So-net無料ブログ作成
インタビュー ブログトップ
前の20件 | -

真咲よう子(日本クラウン)  「晩秋ひとり旅」 デビュー60枚目シングル  心地よい三連のリズム  カップリングは「宗右衛門町ブルース」 [インタビュー]

真咲よう子.jpg◆日本クラウンの歌手、真咲よう子が2018年4月25日に出した新曲「晩秋ひとり旅」は、彼女が1981年に「女のみれん」で日本クラウンからデビューして、ちょうど60枚目のシングルになる。歌は語るような出だしから、徐々に盛り上がって行く。ラストは伸びやかに歌うドラマチックな楽曲である。心地よい三連のリズムで評判が良かったという前々作の「つれそい花」(2016年)のカップリング曲「波の華」に倣った、悲恋を歌う自信作品である。


真咲よう子・晩秋ひとり旅.jpg








 「晩秋のひとり旅」の本格キャンペーンは5月15日、ショッピングモール・岸和田トークタウン(大阪・岸和田市)の大阪からスタートした。トークタウンで歌ったのは初めてで、次の会場のイズミヤ今福店は10年ぶりだったという。明日16日には12年ぶりに大阪発流行歌ライブにも出演することになっている。
 「歌うのが難しいと言われていた前作と違って、今作は皆さんにとって歌いやすいようです。これから夏を迎えようとしている季節ですが、秋に向けて沢山の女性に歌って欲しいですね」

真咲よう子3.jpg真咲よう子5.jpg
イズミヤ今福店での歌唱キャンペーン(2018.5.15)

 三連のリズムの楽曲がメイン曲というのは久しぶりだという。真咲の多くの作品は裏声で女性の艶っぽさを表現してきたが、今回はディレクターの要望に「地声で出るところまでのキーで作ってもらった」と、どんなリクエストにも応える職人根性を見せる。
 裏声から地声に変えたため、歌の雰囲気は今までのものと違っているが、女の哀しさを歌うのは同じ。

 この歌には地名は出てこないものの、真咲の中では「北海道・釧路の肌に突き刺さる寒さをイメージして歌っています」という。
 どうして釧路なのだろう。
 「釧路は毎年行っているんですよ。そこは晩秋の夕陽がとてもきれいで、町の橋の上から見る景色の美しさも格別です。それに雪が降った後の寒さなど、肌で感じるところが歌とピッタリなんです」
今秋には釧路を含む北海道地区でのキャンペーンを予定している。

真咲よう子2.jpg
カップリング曲ではレパートリーにもなかった「宗右衛門町ブルース」を歌う

 カップリングには平和勝次とダークホースの大ヒット曲「宗右衛門町ブルース」(1972年、日本クラウン)を収録した。自身のレパートリーの中にはなかったという初めて歌うものだった。ところが「レコーディングでは違和感もなく、伸び伸びと歌えました」と、和服姿の居酒屋の女将をイメージして歌っている。
 カバー楽曲を収録するのは神戸一郎が歌った「あじさいの花」をリメイクして出した同名曲(1994年)以来だという。

■山口百恵と同期

 3年後にはデビュー40年という節目を迎える。「百恵ちゃん、淳子ちゃんと同期なんですよ」と言うように、クラウンからのデビュー以前の1973年、15歳の時に本名の紅谷洋子の名前で、ビクターレコードから「思春期」でアイドルデビューして、ふたりと競い合っていたのである。その時から数えると今年は歌手デビュー45年ということになる。

 アイドル路線から退き、三波春夫に付いて4年間、ステージマナーなど専ら礼儀作法を学んだ。クラウンへはレッスン曲の持ち込み作品だった演歌「女のみれん」での再デビューだった。以来、1年にほぼ1作品をリリースしてきている。

真咲よう子6.jpg真咲よう子4.jpg
裏声を使わずに地声で切ない女性を表現する

 2年前から毎月1回、東京・阿佐ヶ谷の事務所近くにあるカラオケ喫茶を会場に、店が営業を終えた夜に、ライブ「よう子の部屋へようこそ」を開いている。20人程度小規模なイベントだが、2時間かけて千葉からもやって来る熱心なファンもいるほどだ。
 真咲は新曲とリクエスト曲、懐メロなど8曲ほどを披露する。歌好きの人たちが歌うコーナーも設けて、みんなで歌を楽しんでいる。
 「CDとは違う歌い方も聴いてもらえるので、楽しんでもらっています。ぜひ生の『晩秋のひとり旅』も楽しんでもらいたいです」と真咲。


 「晩秋のひとり旅」は今の自分を集大成した作品だと自信を見せる真咲は「自分の作品はどれもストーリーを組み立てて歌っていますが、今作の『晩秋のひとり旅』は特にドラマを作りやすい内容です。語るように歌ってもらえるといいですね」と話していた。





[真咲よう子 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/masaki/wn.html
[真咲よう子 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/masaki/whats.html






nice!(6) 
共通テーマ:音楽

新川めぐみ(日本クラウン) 「夕陽川」 赤い夕陽が映える川に切ない想いを馳せる 歌いたい曲と好評  改名2作目 [インタビュー]

新川めぐみ.jpg新川めぐみに改名して2作目の「夕陽川」を2018年4月4日に出した。今までの秋吉真見時代のパンチある熱唱型歌唱から、抑えて大人の女性を歌うスタイルに切り替えている。これがなんと大当たり。歌唱キャンペーンで歌を聴いて「次のカラオケ発表会の歌唱曲にする」という人や、ショッピングモールでの歌声を耳にして「すごくいい歌」とCDを買って行く人など、「今までにない反応の良さ」(新川)といった出足好調ぶり。デビュー12年デビューながら、〈新川めぐみ〉としてはまだ2年目で、行く先々で名前を連呼して名前を覚えてもらおうと懸命である。


新川めぐみ・夕陽川.jpg








 新川めぐみの改名は3度目である。デビューはちあきまみ(パップ)、2011年に日本クラウンに移籍して秋吉真見、そして去年5月にクラウン復帰に際して新川めぐみで新たなスタートを切った。「新しい流れにのって、たくさんの人との縁に恵まれるように」といった願いを込めた命名であった。

 デビュー以来、新川はパンチ力のある熱唱型で歌ってきた。それが自分の性格にもピッタリとハマったからだろう。ところが前作の「待ちわびて」から、声を張り上げずにしっとりと大人の女性を表現するように路線を変えた。するとどうだろう、カラオケ好きのたくさんの人たちから「歌いたい歌」と高評価をもらえるようになった。

新川めぐみ6.jpg
新川めぐみ7.jpg
歌唱指導と振付のキメのポーズを見せる新川めぐみ
(2018.5.11=山吹レコード=大阪・堺東)

 「それまでは、いい歌なんですが難しくて歌えない、といった声が多かったんです。それは音域が広すぎたからなのでしょうか。今は歌っていて、こんな発声でいいの、なんて思うほどでした。今は歌い出しは抑え気味に歌い、少しずつ盛り上げていって、最後は余韻を持ってもらえるようにしています。それが逆に説得力を増しているのでしょうね」

 先日までの東海地区のCDショップでの歌唱キャンペーンでは、そんな新しくした歌唱法を伝えた。歌を格好よく締めくくり、ステージ映えさせるための振付の<キメ>のポーズもアドバイスしているほど。
 至れり尽くせりであるが、その効果もあってキャンペーンで訪れた先では「この『夕陽川』でカラオケ発表会に出ます、といってCDを買ってもらっている」というシーンが増えている。

 新曲「夕陽川」は新川自身が自信作というだけに「日本クラウンヒット賞の敢闘賞を頂いた前作『待ちわびて』以上に、聴いていただいている人の反応はいいですよ。拍手の数も多いし、手ごたえを感じますね」と、聴く人たちにじわじわと浸透しているようである。

新川めぐみ3.jpg新川めぐみ4.jpg
山吹レコードでの歌唱キャンペーンで歌う新川めぐみ(2018.5.11)


好きな食べ物は九州パンケーキだとか。
 九州・・・? 初めて耳にした。
 黒米(熊本)赤米(福岡)うるち米(鹿児島)小麦粉(大分など九州各地)など九州産の素材だけで作ったというパンケーキミックス「九州パンケーキ」を使って焼いたパンケーキで、ふわふわでモチもちな食感が堪らないそうである。デパートなどの食料品売り場で購入できるという。

 話は歌からかけ離れてしまったけれど、これは記者の「しげちゃんキッチン」の新しいメニューに加えられそうである。またまた脱線してしまった。


 さて、改名2作目の「夕陽川」を歌う歌手新川めぐみにとってこれからは「私にとって、この新曲は平成時代最後の歌であり、平成の名曲として残るように、頑張って歌っていきます」と、力強く話していた。





[新川めぐみ オフィシャルサイト]
http://office-m-site.co.jp/
[新川めぐみ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/shinkawa/whats.html






nice!(5) 
共通テーマ:音楽

北野まち子(キングレコード)  「冬酒場」 初めての語り歌で ドラマチックな演歌 今年デビュー30周年 [インタビュー]

4640FCDF-BD68-4397-82AB-8578810C8AB8.jpeg◆まち子ちゃ〜ん! キングレコードの歌手、北野まち子が久しぶりに店頭キャンペーンでやって来たという、大阪市城東区のイズミヤ今福店。彼女が現れるのを待ち構えていた沢山の人たちから盛んに声援が飛んでいた。人気の高さがうかがえる。2018年3月21日に出した「冬酒場」は、酒場の女将がカウンターの客に語りかけている映画のワンシーンを思わせる歌である。北野は「今までの北野まち子にはなかった新しいドラマチック演歌の歌世界です」と、女将になりきって歌っている。


A436092A-EE6C-4548-9EA2-4A9E48B71600.jpeg










「冬酒場」の作詞者、石原信一は「カウンターで男が熱燗でも飲んでいるシーンを想像しながら歌ってもらえればいい」と、北野まち子に注文している。古びた赤ちょうちんがぶら下がる店を1人で切り盛りする女将は、白い割烹着を身に付けている。客は「高倉健さんかな、きっと庶民的な人なんですよね」と、北野はそんな店を想い描く。
「弘前に住む父の従兄弟がやはり居酒屋を営んでいたんです。そこをイメージしています」

ところがプロモーションビデオ(PV)には、そんな居酒屋らしき小道具はどこにも出てこない。窓ガラスに当たるみぞれを女は、恋しい人がやって来ないかと、見つめているだけである。

そんな寂しい女が語りかける歌〈語り演歌=うた〉を、北野は初めて歌うというそれは、まるで映画でも見ているかのようでもある。「私にとって大事な財産が増えたような1曲です」と北野。
今年8月にデビュー30周年を迎える北野に、作曲家の徳久広司も「大人の女性を歌って、引き出しを広げ、ステップアップにつなげられる」と、それまでメイン曲の候補として上がっていた「おんなの暦」を押し退けて、この「冬酒場」を推した。

7C7FEFA4-B616-4F51-873D-36B906B2F75F.jpeg98AB9F5E-DB44-4F60-9E4C-84E4EBD2C5BB.jpeg

30周年という大きな区切りに今、思うことはー。
北野に訊いてみた。
「ひとつの節目に変わりはありませんが、今まで通りに一生懸命に元気な姿を皆さんに見せて、一方で元気をもらいながら、元気のお裾分けが出来るように歌っていきます」

フェイスブックを去年4月から始めている。
彼女の歌唱キャンペーンで出会った女性が「北野さんのフェイスブックにコメントを書いたら、返事をもらえたんです。うれしくて応援にやって来ました」と話していたように、SNS上であってもファン1人ひとりを大切にする、その誠実な人柄は彼女の歌そのもののようで、ファンの心に響いている。

F0CCD4B3-8CD9-40C0-873F-6EA5A36E5235.jpeg

「北野まち子30周年記念パーティー」を2018年11月11日、東京・港区芝公園の東京プリンスホテルで開く。その日のために目下、体力作りと身体を引き締めようと「マネージャーさんと一緒にジムに通ってるんですよ」と北野。

東京・浅草あたりの居酒屋で歌唱イベントもやってみたいとも。実は北野、酒は人並みにいける口なのだそうである。





[北野まち子 オフィシャルサイト]
http://www.machiko-k.com/
[北野まち子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=18678









nice!(8) 
共通テーマ:音楽

こおり健太(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  「泣きみなと」 高音の響きがますます冴え渡る切ない女歌 [インタビュー]

05097866-1BD9-412A-B9D8-BCB791AE201E.jpeg◆歌が自分を育ててくれ、ファンが歌を育ててくれている。前々作の「雨の舟宿」から3作続いてオリコンの演歌・歌謡曲チャートで初登場1位にランキングされた徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、こおり健太は、デビュー10年の今をこのように語った。前作の「風花」と2018年4月11日に出したデビュー10周年記念曲「泣きみなと」は、作詞を田久保真見、作曲を岡千秋が手がけている。こおり自らがいう「個性的な女歌」で、演歌界に大きな花を咲かせようとしている。









「風花」発売前から始めたCD予約販売会は、今作「泣きみなと」でも東京、関西、九州、札幌、宮城で実施して好評を博した。大阪で開催されたライブでもたくさんのファンが並んで予約をしていた。
その「泣きみなと」は港が舞台である。風が海が、カモメも潮騒も、すべてものが歌の主人公の女性とともに悲しく泣いている。その切ない情景をこおり健太の高音が、一層増してくれる。女性ファンを惹きつける所以である。

彼はこんなに悲しく切ない女歌ばかりを歌い続けてきた、至極まれな男性歌手と言えるだろう。
女の心情を表すために、一体どんな工夫をしているのだろうか。
「デビュー以来、ずっと女歌を歌ってきました。頭の中で想像を膨らませながら描く理想のドラマを重ねながら歌っています。これからも女歌を歌う記録を更新したいです」

最近こおりは、ラジオで共演した先輩歌手で、女歌を歌わせると右に出る者がいない、とまで言われるほどに、その表現力が高く評価されている角川博(キングレコード)から「ネチっこくならないように、押し付けないこと」と、女歌を歌うコツを教わっている。

「僕の歌は歌詞を歌うことによって、主人公の代弁者になっています。説得力があるとも言われますが、裏を返すと表現が重いのであって、そのふたつのバランスを取ることが大事ですね」

3会場で10周年記念コンサート

95D50F05-8B09-4574-A574-695CD5E8B2FC.jpeg こおりは、幼稚園教諭と保育士の資格を取るために短大で学び、地元宮城県で3年8ヶ月、保育所で働いた。女性が多い職場環境が、今の女歌に影響を与えているのかは分からないが、決して皆無ではないはずだ。
歌手になりたいという子供の頃からの夢を実現するために退職し、その後上京したが、食べるために飲食店で皿洗いなどのアルバイト生活をする。

アルバイト先でカラヲケを歌っているところを、音楽事務所の社長から「うちでやってみないか」と、かけられた声に「やります」とふたつ返事でデビューへの道を掴んだ。
キングレコードから「口紅哀歌」でデビューしたのは2008年で、2作を出した。11年には徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍して「泣いてください」で再出発。これが今の女歌のこおり健太につながる本格デビューであった。


そんな歌手デビューまでもを振り返る「こおり健太10周年記念コンサート」を、2018年9月30日の東京・四谷区民ホールを皮切りに、宮城・山元町中央公民館大ホール(同10月27日)札幌・道新ホール(同11月18日)の3会場で開く。
「歌手になるまでを振り返りながら、デビュー10年の軌跡を皆んなで共有し合える内容のコンサートにしたい」
こおりはメモリアルコンサートの内容を固めつつある。

開催予定地には関西は入っていないが、大阪では「ピアノの弾き語りも混じえたライブを行いたい」と、今、計画を立てているところでもある。





[こおり健太 オフィシャルサイト]
http://k-kenta.sakura.ne.jp/wp//
[こおり健太 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/koori.html






nice!(7) 
共通テーマ:音楽

知里(日本クラウン)  「あなたの女です」 ニュー演歌第2弾 今年はこれでクラウンのヒット賞を [インタビュー]

3C90CB4C-33FA-4A79-942A-569E1CB123CB.jpeg◆今年度はヒット賞を狙います、と意欲を見せるのは日本クラウンの歌手、千里である。昨年度、初めて奨励賞をもらった。2018年3月28日発売の新曲「あなたの女です」は、「2、3回聴くと口ずさんでもらえる」と、ヒットへの手応えを感じている。プロモーションビデオ(PV)に中国語などで歌詞の字幕を入れて配信を計画するなど、彼女ならではの新たな取り組も見せ始めている。










知里は今、前作の「花艶歌」(2017年)から〈ニュー演歌〉と呼ばれる、ポップスぽい要素を多分に含んだ新しい演歌の路線を歩み始めている。衣装も上半身は着物だが、下半身はスカートにハイヒールといった、まるで服を着た人魚のようで、まさにニュー演歌の言葉に相応しい出で立ち。

EF45B8ED-8C41-4694-A557-88BFE36A1F41.jpeg 大学で声楽を学んでクラシックやジャズを歌ってきた。デビューから4曲は歌謡曲だった。レコード会社の「私に泥くさい演歌を、明るく思い切り唸って歌わせたい」といった要望に応えて、前作からニュー演歌という耳新しいジャンルの歌に挑んでいる。

「歌詞を読み、意味を解釈して、振り付けの所作を勉強しています」
演歌を自分のものにしようと必死である。

そんな千里だが今作(演歌)は「歌詞は単純だけど、重くて難しい言葉が並んで暗い。でも楽しく歌えます。こつこつと笑って歌っています。そうすると笑っている顔がいいなんてほめてもらえるんですよ」と、笑って見せてくれた。

ファンからは「あら、今度は演歌なの」と言われるが、ホームグラウンドの千葉を飛び出してのキャンペーンでも反応は良い。「CDを1枚1枚と買ってくれる年配の女性たちが増えてるんです」

そうした年配層をカップリング曲でも喜ばせている。「あなたの女です」のカップリングには織井茂子が歌った「黒百合の歌」(1953年)を、前作の「花艶歌」には伊藤久男の「イヨマンテの夜」(1949年)を収録している。彼女の豊富な声量が、歌の魅力を高めてくれている。

BD9D9954-3DBC-48BC-9059-B423E82BC4E7.jpeg

新しいことをするのに抵抗は感じないという千里。今、始めようとしているのが、「花艶歌」と「あなたの女です」のPVに、中国語や韓国語、英語などの字幕を挿入してネット配信すること。
まだ歌詞の翻訳を始めたばかりだが「海外の人たちにも日本の演歌を楽しんでもらいたい」と、奇抜な衣装と合わせて国内外への期待は高まる。

順調に〈ニュー演歌〉の路線を歩み出した千里だが「将来は、ちあきなおみさんの路線に憧れています。さらにはマンボ、ルンバといった曲調を取り入れた作品にも挑戦してみたい」と、新しいものへのチャレンジ精神は旺盛である。





[知里 オフィシャルサイト]
http://office-kaneko.co.jp/
[知里 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/chisato/whats.html






nice!(5) 
共通テーマ:音楽

三門忠司(テイチクエンタテインメント)  「人生坂」 聴く人すべての応援歌  しみる三門演歌 [インタビュー]

三門忠司.jpg◆デビュー40年が近づいているテイチクエンタテインメントの歌手、三門忠司が自らの人生とかさねたかのような歌「人生坂」を2018年4月18日に出した。人生を坂にたとえて力まずに歌うそれは「自分への応援歌であり、聴く人すべての応援歌である」という。カップリング曲の「なぁ酒よ」は、今までにない歌の世界を歌ってみたい、といった三門の希望を叶えてもらって出来たもの。しっとりと歌う新しい趣きを作り上げている。両方の曲を作曲をした岡千秋が「忠やんの新しい世界ができたで」と言えば、三門も「2曲ともええ歌やでぇ~。歌ってもらって応援してもらいたい」と呼びかける。







 三門忠司は自らの歌世界で、男を、そして夫婦を歌い、さらにはなさぬ仲の男女を表現してきた。そうした多くの作品の中で共通しているのは男の生き様を歌っている点であろう。新曲「人生坂」とカップリングの「なぁ酒よ」もまた、紛れもなくそうした1曲なのである。

 発売前日の4月17日から始まった新曲発売記念の関西キャンペーンでも、たくさんの女性ファンが三門を追いかけ、席を確保するために早い時間から列を作って開演を待った。そんな光景を目にすると、三門が歌う男の生き様に魅せられた人たちが如何に多いかが分かるようである。

三門忠司・人生坂.jpg 「人生坂」は、辛い苦しいことの多い人生を坂にたとえて、自分で頑張っていこうよ-と歌う「すべての人に向けた応援歌」である。三門は今年10月で74歳を迎える。脱サラしての35歳でのデビューだった。そんな自分を励まし、聴く人には三門演歌が心に染み渡るような新曲である。
 「この歳になっても毎年、新曲を出してもらえるということは有難いことです。ファンには同世代の人も数多くいます。体調を崩してしまった、という声も聞かれます。そんな中から聞こえてくる『1年でも長く歌って』といった声援をエネルギーに、歌っていこうと思ってます」

 カップリングの「なぁ酒よ」は、男心の切なさをスローなテンポで歌っている。
 「最近は沁みるような切ない歌が少ない」(三門)ことから、この歌詞とメロディーが出来上がった。作詞の志賀大介は「男なら誰でも、こんな事あるよな」という世界を書いた。
 それならば歌ってみたい、という人も少なくはないのだが「この作品は作り手が、どや、歌えるものなら歌ってみい、と挑戦状を叩きつけたかのよう」(三門)な楽曲である。

 それに対して三門は「詞と曲の邪魔をしないように、自分の声と気持ちを寄り添うように歌えばいいでしょう。力まずに半分の力で歌い、残りは聴く人に膨らませてもらえばいい」とアドバイスする。


 多くのファンは三門の歌に「忠さんの声に癒され、ホッとする」という。「人生坂 / なぁ酒よ」は、そんな人たちに大きな力を与えてくれるのかもしれない。
 「人生坂」の最後に ♪ 人生坂は 誰の坂でも ないんだよ そうさ自分の 坂なのさ 〜 とあるように、三門は「僕も1人でも多くの人に聴いてもらえるように、CDを精一杯販売しヒットさせて、応援してくれている皆さんに応えていきたい」と、2年後に迫ったデビュー40年に向けて意気込みを見せた。





[三門忠司 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/mikado/







nice!(6) 
共通テーマ:音楽

夏木綾子(キングレコード)  「金沢しぐれ」  旅情を誘うニッポの美を歌った演歌  初の金沢旅行も [インタビュー]

夏木綾子.jpg◆「今年、女友達3人で金沢へ旅行するんですよ」。キングレコードの歌手、夏木綾子が初めての金沢の旅を計画している。ひがし茶屋街、片町、犀川と2018年4月4日に出したばかりの新曲「金沢しぐれ」にも出てくる金沢の名所を訪ね、近江町市場では北陸の美味しいも体験する。金沢の風情を身体いっぱいに感じて「歌の主人公の気持ちになってみたい」と、心を早くも金沢へ向けて弾ませている。










 小雨降る金沢の街を行く女ひとり。そんな姿をメジャーな曲調でしっとりと歌う「金沢しぐれ」は、夏木綾子が「あじさい雨情」(2005年)から歌い続ける雨シリーズである。夏木と言えば雨、雨と言えば夏木と言ってもいいほどに、今まで雨のいろんな趣きを感じさせてくれている。雨は夏木演歌の定石になった。

 今作は、金沢を歩くようにゆったりと歌うそれは、まさに古都散歩の頁をめくるかのように、街のあちこちが目に浮かんでくる。
 「前作で徳島を舞台にした『眉山の雨』を歌って、地方都市の歌への魅力を感じさせられて、今回は行きたい土地に選ぶ人が日本で一番多いという金沢へ飛ぶことになりました」

 CD発売後の反響も良く「歌を聴いて、久しぶりにふる里の金沢へ帰ってみたくなりました」などといったファンレターが届くなど、聴く人の旅情を誘っているようである。

夏木綾子・金沢しぐれ.jpg 古都の風情を一段と感じさせてくれるのが、詞に散りばめられている「暮れなずむ」「そぞろ歩く」「傘をかしげて」「濡れそぼる」といった言葉だろう。
 いずれも日本の風景や人情の細やかさなどを感じさせるものであるが、今では演歌の世界でしか味わうことが出来なくなってしまったのが残念であるが、なればこそ「金沢しぐれ」はニッポンの美を歌った1曲とも言える。

 「3番に<しぐれ月>という言葉出てきますが、これは雨の日に月を言います。濡れているかのようなその姿を、しぐれにたとえています。知らない人が多い言葉ですよね」


 カップリング曲は夏木の母親の出身地、長崎・五島列島を舞台にした「海鳴り情歌」。無事に漁から帰って来てくれるだろうか、と東シナ海を見て恋しい人を待ちわびる歌である。夏木の祖父は五島で漁師をしていたという。彼女がまだ子供の頃、夏休みには毎年、大阪から1週間ほど母と一緒に五島へ行っていた。親戚の子たちと海や山で遊んだ記憶は今も鮮明である。

 「サザエやウニ、アワビを採りに行く祖父に連れられてポンポン船で海へ行きました。祖父が海に潜っている間は、近くの島で遊んでるんですが、楽しい思い出ですね」

 歌はその頃の情景を想い出しながら、「金沢しぐれ」とは正反対に力強く歌う。


 初めての金沢旅行は梅雨入り前に休暇を取って、大阪の女友達と一緒に出掛ける。
 夏木は「美味しいものを味わいたいし、気に入った帯締めや帯揚げを見つけられるといいなぁと思っています。有名な金箔もね。街を歩いて歌の主人公の気持ちになり切りたい」と、期待を膨らませる。

 去年、大阪で25周年記念パーティーを開いた夏木は「今年からは30周年に向けて、健康に気を付けながら、いい歌を歌っていくことを心掛けていきます」と、話していた。






[夏木綾子 オフィシャルサイト]
http://natsukiayako.net/
[夏木綾子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10421






nice!(6) 
共通テーマ:音楽

山口ひろみ(テイチクエンタテインメント) 「紅の雨」 デビュー16年で目指す新しい路線  ドラマチックでしっとりした演歌 [インタビュー]

山口ひろみ.jpg◆こんな山口ひろみがいたんやー!そんな驚きの声も聞こえてきそうな、2018年2月14日に発売された新曲「紅の雨」。スローなメロディーに切ない別れの詞がのる。「新しい路線を目指したい」というレコード会社のディレクターの強い意向で出来上がった。CDジャケットの潤んだ瞳で見つめる山口の写真は、いつにも増して女っぽさが感じられる。本人もお気に入りの1ショットである。


山口ひろみ・紅の雨.jpg









 「紅の雨」は、初めて好きな人に誘われてやって来た静岡県修善寺への旅は、切ない別れの旅だった、という設定である。タイトルの「紅-」は、別れたくないという燃えるような想いが、桜の花さえ紅色に見えてしまうところから付けられた。ドラマチックでありながらしっとりとした歌である。

 今まで歌ってきた楽曲とはガラリと違っている。意外とかまさかとか、といった声も聞かれるが、これは進化する山口ひろみのひとつの側面なのだろう。

 山口の歌は、今作のように歌謡曲寄りでありながらもしっとりとした演歌タッチな「紅の雨」であったり、こぶしの効いた山口のイメージを定着させたデビュー曲の「いぶし銀」、さらには師匠の北島三郎のオリジナル曲をアレンジした自身も大好きだという「その名はこゆき」の3つのタイプに大きく分かれるという。それぞれ違う顔を持つが、どれもが山口ひろみなのである。

 「私は取り立てて個性的でもないけれど、何でも歌えるようになりたい。そこに残っていける歌手になれるポイントがあるように思っています。幹がしっかりとしていれば、どんな歌を歌っても勉強になるはずです」

山口ひろみ2.jpg
私の帰るところは演歌です

 デビュー16年目になる山口がつかんだ、自らの歌世界である。
 「悩んだこともありましたが、10年を過ぎた頃からでしょうか、何を歌っていようと、これが山口ひろみだ、と皆さんが自然と感じてもらえるようになればいいと思うようになったんです」

 確かにデビューから彼女はいろんな歌を歌ってきた。女歌も男歌もあったし、抒情歌もあればブルース調も。デュエットも3曲ある。「どんな歌を歌っても、帰るところは演歌なんです」と、進化し続ける山口にはもう迷いはない。

 今作のカップリング曲「振り向いて」はシャンソンの香りがする歌謡曲で、彼女の器用さを表した1曲だ。衣装も着物よりもドレスが似合う歌で、新しい世界を開いている。

 そんな彼女がさらに新しい挑戦を見せてくれた。
 4月3日から16日までの期間限定だったが、JR大阪環状線の女性専用車両で流れた「おんなのうた」シリーズの「きょうもゴミが出せなかったの歌」を山口が着物姿の演歌歌手として歌ったのである。

 読売テレビが制作したもので、働く女性の"あるある"を1分間の歌「おんなのうた」にして、モヤモヤした気持ちを丸ごと受け止めて前に進もう、というものである。
 その第1弾が「きょうもゴミが出せなかったの歌」であった。環状線での配信終了後は、YouTubeでも配信されて、視聴回数は1か月余りで8万回を超えている。「紅の雨」で切ない女を歌う、同じ歌手なのかと思わせる企画であった。それをこなすのは、やはり大阪・天下茶屋出身の山口ひろみならではなのだろう。


 「紅の雨」のCDに封入されているプレゼント応募券を貼って応募すると、山口が初代の観光大使をしている宮城県女川町の蒲鉾か「紅の雨」のポスターが当たるプレゼントも実施している。





[山口ひろみ オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/hiromi/
[山口ひろみ テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/yamaguchi/






nice!(4) 
共通テーマ:音楽

「渡辺要物語 歌は心の港」 第8回 別れ [インタビュー]

二代目若乃花に抱かれる渡辺愛一郎.jpg渡辺要(日本クラウン)は2016年6月21日、人形・くいだおれ太郎で知られた大阪・道頓堀のビルの地下にあるライブハウス・道頓堀ZAZAで開かれた「道頓堀SUPER歌謡劇場」のステージに立っていた。彼はこの5日前に最愛の長男、愛一郎を43歳の若さで亡くしたばかりであった。あまりにも突然のその死は、要を奈落の底へ突き落したかのようであった。嘆き悲しむ要を慰めるかのように、同劇場を主宰する作曲・作詞家の中村泰士は彼の横に立ち「ええ歌を歌いまっしゃろう、このおっさん。この前、息子を亡くしたばっかりなんですわ」と彼独特の言い回しで、客席に向かって要への応援を呼びかけた。







第56代横綱の2代目若乃花に抱かれる愛一郎、要鮨で

 渡辺要にとって愛一郎は、結婚8年目でようやく出来た1人息子で、要鮨のお坊ちゃまとして、文字通り目の中に入れても痛くないほどに溺愛して育てた。それだけに息子の死を知らされた要の悲しみは尋常ではなかった。

 東京の母親の元から高松に戻った愛一郎は、高松市立四番丁小学校(現・新番丁小学校)の4年に編入した。同時に少年野球チームに入ると、すぐにレギュラーになったほど運動神経は抜群であった。
 県下トップクラスの香川県立高松高校への進学者が多いことでも知られた同市立紫雲中学へ進んでからも、部員が150人もいた野球部に入り「1年からベンチ入りしており、店にあった宴会用の太鼓を持って応援にも行った」と、要は周囲も憚らずにあらんばかりの親バカぶりを見せていた。


渡辺要2.jpg 志望していた高松高校の受験には失敗した。私立の大手前高松高校へと進学する。大学は母親の千恵子が住んでいた実家からも近い、東京の亜細亜大学に入学した。母親と長く別れて暮らした寂しさを癒すことが出来れば、と要の計らいで一緒の生活を選んだ。月々10万円を仕送りしたという。

 大手前高松高校では、成績順に1組から6組までのクラス編成がされていた。入学当初は6組だった愛一郎だが、2年で3組、3年では1組に進むなど優秀ぶりを見せた。
 クラスの入れ替えはテストの成績で決められていた。

 「テストでクラスで1番を取った時には、愛一郎は喜び勇んで帰ってきて、店に立っている僕に報告してくれました。祝いや、と叫んで赤飯を炊いて鯛の活造りを作ったもんです。小学生の頃には遠足や運動会となると、従業員が、親っさん弁当作りますわ、といって豪華な弁当を作ってくれて、それを持たせました。クラス全員の弁当を作ったろか、と言ったこともありました」

「道頓堀SUPER歌謡劇場」(2016.6.21)で歌う渡辺要

 さすがに愛一郎も、そんな父親に「恥ずかしいからやめてくれ」と断っている。

 大学生生活は4年間、東京で過ごし、卒業後はそのまま東京で就職している。

 そんな愛一郎の身体に変化が見られるようになったのは、27歳になった頃からであった。
 ある日突然、母親の千恵子が慌てふためいて「愛一郎がおかしい。押し入れに入って出てこない」と、電話がかかってきたのが始まりだった。
 要は信じられなかった。いつも活発に野球をするなどパワフルなイメージしかなかった息子が、そんなことになるなんて嘘だとしか思えなかった。

 「なにをアホなことを言うてるんや。そんなことになるわけがないやろう」
 要は千恵子を怒鳴りつけた。

 高松に帰りたいという愛一郎の希望通りに戻らせると、まるで子供みたいに「父さん・・・」と、か細いで話しかけてくるだけであった。ボールを追ってグラウンドを走っていた元気な愛一郎とは、まったく別人になっていたのである。
 病院での診断はうつ病だった。「改善はするが、完全には治らないだろう」とも宣告された。

 病状を心配して千恵子が東京から駆け付けると、愛一郎は「2度と来るな、帰れ」と母親をまったく受け付けようとはしない。


 離婚して東京へ戻った千恵子には新しい男性がおり、彼女の両親が亡くなると家に入れて愛一郎と3人での生活が始めていた。医者は「それが原因で自分の居場所がなくなった、と思わせるようになり、病気を悪化させたのだろう」と推測するのだった。


続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第7回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-25
「渡辺要物語 歌は心の港」第6回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-24
「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-09
「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







nice!(6) 
共通テーマ:音楽

川上大輔(日本クラウン) 「パズルを解かないで」  ミステリアスで切ないラブソング  関西発のラジオパーソナリティーもスタート [インタビュー]

川上大輔1.jpg◆少しミステリアスでアンニュイな歌い出しが、この歌の魅力を増している。この先、物語がどのように展開していくのか、とまるでミステリー小説を読むかのように、聴く者をぐんぐんと惹きつける。2017年に日本クラウンに移籍した歌手、川上大輔が、18年2月に出したシングル「パズルを解かないで」である。川上はこの作品を「僕の中にあるものを最もよく引き出してくれているし、これから進む道を想像させてくれている」と説明する。デビュー6年目の彼に新たなショーが始まるのかもしれない。










 淡々としたメロディーが流れ、それに乗せた詞は男女2人が会話するかのように、歌のストーリーは展開していく。
川上大輔・パズルを解かないで.jpg 主人公は「一途に年上の女性に恋い焦がれる、どこまでもピュアな男性」(川上)であり、彼女のミステリアスな心の内を知ろうとすればするほど、胸は苦しくなる。そんな「パズルを解かないで」は、切ないラブソングなのである。

 レコーディングで川上は何度か歌っているが「ファーストインスピレーションで最初に歌ったものが、ライブのように演奏と一体感が出て、作品として面白味が出ていた」ことからそれが採用された。


 川上は演歌・歌謡界で活躍する若手イケメン歌手、演歌男子。の1人としてテレビやライブなどに出演している。それは演歌・歌謡曲の新しい訴求手段であるわけで、彼にとっても「おかげで新しいファン開拓につながっている」という。
 新曲「パズルを解かないで」のキャンペーンでも、<だいちゃん、だいちゃん>の掛け声も多く「年々、応援がふえている」(同)と、喜びを隠せないようである。

 「パズルを解かないで」のカップリングには「シャボン玉の恋」が収録されている通常版のほか、もう1曲「鳥の歌」とDVDをプラスした豪華版の2タイプが用意されている。DVDは「パズルを解かないで」のミュージックビデオと、そのビデオのメイキング版も収められている。

川上大輔2.jpg


 この楽曲は映画を見ているに、聴く者のイメージを膨らませてくれる。歌謡曲を5年間歌ってきた川上であるが、自身にとって大きな区切りとなるデビュー10年目に向けては「ミュージカルなど歌以外にもやってみたいことはある」と、夢を膨らませている。

 川上が「この作品は今までのどの作品よりも、僕という人間を表現してくれており、これから歩もうとしている道を想像させてくれている」というように、新曲は彼の次のステップを暗示しているようだ。
 デビュー以来、川上は個性的な「プラチナボイス」と呼ばれるハイトーンな声でファンを魅了してきたが、同時に「どんな言葉が相手の胸にささるのか、そして聴いてもらえるのか」を常に考えきた表現者でもあり、「パズルを解かないで」は、その問いに答える新たな1曲なのだ。


 関西で初めて、このほど毎週木曜日夕方の時間帯に、ラジオ番組のパーソナリティーもスタート。これをきっかけに、月に1回程度の来阪が実現し「ラジオ以外にも店頭ライブなど関西のファンとの絆を深めるきっかけにしたい」と意欲を見せている。






[川上大輔 オフィシャルサイト]
http://daisuke1112.jp/
[川上大輔 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kawakami/whats.html







nice!(7) 
共通テーマ:音楽

「渡辺要物語 歌は心の港」第7回 長男誕生 [インタビュー]

渡辺要 2018.04.03.jpg◆この頃はまだ渡辺要の興味は歌よりも、鮨店の経営の方が大きかった。
 オープンした要鮨は連日のように順番を待つ人たちの行列が出来ていた。鮨店にしては珍しく「もういいわ、というほどにお客が来た」(渡辺)ほどで、街の人たちの間では「伝説的な繁盛ぶりだった」と、オープン時の盛況ぶりは長く語られ続けていた。

 それは彼のこだわりの成果でもあった。店舗は経営コンサルタントのセミナーにも参加して、念入りに話を聞き、インテリアなど一流の店作りをした。1フロア25坪の店は1階がカウンターとテーブル席、2階に個室を4部屋作って、支店経済の街と言われる高松の社用族が接待に使える高級店にした。

 3階は住まいにした。
 新店舗をオープンした翌年、1973(昭和48)年5月20日に長男愛一郎が誕生している。要が惚れて惚れて惚れぬいて一緒になった妻、千恵子との結婚生活8年目の時であった。

テレビ番組「歌に恋して」で歌う渡辺要(2018.4.3)

 桃栗3年柿8年ではないが、待ちに待った誕生の喜びを隠せない渡辺は、自転車のペダルを踏み、尻が痛くなるのも忘れて、約3時間をかけて実家がある香川県木田郡西植田村の、母親が眠る墓で長男の誕生を報告に行っている。

 「母は末っ子の要の子供を見るまでは死なれへん、と言いながら死んで行ったんですが、ようやく喜ばせることが出来ると思ったんです」
 母親の話をするとき、要の眼には涙が滲んでくる。
 報告を終えて、高松への帰りは「車に乗せてやる」という農家を営む兄・勇が、普段は農作業に使っている軽トラックに自転車を積んで、送ってくれた。

■6年間作り続けたパパ弁

渡辺要・鮨職一代.jpg 要と千恵子の間に出来た子供は愛一郎ひとりであった。それだけに宝物のように育てたのであったが、夫婦はどちらも気が強くて、引かない性格であったことから、愛一郎誕生前から良く衝突していた。
 喧嘩するたびに千恵子は東京の実家へ戻っている。

 「帰るたびに、僕が白旗を挙げて迎えに東京まで行くんですわ。すると女房は『ほら見なさい、私がいないと困るでしょ』と食ってかかってくるから、また喧嘩して、ひとりで高松に戻ったことしばしばでした」

 惚れて一緒になった仲やのに、2人はこうした衝突を何度も何度も繰り返している。


1991年3月リリースの「鮨職一代」は渡辺の鮨職人時代の意気込みを歌った
全すし連推薦曲にもなっている

 繁盛している鮨店のオーナーで、まだ30代の若さであったから要は、夜の街でも良くモテていたという。事実「誤解を招くようなこともあった」といい、愛一郎が小学2年になると、千恵子はついに息子を連れて東京へ帰ってしまい、2年もの間帰ってこなかった。

 千恵子の実家は東京・渋谷で乾物問屋をしていたが、渡辺が結婚を申し込んだ時にはすでにそこは倒産して、雨漏りがするような借家に引越しをしていた。彼女は7人兄妹の長女だった。
 結婚当初にそこを訪ねた要は、若くて勢いがあったのであろう、男気を出して「この家を建て替えてやると宣言したんです。当時は300万円もあれば家一軒が建っていたので、建て替えの頭金にと、取り敢えず50万円を渡して、家を建てた後のローンも毎月10万円ずっ支払った」という。

 千恵子が実家に戻るたびに、元軍人で頑固な父親は「要のどこが悪いんだ」と、自分の娘をたしなめていた。2年間もの期間、戻った時もそのように説得して、子供が4年生になる直前にふたりを高松に戻している。
 2人が帰ってホッと胸をなでおろしていた要だったが、それもつかの間、1ヶ月ほどして、今度は千恵子は子供と離婚届を置いて、またまたひとりで実家に戻ってしまったのである。

 それでも要は「いつか戻って来たときのことを考えて離婚届には印鑑を押さないで待っていた」が、商売をしながらの父子家庭は楽ではなかった。
 愛一郎には中学3年までの6年間、毎日弁当を持たせていた。朝6時に起きて弁当作りをして、それから子供と一緒に市場へ買い出しに行く。市場の食堂で朝ごはんを食べて学校へ行かせるという毎日であった。


続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第6回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-24
「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-09
「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







nice!(8) 
共通テーマ:音楽

「渡辺要物語 歌は心の港」第6回  高松・ライオン通りに出店 [インタビュー]

渡辺要 2018,03.11.jpg◆渡辺要は鮨店を経営しながら少しづつ歌の道へと入っていく。
元々子供の頃から歌を歌うのが大好きだった要は、小学3、4年になると自転車に乗って1人で、たとえ1時間ほどかかる場所であっても、素人のど自慢コンクールがあると聞くと、良く飛び入り参加して歌っていた。

 歌うのはいつも三橋美智也や三波春夫であった。参加すると、きまって熱演賞などをもらっており、母親を喜ばせるのが自慢だった。彼は今でもその頃を「賞品はタワシとか餅焼き網とかが専らでしたが、たまに酒の一升瓶ということもあって、兄貴たちが喜んでくれた」と懐かしそうに振り返る。

 要は8人兄姉の末っ子である。一番上は女で、その下に男が5人続き、さらに女、そして要であった。実は彼の後に双子が生まれているが、誕生してすぐに亡くなっている。
 三男の勇は渡辺よりも歌は上手かったようで、同じようにコンクールに参加しては優勝していた。

<歌の原点は村ののど自慢大会だった>

 もっともこの頃はまだ歌手になるなんて、思いもしていなかった。
 それでも母親のミノルにとっては、歌が上手い要は自慢の子供だったのだろう、近所で祝い事があると彼を連れていっては、歌を歌わせていた。村の者たちも黙ってはいない。「僕、上手いね」と言って、10円や20円をくれていた。歌でお金を稼げると知った最初であったのだろう。

■背伸びしてでもヤレ!

 そんな歌好きな子供だったが、大阪で寿司職人の見習いを始め、高松に戻って自分の鮨店を持った要に、歌を歌う余裕が出来るのは、ずっと後になってからである。

 高松で最初に持った店の隣が空いたので、そこも借りて店を倍に広げた。
 信用を付けるには土地を持たなければ、と考えて27歳で土地付き店舗を買うことになったのは、それからしばらくしてからである。

 そのきっかけとなったのが、広げた店を立ち退くことになったからだった。
 家主から「老朽化した今の2階建ての建物を3階建てのビルに建て替えたいので、新しくするまでいったん店を出て欲しい」と、一時的な立ち退きを求められた。
 その間の生活補償金として1ヶ月10万円を支払ってもらえるし、新しいビルが出来たら優先的に、再び入居出来るといった好条件だった。

 「その頃は夫婦で1ヶ月10万円、3ヶ月で30万円あれば生活出来たので、それで了承して店を出ることにしました」

渡辺要 若き日.jpg 意外と素直に要求を受け入れたのだが、そうではないテナントもいた。
 同じビルには5店舗が入っていた。そのうちのリーダー格であった1店舗の店主が「共同戦線を張って、提示されている補償金額以上にもらえるように交渉しよう」と持ちかけてきたのである。
 そんな策を弄することが嫌いな要は、即座に断った。すると5店舗からは村八分にされてしまった。顔が会っても、誰も口を聞いてくれないのである。

 そんなことは意に介さない要だったが、気分のいいものではない。とりあえずは仮営業をする店舗を探すことにするが、それが伝説の鮨店となる土地付き店舗に巡り合うことになるのである。

 店舗探しに協力してくれたのは、酒を仕入れていた酒屋の社長であった。
 ある日、高松市内の飲食店街では1等地であるライオン通りの、しかも角地の物件が売りに出ている、と持ち込んできた。
<若き日の渡辺要>
元は美術工芸品を商っていた3階建てのビルだというのである。価格は約4000万円もしていた。

 「当時の僕には目が飛び出るような金額で、到底手が出るようなものではありませんでした。しかし酒屋の社長は、気に入った物件ならば予算がオーバーしても価値があれば頑張って買うべきや。いらなくなったら売ったらええんや、と背中を押してくれたんです」

 要はその言葉に勇気付けられて買うことを決めたものの、銀行は融資してくれない。すると酒屋の社長が「自分が銀行に2000万円を預金するから、それを担保にしたらいい」と言って援助してくれた。
 最初は仮営業が出来る店舗を探す程度のつもりが、話はどんどん大きくなって、なんと要鮨は晴れて高松を代表する繁華街に店をオープンすることになったのである。

 そんな時、立ち退いたビルのオーナーが、当初の約束だから補償金の30万円は受け取って欲しいとやって来た。しかし渡辺は「僕の人生観に合わないから」と言って、受け取ることを固辞した。

 曲がったことが嫌いな頑固な性格は今も同じようである。


続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-09
「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







nice!(7) 
共通テーマ:音楽

三浦京子&ハニーシックス(ホリデージャパン) 「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」 誰もが振り向く大阪タイトルのムード歌謡曲 [インタビュー]

三浦京子とハニーシックス.jpg◆甘い歌声、軽快なメロディー。まさにこれがムードコーラスの王道だろう。ホリデージャパンのムードコーラスグループ、三浦京子&ハニーシックスが2017年8月に出して、大阪を舞台に歌う「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」が好評だ。その彼らは芸能生活53年というキャリアの長さもさる事ながら、兄妹だけで構成するコーラスグループは、日本はいうに及ばず、世界でも珍しいという。しばらくムード歌謡からは離れ、人生の応援歌や母への感謝をテーマに歌っていたが、再びのそれにメンバーの4人は水を得た魚のようである。







三浦京子&ハニーシックス
四男の三浦久雄さん(左)と末っ子で長女の三浦京子さん

 ハニーシックスと言えば、♪ 泣いているのか 笑っているのか 〜 とシャンプーのCMとの相乗効果もあって大ヒットした「ふりむかないで」「よせばいいのに」など数々のムード歌謡曲で知られている。
 10年前にリーダーで長兄の弘が70歳を機に脱退したが、その後、1994(平成6)年にデビュー以来使い続けてきた三浦弘&ハニーナイツのグループ名を、新たに「三浦京子&ハニーシックス」に変えている。

三浦京子とハニーシックス 大阪ナイト.jpg 今作のメイン曲「大阪ナイト」は作詞が新人作詞家のTOJA、作曲はハニーシックスのメンバーで三男の三浦ハルオ(春男)、編曲はハニーシックスの作品を数多く手がけてきている隼トシヒデである。
 カップリング曲の「北の新地の意気地なし」も作詞はTOJA。作曲は中山ひさしで編曲は隼トシヒデ。

 TOJA(トージャ)とは聞き慣れない名前だったが、なんとその正体は大阪・茶屋町でライブレストラン、ボニーラを経営すんる寿和徳社長であるという。演歌・歌謡曲のライブが開かれることも少なく場所だけに、ここに三浦京子&ハニーシックスが立つ日もあるのかも知れない。

 知人を介してハニーシックスが彼と出会ったのは17年2月だった。このところ新曲はムード歌謡から離れていたが、原点に戻ってムード歌謡曲を歌いたいーと、メンバーの誰もが思っていた時だった。ファンからも「路線が変わってしまってつまらない」といった声も聞こえていた。

 「大阪にいい詞を書いている人がいる」と紹介されたTOJAは、2度目の青春時代を始めようとする50代の男女を描いたシンプルな「大阪ナイト」を書いていた。グループの作品の多くを作曲しているハルオは、それを読んで「これは飽きのこないいい曲が出来るよ」と言い切ったほど、この作品でムード歌謡曲にもう一度、風を起こそうと期待を込めた。

三浦京子とハニーシックス TOJA.jpg
作詞家のTOJA(右)と三浦京子&ハニーシックス

 それからというものハニーシックスは、大阪にいるTOJAと何度も何度も携帯電話で「ここを書き直して」と調整を繰り返しながら、共同で楽曲作りを進めていった。決して〈まあいいか〉といった妥協も手抜きをすることはなかった。
 「ビクター時代にヒット賞をもらった作品など僕たちの音楽はすべて、このように丁寧に手作りをしてきました。だからヒット賞ももらえました」

 大手レコード会社のような面倒な会議もなく、発売は8月23日に決まった。
 こんな具合だから楽曲が出来上がるまでに、ハニーシックスたちの間には作品への愛情がどんどんと高まった。自然と歌う詞の行間にもムードが満ちた。
 もともと歌うことや楽器を演奏して、喜んでもらうのが楽しくて始めた兄妹コーラスグループだけに、ショッピングモールであろうと場末のカラオケ喫茶店であろうと、歌う場所は選ばない。
 メンバーの久雄と京子は「新曲キャンペーンでは何十年ぶりにCDの手売りをしましたよ」と、そ表情は楽しそうである。

■兄妹仲良く歌う

三浦京子とハニーシックス ハニーシックス物語.jpg 今のグループの前身となる三浦弘&ハニーナイツは長男弘、次男貞夫、三男春男、四男久雄、末っ子で長女の京子の5人で1965(昭和40)年に、ハワイアンバンドとして結成されたのだが、それ以前、1958(昭和33)年に兄妹5人でハワイアンバンドのアロハブラザーズを作っている。

 久雄は「町のお祭りで歌ったのが初めての舞台だった」といい、末っ子のの京子はまだ5歳ということもあって「小さくて可愛いためか、出場するコンテストではどこでも優勝していた」など、行くところどこでも人気者だったという。

 1960(昭和35)年、兄妹5人のハワイアンバンドは日本アルミニウム工業(現・ナルコ岩井)が提供していた番組「子供の王様」に東京から招かれて出演している。その時の模様が「ハニーシックス物語 兄妹ともに歩んだ45年」(三浦京子&ハニーシックス著、河出書房新社)に添付されているCDに収録されている。

 その頃、小学校5年の京子はウクレレを弾いていた。中学1年の久雄はでやはりウクレレを担当。貞夫は中学3年でサイドギター、春雄は中学3年でベースギターてあった。彼らのレパートリー曲はすでに300もあったという。

 すでに成人していたバンドのリーダーで長兄の弘は、番組司会者に訊ねられて「兄妹ばらばらになるのは嫌だから仲良く歌おう-とバンドを作った」と、バンド結成の目的を話している。
 その弘は、体力に限界を感じたとして2008(平成20年)に70歳になったのを機に、グループから身を引き、以後、グループ名を三浦京子&ハニーシックスに改めている。

■変わらぬハニーサウンド

 ハニーシックスは1976(昭和51)年から2005(平成17)年までビクターに在籍した。しかしこの間にレコード会社とそれを取り巻く業界の環境は、悪化の一途をたどり、連日のように夜遅くまでレコーディングに追われてムード歌謡を歌ってきた彼らも、新たな挑戦をかけて1995(平成7)年に出した「命燃やして」のヒットを最後に新たにCDが出せなくなってきた。

 その時の様子を前の「ハニーシックス物語」で彼らは「深それまでと打って変わって、新たなCDを出してもらえる状態ではなくなっていた」と吐露している。





 ハワイアンで始まったハニーシックスの歌はムード歌謡曲へと変わったが、間近に迫る60周年に向けて彼らは「音楽の流行に乗るつもりはなく、これぞハニーサウンドと言われるサウンド」を目指し続ける。

 「ハニーシックスの音楽を必要としてくれる場があれば、どこへでも馳せ参じます」

 「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」を歌う三浦京子&ハニーシックスの甘い歌声が、あちらこちらの街に響いてきそうだ。


[三浦京子&ハニーシックス オフィシャルサイト]
http://www.honeysix.com/index.html
[三浦京子&ハニーシックス ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_ha2_honey_2.html







nice!(4) 
共通テーマ:音楽

石原詢子(ソニー・ミュージックダイレクト) 東京・大阪で詩吟教室スタート 亡父の行く行くは1000人規模の流派へ 「遥かな道 / 細石~さざれいし~(詩吟「細石」入り)」 デビュー30周年記念シングル第2弾 [インタビュー]

石原詢子.jpg◆20数年前に64歳で亡くなった父親、石原源風との約束を果たすことが出来たーと話す、今年、デビュー30周年を迎えているソニ・ミュージックダイレクトの歌手、石原詢子が、2018年4月から東京と大阪で詩吟教室を始めている。4月11日には30周年記念シングル第2弾の「遥かな道」(作詞・冬弓ちひろ、作曲・岡千秋、編曲・南郷達也)を出した。長い人生の道のりを頑張って生きていこう、という、まさに自分と重ねた応援歌のような作品である。9月には30周年記念リサイタルも予定しており、歌に詩吟に、新たなステップへ向けて意欲を見せている。










 「もし30年前の自分に会えることが出来るとしたら、きっと30年後にいいことがあるから頑張ってね、と自分に声をかけたい」
 石原詢子はデビュー30周年を迎えた今を、このように語っている。

石原詢子・遥かな道.jpg まだレコード盤だったデビュー曲「ホレました」から数えて、新曲「遥かな道」は37枚目のシングルになる。30周年の節目に相応しい内容の楽曲であり、石原は「人生の中ではくじけそうになることも度々ありますが、今作の歌詞はそれに負けないで頑張ろって生きていこう、と歌っています」と、あらゆる人に当てはまる新曲へ期待を寄せる。

 一方、カップリング曲「細石 〜 さざれいし 〜 (詩吟「細石」入り) 」(作詞・鮫島琉星、作曲・岡千秋、編曲・南郷達也)は、歌の中に珍しい詩吟入りといった、詩吟の師範ならではの楽曲である。

 CDは通常盤のほかに、コンサートでファンの方からのリクエストが多い「みれん酒」「逢いたい、今すぐあなたに…。」を収録した初回生産限定お得盤も出している。

 発売日には大阪市内のイオンモールで新曲キャンペーンを行い、笑顔で「遥かな道」の発売をアピールしたした。翌日の12日には大阪・堺市のおおとりウイングスと兵庫・西宮市の阪急西宮ガーデンズでも発売記念キャンペーンを行う。

■約束を果たして揖水流家元

石原詢子・遥かな道 お得盤.jpg 石原の父親は厳格で、娘の詢子が歌手になるのに際して、彼女と幾つかの約束を交わしている。その後、デビューして5作目の「北しぐれ」(1993年)を歌っていた頃に、今度は彼女の進路を左右するような重要な話を持ち出している。
 自ら立ち上げた詩吟揖水(いすい)流の家元だった父親が詢子に求めたのは、自分に代わって家元を継ぐことであった。

 12歳から揖水流の師範代でもあった彼女ではあったが、すでに歌手として軌道に乗り始めた頃でもあり、受け入れることは出来ず「50歳になったら跡を継ぐ」と、家元は兄に譲ることにした。

「遥かな道 初回生産限定お得盤」

 「その頃はまさか50歳まで歌手を続けているとは思ってもいなかったので、そのような約束をしたのですが、その直後に父と母を相次いで亡くしたこともあり、50歳になった今、約束を守らないで後悔するのが嫌でした」

 継がないといった選択肢もあった訳だが、敢えて多忙を極める歌手業との2足のわらじを履くことを選んだのである。
 「不安はありましたが、詩吟の良さを伝えるのがわたしの使命だと考えて踏み切りました。詩吟のいいところは、奥深い漢詩の世界を体験できることと、限界まで声を出すことなどで健康向上にもつながります」

石原詢子・詩吟教室11.jpg
石原詢子・詩吟教室33.jpg
4月から東京、大阪の2教室で始めた詩吟教室(写真は東京教室)

 4月から彼女が石原美風の吟号で開講した東京・新宿文化センターと大阪・天満橋の教室では、かつてテレビなどで石原が吟じる姿を目にしたことがあるという60-70代のファンを中心に、それぞれ男女20人が、石原の教えに合わせて発声練習を始めている。
 教材は彼女の父親が作った、中国の詩人・朱熹が書いた漢詩「偶成(ぐうせい)」を題材にしたもので、それを基に詩と節を教えている。

 「いずれは地元の岐阜をはじめ各地に教室を広げて、10年先には1000人規模の流派に成長させたい。今作カップリング曲のように、演歌・歌謡曲の中に詩吟を挿入する吟詠歌謡コースも作ることが出来るといいですね」

 石原の<遥かな道>への夢は広がるのである。

■9月に記念リサイタル

 ここまで歌手を続けているとは思いもしなかったのだが、30周年を契機に様々なイベントも予定している。

 2018年6月24日には大阪府堺市でサマーディナーショーを、9月5日には東京・中野サンプラザで30周年記念リサイタルを開く。リサイタルには10年来の浪曲の師匠でもある二葉百合子がゲスト出演することになっている。

 石原は新たな挑戦である詩吟家元という道と「さらにこれからも男歌であろうとセリフ入りであっても、ジャンルを問わずにチャレンジして歌って行きたい」と、歌の道を極める覚悟である。





[石原詢子 オフィシャルサイト]
http://junko-ishihara.com/
[石原詢子 ソニー・ミュージックダイレクト]
http://www.sonymusic.co.jp/artist/JunkoIshihara/







nice!(7) 
共通テーマ:音楽

岩出和也(キングレコード) 「咲いてみないかもう一度」 出足好調 チャート上位を維持 デビュー曲の続編を思わせる [インタビュー]

岩出和也1.jpg◆キングレコードの歌手、岩出和也が2018年7月、大阪市内で初めてのスーパーライブを開く。2月に出した新曲「咲いてみないかもう一度」をはじめオリジナル曲や自身による書き下ろし曲など全20曲余を歌う。デビュー20周年に当たる去年をあえて避けて、すでに21世紀も18年目に入った今年にタイトルも「21世紀・・・21周年記念スーパーライブ」とする。久々に生バンドを起用するほかライブオリジナルのプレゼントも用意している。








 24枚目のシングル「咲いてみないかもう一度」の詞は、香川県在住の作詞家・原文彦が岩出和也に初めて書いた作品である。作曲は徳久広司、編曲は南郷達也である。
 デビューしてすでに21年目になる岩出だが、「咲いて ー 」に著された詞は、まるでデビュー曲の「おまえに雨宿り」(1997年)と2作目の「赤いハマナス」(98年)の続編のような内容である。

 デビュー曲では愛しい人といきなり別れることになるのだが、2作目では主人公は別れた人を目にしたという噂を耳にする。そして今作では、見事に再会を果たすのである。20年間、別れ別れに過ごしてきた2人だが、もう一度俺に賭けてみないか、と心揺さぶるといったストーリーである。

 まるで仕組まれたかのような〈21周年記念曲〉なのである。

岩出和也・咲いてみないかもう一度.jpg 「聴き心地が良い」「歌い応えがある」など、発売後の反響も上々だ、オリコンの演歌チャート初登場は7位だった。その後も20位以内を保ち続けている。最新の4月2日付けでも20位を維持している。20周年記念曲の前作「東京陽炎」から、こうした好調が続く。
 「1年1作のペースで新曲を出し、その都度そんなに変わったことはしていないのですが、やはり楽曲の良さに支えられているんでしょうか」
 岩出は控えめである。

 去年の「東京陽炎」は、杉本眞人作曲の歌謡曲タッチな作品だったということもあって、「新しいファンの応援もあった」と岩出。ところが今作では、引き続いての新しいファンたちに混じって、旧来からのファンによる応援が多い。
 それも2011年の「おまえに やすらぎを」からの一連の〈やすらぎ演歌〉という、岩出らしい男の優しさを歌う路線へ戻っているからなのだろう。

■松山千春に触発されたライブ

 デビュー20年を境に岩出和也の中で、何かが動きはじめている感がある。今年はそれを形にする。7月15日に大阪・新大阪駅近くのメルパルクOSAKAホールで開く「21世紀・・・岩出和也21周年記念スーパーライブ」がそれである。

岩出和也・スーパーライブ.jpg

 地元大阪でのスーパーライブは富田林市などで行ってきたが、大阪市内に会場を移すのは初めてのことである。そこに今年は久し振りに、10人編成規模のの生バンドを入れる。
 オリジナルの岩出演歌・歌謡曲は言うまでもないが、自らによろ書き下ろし曲も2曲ほど聴かせるほか、カバー曲も盛り込む。

 さらに今回は周年を記念して「ぼく自身のデビューから今までの奇跡を写真と文章で綴った小冊子を来場者にプレゼントする」といった趣向も凝らす。
いつもとはちょっと違ったステージが期待が期待されている。





[岩出和也 オフィシャルサイト]
http://www.sunnysb.jp/iwade/
[岩出和也 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=20199






nice!(6) 
共通テーマ:音楽

北川大介(日本クラウン) 「菜七子」 デビュー20周年記念曲 昭和のタフガイを歌い続ける [インタビュー]

北川大介.jpg◆人柄が出ていてとても良かったですよ ー 。日本クラウンの歌手、北川大介は、女優・浅丘ルリ子のそんな言葉に心躍らせた。2018年3月15日、東京・銀座で開かれた歌謡ショーで、出演者の1人として2月に出したばかりの新曲「菜七子」を歌った時のことだった。石原裕次郎らかつての〈日活タフガイ〉に憧れてムード歌謡を歌い続ける北川にとっては、裕次郎の恋人役を数多く演じてきた浅丘からもらった一言は、まるで天にも昇るようだったからである。ファンの手応えも十分というデビュー20周年記念曲にとっては、幸先の良いスタートとなった。








 北川はステージでありったけのパフォーマンスをして見せる。大好きな石原裕次郎や小林旭など、かつて銀幕で大活躍したタフガイたちの物真似も盛り込むのである。彼らへのオマージュ作品となったカバーアルバム「目指せ ! タフガイ」(2003年)も出したほどである。
 このアルバムに収録した石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」(1957年)からも感じられるように「男らしさへの自信が裕次郎さんの世界観の魅力ですね」という北川は、新曲「菜七子」でも ♪ 俺を抱きしめて すすり泣いていたね 〜 と存分に真似て見せるのである。

北川大介・菜七子.jpg 曲中に「菜七子 どこにいるんだ・・・」とセリフが入る。
 イントロや間奏にセリフが入る歌はしばしばあるが、こうして曲中に挿入されるのは極めて珍しいという。しかもなんとそれに続く歌詞が ♪ 俺は待ってるぜ 〜 とくる 。何処までも裕次郎なのである。

 ところで菜七子とはまた風変わりな名前のタイトルであり、歌の主人公だと思ったが、何と中央競馬会には同じ名前の人気女子ジョッキー・藤田菜七子(20歳)という人物がいるのだというから驚きである。
 それはそうとして、「菜七子」の歌は「覚えやすくて、歌っていて気持ちが良い」(北川)だけに本人は「必ず売れる」と自信を見せる。実際に「手応えは良くて、セリフの菜七子は色んな名前に変えて歌うことで皆さんに楽しんでもらっている」と笑って見せる。

■楽しまないと歌は伝わらない

 インタビューの間、北川はずっと笑顔を絶やさない。ステージでも同じである。
 「歌っている本人が楽しくないと、聴いている人たちには、楽しさが伝わらないから」
 彼がデビュー以来守り続けてきたことである。

 そのためステージに立った時にはいつも「客席にはもう1人の自分が座っている」と、思うようにしているのだという。
 「客席の自分が面白くなければ演らない」とまで、エンタティナーぶりに徹する。幸いなことに、今のところすべて楽しいステージだったそうである。

■欠員の代役で出たカラオケ大会が歌手の道へ

 石原裕次郎などが出演する映画やムード歌謡好きは父親の影響が大きかったが、ある時に見た野球のユニホームを着た、まだ高校生だった山本譲二の姿にいっぺんに魅せられたという。日焼けした顔から覗く白い歯がとても眩く映ったのである。以来、北川は野球一筋に走り、神奈川県大会ベスト4にまで進出する。

 それが今度は父親のゴルフ練習で知り合ったレッスンプロに薦められ、ゴルフに人生をかけることになる。大学時代には学生選手権にも出場し、卒業してからは1年間米国へゴルフ留学。帰国するとトーナメントプロを目指していたが、身体の故障が原因でレッスンプロの道へと方向転換する。

北川大介2.jpg北川大介3.jpg
笑顔と八重歯とリーゼントがうりの北川大介。ただし生まれた時には八重歯はなかったとか
大阪・イズミヤ今福店でのキャンペーンで(2018.3.27)

 そんなある日、ゴルフレッスンの生徒からカラオケ大会に欠員が出たから、と勧められて出場し、憧れていた山本譲二の「みちのくひとり旅」を歌った。その時の審査員の1人が「ラブユー東京」などムード歌謡の大家と呼ばれた作曲家の中川博之であったことが、歌手へと再び方向転換を決意させることになった。

 デビュー曲は「前橋ブルース」(日本クラウン、1998年)。星野哲郎の詞に中川が曲を書いたムード歌謡だった。当時は「クラウンのテスト生のような立場」(北川)で、1年半で14万キロを1人で車を運転して、全国でCDを売り歩いた。人の集まるところならどこでも歌ったが、最初に飛び込んだのはトンカツ屋だったというのは、彼の体育会系男子らしいエピソードのひとつである。
 それから20年たった。27作目のシングルとなった「菜七子」への想いはひとしおだという。

 照れ隠しだというステージでの裕次郎たちを真似たパフォーマンスも「ファンに楽しんでもらうためのもの」で、北川本人も思い切り全身で楽しんで歌っている。






[北川大介 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-daisuke.com/
[北川大介 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kitagawa/whats.html






nice!(6) 
共通テーマ:音楽

大江裕(日本クラウン) 「大樹のように」 デビュー10周年記念曲 夢に一途な男の歌を原譲二(北島三郎)が贈った [インタビュー]

大江裕1.jpg◆大阪・岸和田生まれの18歳の青年が、大好きな北島三郎に憧れて歌手デビューしたのは2009年であった。日本クラウンの歌手、大江裕である。今年、10周年を迎えている。2018年3月21日に出した15枚目のシングル「大樹(たいじゅ)のように」は、自らに重ねるかのように、夢に向かって一途に生きる若者を歌っている。師匠の北島から「10周年に相応しい曲」としてプレゼントされた。歌のように「大樹になりたい」と夢は大きい。5月からは同じ事務所の先輩歌手、北山たけし(テイチクエンタテイメント)と2人で「北山兄弟」の名前で、全国約40ヶ所を巡るジョイントツアーコンサートを始める。大阪など関西は来年になる予定。






 ステージの大江裕に〈サブちゃ〜ん〉とかけ声が寄せられる。彼は「好きな先生に1歩でも半歩でも近づいたような気がしてうれしい」と、心の内を明かす。その大江に北島は「80代の俺の真似をするな。20代の自分の色を出してお前の歌を歌え」と諭す。
 大江らしい色とはー。
 勢いがあって、優しさだという。28歳なりの経験からの感情を込めて歌う大江だが「込め過ぎるとどうしても先生(北島)に似てしまうんです」と笑う。

大江裕・大樹のように.jpg 新曲「大樹のように」は、初めて歌う3拍子のワルツのリズムである。一般的には歌いやすいとされるリズムだが、それまで歌ってきたのは4拍子だった彼には3拍子での表現は難しく感じた。オケ録りでスタジオに入ると「3拍子とは思えない、今までに聴いたこともないような音が耳に飛び込んできた」(大江)といい、それが逆にデビュー当時の新鮮な気持ちに引き戻してくれたのであった。

 北島からは、これを歌うに際して今まで歌ってきた10年間の癖をすべて取るように、とアドバイスされている。

 2017年は北島が所有する競走馬・キタサンブラックが大活躍した年でもあった。その年末、北島は大江たちに向かって「来年はお前たちが活躍する年だから」と、それぞれに意気込みを語らせた。
大江は「檜舞台に立ちたいです」と、持ち前の大きな声で夢を話した。
 ところが北島は「いつも立っているステージが檜舞台だろう。勘違いしてはいかん。毎日を大切にするように」とたしなめたという。

 それまでの大江は、大劇場での1ヶ月公演やワンマンショーを演り、全国ツアーが出来るようになることが檜舞台だとばかり考えていたから、すでに自分が檜舞台に立たせてもらっていることが分からなかったのである。北島が「大樹のように」を彼にプレゼントしたのも頷ける。

 「大樹にとっては10年など、まだ根っ子なんですね。10年を過ぎるとようやく芽が出て、成長することも教えられました」

大江裕2.jpg

 大江には大好きな北島はまさに人生の師と言っても良いようである。

 と言っても、北島から歌唱指導を受けることはない。教えられるのは「歌で大事なのは気持ちである。自分の気持ちをステージから思い切り投げかけて、相手(客)とのキャッチボールから学べ。他人にからは良いところ盗め」や礼儀・作法、受けた恩義は忘れるなーといったことばかりである。

■北山兄弟でジョイントツアー

 同じ北島音楽事務所に所属する北山たけしが今年、デビュー15周年を迎えている。大江はその北山と2人で「北山兄弟」を名乗り、今年5月から全国約40会場でジョイントツアーコンサートを開く。会場はいずれも収容人員が1500〜2000人という規模になるという。

 スタートは5月の愛知県刈谷市。2人のオリジナル曲のほか師匠北島の歌を歌って盛り上げる。初めてコントにも挑戦する。「芝居は苦手なんです。歌詞と違って、台詞は覚えられないしね」という笑う大江。地元大阪では来年になってからの公演になるという。





[大江裕 オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/yutaka/
[大江裕 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/ohe/whats.html






nice!(6) 
共通テーマ:音楽

津吹みゆ(日本クラウン) 「哀愁の木曽路」 4枚目シングルで初の大人の恋愛歌 プライベートでは只今、恋愛禁止中! [インタビュー]

津吹みゆ.jpg◆22歳になったばかりの日本クラウンの歌手、津吹みゆが、4枚目のシングル「哀愁の木曽路」で、初めて大人の恋を歌っている。前3作のふる里を想う望郷演歌から、恋に破れた1人の女性が木曽路を傷心の旅へと成長している。そろそろ都会生活にも慣れてきた津吹に合わせたものだ。と言っても現実の津吹は「25歳までは恋愛厳禁」を師匠で作曲家の四方章人夫妻から言い渡されており、大好きな宝塚歌劇を思い浮かべながら哀しい恋物語に挑戦している。


津吹みゆ・哀愁の木曽路.jpg









 憧れていたという5行詞を初めて歌えるのが嬉しかったという。作詞家たかたかしの詞をもらうと「寝る前に読んでは、素敵な悲恋の世界に浸っていました」と津吹。
 その歌の世界では、男性の幸せを願いながら別れてきた女性が木曽路を旅するが、四方に「22歳になったのだから大人の女性を歌わないと」と勧められたという。それに合わせて衣装も黄色のドレスに変えた。

 インタビューの間も屈託なく良く笑う彼女からは、大人の恋愛など程遠いようでもある。好きなテレビドラマも見るのは専ら刑事もの。かと思うと華麗な宝塚歌劇も大好きという乙女チックな一面も見せる。

津吹みゆ2.jpg
初のネイルアートにも挑戦して大人の仲間入り

 そんな津吹には中学3年から3年間続いた恋物語があった。両想いだったという。2人はスーパーへ一緒に買い物に行ったり、互いの家で家族と夕食を共にしたりと、可愛らしいものだったが、高校が別々になってその恋は終わってしまった。
 やはり別れは悲しくて「学校帰りのコンビニで焼き鳥1本を買って〈やけ食い〉しました」と笑う。

 以来、恋愛とは縁遠くなってしまった。25歳からはどんどん恋愛を、と逆に勧められているそうだが、日々忙しくなる歌手業では「恋愛に浮かれている場合ではない」と、しばらくは難しそうである。


 ところで「哀愁の木曽路」の舞台となっている木曽路は、津吹にとってはまだ見ぬ〈異郷〉の地である。今のところ東京・銀座にあるアンテナショップで〈木曽〉を勉強しているところだとか。





[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubuki/
[津吹みゆ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/tsubuki/whats.html






nice!(6) 
共通テーマ:音楽

藤森美伃(徳間ジャパンコミュニケーションズ)   「あなたに贈るララバイ」  デビュー20周年記念曲  死に物狂いで歌う [インタビュー]

藤森美伃2.JPG◆綺麗でしょう 〜 悲しいでしょう 〜 笑うでしょう 〜 。のっけから、こんな問いかけの詞が3行に渡って続く。女がつぶやくように、自分に向かって投げかけ、そして自ら答える。綺麗だと。それでも悲しいし、可笑しい。徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、藤森美伃のデビュー20周年記念曲「あなたに贈るララバイ」である。デビュー20年を迎えた今年、今までの演歌の衣装の着物から、初めてドレスに変えてタンゴのリズムにのせて歌う作品である。藤森はこの歌を「死に物狂いで、なり振り構わず頑張って歌っていきます」と話し ている。









 ララバイ(子守歌)という言葉が13回出てくる。冒頭の奇麗でしょう ~ との言葉と重なって、別れの切なさ辛さが歌の真ん中から高まっていく。後半にかけてさらにそのスケールが大きくなる。そんな女性主人公の哀愁感を、1つひとつのララバイの1語1語に込めているかのようでもある。
 「女性であれば多くが持ち合わせる心の内を表している」(藤森)のが、この「あなたに贈るララバイ」なのである。

藤森美伃・あなたに贈るララバイ.jpg 藤森がここで歌う主人公は「優しくて、思いやりのある人」で、その女性の想いは歌の2番、しかも最後の2行に最も良く出ているのだという。それをタンゴのリズムに合わせて響かせる。
 「ためてためて歌う演歌と違って、キレ良くドラマチックに歌っています」

 カップリングの「風のれん」は、藤森自身が作曲した作品である。自らは下戸ながらも、手酌で別れた人への未練を飲み流している女性を歌う。


 藤森のシングル枚数は12作目。元は電子オルガンの講師をしていたが、子供の頃からの夢であった作曲家への道を諦めきれずに作品を作りつずけていた。薦められて演歌を書いたのをきっかけに、自分で歌うことに。それに際して作曲家のたきのえいじに師事し、「祝辞」(1998年)を歌ってプロ歌手デビーを果たしている。

 デビーから20年、今でも忘れられない作品は、2008年に出した「エプロンの詩」である。折れそうになる彼女をずっと支えてくれていたのは、亡き母だったという。

 「今までに色んな大きな波を乗り越えてきましたが、そつど多くの人に助けられてきました。中でもいつも応援してくれていた母への感謝の気持ちは人一倍で、『エプロンの詩』は、そうした母への想いをを歌ったものです」と、これからも大事に歌っていくとしている。





[藤森美伃 オフィシャルサイト]
http://www.87yume2.com/hp/fujimori/
[藤森美伃 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/fujimori.html






nice!(6) 
共通テーマ:音楽

井上由美子(キングレコード) 「夜明けの波止場」 26年前の作品をリメーク 自分の歌世界を表現 [インタビュー]

井上由美子.jpg◆キングレコードの歌手、井上由美子が2018年2月7日に出した新曲「夜明けの波止場」は、波止場での悲しい別れを歌う、自身にとって19枚目のシングルである。実はこの歌、26年前に別の歌手が歌っていた楽曲。今回、伊戸のりおが新たに編曲し直してリリースしたものだった。カップリングは円香乃作詞、岡千秋作曲の「水の月」である。











 井上由美子の楽曲でタイトルに波止場が付くのは、デビュー2作目の「赤い波止場」(2004年)以来である。今では波止場もイメージ出来ない人もいるそうだが、かつての演歌には波止場、別れは定番中の定番のキーワードでもあった。

井上由美子・夜明けの波止場.jpg 「夜明けの波止場」を1992年に、最初に歌ったのは東千春(あずま ちはる、テイチク)だった。現在は歌手を休業しているらしい。当時、テイチクに在社して、現在は井上を担当するディレクターは「当時から自分がどうしても手がけたかった楽曲だった」といい、今回、井上に歌わせることでその想いを実現させた。

 何処か古いイメージも持たれそうなタイトルだが、新しいアレンジによって蘇ったそれは「イントロがとても気に入っています。この部分を聴いてもらった瞬間から、歌の世界に入ってらえます」と、元のうたを意識せずに井上ならではの歌世界を作り出している。

 イントロから早くもエンジンがかかるというこの歌で、彼女は「3行目の ♪ 啼いて・・・(1番)から 4行目の ♪ 心です 〜 で一気に気持ちをぶつけ、自分なりの表現で歌う」ことで、演歌ファンの心をつかみ取るのである。

■カップリングは初の円香乃作品

 カップリングの「水の月」は、前々作の「ひとり北夜行」(2016年)を出した際に、メイン曲候補として、初めて作詞家円香乃によって書かれ、岡千秋が曲を付けたが、結局はお蔵入りとなった経緯がある。
 しかし井上と円はそれをきっかけに共に食事をするなど、互いにサバサバとした性格の者同士の気が合ったのか、親しく付き合うようになる。

 いつか機会があれば世に出したい、と2人が思っていた「水の月」は、カップリングながらようやく今回、リリースされた。
 井上は「円先生には、良いところも悪いところも、もっともっと私を知ってもらって、詞を書いてもらいたいと思っています。それを楽しみにしています」と、胸を膨らませる。





 5月には同じキングレコードの永井裕子とのデュオ「なでしこ姉妹」で、新曲を久々に出す予定である。
 その永井は「子供の頃に『夜明けの波止場』を歌っていた記憶がある」と話す。が、井上にとってはまったく耳新しい楽曲であったそれだが「自分の大事な歌として歌っていきたい」としている。


[井上由美子 オフィシャルサイト]
http://arder-jiro.co.jp/yumiko/
[井上由美子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=13792






nice!(6) 
共通テーマ:音楽
前の20件 | - インタビュー ブログトップ