることに、劇場の舞台で繰り広げられる歌と踊りを見たこの時の体験は、今から思えば少しは役立っているのかもしれない。

■ゆったりと歌っていきたい

 母親の夢を夏木が叶えるのは、母の死後になってしまったが、見事に果たした。ところが好きな歌は歌えるが、それは決して華やかなものではなかった。デビュー当時は岸本氏がギターを弾いて、夏木が歌うといった2人3脚のキャンペーンを続けてレコードを売って歩いた。
 「先生が組んだ行程に合わせて行くのですが、列車やクルマを使って九州から石川県まで歌ったこともありました」

 自分のレコードをかけてもらいたい一心で、全国に700ヶ所近くあったという有線放送の送信所にも出かけている。

 こうしてデビューしてからは脇目も振らずに「必死で突進してきた」という夏木、これからは「焦らずに、少しゆったりとした気持ちで歌っていきたい。頂いた歌をいろんな角度から勉強して、深く理解していくこともしてみたい」と話している。




[夏木綾子 オフィシャルサイト]
http://natsukiayako.net/
[夏木綾子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10421




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木下結子(日本クラウン)   「マリーゴールドの恋」 4月5日発売  クラウン移籍5枚目の大人の恋の歌 [インタビュー]

木下結子.jpg「放されて」「ノラ」のオリジナル歌手として知られる実力派歌手、木下結子が2017年4月5日、新曲「マリーゴールドの恋」を出す。作詞は高畠じゅん子、作曲は今人気急上昇中のシンガーソングライターの小田純平、編曲は矢田部正。日本クラウンへ移籍して5枚目のシングルになる。大人の女性の恋を歌った、シャンソンを想わせる歌謡曲である。彼女の実力ぶりを存分に発揮しており、愛に揺れる女性の魅力を巧みに表現している。










 大人の女性をどう表現するかが「マリーゴールドの恋」を歌う課題だった、と木下結子は語っている。前作の「愛は海」もそうだったが、大人の女性の色気を出せるのだろうか、歌えるのだろうか、彼女は不安でいっぱいだった。作詞をした高畠じゅん子に、そう問いかけている。
 すると高畠は「これくらい歌えないとダメよ」と、言い捨てた。

 その課題に挑むには、1番にある ♪ 好きよ好き すべてが好きよ ~ の表現が重要だと考えた木下は、ひとりカラオケボックスにこもって、決してやらしくならない ♪ 好きよ ~ の歌唱を繰り返し試した。
 この時、28歳で歌った「ノラ」でも、同じ ♪ 好きよ好きよ・・・好き ~ といった歌詞の繰り返しがあったことを思い出す。

■控え目な色気

木下結子・マリーゴールドの恋.jpg 当時、日本コロムビアで木下のディレクターををしていた中村一好が彼女の歌唱を「それはやらしすぎるよ」と、何度もダメ出しをしたのである。中村は都はるみを育てた名物ディレクターであった。その彼が「控え目な言葉に色気を感じるんだよ」と、木下に女の魅力をたたき込んだ。
 それから30年たった。「今は十分に理解できる歳」になったが、再び同じ局面に立たされるとは思いもしなかったようである。

 木下は、その中村から「プロである以上、素人に簡単に歌えるようなものは作らない」と聞かされて、歌手として育てられてきた。その影響なのか、彼女が歌う歌はデビュー曲の「放されて」も「ノラ」も、その多くが一般の人たちからは「歌うのが難しい」と言われる。
 「マリーゴールドの恋」も同じように感じる人もいる。だが、木下は「決して難しいメロディーではありません。カラオケ大会などで賞をねらうには、如何に感情を表現するかがモノを言います」と話している。

 カップリング曲は「とんかつ赤のれん」。やはり高畑の作詞。作曲は神野悠斗。これもシャンソンの香りがする楽曲で、とんかつ屋と赤のれんという、ちょっと異次元な雰囲気の世界で、語るように歌うノスタルジックな作品である。

■大人の女性を歌う

 木下は2012年8月に高畠が詞を書き、浜圭介が作曲した「ウヰスキー」で日本クラウンに移籍している。今作の「マリーゴールドの恋」まで、すべて高畠が詞を手がけている。
 歌い手を探している高畠と、木下が東京で知人を介して最初に会ったのは10年前だった。話はすぐには進展しなかったが、5年たったある日、高畠は木下に「まだメジャーでやるだけの気持ちは持っていますか」と訊ねてきた。もちろんまだやる気十分で歌い続けている木下は「財産もなにもない自分ですが、やる気だけはあります」と答えて、復活第1作の「ウヰスキー」へとつながっていく。

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月例の「うさなろライブ」で歌う木下結子

 大阪で埋もれていた木下結子に再び光を当てた高畠は、「ラブユー東京」「足手まとい」「夜の銀狐」など数々のムード歌謡曲のヒット曲を世に送り出した作曲家中川博之の妻で、作詞家である。
 木下は「再びメジャーの世界へ呼び戻してくださった高畠先生の陰には、中川先生の尽力があったと思っています」と頭を下げる。2016年9月25日、大阪市浪速区のライブレストラン、フラミンゴ・ジ・アルーシャで開かれた中川博之の3回忌記念 チャリティーライブでは受付を買って出たほどである。

■9年続ける「うさなろライブ」

 「放されて」でデビューしてから木下の歌手生活は33年になる。東京での活動期間はわずか9年であったが、その後は地元大阪に拠点を移して歌い続けている。2008年から毎月1回、大阪・あべののカフェバー・うさなろで続けているプライベートライブ「うさなろライブ」は、毎回、満員の賑わいである。
 来場者からのリクエストに応えたり、普段はあまり歌うことはない楽曲も披露するなど、ファンには堪らないひと時のようである。

 どんなイベントでも緊張感を持ち、決して手は抜かない-。デビュー当初に教え込まれた歌い手としてのマナーだという。30年を超えても歌い続けられるのも、今もその心を忘れないで持ち続けているからであるようだ。




[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/
[木下結子 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kinoshita/whats.html





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清水博正(テイチクエンタテインメント) 自らを歌う応援歌「人生一番」 デビュー10周年記念曲 目指すは人生の晴れ舞台 [インタビュー]

清水博正.jpg◆「あれから10年経って、今は26歳のお兄さんになりました」。高校2年の17歳で「雨恋々」を歌ってデビューしたテイチクエンタテインメントの歌手、清水博正がデビュー10年を迎えている。それを記念して出したのが12枚目(デュエットを含む)のシングル「人生一番」である。その歌にあるように、彼は選んだ演歌歌手の道を歩み続け、連日、花舞台で真剣勝負に挑む。


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 10周年記念曲「人生一番」は、にっこりと笑える日を目指す演歌歌手、清水博正が進む歌人生を恩師で作詞家のたかたかしと作曲家の弦哲也が書いたものである。
 「あっという間の10年ですが、その中にも色んなことがありました。このまま歌い手を続けていていいのかな、マッサージ・鍼灸師の資格を取ろうか、カラオケ教室を開こうかなど、他の仕事に就いた方がいいのかな、なんても悩み考えた時期がありました」

 それは2011年の東北大震災の年だった。世の中は自粛ムードで歌謡イベントはキャンセルされるし、新曲も出せない。自宅周辺では計画停電もあったし、彼はエレベーターに閉じ込められてしまうといったハプニングを経験するほどだった。

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 そんな時に有線放送で自分の歌が流れているのを聴いた彼は「応援してくれている人がいることに心強く感じた」という。
 こうした経験をしているからこそ、「人生一番」は自分への応援歌としても感じるし、ファンも「これこそ博(ひろ)君の歌や。しかも歌いやすいよね」と後押しをしてくれる。
 中でも清水は3番のここが好きだという。「 ♪ 行くぞ、見ていろ 晴れてにっこり 笑える日まで ~ の歌詞が、自分のことをそのまま表現しているようです。この歌は楽しんで歌っています。歌い終わった時の充実感が大きいですね」

 カップリングの「小窓の女」は、それと打って変わって、清水にとっては「大人びた年上の女性」を表現した歌である。「すべて想像で歌っています。女性の気持ちなんて分かりませんしね。それを歌うなんて、恥ずかしかったです」と話す清水は真顔である。
 しかもこうしたブルース調の歌謡曲は苦手なのである。レコーディングも「メイン曲の倍ぐらいの時間がかかりました」という。でも「新しい引き出しが出来たみたいで、また同じような楽曲も歌ってみたいです」と、早くも次への意欲も見せるほど。

■半生記を出版

 清水は高校時代からおじいちゃん、おばあちゃんといったかなり年配の人たちに混じって歌ってきた。彼の祖母も90歳になるが「キングレコードの歌手、鏡五郎さんが大好きで『漁火の宿』など〈宿シリーズ〉を良く歌っています」というほど。そんな歌を知らず知らずのうちに耳にしてきたのが、自分のノドを鍛えることにつながっていったようだ。

清水博正.jpg

 以前から続けている施設への慰問は、恐らく彼のライフワークにもなるだろう。そんな慰問活動を10周年を機にもっと増やしたいという。「慰問はもっと行きたいです。そこでみんなが一緒になって歌って楽しめる、三波春夫さんの『チャンチキおけさ』のような音頭ものの歌を僕にも欲しいですね」
 そうした地道な活動をする一方で、もっと清水博正の名前を知ってもらえるようになりたいと願う想いは強い。そのためにも「これからも全国各地で歌い続けて行きます」とも。

 4月9日には地元、群馬県渋川市の市民会館で10周年記念コンサートを開く。午後2時開演で「夜は近くの伊香保温泉でお湯につかってもらえば息抜きになります」と、来場を呼びかける。
 同じ日、清水は初の著書を出す。自らの半生を書いた「目が見えない演歌歌手」である。この本で彼は「人生にはいろいろあるけれど、負けちゃダメ」と訴えている。歌手として歩んできた10年でつかんだ言葉である。



[清水博正 ミュージック]
http://teichiku-music.co.jp/artist/shimizu/
[清水博正 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/shimizu/





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鏡五郎(キングレコード)  「おまえの涙」 51年目のデビュー曲 これが鏡五郎だ  多くが共感できる歌 [インタビュー]

◆51年目の新人歌手です。その<デビュー曲>でもある「おまえの涙」を誰もが知ってくれている歌にしたいーと、元気よくあいさつをしてくれたのは、今年6月で73歳になるキングレコードの歌手、鏡五郎。昨年、50周年記念ディナーショー・リサイタルを開き、今年は心機一転、1年生のつもりで歌う。新曲は「共感の持ってる歌」(鏡)とあって、オリコン初登場4位と出足好調で、ねらい通りにヒットの予感もするという。

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 これが鏡五郎だ!
 そんな歌を1曲でも残したい。50年歌い続けてきて鏡は今、熱くそう思う。キングレコードに入った1985(昭和60)年からでも、64枚のシングルを出している。その楽曲も、威勢のいい男歌からしっとりとした女歌、さらには忠臣蔵のような時代もの、民謡もデュエットもある。通信カラオケには100曲以上が配信され、本人映像も30曲を超える。残された課題は歌手、鏡五郎の名前を後世に留めることである。
 そうした金字塔を打ち立てることは、紅白に出場する以上に名誉あることだと自認するほどである。

鏡五郎・おまえの涙.jpg 2017年2月に出した新曲「おまえの涙」は、まさにそれに一歩近づいた、とも感じさせるほどに多くの人に「これこそ鏡演歌」と、たくさんの人たちが共感を持ってカラオケで歌う。
 その「おまえの涙」。作詞は仁井谷俊也、作曲は山崎剛昭、編曲は南郷達也である。「今までの楽曲とは違って、誰でもが歌いやすいものを」という鏡の注文で出来あがった。



 ゆったりと流れる優しい歌詞とメロディーは、確かに従来の鏡五郎のイメージとは違い、少し物足りなさを感じる人もいるかもしれない。
 「前作の『宇奈月の雨』、そのひとつ前の『花火師かたぎ』などと、このところ難しい歌が続いていましたから、カラオケで歌ってもらうのも大変だったかもしれません」
 それ以上にこの歌、とりわけ男性が共感を持って聴いているようだ。コンサートでも女性の鏡ファンに混じって、男性が列をなしてCDを買っていく姿が多く見られる。
 鏡は「人肌を感じる歌が一番自分の気性に合っているようで、肩の力を抜いて歌えます。若い頃には難しかった笑顔で歌うことも、今は自然と笑って歌うことが出来るようになりました」と笑ってみせるのである。

 4月5日には、そんな集大成の2枚組アルバム「鏡五郎 ベストセレクション2017」も出す。「おしどり人生」(1989年=平成1年)から「おまえの涙」まで26曲を収録している。

■若い頃と変わらない声

鏡五郎・ベストセレクション2017.jpg 左手にマイクを持つ、歌う鏡のスタイルは、右足に重心を置いて<前かがみ(鏡)五郎>の異名の通りに前へ身を乗り出す。この際、決して身体の中心が振れることはない。「身体がぶれると歌えなくなる」(鏡)ためである。しかもステージを動き回る。
 これには頑強な足腰が必要である。それが「若い頃と変わりなく出ている」という声を作っている。その秘訣は何であろう。

 鏡は東京都内の閑静な住宅街に持つ自宅の地下室は、40~50人は収容できるという広さ。照明設備も整っており、普段は貸しスタジオとして利用しているが、空いている時には鏡はいつも歌の練習をしている。「ここで歌い込んで身体にしみ込ませています。練習の間は15段の階段を昇ったり降りたりで、これが結構身体を鍛えてくれるんです」
 というものの、カップリング曲「俺は浪花の暴れん坊」の歌詞に ♪ 酒と女が 可愛ゆてならぬ ~ とあるように、案外とそれが鏡の元気の一番の秘訣なのかねしれない。

 この自宅は亡妻と一緒に計画を立てて、15年前に建てた。1階は息女が営む喫茶店で、土曜、日曜日にはライブを開いている。鏡は「若い頃にはいろんな場所でキャンペーンもしましたが、演歌は大きな会場で歌うものだという意識があって、ここでは一度も歌ったことはないんです」と、目を細めている。





[鏡五郎 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10398




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松原のぶえ(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  プレ40周年記念曲「十勝厳冬」  松原の真骨頂 ひしひし伝わる切なさ [インタビュー]

松原のぶえ.jpg◆ 2018年7月に歌手生活40周年を迎える徳間ジャパンコミュニケーションズの松原のぶえは、1979(昭和54)年のデビュー以来、今までに67枚のシングルを出している。この中で記者の印象に残っているのは「離愁・・・秋から冬へ」(1991年=平成3年)である。もう26年も昔の歌になる。歌の舞台となった京都・丹後の冬は、晴れているかと思うとまた雪になる暗くてうっとうしい。日本海側特有の裏にしと呼ばれる天候は、哀しさを表す重要なファクターなのである。箸が転がっても笑うような明るい性格の松原なのだが、不思議とこんな楽曲が良く似合う。2017年2月22日に出した「十勝厳冬」もまた、♪ 一夜でやつれる 別れのつらさ ~ 哀しみからは 逃げられません ~ と、全編哀愁感が漂っている。







 「私の好きな世界観の歌なんです」。
 松原のぶえは新曲「十勝厳冬」をこのようにいう。初めて歌う幸田りえの詞、「涙の海峡」(1986年)以来、31年ぶりという徳久広司作曲による楽曲である。歌詞は切ない女心の叫びを表現する内容である。
 「諦めきれない女性の想いが、徳久先生が書く独特の世界観によって、重くならず軽くもなく、しかも詞の世界に入りやすくて表現しやすい。歌い甲斐のある作品ですね」と松原。

 「十勝厳冬」まで67曲はすべて歌の顔が違っているという。その都度「歌の引き出しが増えるようで、ワクワクしています。今作は1番好きな歌の引き出しに入る1曲です」

■「哀愁かもめ」がトラウマ !?

松原のぶえ・十勝厳冬.jpg 松原が哀愁感漂う暗いイメージの楽曲が得意とするようになったのは、デビュー間もない頃の出来事によるトラウマが原因である。
 明るい性格の松原にディレクターは今も「地のままで歌えばいいんだよ」というが、本人にとってはそれが難しいらしい。
 「惚れとったんや」(2001年)「春待ちさくら草」(2006年)「面影橋」(2015年)など、彼女にも明るい曲調の楽曲はあるが「どのように表現していいのか、頭を悩ませてしまう」ほどでに、その度、苦手意識が持ち上がってくる。

 それはデビュー5作目の「哀愁かもめ」だった。
 吉岡治が作詞し、作曲は市川昭介であったが、吉岡から「のぶえ、もっと明るく歌って、と言われたんです。自分では明るく歌っているつもりだったんですが、OKをもらえるまでにかなり時間がかかりました」
 後に吉岡は松原に「演歌みち」「男なら」などのヒット曲を書くのだが、彼女はこの時の出来事が原因で、明るい歌は苦手だといった思いがついて回るようになったのである。

■17歳でデビュー

 デビュー曲「おんなの出船」を出したのは昭和54年7月1日だった。この年、日本レコード大賞新人賞などいくつもの新人賞を獲っているいる。まだ17歳だった。それから40年。その間、たくさんの出会いがあったが、デビュー曲を書いた船村徹と門下生として受け入れてくれた北島三郎の2人との巡り会いは、松原にとっては決して忘れることが出来ないものだった。

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 「20歳前の私がいきなり大人の歌をもらったのですが、カラオケ好きな人によって歌い継いでもらってきたので今があります。船村先生とはなくてはならない出会いだったと思います」

 その船村に松原は、40周年に相応しい楽曲を書いてほしいと依頼をしていた。それを手にすることなく、永遠の別れが訪れたが「もしかすると書き上がってるのかもしれませんが・・・。それを確かめる勇気がないのです。でも、もし完成していたら、先生に届けとばかりに歌いたいのですが」と、彼女はかすかな期待を抱く・・・。



 「17歳でデビューして、途中、離婚などいろんなことがありましたし、1度は歌を辞めようとも思ったほどです。でも苦しいことがある度に、何くそと思って乗り越えてきました。それまで肩ひじを張ってきたけれど、病気をきっかけに優しい気持ちを持てるようになったし、何よりも楽天的になりました」と話す松原は、インタビューの間もずっとにこやかに答えてくれた。

 記者の好きな「離愁・・・秋から冬へ」は、松原は紅白歌合戦でも歌っており、今もコンサートなどで歌っているという。彼女にとってもまたお気に入りの1曲であるという。もちろん「十勝厳冬」も大好きな1曲である。


[松原のぶえ オフィシャルサイト]
http://www.nobue-matsubara.jp/
[松原のぶえ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/matsubara.html




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野村美菜(日本クラウン)  「北上川」 ゆったりと流れる大河のようにスケール大きく歌う ふる里の歌にちなんで改名 [インタビュー]

野村美菜9.jpg◆日本クラウンの歌手、野村美菜が初めてふる里の東北を舞台にした「北上川」を歌っている。10周年記念曲として出した「矢作川」(2014年)さらに「千曲川哀歌」(2015年)に次ぐ川シリーズで、今作は1月11日の「川の日」に出したシリーズ第3弾。2004年にデビューして今年で13年目になる。2009年には長野・上田市の観光大使に就任し、今年ですでに8年目。上田は第2のふる里でもある。来年はデビュー15周年へ向けての大事な年になることから「ふる里を歌った『北上川』でさらにステップアップしていきたい」と抱負を語る。


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 新曲「北上川」のイントロから続く女性コーラスが、恋に傷つき、恋の未練を断ち切ろうとする女性の切なさを一段と心に染み込ませてくれる。哀愁感と東北いちの流れを誇る北上川の壮大さが、重なってくる、そんな楽曲である。

 北上川は岩手・盛岡、平泉などを流れて宮城・石巻湾へと注ぐ全長249メートルの全国でも4番目に大きな川である。その川の流れに沿う名所などが、前作に引き続いて担当した森田いずみの詞には数多く登場する。
野村も子どもの頃から親しんできた北上川であるが「歌にも出てくる平泉・高舘から見る緩やかな流れがとてもきれいです」と、オススメのビューポイントとしてアピールする。

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 このゆったりと流れる北上川を野村はロングトーンの歌唱で大きな川を表現する。師匠の水森英夫から「雄大な川の流れを、3連のリズムに乗りながら、たっぷりと歌って欲しい」と助言を受けた野村は、発声練習をいつも以上にこなすことで、歌を低音でダイナミックに歌う。それは、スケール感を伴い、野村も「歌った感を強めてくれます」と話している。

 身長150センチと小柄な彼女は「周りからは小動物って呼ばれるんですよ」と笑わせるが、迫力ある歌唱のために体力作りも欠かさない。
 「声を出すには足腰を鍛えておく必要がありますから、デビュー当時から続けているジムに通って、2時間程度のウォーキングをしたり、たんぱく質をたくさん摂る食事も心がけています」

■真田の縁

 2009年から上田市の観光大使を任命されてから、年に3、4回は上田へ行っているというほどで「ふる里の仙台よりも訪ねる回数は多いですね」と、笑うほどである。その上田と言えば、歴史ファンにも人気の戦国武将、真田幸村の父、昌幸の居城上田城でも知られる。その真田つながりの縁で、仕事のエリアを広げている。

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 真田幸村が息子大助とともに幽閉された和歌山県九度山町では、2年連続して冬柿の収穫祭で歌っているし、同じ幸村の娘が嫁いだ由利本荘市がある秋田県では秋田放送ラジオのレギュラー番組が今年から始まっている。
 いずれも上田市観光大使を務めるようになってからの真田氏が取り持つ縁である。

■大きな歌唱後の充足感

野村美菜011.jpg 野村は元日本コロムビアの三代目コロムビアローズとして2004年に「出航5分前」でデビューした。今回「北上川」を日本クラウンから出すにあたって、4度目の改名をした。ふる里を歌うこともあって、菜の花のように美しい子であるようにと<美菜>と名付けてくれた両親の想いを大切にして本名に替えた。

 「北上川」は発売後2ヶ月が経って「カラオケで歌いたい、といった人たちも増えている」という。野村が指摘していたように、歌った後の満足感、充足感の大きさがカラオケ好きの人たちにも伝わっているだろう。

 歌ってスカ~ッとするという「北上川」を歌う野村、5月1日の東京会場を皮切りに、上田市、愛知県刈谷市の3会場で「野村美菜コンサート2017 歌声に染み入る14年の歳月」と題して15周年に向けたコンサートを開く。いずれの会場もゲストにはキングレコードの歌手、池田輝郎を予定している。











[野村美菜 オフィシャルサイト]
http://www.mitsui-ag.com/rose/
[野村美菜 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/nomura/whats.html





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西川ひとみ(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  移籍第1弾「望郷おんな花」  自身初の唸り演歌  やって来たチャンスを予感 [インタビュー]

西川ひとみ.jpg◆巡ってきた大きなチャンスをしっかり掴んで大輪の花を咲かせますーと、意気込むのは徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、西川ひとみ。2017年2月8日に出した新曲「望郷おんな花」は、彼女が初めて唸りを取り入れた本格演歌。東京での店頭キャンペーンでは予想以上の成果をみせるなど、1ヶ月足らずでCDの販売枚数は大きく伸びているという。


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 デビューして23年目になる。そのうち7年間は歌手生活を休止している。
 日本クラウンから1994(平成6)年に、関西汽船50周年記念曲として出した「別府航路」がデビュー曲だった。高校時代から地元熊本県八代市から東京へ通ってレッスンを受けていた。それを経て、ようやくデビューしている。ところが4年後、脳梗塞に倒れた母親の介護のため、せっかく手にした歌手を休業する事態に陥ったのである。

 幸いにも母親は快復して、介護の手から離れたこともあって、2006(平成17)年には復帰を果たす。日本クラウンから「ゆうすげ雨情」で再デビューにこぎつけたのである。カップリングにはデビュー曲の「別府航路」を再収録して再起を期した。
 復帰2曲目の「寄り添い花」は「そこそこ売れた」(西川)が、翌平成20年にホリデージャパンに移籍。その第1弾となったのが実母を歌った「母恋たより」で、今もキャンペーンなどでも歌い続けている。


西川ひとみ2.jpg 今年、徳間ジャパンへ移籍したが「今までは波乱に満ちた歌手人生」と、自ら振り返るほどである。
 「デビュー曲の失恋ものをはじめ可愛い女性路線、さらに不倫もの母ものなど、いずれもしっとり演歌ばかりを歌ってきたんです。ところが本来のわたしは失恋しても後を引かない、サッパリとした男のような強い性格なんです」

 いつかそんなきっぷのいい女性を歌ってみたい、と思い続けていた。それが今回の移籍で実現する。移籍がが決まった西川のディナーショーを、東京都内の会場で見ていた作詞家の志賀大介が「彼女はしっとり演歌の路線ではないよ」と言って書いたのが「望郷おんな花」だった。

 しかもそれが、今まで西川が感じたことのない手応えを実感させているのである。「これはいける。もしかすると・・・一生のうちでもそう多くはないチャンスなのかもしれない」。
 そのように彼女が胸を高鳴らせるのには理由がある。発売直後に東京のCDショップ3店舗で行った店頭キャンペーンでは「300枚ものCDが売れた」(西川)というのであるから、確かにうなづける。しかも発売1ヶ月間では1万枚に迫る勢いだともいう。

■浪曲師のDNA

 西川が初めて歌うという唸り演歌「望郷おんな花」は、5行詞の最初の3行は語るように歌っている。ところが4行目の後半からは「一転して、2階3階席まで届くようにぶつけるように歌い、5行目の ♪ こころは錦の ~ は、さらにスケールを大きく歌い上げます。歌っていて最も気持ちのいいところですね」と西川。
 ここが聴くものの胸に響き、CDの販売にもむすびついているようだ。

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 西川の父親は松平円十郎という浪曲師であった。浪曲は習ったことがないとはいうものの彼女は「DNAは受け継いでいるのでしょうか。『望郷 - 』にある浪曲の節回しなどは自然と出てきました。レッスンでは『くさく歌って』と注文がありましたが、その<くさく>は節回しなんですね」と、子どもの頃憧れていた 都はるみのように唸り演歌を自分のものへと昇華させようとしている。

 しっとり演歌から唸り演歌へと変えた西川は、今回、移籍するにあたって3ヶ月で10キログラムのダイエットを成し遂げている。ディレクターからの注文に応えたというのだが、好きな日本酒も断ち、トマトを食べ続けて、見違えるようになった。衣装の和服を着た姿も「きれいに品の良い着姿になりました」と西川は笑う。

■関西でも知名度アップへ

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 3月6日から8日まで 関西キャンペーンをこなした。期間中には大阪では初めての店頭歌唱キャンペーンも行なって、次のステップへの足がかりを作っていた西川は「関西ではまだ無名に等しいので、西川ひとみの名前をこれから広めていきたい」と、大きな声で宣言していた。



[西川ひとみ オフィシャルサイト]
http://nishikawa-hitomi.com/
[西川ひとみ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/id=8481




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中西りえ(日本クラウン) 「おんな花火師 花舞台」 デビュー5周年記念曲 名前を残す歌い手にと意気込む [インタビュー]

中西りえ2.jpg◆日本クラウンの歌手、中西りえと言えば、どうしてもたくましい女性を連想してしまう。デビュー曲は男歌だったし、4曲目ではついに袴を履いている。デビュー5周年記念曲の今作「おんな花火師 花舞台」でも、襷をかけて袴といった衣装に身を固めた勇ましさを見せる。冬を舞台にした花火をモチーフに歌う新曲は、演歌と浪曲のメリハリがひときわ歌の魅力を増してくれる。中西は花開く1曲にしたいと意気込んでいる。


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 中西りえが威勢よく歌っている。「おんな花火師 花舞台」。2016年12月に発売された。彼女が歌う作品は、きりっと引き締まった格好いい歌が多からだろうか、彼女のイメージは自然と男っぽさを連想せる。今作でも「力強い歌で、りえちゃんらしいよ、といった声もたくさん寄せられています」(中西)というほどだ。

 「おんな花火師 花舞台」は、歌と浪曲が入っており、そのメリハリが魅力だとされている。ただ、メジャーからマイナーへ切り替わるそこは、レコーディング前のレッスンでも「吠えないで、放つように歌うように」とアドバイスを受けているが、その「切り替えが難しかった」と明かす。

 「戸惑いもあって、歌の内容をそしゃくするのにも時間がかかりました」

 この楽曲が出来るきっかけは、当初「浪曲のあんこが入った作品を作ろう」といった話が持ち上がったことによる。作曲家の岡千秋が先にメロディーを作り、それに万城たかしが詞を付けた。そのことからも、中西りえの力強いイメージを固めようといった狙いが見えてくるようでもある。

 元々浪曲に興味があったという中西は「唸り、セリフし、三味線のすべてが入った浪曲にこそ、音楽の原点がある」と話している。自分の歌の勉強にと、浪曲大会の会場に足を運ぶのも、そのためである。

■演歌・歌謡界に名前を残す歌手に

 中西は縁起をかついで「初」物を大事にしている。
去年はファーストアルバム「歌力」を出している。これは彼女にとって、とても大切な意味を持つ初物だった。1年にシングルとアルバムの2枚のCDを出したのは初めてだったからである。アルバムはシングル「おんな花火師 ー 」と同時発売で、オリジナル曲のほか「北の漁場」など、彼女らしさを感じさせる力強いカバー曲も収録した。

 それ以外にも去年はいろんな「初」があった。
 地元三重県伊勢市の伊勢神宮で「伊勢音頭」を初めて歌って、奉納した。また30代に突入した。もちろん初めてのことである。そして姉に第1子が誕生したというから、縁起のいい1年だったことになる。

 それらを受けて、5周年の今年、中西にとって「いろんな花を咲かせるのが目標ですが、誰もがこれが中西りえと知ってくれて、名前を覚えてもらえるように、演歌・歌謡界に名前を残したい」と、夢は大きい。




[中西りえ オフィシャルサイト]
http://www.sunnysb.jp/rie/
[中西りえ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/nakanishi/whats.html





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花咲ゆき美(日本クラウン) 「おんな炎」 大人の女の情念に初挑戦 10月にはデビュー10周年記念コンサートも [インタビュー]

花咲ゆき美3.jpg◆2017年2月に神戸・新開地で行われた歌謡イベント「KOBE流行歌ライブ」に出演して、今までの可愛らしさから、大人の女らしさを見せてくれたのが日本クラウンの歌手、花咲ゆき美である。歌ったのは女の情念をテーマにした「おんな炎(び)」。これまで自らを映したような楽曲が多かった花咲にとっては冒険だったが「石川さゆりさんや藤あや子さんのように、女をにじみ出させる歌唱を目指してレッスンを重ねた」という。作曲の弦哲也、作詞の原文彦、いずれの作品も初めてだった。レッスンで彼らと真剣に向き合うことでも歌のテーマに近づけた。


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 今年7月でデビュー10周年を迎える。前作の「海鳥哀歌」は、等身大の女性の心のうちを歌っているが、今作の「おんな炎」は内も外も大人の女性をモデルに、その情念を歌う。

 女の情念の代表曲に良く挙げられるものに石川さゆりの「天城越え」がある。と言っても正直、何を情念というのか判然としない。それを花咲は「一言でいうと、愛と憎しみでしょうか」とみる。
 今年9月で36歳になる彼女は、自分が歌う女は、まだまだ子どもが歌っているようだと悩んだ。

 彼女はデビュー前の2002年から作曲家の新井利昌に師事して、レッスンを受けてきたが、今回初めて師匠以外にレッスンを求めた。それだけ大人の女の情念が彼女に大きくのしかかってきたのである。
 「大人っぽくするために弦先生にも指導を受けました。吐息混じりの歌唱や低音の厚み・重みを出してみたり、藤あや子さんをイメージして歌って魅力を出す工夫もしてみました」と、あれこれ試みている。

花咲ゆき美.jpg 10年目にして通算12枚目のシングルで、思わぬ努力を重ねることになった。弦のアドバイスに真剣に向き合うことで、テーマに近づけたようだ。この歌の主人公は45歳から50歳といった年齢層だという。「女性は(幾つになっても)男性から愛されたいのですが、この歌の主人公は自分が相手を愛するといった気持ちの方が優っているんですね」(花咲)。
 そんな燃え上がるような女の情念を、情感込めて歌い上げる花咲の表情にそれを感じた。

 4年1ヶ月ぶりの出演だったというKOBE流行歌ライブでは、新曲「おんな炎」のほか、小林幸子の「雪椿」もカバーして聴かせた。小林もまた情念の表現には光るものがある。それだけに花咲は「(歌うのに)緊張したけれど、歌の内容が苦労した母とも重なって、ゆったりと歌うことができました」と、4年前よりもずっと大人になったステージを披露していた。




 カップリング曲の「揚羽蝶」は下地亜記子作詞、弦哲也作曲である。編曲は「おんな炎」と同じ川村栄二。3拍子のワルツのメロディーだが、弦からは「スウィングジャズのように歌って」と、アドバイスを受けている。
 「先生からお手本となる歌唱を聴かせてもらい、それを真似て歌っています」と花咲。

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 今年は「この『おんな炎』に勝負をかけたい」と意気込む花咲、歌以外にもいろんなものに挑戦していくという。2017年7月に東京・立川の立川パレスホテルで10周年記念ディナーショーを開くほか、同10月8日には、東京・日本橋の日本橋三井ホールで10周年記念コンサートも予定している。



(撮影は2016年です)


[花咲ゆき美 オフィシャルサイト]
http://ameblo.jp/yukimi-hanasaki/
[花咲ゆき美 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/hanasaki/whats.html




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松尾雄史(日本クラウン)  「トマム絶唱」 雄大な北海道・トマムを舞台に歌う悲恋歌 [インタビュー]

◆デビュー5年目を迎えている日本クラウンの歌手、松尾雄史が2017年1月11日に出した新曲「トマム絶唱」。北海道のほぼ中央部に位置するリゾート地として知られている苫鵡(トマム)を舞台に歌う歌謡曲調の楽曲である。トマムとはアイヌ語で湿地という意味である。そこで繰り広げられる悲恋のドラマ。「何時もよりも優しく歌っている」という松尾は、今年、この楽曲にかけている。

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松尾雄史

 2014年に出した「北斗岬」は、架空の岬を歌っているものの、舞台は北海道だった。それに次ぐ北海道モノ。今回のタイトル「トマム絶唱」は、先が見えない悲恋の切ない胸の内を吐露するかのような、板橋雅弘の詞が綴られている。作曲は松尾の師匠である水森英夫。

 松尾は「今回は歌謡曲寄りの楽曲を作ってもらいました。そのため、何時もよりは優しく歌っています。演歌っぽくならないように気をつけているつもりですが、歌っているとどうしても演歌になってしまいますが」と笑う。


松尾雄史・トマム絶唱.jpg 水森からの優しく歌えというアドバイスを受けた松尾、「ボリュームを落とさず、笑って歌うことで、自ずと優しさが出る、と言われました。あれこれと試して、コレと思う歌唱でレコーディングに臨みました」とも。
 作曲家を含む制作スタッフからの要望は、それぞれの感性から発せられるものが多い。しかも1足す1は2といった、数学的な正解もないだけに、素人には理解しがたいのであるが、そこは松尾らしく、:決して哀し過ぎずに切なさを表現する。

 「楽曲をもらって、練習してレコーディングが終わるまでは、他のことは何も手がつかないんです。終るとホッとしますよ」
 録音してから発売までは、ほぼ2、3ヶ月だという。その間に、制作スタッフの要望に沿いながら歌い込むのが彼の何時ものパターンである。その間の集中度の高さは並大抵ではない。ホッと一息つくのも分かる。

■旅情感も漂う悲恋歌

 「トマム絶唱」には、ラベンダー、風吹く大地、銀河の星など、近年リゾート地として発展しているトマムのビューポイントが散りばめられ、聴く者の旅情も誘う。
 松尾が最初に詞をもらった時にはタイトルは「トマムの春」だった。ところがレコーディングの時には「トマム絶唱」に変わっていた。
 約5分間ある楽曲は1番から3番まで、夏秋冬と3シーズンを歌っていた。春だけがなかったのだが、レコーディング時にタイトルから春を取って、新たに ♪ トマムの春は 氷の下で 〜 の詞を3行加えている。
 これでトマムの四季を歌うことになった。ファンからも「歌い易い」と評判もいい。

 カップリング曲の「ラストソング」は、コンサートやライブの最後に歌う歌、文字通りラストソングとして作られたという。こちらも反応は上々だ。

 今年7月16日で26歳になる。デビュー記念日はさらに1ヶ月早い6月6日であり、その日までには「5周年を記念した、何かイベントをやりたいですね」というが、まだまだ何も具体的ではないとも。
 「5周年!? 5年前は先輩ばかりだったのが、どんどん後輩が出てくる訳で、あまり気持ちの良いものじゃないですね」
 実績を積み重ねつつある松尾だが、彼なりに想い悩む一面もあるようだ。




[松尾雄史 オフィシャルサイト]
http://matsuoyushi.com/
[松尾雄史 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/matsuo/whats.html





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黒川真一朗(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  2月リリースの「人生酒場」  鼻歌まじりのような歌唱で余分な力を抜いて楽しく歌えると話題に 2月発売はヒットのジンクスも [インタビュー]

黒川真一朗2.jpg◆ヒット曲は2月にリリースされるんだよ ー 。作曲家の水森英夫が徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、黒川真一朗にそう言った。水森が手がけた作品の中でも2月発売の楽曲がヒットする確率が高いことから、縁起を担いで言ったのだ。1年半歌い、それに続くデビュー11作目となる「人生酒場 」は、水森が曲を書き、さいとう大三が詞を書いた。水森のジンクス通りに2017年2月1日に出ている。その通りになるのか「少々プレッシャー」を感じている黒川だが、 明るいメロディーに合わせるかのように「手応えは十分に感じています」と笑顔を見せる。


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 水森門下生のひとり氷川きよしがデビュー曲「箱根八里の半次郎」を出したのは2000年2月だった。そして2枚目、3枚目とシングル盤の発売は2月であり、最新曲の「みれん心」も2月と並んでいる。確かに2月リリースが売れるというジンクスの確率は高い様ようある。

 そのジンクスにあやかろうという訳でもないのだろうが、「人生酒場」が発売されたのは2017年2月1日だった。その少し前に、黒川はファンを前にそれを披露している。
 「今までと曲のイメージが変わって、皆んなと一緒に鼻歌でも歌うように歌える」と言ったファンの評価は思いのほか高かった。それに黒川は「手応えを感じています」と、ジンクスを意識せざるを得ないようである。
 「僕が歌ってきた楽曲は明るいメロディーが多いのですが、詞はどちらかというと暗い内容のものが目立っていました。今回はどちらもが明るく、人生の応援歌というか幸せ演歌ですね」

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 手応えの良さの要因は、そんなところにもあるようだ。
 水森も黒川に「上手に歌おうと思わずに、鼻歌を歌うかのように楽しく歌えばいい」とアドバイスしており、それに応えて黒川も「その言葉が余分な力が抜けて歌えている」と話す。

■話す声で歌う

黒川真一朗3.jpg 黒川は水森の門下生として2003年に「家族」でデビューして、今年は14年目になる。立派な中堅歌手であるが、ごく最近まで「歌手、黒川真一朗の個性は一体何なのか、と思い悩んでいた」というのだ。「どの歌い手さんもそれぞれ個性を持っておられますが、自分にはそれがなかった。何が個性なのかが分からなかったんです」と黒川。

 悩み続けていたある日、発売前の新曲「くれない酒場」(2012年)のレコーディングの時だった。上手く歌わなくてはいけない、と思うと緊張度は高まるばかりだった。水森の「自分で歌ってみたいように歌ってみな」といった助け舟に、黒川はそれまで自ら封印していた鼻にかけた歌唱をしてみた。

 なんとそれが彼の良さを作り出したのである。
 鼻歌で歌うムード歌謡・演歌があったっていいじゃないか。デビューして10年近く経ってやっと見つけた自分の個性だった。元々、自分が普段話す声で歌うのが 、自分にも負担をかけずに、黒川の魅力につながったようだ。
 「あれこれアドバイスも受けたのですが、結局は自分で見つけ出さないといけないということが、時間はかかりましたがよく分かりました」


 今作の「人生酒場」でも、その歌唱法は生かされている。
 もともと華にかかった声で話す黒川にとって、その声で歌うことは「声を出すのも楽だし、力まないので聴く人にとっても聴きやすくなったみたいです」と、いいこと尽くめとなっているようである。

 黒川は「2月リリース楽曲はヒットするのジンクスを壊さないように頑張ります。2、3ヶ月は全国各地でキャンペーンですが、NHKなどのテレビやラジオ番組にも出演していきます」と、張り切る。

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 忙しい時間を割いて黒川は、魅せるステージを目指して、歌謡曲エクササイズを始めている。
 「演歌歌手も踊る振り付けが多くなっている」(黒川)ことから、スポーツジムで見つけたコースを受講しているものである。昭和の歌謡曲に合わせて60代の人などが踊る中に混じって身体を動かす。もう3年も続いているが、現場ではまだ披露する機会に恵まれていないと笑う 。




[黒川真一朗 オフィシャルサイト]
http://blogs.yahoo.co.jp/shinchanclub2006
[黒川真一朗 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/kurokawa.html





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岩本公水(キングレコード) 初の三連演歌「北の絶唱」 カラオケボックスで生まれた話題曲 ヒットへ向けて快走中! [インタビュー]

岩本公水4・小.jpg◆くみ、おまえは今までにどんな歌を聴いてきたんや-。作曲家岡千秋の唐突とも思えるそんな質問から、キングレコードの歌手、岩本公水が2017年1月11日に出した、デビュー21年目の新曲「北の絶唱」が誕生した。岡の作品を岩本が歌うのは「夜桜」以来、17年ぶり。カラオケボックスで岩本が歌うのを数曲聴いただけで新曲のイメージをふくらませた岡は、あっという間に<彼女を研究>して、翌日には曲を仕上げる早業を見せた。岡と岩本の息がぴったりと合った今作は、初めての三連のリズムに乗って、ヒットへ向けて軽快に歩み始めている。


岩本公水・北の絶唱.jpg









 久しぶりに岡の作品を歌うことになって、彼に誘われるままにカラオケボックスで都はるみ、石川さゆり、三船和子など好きな歌を次々と歌っていった岩本公水は、岡の問いかけに「石川さゆりさんの『波止場しぐれ』のような歌を歌いたい」と答えた。
 歌を聴きながら岡は突然に「よし、曲のイメージが出来た。飲みに行こう」と、スタッフと一緒に居酒屋へと向かった。
 岩本たち4、5人と池袋で 酒を酌み交わしながら岡は「デビューしてから今まで大変だったろう。売れないとなぁ」とポツリと言った。

 岩本にヒット曲をプレゼントしたい、と思ったのだろう。
 その想い通りに「北の絶唱」は、発売直後から好調な売れ行きを見せている。ライブやキャンペーンでの即売では「すごく売れる」と、岩本自身も目を細めるほどである。オリコンの演歌チャートでは初登場7位にランキングされた。名古屋地区でのキャンペーンでは、CD購入者に割り当てられる最前列の椅子の列が幾重にも並び、販売を担当したCDショップも「最近こんなに売れたことはない」と驚きの表情を隠せないでいた。
 レコード会社のキングレコードには「バックオーダーが連日入っている」といった盛り上がりぶりである。

■歌って気持ちいいスピード感

 岩本はデビューして今年で21年目になる。途中、約3年間の休業をしたが、2007年11月にはシングル「草枕」で見事に復帰を果たした。それから10年がたつ。個人事務所へと体制が代わって、もう間も無く1年間が過ぎようとしている。
 「この間、いろんなことを乗り越えてきました。誰もが口ずさんでくれる、岩本公水と言えばこの歌といったヒット曲をそろそろ出さなければ」といった焦りが岩本を襲うこともあった。

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 そんな彼女に大先輩の五木ひろしは、こんな言葉を贈っている。
 「誰かが必ず見ていてくれるから、歌い手は歌うことだけに必死になっていればいいのです」
 2年前に大阪・新歌舞伎座で共演した時のことだった。

 これに勇気付けられて黙々と歌い続けている。それに岡が架け橋を渡した。この楽曲は先に詞が出来ていた。作詞を担当したのはいとう彩だった。いとうは岩本が大好きだという「東京砂漠に咲いた花」を作詞している。この楽曲は2007年に水田かおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ)がアルバム収録曲として発表したが、思わぬ好評を得て2011年にシングルカットされ、今なお水田はライブやコンサートなどで歌い続けている。

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 「北の絶唱」は、ラップのように淡々とと始まって、♪ ここで点々 血のしずく 〜 と盛り上がっていく。「その流れが気持ちいいんです。そのスピード感が歌のドラマを表現しやすい」
 そして続く ♪ 雪に散らせば 雪に散らせば ・・・死ねますか 〜 と激しく燃える恋情を表す詞。8拍伸ばすそこを岡は、まだ伸びるまだ伸びると、岩本とふたりで半ば楽しむかのように何度も挑戦して出来上がったのが「北の絶唱」であった。

■歌い継がれるヒット曲への予感

 今では趣味とは言えななくなった岩本の陶芸は、1年前に電気釜を設置した工房を開くなど、腕前もプロ級とも言われる。4月4日から5月14日まで、毎年恒例の陶芸展を埼玉県埼玉伝統工芸会館(埼玉県小川町)で開く予定だ。期間中の4月23日には同会館内でコンサートも開く。
 今は出展する作品を制作中である。なんとか釜に入る大きなランプシェードはメイン作品のひとつとなる。素焼きをして、色付けを施し、本焼きをすると完成である。

岩本公水・小.jpg

 陶芸作品が完成する期待感と同じように、久しぶりに岩本は大阪で歌を披露し、会場でその歌に耳を傾けるたくさんの人にもワクワクさせた。もちろん「北の絶唱」である。
 そこで岩本は、20周年の記念曲として出した「道の駅」を書いて、先頃亡くなった作曲家船村徹の思い出を披露している。
 「とにかく愛情深い方でした。岩本くん、なかなか歌が上手いね、と言って、いつも可愛がって下さいました。わたしの故郷の鳥海山の麓で採れたワラビをお送りすると、おいしいと言ってよろこんでおられました」
 船村が彼女をほめた通り、岩本が歌う新曲の「北の絶唱」は聴き応えたっぷりで、とても情熱あふれる歌である。CDの売れ行きも好調なのもうなづける。

 スタートが良かった今年、何かいいことありそな気持ちにさせてくれるという。「そろそろヒット曲を残さないとね。それに今が一番いい声が出ているしね」。そいう彼女の表情も明るい。





[岩本公水 オフィシャルサイト]
http://iwamotokumi.com/
[岩本公水 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10094





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津吹みゆ(日本クラウン)  デビュー第3弾「雨のむこうの故郷」 夢に向かって奮い立たせる望郷シリーズ演歌 [インタビュー]

津吹みゆ2.jpg◆間もなくデビュー3年目を迎える日本クラウンの歌手、津吹みゆと初めて会ったのは、彼女がデビューする1ヶ月余前だった。その彼女がもう3枚目のシングルを出している。2017年1月25日にリリースした「雨のむこうの故郷」である。新曲のたびにインタビューをしているが、会うたびに美しくなっており、その表情は生き生きとしている。覚悟を決めて演歌歌手になった彼女だが、夢を叶えるまでは・・・という彼女の強い決心は、新曲と重なってくるのである。










 津吹はおじいちゃん・おばあちゃん子である。毎日のように夜、電話で祖父母にその日の出来事を報告をしている。
 「明日、テレビに出るから見てねーと伝えると、必ず録画して寝る前に見てくれています。長生きしなければなぁ〜 なんて、いつもうたをほめてくれます。それに甘えずにがんばろう、といつも心に誓ってるんです」

 受話器の向こうからは「声を聞くと安心するよ」という声が返ってくる。それを聞くと津吹もまた、1日の疲れが飛んでいくという。
 「雨のむこうの故郷」には、2番に ♪ いつも電話じゃ 強がるけれど ~ といった歌詞が出てくるが、歌うたびに「よし、がんばろう、と自分を奮い立たせてくれます」と津吹はこぶしを握る。

 「雨のむこうの故郷」はデビュー3作目であるが、実はこれは「会津・山の神」でデビューする以前に手にしていたデビュー曲候補だったのである、もしかするとデビュー曲になっていたかもしれなかった。ところが、新人らしくパンチがある方がいい、といった制作スタッフ陣の意見が通って「雨のむこうの故郷」は、次の出番を待つことになった。

津吹みゆ・雨のむこうの故郷.jpg デビュー曲から3作とも作詞は原文彦、作曲四方彰人、編曲前田俊明と同じトリオである。
 デビュー前から師事していた四方からは、デビュー曲が決まった時にすでに、「雨の ー 」も練習しておくように、と言われていた。その四方は、自らの練習で自分なりの歌い方を見つけろ、というのが方針で、細かなレッスンはしないといわれている。
 だから独習が大切になる。「先生に『雨の - 』を練習するように言われていたのですが、デビュー曲に目がいってしまって、今回、レコーディングに合わせて練習するまで、忘れていました」

 その四方は「今回の楽曲はスルメ演歌だよ。聴けば聴くほど良さが伝わってくる。それを頭に入れて歌いなさい」と、津吹にアドバイスしている。
 その言葉を思い起こしながら、言葉を大切に伝えるように歌う。
 「雨のむこうの故郷」のサビは5行目の ♪ あの日は雨 きょうも雨・・・ ♪ こころが雨 きょうは雨・・・ ♪ あの日も雨 きょうも雨・・・ ですが、最初の雨は言葉を置くように、それに続く雨は伸ばして歌います。そこにがんばっているのに、私ってダメなのかしら、と思い悩む心の雨を表現しています」

 雨の向こうに見えるのは、故郷で応援してくれている人たちなのだ。
 そして津吹の夢は、♪ あなたには あなたの きっと花が咲く ~ と歌うカップリング曲の「あした咲く花」へと続くのである。

■大のヅカファン

 津吹は2017年2月19日、神戸・垂水のレバンテホールで開かれる「第4回震災復興チャリティー歌謡ショー」に出演して、初めてのミニ芝居にも挑戦する。共演は純烈(日本クラウン)工藤あやの(徳間ジャパンコミュニケーションズ)星まさる(エクシング・ミュージックエンタテイメント)といった、いずれも先輩歌手たちである。
 その芝居のセリフも「全部覚えました」と、振付を交えながら一部を披露してくれた。

 実は彼女、上京してから宝塚歌劇の世界に入れ込んでいる。芝居を見るたびに、コンタクトレンズが外れるぐらいに感涙するほどだそうだ。
 2月に兵庫・宝塚市の宝塚大劇場で宙組公演「王妃の館」を見ている。予期せぬ休日になった同月のある日、梅田芸術劇場では日本人が演じる韓国ミュージカル「フランケンシュタイン」も見た。



 「フランケンシュタイン」は、宝塚を退団した女優が目当てで、観劇だけに止まらずに、楽屋口で何と出待ちまでした。帰りの新幹線の時間を考えると、待つ時間のリミットは1時間。終演後1時間たった頃、楽屋口から彼女が出てきた。声もかけることもなく、ただ眺めているだけだったが「スターのオーラを感じた」という。

 もちろん津吹みゆにも出待ちをしてくれるファンも多くなってきた。「感謝です。1曲1曲成長する自分を見てもらえるとうれしいです。でも、それに甘んじることなく、さらに成長できるようにがんばつていきます」と意気込みを語ってくれた。


[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubuki/
http://ameblo.jp/ayd-miyu/
[津吹みゆ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/tsubuki/whats.html




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真木柚布子(キングレコード)   リズム歌謡「夜明けのチャチャチャ」  作詞家下地亜記子の遺作 6年ぶりのメイン曲に [インタビュー]

真木柚布子.jpg◆キングレコードの歌手、真木柚布子がメイン曲では「紫のマンボ」(2011年)以来のリズム歌謡となる「夜明けのチャチャチャ」を2017年1月11日に出している。リズム歌謡と言えば真木といわれるぐらいに、そのイメージは定着し、今回も首を長くして待ち望むファンの要望に応えてのリリースであった。メイン、カップリングともに作詞は真木のことを最も知り尽くしているといわれる作詞家下地亜記子。彼女はこの作品を遺し、去年11月17日に亡くなっている。下地がこの楽曲のテーマにした「女性の複雑に変化する哀しい心のうち」を多くの人に届けようと、真木は今年、ミニライブを各地で開いていくという。








 下地の遺作になった「夜明けのチャチャチャ」は、マイナーからメジャー、再びマイナーへとリズムが変わっていく。それによって、彼女が最も伝えたかった女性の複雑な心理状態の移り変わりを巧みに表現している。さらに下地がこだわったのが ♪ いやよ いやよ いやよ 強く 強く 抱いて ~ と繰り返すところである。
 「制作スタッフからは、歌いにくいのでは、と変更を求める意見もありました。でも下地さんは、浮気な男性に理解を示しているようで、その実、ノーと言いたい女性の気持ちを、この言葉に込めたんです。ですから頑なに変えたくない、と主張されていました」

 そのような下地の想いを真木が理解したのは、レコーディングが終わってからだった。それはCDに録音されたものよりも、今、ライブで歌う生歌の方がずっと強く表現されていることからも分かる。

 最期の力を振り絞るように書いた下地は、すでにレコーディングに顔を出せる状態ではなかったようだ。真木に「行きたかったのに、ごめんなさいね」とメッセージを寄せている。それより前、真木のキー合わせにやって来た下地は、何時もならば終わった後に一緒に食事をするのだが、この時には「また、しゃぶしゃぶを食べに行きましょうね」と言って帰ったという。これが真木が下地と交わした最期の会話だった。

 好きな人への伝わらない想いを書かせると比類なき作詞家だった下地、それをまた哀切感たっぷりに歌う真木。♪ 男と女が 酔いしれて 古びたラジオが 恋唄流す ~ とまるで映画の1シーンを見ているかのような、下地の2013年の作品「北の浜唄」でも、ふたりのそれは遺憾無く発揮されていた。
 真木が得意とする歌芝居で披露した「九段の母」では、下地が自分の息子のことを頭に描いて書いたというセリフを挿入したほどである。
 下地とのコンビを組めなくなった真木は「今までに頂いた楽曲を大事に歌っていきます」と、下地へ想いを馳せる。

■ファンを惹きつけるリズム歌謡

真木柚布子・夜明けのチャチャチャ.jpg 真木が歌うリズム歌謡は今作の「夜明けのチャチャチャ」で20作目になる。中でもデビュー10周年記念作品として2002年9月に出した「大阪マンボ」は、後悔の残る作品だったという。
 今は真木の代表曲になっているこの楽曲は、発売してから歌ったのはわずか4ヶ月で、すぐに次作の「冬桜」(同年12月)に切り替えられている。

 「発売して3ヶ月ほど歌っていたんですが、反応が良くない。やっぱり演歌じゃないとダメか、といった声がひろがり、ディレクターたちは早々と次曲に切り替える準備を始めました。12月1日には群馬県鬼石町で新曲発表会も開催するといったことも決まっていました。するとどうでしょう、有線放送で1位に躍り出たんです。でも次曲も決まっていましたから 、時すでに遅しでした。あのまま歌っていたら、さらにヒットしていたでしょうけれどもね」

 そんな残念な楽曲もあるけれども、歌って踊れるリズム歌謡は、まさに真木の本領を発揮する楽曲にほかならない。新曲の「夜明けのチャチャチャ」へのファンの反応も「リズムに乗って楽しく歌ってもらっています」と、評判はいい。
 東京では2017年2月3日、ダンスホールを会場に観客が取り囲む中、ドレス姿で「夜明けのチャチャチャ」を披露する新曲発表会を開いた。同じレコード会社の歌手、山本あきも応援に駆けつけて喜ばせた。
 「大ホールで会場いっぱいに声を届けるのは目標ですが、観客の近いライブも大好きで、去年からは西日本各地でミニライブを開いています」
 今年も関西、九州、北陸、北海道など各地で歌声を聴かせる予定である。




[真木柚布子 オフィシャルサイト]
http://www.yukomaki.com/
[真木柚布子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=12453




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松前ひろ子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)   「月の帯」  ソニー時代のアルバム収録曲をセルフカバー 50周年へ向けてのステップに [インタビュー]

松前ひろ子.jpg◆日本語によるきれいな表現がたまらなく良いんです。デビュー48年を迎えている松前ひろ子が2017年1月25日にセルフカバー曲「月の帯」を出している。23年前にソニーレコードから出したアルバムに収録した楽曲で、当時からお気に入りの1曲だった。徳間に移籍後も事あるごとにシングルカットを申し出ていたが、今回、漸く実現した。作詞家の故・松井由利夫の文学的な詞を歌うことで松前は、2年後のデビュー50年を見据えてのステップにしたい、と話している。











 23年ぶりに新録音した「月の帯」は「まるでドラマの中に入り込んでしまうようで、素敵な歌です」と、ファンからはそんな声が聞こえてくる。
 そうした声に松前は目を細めている。
 デビューから48年になる松前は<夫婦もの>1本と言われるほどに、夫婦演歌を歌い続けてきた。いつの間にかそれは彼女の代名詞になっていた。
 「3番にある ♪ 肌になごりの 紅の月 ~ は、肌についた口紅のあとを意味しますが、このような言い回しは松井先生ならではでしょう。こういう歌こそ、歌ってみたい、と思っていたんです」

 もちろん「月の帯」を収録したアルバムの中には男歌や酒場歌など、彼女にとっての実験的な楽曲は数多くあった。中でも、それは格別な存在だったのだが、それでもシングルカットされることはなかった。

松前ひろ子・月の帯.jpg そんなに気に入っていた楽曲てあったが、自身のコンサートやライブなどで、「月の帯」は1度も歌ったことがなかった。新曲を売らなければ、といった想いが強かったからである。
 毎年、新曲の企画がもちあがると松前は、この楽曲はどうかと提案したが、レコード会社からは「同じなら新しい楽曲を作ろう」と、意見は取り入れられずにきた。

 ところがデビュー50年を目の前にした去年、様子が変わってきた「今までのような金太郎飴のように、松前ひろ子の歌はどこを切っても同じ夫婦演歌ばかり、といったことから抜け出て、色んな引き出しを打ち出したい」と、ディレクターに熱く訴えた彼女の想いが、今回は運良く聞き入れられた。

 「月の帯」は、松井の作品にしては珍しいともいわれる、女性の切ない恋心を情熱的に描いてある。1番の歌い始めは ♪ まるい月さえ 日毎にやせて いつか淋しや 眉の月 ~ と、時間の流れを感じさせるとともに、来ぬ人を待ち焦がれる女性の切なさが浮かんでくるようである。
 松前は代表曲へと押し上げていく意気込みを見せるかのように歌う。

 詞はもちろんのこと、メロディーも20年余の時間を経過した古さは一向に感じられず、むしろ「時を経過していますが、斬新な作品だと思います」と松前はいう。
 カップリングの「北へ行く女」も、同じアルバムに収録されていた。同じく松井の作詞である。作曲はいずれも松前の夫である中村典正が山口ひろしの名前で書いている



 デビュー50年に向けての計画は?
 「どんな路線の歌を歌っていくかは分かりませんが、1年1作の新曲を今まで通り守り、ディナーショーやライブを開いていく」としている。そして今年は「月の帯」カラオケ大会を開き、グランプリに選ばれた1人を11月中旬頃、東京都内のスタジオで体験レコーディングし、CDをプレゼントすることになっている。
 第2弾、第3弾の企画が楽しみである。


[松前ひろ子 オフィシャルサイト]
http://www005.upp.so-net.ne.jp/h-matsumae/
[松前ひろ子 日本クラウン]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/matsumae.html




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北川裕二(キングレコード)  新曲「ついておいでよ / 宵待草の女(ひと)」  歌って心地いい楽曲  スタートから好評判  来年はデビュー35周年記念コンサートも [インタビュー]

二黒土星の生まれの僕は今年、良いことがありそうな年回りですー 。何かにつけて暦を読んで運勢の吉凶を気にかけるキングレコードの歌手、北川裕二。第18弾の新曲「ついておいでよ / 宵待草の女(ひと)」を2017年1月25日に出したばかりで、オリコン演歌チャートは初登場5位、東京・銀座のCDショップ山野楽器の演歌CD売上ランキングでは1位と好スタートを切っている。しかもデビュー33年目の今年、東京・文京区の護国寺で節分恒例の豆まきを初めて体験するなど、あれやこれやとめでたい話が身の回りを取り囲んでいるのだ。

北川裕二.jpg
今年はいいことありそうな北川裕二

 とりわけ大阪人には評判の良かった大衆演歌と名付けたジャンルの楽曲を5作続けて歌ってきた。今作も同じ路線か、と思ったていたら、少々おしゃれになった雰囲気が漂っている。今までの北川裕二の作品にはなかった新鮮なメロディーだとして、スタッフの8割がメイン曲に推したのが「ついておいでよ」だった。

 制作の企画段階で詞は、去年11月に亡くなった作詞家の下地亜記子さんに依頼する予定だったが、すでに病床にあったことから断念するといった経緯があった。
 そのため作詞は岩本公水の「道の駅」などを手がけたさわだすずこさんが、メイン、カップリングともに担当し、作曲は北川の師である弦哲也さん。さわださんの詞は北川の楽曲では初めて。1番から3番までそれぞれに現在、過去、未来が散りばめられている。そんなことからも「新鮮な感じがするのでしょうか」と北川。


北川裕二・ついておいでよ.jpg 「ついておいでよ」は軽快なメロディーで、作曲家の弦さんは「鼻歌でも歌うような感じで歌ってもらえるといい」と話しており、北川も「結婚式などで皆さんがひとつになって歌って頂けます。歌っていて気持ちのいい歌です」と話している。

 メイン曲にはならなかったものの、カップリングの「宵待草の女」は北川自身が、メイン曲として疑わなかった作品。キングレコードのディレクター、中田信也さんもまた、これをメインに推したひとりであったが、一連の大衆演歌の流れをくんでいるという作品であることが<落選>の原因となったようだ。

 とは言うものの、従来の大衆演歌と呼んでいた作品が、コテコテの大阪演歌を想わせていたことからすると、今作の「宵待草の女」は最も大阪らしくない作品で、♪ せめて せめて 百日 ~ のくだりは「実に心地良くて、涙もぽろぽろ」という女性ファンも少なくない。カップリングから逆転ヒットしてくれそうな楽曲なのかもしれない。

 2月3日に護国寺で行われた「節分 豆まき式」に同じキングレコードの丘みどりとともに参加して、そこで開いたミニライブでは早速に新曲「ついておいでよ」「宵待草の女」を披露した。同寺での初めての豆まきに北川は「健康に気を付けて元気に歌っていきたい」と、無病息災を願っていた。

北川裕二・護国寺.jpg
丘みどりと一緒に東京・護国寺で豆まきをする北川裕二

 豆まきなど古くからの行事を大切にしたり縁起を担ぐのは、田舎で一緒に暮らした祖父母からの影響だという。「家を出て7日目に帰る、七日帰りなどには気を付けています」。
 そんな北川は 暦でいう1953(昭和28)年生まれの二黒土星にあたる。それによると「今年は非常にいい年になる」といい、新曲に寄せる期待も大きい。

 2月7日から3日間のスケジュールで関西キャンペーンをこなす。8日からのカラオケ喫茶店などでのサークルキャンペーンでは、関西のファンに初めて新曲を生で披露する。
 3月末には大阪で業界関係者に向けた新曲コンベンションも予定している。8月6日にはロサンゼルスで行われる在LAの日系人によるカラオケ大会にゲスト出演する。LAで歌うのは2回目。さらにデビュー35周年を迎える来年には「大きなコンサートを開きたい」と考えている。




[北川裕二 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-yuji.com/index.html
[北川裕二 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10436




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北野まち子(キングレコード)  好評「明日舟」 元気づけられる演歌 来年の30周年に向けて大切な1曲 [インタビュー]

北野まち子.jpg◆リオデジャネイロ五輪で優勝し、4大会連続で金メダルを獲得したレスリングの伊調馨が2016年10月、国民栄誉賞を受賞した。彼女と同じ青森県出身のキングレコードの歌手、北野まち子は同月26日に新曲「明日舟」を出している。いじらしい女性の心情を歌っているが、♪ 泣いて笑って 笑って泣いて ~ の詞は、人一倍の努力を重ねて栄冠を勝ち得た伊調の姿を連想させるし、来年にはデビュー30周年を迎える北野自らの歌い手人生とも重なる。











 「明日舟」は、別れた人への捨てきれない想いを、浮き草に重ね合わせて、流れついた先には幸せがあれば良い・・・と歌っているが、♪ 涙の数だけ 幸せが いつか来るよと ~ の詞からは、世界の選手と闘ってトップの座に着いた伊調選手の姿を自然と連想させる。
 「まち子ちゃんは笑顔がいいよ」。
 彼女のファンは北野まち子を、そう表現する。
 明るく、くよくよしない北野は、かつて学校の部活ではバレーボールのセッターをしていたというから、どこかで伊調選手とも通じるのだろう。

北野まち子・明日舟.jpg 2016年10月に出した新曲「明日舟」を北野は「カラオケ好きな人たちが歌いたくなるような楽曲です」と、覚えやすく親しみやすさを強調する。
 「お客様と一緒に楽しめる歌だと思います」と北野。

 カップリングの「花まる女節」は、「明日舟」と同じ岡千秋が曲を書いている。先に曲が出来た作品で、ふる里が北野と同じ青森だという城岡れいが作詞している。北野は「城岡先生は、30年も住んでおられた大阪が出身地かと思っていましたが、青森・つがる市のご出身と聞き、親近感が強まりました」と話している。

■3月にカラオケコンテスト決勝大会

 北野は来年には、歌手デビュー30周年を迎える。
 「明日舟」を書いた作曲家、岡千秋が1989年に作った「包丁一代」の歌手募集コンテストでグランプリに選ばれて、同年に同曲でCBSソニーから歌手デビューした。
 「その時には30年も長く歌うなんて考えもしなかったことです。グランプリの記念に1曲を出す程度にしか考えていませんでした」(北野)



 ところが次々と新曲を出すことになり、彼女は「それを必死に歌う」ことをこなしていった。2002年にキングレコードに移籍、08年には20周年記念として岡千秋とデュエット曲「よさこい恋歌」も出している。
 気がつけば2年後には30年を迎えるが「今作の『明日舟』を30周年に向けての大切な1曲」と位置付けている。

 そんな大切な楽曲を歌う「北野まち子 『明日舟』カラオケコンテスト」の決勝大会が、3月11日、大阪市内で行われる。応募は2017年1月31日ですでに締め切られているが、前回の「女いのち川」のカラオケコンテストの決勝大会の開催地は東京だったため「西日本の人たちにも多く参加してもらいたい」(北野)ことから、今回は大阪が選ばれた。

■韓国でケジャンを体験

 去年秋、北野は新曲「明日舟」の発売を控えたある日、友人と3人で3泊4日の韓国旅行でショッピングやグルメを楽しんでいる。「ソウルで食べたワタリガニを醤油漬けにしたケジャンが美味しかった」と北野。
 韓国から帰ってからは、韓国料理に欠かせない調味料、コチジャンにハマってしまってしまったといういい味噌汁、サラダ、鍋料理などには必ず使うほど。

 その北野が、記者の食パンをアレンジする「しげちゃんキッチン」に「マスタードのようにコチジャンをパンにぬって、たまご、ウインナーなどをはさんだ北野風サンドイッチを作ってみてはいかが」と、提案してくれた。


[北野まち子 オフィシャルサイト]
http://www.machiko-k.com/
[北野まち子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=18678





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