So-net無料ブログ作成
検索選択
インタビュー ブログトップ
前の20件 | -

逢川まさき(日本クラウン)  ムードいっぱいに低音を響かせる「しあわせの借り」 10周年の来年には大きなコンサートを [インタビュー]

逢川まさき3.jpg◆生まれつきの低音だという逢川まさき。その声が電車内に響き渡っていた訳でもないが、向かいのシートに座っていた60歳ぐらいとおぼしき男性が「逢川まさきさんですよね」と、話しかけてきた。歌手デビューして10年目になるが初めてのことだった。「思わず新曲のチラシを手渡したんです」。2017年6月7日に出した新曲「しあわせの借り」は、切ない女ごころを低音で歌い上げている。高音の男性歌手がこのところ目立つ中で、貴重な存在だ。熊本から上京して、デビューまでに6年かけて夢を実現させた。今年1月には初めての日本クラウンヒット賞・敢闘賞を手にしている。今後が楽しみな1人である。






 美川憲一のデビュー当時の声に似ているー。
 そんな事をしばしば言われたりもしたが、10年前にデビューした時には、敢えて美川とは別の路線で売り出すことにしたという。
 「今は意識せずに、いろんな歌を歌えるようにしています。カップリング曲の『恋の坂道』では、石原裕次郎さんのムード歌謡の雰囲気かな」

 確かに美川憲一の声と良く似ている。
 カラオケで男性がリクエストしたくなる楽曲なのだろう。中高年の男性ファンに支持率が高いのも、うなづける。電車で話しかけてきた人も、そんな彼の声が大好きで歌っているはずである。

■デビューまでに6年

逢川まさき・しあわせの借り.jpg 10代からカラオケ大会でJPOPや演歌を歌っていたのをきっかけに、熊本の作曲家大道一郎にレッスンを受けるようになった。ある大会で作曲家の水森英夫にスカウトされたのが、上京するきっかけとなった。「演歌向きの声」と言われたが、デビューは叶わなかった。
 小学4年から中学2年までは、熊本の合唱団で所属して歌っていた。この時に地元代表として、全国各地へ遠征もしている。「歌手になる」と上京した際にも、当時のメンバーや友人たちが見送ってくれている。



 「東京へ出たからには、1度や2度の挫折でそう簡単に諦めて地元へは帰れなかった。熊本時代の師匠だった大道先生に相談した結果、東京に残って仕事を続けながら1人でデビューを目指すことにしたんです」

 それから6年、念願かなって2008年に日本クラウンから「港たずねびと」でデビューを果たした。大道が曲を書いた。新曲の「しあわせの借り」はそれから9曲目である。今度は詞は紙中礼子が、曲は中崎英也が書いた。

■親譲りの低音

 美川似の低音は親譲りだという。
 両親も祖父母から続く歌好きが、逢川を歌手へと推し進めた。今年1月の日本クラウンヒット賞では、初めて敢闘賞を受賞した。その表彰式の席で歌手への第一歩を踏み出させてくれた水森とも再会している。
 「デビューして10年になることを告げると『頑張っているなぁ』と言ってもらいました」と、逢川はうれしそうだった。

逢川まさき2.jpg

 その受賞曲は前作の「そんなもんだぜ」だった。やはり低音が聴く人に心地よく、沁みわたってくる1曲だった。それに続く今作の「しあわせの借り」も、その魅力を思う存分に感じさせてくれて、あなたには私をしあわせへ導いてくれた借りがあるの ~ と女ごころを歌う。
 さらに石原裕次郎を思わせるようなカップリングの「恋の坂道」(作詞・藤井芽衣、作曲・一修、編曲・松井タツオ)は、彼の低音がムーディーさを高めてくれる恋歌である。

■来年も単独コンサートを

 去年は浅草公会堂での熊本地震復興支援チャリティーと銘打った単独コンサートも大成功におさめ、着実に成長している逢川。それに先駆けて一昨年には、浅草のカラオケ喫茶店を会場に半年間、マンスリーライブを開いている。毎回約2時間、12、13曲を歌った。これによって「歌う力をつけることが出来た」(逢川)とともに、彼のファンを増やすことにもつながった。

 こライブでは尊敬する歌手のひとり、ちあきなおみの「かもめの街」「喝采」「紅い花」「冬隣」などをカバーもした。「ちあきさんのように、歌の世界を伝えられる歌手になりたいですね」と逢川。

 来年はいよいよ10周年を迎える逢川だが「大きな節目でもあるので、来年にはコンサートをやってみたい」と、ますますの成長を目指す。





[逢川まさき オフィシャルサイト]
https://blogs.yahoo.co.jp/aikawa039
[逢川まさき 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/aikawa/whats.html






nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

西田あい(日本クラウン) 「特別盤 最後の頁」 前作から続くラブストーリー 初めて鹿児島を歌ったオリジナル曲も収録 [インタビュー]

西田あい1.jpg◆29歳になった西田あいが歌う青春時代の切ないラブストーリー「特別盤 最後の頁」。前作の「最後の頁 / ショーウィンドーの雨」(2016年10月)から続くドラマのように構成されている。2017年6月28日に出した「特別盤 最後の頁」は、カップリングの「春の落とし物」がドラマ・最後の頁の第1章で、「晩秋」は第2章になる。出会い、すれ違い、そして別れ。前作と同じメイン曲の「最後の頁」が最終章で、♪ 君だけを愛した 〜 あの日にありがとう、と言って恋物語は完結する。ボーナストラックには出身地の鹿児島県をテーマにした「薩摩めぐり」を収録する。県内の地名や名所が数多く盛り込まれて「愛県家に限らず、たくさんの人から好まれている」(西田)というファン待望の薩摩ソングである。




 物語の最終章を前作と今作のメインで歌っている。今作は第1章にバックして、2人の出会いを心を躍らせて歌う。でも季節が流れるようにふたりにも秋風が吹き、やがて冬がやって来る。
 宮田純花が「最後の頁」と第3章で今作カップリングの「晩秋」を作詞・作曲して、恋の終わりを描いている。恋の始まりの「春の落とし物」は北爪葵が作詞し、比嘉香が作曲している。

 「学生時代の恋の終わりを回想して、想い出にありがとうという主人公。その恋はこうして始まって、このようにすれ違って行った・・・と、男女それぞれの目線で語るストーリー仕立ての作品を歌うのは、デビュー8作目で初めてのことです」


西田あい・特別編最後の頁.jpg 西田は、2017年7月21日に亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃によって歌手として育てられた。最後に平尾に会ったのは、15年10月に出した「涙割り」のレコーディングの時だった。「これが最後になるとは思ってもいなかったし、日常の会話を交わして、別れました」(西田)。いつも通りのただそれだけだった。

 その平尾が、西田がデビューする前から繰り返し言っていたのが「歌のヒロインになるのではなく、ヒロインしなさい」だった。
 「20歳そこそこの私には、意味は分かりませんでしたし、今も答えは分かりませんが、恐らく聴く人に寄り添って歌えということだったと思います。ヒロインになってしまうと、歌を伝えることが出来なくなってしまうからでしょう」

 その言葉が今作によって、より生かされるひとになるのである。

■10周年までに大阪でコンサートを

西田あい2.jpg デビュー7周年の今年、西田は7月1日に、東京・有楽町のよみうりホールで7周年記念コンサートを開いた。会場いっぱいに1200人の観衆が詰めかけた。平尾にはその晴れ舞台を見せることはできなかったが「やり甲斐のあった、初めてのコンサートだった」と西田は感慨深げである。

 実はこのホールのステージに西田は、デビュー前に1度、平尾一緒に立った想い出がある。
 彼女がデビューしたのは2010年7月であるが、その年の春、平尾がよみうりホールでチャリティーコンサートを開いた際に、平尾は「今度、日本クラウンからデビューすることが決まっている西田あいを紹介します」と、コンサートのスタッフとしてやって来ていた彼女をステージに上げたのだ。スタッフの服装から衣装に着替えた西田は、その場で「グッバイマイラブ」をカバーしている。





 偶然に7周年記念コンサートを同じ会場で開くことになったわけだが、そこには師弟の因縁めいたものを感じてしまう。

 「先生に(コンサートを)見ていただけなかったのは残念ですが、10周年にはまたコンサートを開きたいし、それまでには鹿児島県人が多い大阪でもぜひ、実現させたい」

■待望の薩摩ソング

 東京での7周年記念コンサートに集まった1200人のうち200人は、鹿児島の企業の東京支社の人たちなど鹿児島県人だった。

 オープニングのデビュー曲「ゆれて遠花火」など20曲以上を歌ったコンサートでは、トークを極力減らして、西田の歌を中心に構成した。今作のボーナストラックとして収録した「薩摩めぐり」は序盤の中頃に披露したが、これも曲中で「字幕がないと他府県の人には決して分からない」という鹿児島弁をはさんだ程度。聴いてもらうことにこだわった。
 見せる演出にもこだわった。「薩摩めぐり」を歌ったシーンでは、祖母の形見の大島紬をドレス風にリメイクしたものを着て、その奇抜さに観客をうならせたのだ。





 10月には西田がパーソナリティを務めるラジオ番組「西田あいのおしゃべり♡あいランド」(ラジオ大阪)が、装いも新たに今年5年目に入る。焼酎の楽しみ方を歌とともに、教えている。これも西田の魅力を伝えるひとつであろう。


[西田あい オフィシャルサイト]
http://www.ai-official.jp/
[西田あい 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/nishida/whats.html






nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

成世昌平(日本クラウン)  もず唱平50周年記念曲「江差だより」  今秋にはもず唱平の50年を歌うディナーショーで「釜ヶ崎人情」などをもず作品を披露 [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、成世昌平が2017年7月5日に出した「江差だより」。かつては大阪や北陸など日本海の都市を北前船で結んで栄えたニシンの町、北海道・江差が舞台である。老いた母を1人置いて町を出るとは言えない ー 。恋人へそんな手紙を書いている健気な女性を歌う。在阪の作詞家もず唱平が作詞家生活50周年を記念して書いた作品である。10月9日には大阪市内のホテルで、成世がもずの50年を歌うディナーショーも開く。

成世昌平.jpg

 「江差だより」は成世の32枚目のシングル。彼の出世作であるデビュー11作目で、もずがプロデュースした「はぐれコキリコ」(1999年)から、ほぼ9割方はもずが作詞を手がけている。
 そんな成世ともずの関係は、昭和50年に成世がクラウンに入る以前から30年以上にも及ぶ付き合いだという。もずと二人三脚で歩んできた成世の歌手生活であったと言える。「私の声、歌唱など一番よく知ってもらっていて、いろんな場面で使ってもらってきた」(成世)わけで、もずの作詞家生活50周年歌を歌うのに最適であった。

 成世は、去年4月にもずと共に江差を訪ねている。
 「電柱もなく、古い商人の家も残っていて、きれいな町です。かつてはニシン漁で栄えた所で、大阪とも盛んに交易がされて、河内木綿なども入ってきていたようです」

成世昌平・江刺だより.jpg 今年、レコーディングしてから再度、足を運んでいる。
 そんな町を歩いてもずは、ほぼ1年を費やして作品作りをしている。その江差には追分会館といった建物がある。「江差追分」の全国大会も、ここで行われているし、7月27日には「江差だより」の発表会を開いている。地元の追分会と江差町の観光課が全面協力してくれての開催だったという。

 「江差の人たちには民謡歌手として知られている私ですが、その民謡仲間にも『はぐれコキリコ』もたくさん歌っていただいています」

■メイン曲並みの歌い甲斐

 「江差だより」のカップリングには、シングル未収録曲の「雪しぐれ恋しぐれ」「江の川」の2曲が収録されている。いずれももず作品で、アルバムにも収録され、カラオケ配信済みでもある。「記念の年でもあるので、ぜひ表に出したかった作品で、どちらもカップリングはメイン曲並みに歌い甲斐があるはずです」と成世。

 もずは作曲家デビューする以前は、芝居の脚本を書いていた。そんなこともあってか、もずの作品はドラマの脚本作りに似ている。「まずドラマのストーリーを描いて、配役を決め、その人物がどのように動くのか、を書いていく」(成世)だからだろうか、もずの作品は一編の物語を読むようであるのだ。

 ただ一連の成世の楽曲を見ると、もずの作品は「『磯節キリキリ』のような例外もあるけれど、不倫などをテーマにした男女の恋物語よりも、純愛モノを得意としている」(成世)ことが分かる。

■もず唱平を歌う

 もず唱平の50周年イベントが2017年9月から始まる。神戸、高松、和歌山など関西各地で多くのコンサートなどが開かれるが、成世は「その多くに出演させてもらう」という。

 10月9日には大阪市内のホテルグランヴィア大阪で、成世がもずの50年を歌う「成世昌平ディナーショー ~もず唱平の50年を唄う~ 」も開く。
 成世が1人で、もずの作詞家50年の歴史を歌う。オリジナル曲のほか、キダタロウが作曲して俳優藤岡琢也が歌った「悪友の唄」(1979年)、やはりキダタロウが作曲し、バーブ佐竹が歌った「虫けらの唄」(同)三音英次が歌って60万枚の大ヒットとなったもずのデビュー作品「釜ヶ崎人情」(1967年)など、代表曲が目白押しだという。





[成世昌平 オフィシャルサイト]
http://www7b.biglobe.ne.jp/~naruse/index.html
[成世昌平 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/naruse/whats.html






nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

北野まち子(キングレコード)  好調「風笛の町」  切ない心の内を野原を吹き抜ける悲しい風にたとえて歌う   北野まち子と食事会への応募券がもらえるジャンケン大会も実施 [インタビュー]

北野まち子.jpg◆きょう8月7日まで青森市内では、東北三大祭りのひとつねぶた祭りが繰り広げられている。青森県弘前市出身でキングレコードの歌手、北野まち子は、2017年8月3日、大阪府堺市のシッピングセンター・おおとりウイングスのイベントステージで、熱気あふれるふる里の祭りを思い出すかのようにオリジナル曲「女ねぶた祭り」を歌い、笑顔で飛び跳ねていた。6月に出した新曲「風笛の町」の歌唱キャンペーンでのひとコマであった。熱い情熱的なねぶたと違って、新曲は失恋した切ない女性の歌。東北人ならではの人柄なのか、男性女性にかかわらず人気が高い北野。それを反映してか、今作もCDの売れ行きは好調なようである。


北野まち子・風笛の町.jpg










 風に揺れる草々が笛の音のように泣いている。作詞家の麻こよみは、それを風笛と読んだ。恋に破れた女性主人公の切ない心の内を表現した。北野はふる里、弘前にもあるそんな野原を想い描いて歌う。1番から3番の歌詞はすべて、♪ ~ 北の町 ~ で終わる。何やら北野まち子の名前を連想させるようであり、麻の遊び心が感じられる。

 時にはハネるなど、色んなタイプの女性を歌ってきた北野だが、今回は悲しい笛の音のように切ない気持ちだけど、この土地でしっかりと生きて行かなければいけない、といった芯の強い主人公を歌う。
 「今までの私の歌にはなかったところでしょうか」と北野。

 歌の舞台は特定されていないけれど、北の町とあるように、東北か北海道だろうか。それとも北陸、越後・・・などと聴く人は、あれこれと想像するところである。
 北野が思う描くのは、実家近くの河川敷。葦が生え、風が吹くとやはり笛のようにざわめくという。

北野まち子2.jpg北野まち子3.jpg
5年ぶりのおおとりウイングスで歌う北野まち子

 一方、カップリング曲のちょっと風変わりなタイトルでもある「そのうち一度帰ります」も、ふる里を歌った内容である。♪ たった四時間 電車に乗れば 帰れるはずの ふるさと ~ なのだが、都会に出てからまだ帰省も出来ないでいる主人公たち。
 「この歌を聴いて、一度帰ってみようかな、と思ってもらえるとうれしいです。たった4時間ですもの」(北野)

 キャンペーン先でこの歌を歌った時のことだった。同じ青森県・弘前出身の男性がいた。年齢は北野とはふた回りほど上だったが、話を聞くと出身中学校が同じで、学区も同じだということが分かった。しかも彼女の母親と同い年で、同級生だったということも。
 その後、北野は母親に電話で訊ねると「音信不通になっていた同窓生のうちの1人だ」と教えてくれた。

 「その男性はそれが縁で、奥さんと一緒に弘前へ久しぶりに帰られたそうで、何人かの同級生とも会われたようです」

 全国を飛びまわって歌う歌手ならではの、歌が取り持ってくれた合縁奇縁であった。
 今年、北野は歌手デビューして29年目になる。この間に出したCDは26作品。色んな出会いと縁を築いてきたわけである。来年8月からは30年目に突入する。北野は「30年に向けて『風笛の町』が、ヒットするように頑張っていきます」と、♪ 生きていきます 北の町(子) ~ と歌い続けている。

北野まち子・ジャンケン.jpg

 今、全国で展開している店頭キャンペーンでは、「風笛の町」のCDを購入した人を対象にジャンケン大会を、キャンペーン会場で行っている。彼女と一斉にじゃんけんをして、最後まで勝ち残った1人に「風笛の町」オリジナル湯のみ茶碗か、東京・港区にある高級料亭・うかい亭での「北野まち子とお食事会」にペアで招待する応募抽選ハガキをプレゼントしている。

 また2017年12月9日には、東京・上野の精養軒で、恒例の「北野まち子感謝のつどい」を開くことにしている。





[北野まち子 オフィシャルサイト]
http://www.machiko-k.com/
[北野まち子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=18678






nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

秋岡秀治(日本クラウン) 初めてづくしの「夫婦花」  好評、秋岡節を利かせた初の夫婦演歌  [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、秋岡秀治44作品目の新曲「夫婦花」は、彼がソロで歌う初の夫婦モノなのである。作詩はいではく、作曲は花笠薫と、これも初顔合わせで、さらにディレクターも初めて担当すると言った具合に、この作品はとにかく初モノづくしで、これだけ揃うと何か縁起が良さそうなんて考えたりする。2017年5月10日発売だが、CDショップでは「良く売れているよ」と、チャート誌での上位ランキングを裏付けるかのようである。

秋岡秀治.jpg
秋岡秀治

 秋岡秀治と言えば着流しスタイルで男歌を歌うといった印象カ強い。今回、彼を初めて担当したディレクターは「今まで歌っていないものを」と、作家も全く新しいメンバーにした。
 秋岡はこうした新たな試みを「別の視点から客観的に僕を見てくれていたとだと思います。そこに何かを感じるものがあって、今作が出来あがったと思います」と、受け止めている。

秋岡秀治・夫婦花.jpg 初めての夫婦モノはメロディーも彼にとっては新しいものだった。
 「これで秋岡節になるのかが心配だっでしたが、最初に歌ってみて、これなら大丈夫や、とホッとしました」
 ファンの反応も気になった。どのような声が聞こえてくるのかをドキドキして待っていた。すると、返ってきたのは「意外にいいよ」「今回の歌は歌いやすい」と、男女問わずに好意的に受け入れてくれたのである。
これならイケル!満を持してのスタートとなった。



 多くの歌手がそうであるように秋岡もまた、自分のカラー、らしさを大事にする。
秋岡秀治らしさとは何かー。
 それは「たとえばラジオでひと声流れたら、すぐに僕だと分かってもらえるような声で、ダミ声であったり、唸り。それに衣装の着流し姿も大事ですね」という。
 「師匠の岡千秋先生も自らの歌を印象付けるために、わざとガラガラ声にしたと言っていたし、北島三郎大先輩も他人にない声を出す工夫をされたと聞いています。万人に好かれなくても、秋岡のCDなら全部欲しいと思ってくれる人がいれば、それが自分らしさの現れのひとつだと思います」

 もちろんここに到達するまでには試行錯誤もあった。
 「女歌を歌って、歌い方を変えたなど、色々と回り道もしましたが、一つひとつが勉強でした」
 1991(平成3)年に「男の酒」でデビューした秋岡が原点に還ったとされる作品に「男の旅路」(2010年)がある。この作品で「秋岡節が確立された」とも言われている。作詞吉岡治、作曲岡千秋といった彼の師匠たちによる男歌であった。ちなみに秋岡秀治という芸名は、ふたりの名前から採ったものである。

 「この歌で初めて岡先生にほめられたんです。怒られずにレコーディングが出来たのも、これが初めてでした」



 それから作品ごとに秋岡節に磨きがかけられて、今作は初の夫婦モノ。
岡ゆずりのダミ声は変わらない。
 カラオケ喫茶店などのキャンペーン先では「覚えやすいからなのか、歌ってくれる人の数がおおいですね」といった声も聞かれるし、とりわけ一緒に歌いたいという女性が多いのも、この歌の特徴だという。
 秋岡は「もうすぐデビュー30周年を迎えます。『夫婦花』をしっかりと歌って、30年につなげたいです」と話していた。


[秋岡秀治 オフィシャルサイト]
http://akioka-syuji.com/
[秋岡秀治 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/akioka/whats.html


QRコードを読み込むことで、スマートフォンなどからでも記事を読むことが出来ます。
QRコード・小.jpg







nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

島津悦子(キングレコード)   「大菩薩峠」 道行きをテーマにスケール感ある歌世界を演じる  デビュー30周年記念曲 [インタビュー]

島津悦子.jpg「大菩薩峠」と言えば誰もが知る虚無で盲目の剣士、机竜之助が主人公の未完の長編時代小説であるが、キングレコードの歌手、島津悦子が2017年4月5日に出した同名タイトルの新曲は、彼女が初めて挑戦する道行きを歌った、しかもスケールが大きくて重厚感のある1曲だ。作詞は志賀大介、作曲は弦哲也、編曲は川村栄二。数年前に出来上がっていた楽曲だったが、デビュー30周年を迎えた彼女に記念曲として提供された。島津は「次のステップ向けてのスタートを切る自分にとって、歌手冥利に尽きる作品です」と、新しい歌世界への期待を寄せている。


島津悦子・大菩薩峠.jpg










 「2ハーフという歌の長さ、テーマは男女の道行き、その片方の女性の情念を歌っています。このような作品は、私の30年の歌手人生で出した52枚のCDの中でも初めてのものです」
 島津悦子はインタビューの冒頭で、こう説明した。

 この歌は ♪ 途ならぬ 途もまた途 ~ で始まる。そして ♪ この途を ~(中略) ~ 二人の地獄を 照らしている ~ と、先の見えない恋を暗示させる。ラストは ♪ 恋 恋々 夜が燃えます 大菩薩峠 ~ で締めくくり、それでも熱く燃える2人の恋はどんな苦難にも立ち向かっていくといった、男女の決心の固さを見せている。
 島津は「石川さゆりさんの『天城越え』の世界のように、激しい女性の情念を表しています。同じように息の長い歌になれば、と願っています」と、話す。

島津悦子3.jpg

 男女のただならぬ恋模様を大菩薩峠といった峠で表すことで、この歌に特別な重厚感を持たせている。
 「大菩薩峠」と聞いて、まず連想するのが、中里介山の同名小説だろう。映画では片岡千恵蔵や市川雷蔵などが、主人公の机竜之助を演じている。女優の中村玉緒はこの映画に出演してブルーリボン賞を受賞しているが「この作品で女優として認められることになった」と、後年のテレビのインタビュー番組で語っているいる。

 同様に島津にとっても、この「大菩薩峠」が自身の名前を演歌・歌謡史に残す作品にしたいところである。

■原点は観光バス飛び乗りキャンペーン

 島津悦子のデビューは1988(昭和63)年4月21日だった。デビュー曲は「しのび宿」(キングレコード)。7社7人の競作で、売れないと次はない。そんな想いだった。まだレコード盤の時代で、デビュー2枚目の「恋路浜」(1990年)からCDに替わっている。昭和から平成に変わって2年目であり、まさに世の中の変わり目であった。

 ふる里・鹿児島の高校を卒業して、静岡県にある静岡鉄道の観光バス部門に就職した島津は、ここで2年半の間、バスガイドとして働いている。寮住まいで給料は7万円だった。それでも切りつめて約300万円を貯めて、プライベート盤歌手としてスタートする資金にした。
 82歳と80歳になる父母は今も健在だが、かつては牛や豚を飼って農業を営んでいた。「10円でも大切にする堅実な生活で、そんな両親の姿を見ていたため、浪費することはなく、生活のやり繰りは上手かった」と島津は笑う。

島津悦子2.jpg プライベート盤時代は6年間続く。
 事務所には島津を含めて5人の社員がいたが、稼ぐのは彼女ひとりであった。CDを販売したり国内外で歌謡ショーを開くなど、なりふり構わずに、5人分の給料を稼いだ。
 昼はバスガイド時代の経験を生かして、サービスエリアなどに停まっている観光バスに、アポなしで飛び乗り、歌唱キャンペーンである。1日に20台、30台のバスで、歌って乗客にCDを買ってもらう。夜はスナックなどに場所を替えてのキャンペーンであった。

 「バスの出発5分前に乗り込んで歌ったこともありました。歌うのはもちろんですが、音響からCD販売とすべてを1人でやりました」

 この観光バスへの飛び乗り歌唱キャンペーンは、メジャーデビューしてからも、3作目の「紙の宿」まで3年間続けた。それ以降は事務所が変わったこともあって止めたが、島津は「20代のあの時の経験は若さという馬力もありましたが、歌手としての原点になっていますね。どんな辛いことでも耐えることが出来るようになりました」と話す、その笑顔からはそんな苦労は微塵も感じさせないのだが。

 それでも島津にとって6年のインディーズ時代は「なが~いトンネル」だった。プライベート盤歌手がどんなに大会場をいっぱいにしても、話題にもならないし、存在感を示すことが出来なかったのは、心を陰鬱にさせた。それだけに「早くメジャー歌手になりたい」といつも思い続けていた。
 飛び乗りキャンペーンもバスの中で歌うまでは、気が重くて仕方なかった。
 バス搭乗口の1段目のステップでは、バスに乗りたくないという想いで足取りが重いし、2段目もまだ、こんなことやりたくない、という憂うつな気持ちである。

 3段目に足をかける・・・。
 するとどうだろう、3段を昇り切ってお客の顔を見ると「こんにちわ~。島津悦子です。歌を聴いて下さい」と満面の笑みに変わっていた。
 もちろんバスガイドや乗客から嫌な顔をされたこともあった。
 それでも両親から「歌手を辞めろ、と言われたことがなかった」ことや、「それでも辞めたい時にはいつでも田舎へ帰ってこい」と、温かく見守られ続けていたことが励みになった。

■全国3会場で30周年記念コンサート

 今、全国へ行くと、かつて観光バスに飛び乗って歌った時に、CDを買ってくれた人たちと再会することがある。当時の写真やサイン色紙を出して「テレビなどで立派になった姿を見せてもらっているよ」「元気だった」などと、皆、口々に声をかけてくれる。
 島津は「今までの歩みは間違いじゃなかった」と、2017年9月27日、金沢市の本多の森ホールから始まる「島津悦子30周年記念コンサート」では、そうしたインディーズ時代からすべての出会いに感謝を込めて歌う。

島津悦子・30周年記念コンサート.jpg

 同記念コンサートは同10月8日には鹿児島市の鹿児島市民文化ホールで、同10月26日は東京・浅草公会堂でも開く。






[島津悦子 オフィシャルサイト]
http://www.shimazu-etsuko.net/
[島津悦子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10397






nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

大江裕(日本クラウン)  「檜舞台」 念願の岡千秋作品 ♪ 泣くな迷うな 退くな ~ わき目もふらずに駆ける<えんか道>の応援歌 [インタビュー]

大江裕2.JPG◆デビュー8年目になる日本クラウンの歌手、大江裕が師匠である北島三郎の真骨頂とも言うべき歌「函館の女」「加賀の女」「薩摩の女」といった<女シリーズ>を、かつての北島を彷彿させる突き抜ける声で聴かせた。2017年7月20日、神戸・新開地で開かれた第154回KOBE流行歌ライブでのことだった。大江自身が「師匠の傍にいる時間が結構多い」というだけあって、歌も日増しに北島に似てくる。その北島は彼に「今の俺の歌を真似るな。俺がお前と同じ年代の頃の歌を聴け」とアドバイスしている。それを忠実に守るかのような歌唱だった。新曲「檜舞台」では、念願の岡千秋作曲の作品に初めて挑んでいる。


大江裕・檜舞台.jpg










 今から3年前、大江は北島の師匠でもあり、今年2月に亡くなった作曲家船村徹の前で北島の「風雪ながれ旅」を歌ったことがある。
 その時、船村は彼に「北島君に似てきたね。好きな人といると似るんだよね」と声をかけたという。「ありがとうございます」と応えた大江にとって、船村との会話はこれが最初で最後だった。

 「北島に似ている」と言われるのは、彼にとっては大好きな人に一歩近づけたようでもあり「とてもうれしい」(大江)ことなのである。この船村の言葉が、その後の彼の励みになったことは言うまでもない。

大江裕3.jpg 北島がデビュー第2弾として出した「なみだ船」は、デビュー曲に次いで船村徹作品だった。作詞はいずれも星野哲郎。第4回日本レコード大賞新人賞を受賞したほどにヒットした。
 「先生は師匠の船村先生の楽曲でデビューしています。僕も北島先生が書いた『のろま大将』で8年前に船出しました」

 今年11月で28歳になる大江は、それにひとつの因縁を感じるとともに、北島が今でも自身の戒めとする「海には果てがあるけれど、歌にはゴールはない。とにかくあらゆる周りの人、物に感謝しなさい」といった言葉を守り続ける。
 「北島音楽事務所に入ってからの僕は、それまでとまったく変わりました。ただ歌っていただけの歌は、聴いてくれる観客に伝えることを心がけるようになりましたし、大好きな歌を歌えるということに感謝しています」




 大江はいつも北島のそばにいる。しかしその北島は、彼に決して歌の指導をすることはないという。プロになったんだから、自分で勉強しろ、と無言で伝えるのである。
 ただ、このようにだけは指摘する。
 「テクニックに走り過ぎているのと違うか。80代の俺を真似るな。20代のお前には、もっと勢いのある歌い方があると思う」

■もう<のろま>じゃない!

 KOBE流行歌ライブのステージに初めて立った彼は、満員の観客に向かって「大江裕でございます。北島先生のような歌手になりたくて、この道に入りました」と頭を下げた。
 最初に歌ったのは「のろま大将」。そして北島の<女シリーズ>のカバー。さらに新曲「檜舞台」、そのカップリング曲で女唄の「おんなの夢」へと続けた。

大江裕1.jpg

 「檜舞台」とデビュー曲の「のろま大将」はともに、作詞家仁井谷俊也の作品である。いずれも大江をイメージして詞を書いている。ただ仁井谷が「『檜舞台』を威勢よく歌うことで、決してのろまでないことを世間に見せなさい」と彼に話したように、大江はデビュー10周年を間近に控えて、成長した姿を見せたいと意識しているようでもあった。

 北島や周りの人たちの忠告を実行するかのように、元気いっぱいに歌って「大きな歌手になるぞ」と夢を膨らませるているのが、2017年6月28日に発売されたばかりの新曲「檜舞台」である。
 今、まさにそれのキャンペーン真っ最中である。「(北島)先生のことを想いながら、僕自身を歌っている歌です」というように、♪ ひと目惚れした あのひとに ~~ 泣くな迷うな 退くな ~ と歌ってえんか道を進む。






[大江裕 オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/yutaka/?csidkitajima=d7b5f00e8e7b4826c203ed5ef9933244
[大江裕 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/ohe/whats.html





nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

レーモンド松屋(ユニバーサルミュージック ジャパン)  大人の恋を歌った「真実 愛 ホテル」  純烈がバックコーラス  揃って目指す紅白ロード [インタビュー]

レーモンド松屋.jpg◆松山から博多、大阪、広島へ、そして今度は名古屋へと舞台を移してレーモンド松屋が2017年7月12日にリリースしたのが、ちょっと色っぽい歌詞が綴られた「真実 愛 ホテル」。ジャケットのイラストはテリー・ジョンスンこと湯村輝彦。この<ヘタウマ>な絵がタイトルとマッチして、大人の愛の世界を想像させている。演歌歌謡曲にノンセンスジャケットがあふれる中、珍しく気を吐く1枚である。今話題のムード歌謡グループ純烈をバックコーラスに配して歌の魅力を倍加させている。










 名古屋の楽曲がないので作ってもらえるとうれしい-。
 地元放送局の人たちなどから、そうした声を聞いていたレーモンド松屋は、今作の舞台を迷わずに名古屋にした。名古屋と言えば栄、テレビ塔を誰もがイメージする。そこにあるホテルで繰り広げられる人間ドラマをテーマにした。タイトルは「真実 愛 ホテル」。以前からバランス感覚の良い言葉として、レーモンドはネタ帳にも書き留めていた。

 ここに登場するホテルは決してビジネスホテルではない。
 「シティホテルであったり海外のオーシャンフロントなホテルであったりする。そこではいろんな人たちが出入りして、さまざまな真実と愛も垣間見られる。まさにトゥール・ラブホテルでもある。それを歌にした」

 この作品は当初は5、6月にリリースされる予定だったという。レーモンドが書いた歌詞に書き直しが求められたことで7月に発売がずれ込んだ。
 「僕は真実、愛、ホテルのキーワードをベースに雰囲気中心に詞を書いていたが、スタッフやレコードメーカーなどから、もっと具体的に分かりやすく、色っぽさを盛り込んだ内容に、といった注文があって書き直しているうちに7月になってしまった」

 色っぽく、少しエロっぽくも感じる作品は、こんなところに理由があった訳だ。
それに続くカップリングの「素肌さらして」も、メイン曲の連作曲で、ドラマの続編のようでもある。

■純烈と歌う色っぽいムード歌謡

 「東京パラダイス」(2013年)では東京スカイツリーを、「Kissしてハグして大阪」(2016年)は日本一の高さのあべのスカイツリー、「広島ストーリー」(同)では平和の象徴であるマリア像といった具合に、各地のランドマークを歌の中心に据えた。

レーモンド松屋 真実・愛ホテル.jpg 今回のそれは名古屋の繁華街・中区栄にある名古屋テレビ塔、オアシス21。プロモーションビデオ(PV)もここで撮影してている。
 「真実 愛 ホテル」はムード歌謡である。ムード歌謡で今、欠かせないのがコーラスグループの純烈(日本クラウン)である。バックコーラスに彼らを起用して、PVでもレーモンドも彼らと一緒に歌って踊っている。

 実はレーモンドは彼らとはデビューが同じ年なのである。レーモンドは2010年7月に「安芸灘の風 / 燧灘」でユニバーサルミュージックからメジャーデビューしているが、純烈もその年の6月にユニバーサルミュージックから「涙の銀座線」でデビューした同期なのである。

 「そんなこともあって、仕事の現場で会うと、いつか一緒に仕事をしたいね、と話をしていた。僕と彼らでは親子ほど年の差があるけれど、好感の持てる好青年たちだね」

 そんな純烈をゲストに迎えて、2017年7月19日、東京・渋谷のライブハウスclubasia渋谷に純烈をゲストに迎えて「真実・愛ホテル」発売記念ミニライブを開く。それぞれオリジナル曲を歌うとともに、純烈のバックコーラスで新曲「真実・愛ホテル」を披露する。

■心惹きつけるジャケット

 「真実・愛ホテル」の魅力のひとつに、色っぽいムード歌謡といった要素がある。
 ジャケットのイラストを描いたテリー・ジョンスンはR&BやGラップなどが大好きと言われているが、以前からレーモンド松屋の大ファンだった。レーモンドが作詞・作曲して香西かおりに提供して、2015年4月~6月のNHKラジオ深夜便のうたにもなった「とまり木夢灯り」は大いに気に入っていたというほど。



 色っぽいムード歌謡にピッタリとハマった彼の絵は、椎名誠の著書などの挿絵をはじめ数多くのイラストを手がけている沢野ひとしとも通じる<ヘタウマ>なタッチは、懐かしさとともに妙に親近感を感じさせ、人を作品へと惹きつける。

 今話題の純烈、そしてテリー・ジョンスンのヘタウマなイラストがミックスされた「真実・愛ホテル」は、きわめて不思議な雰囲気で聴く者、見る者に迫って来る。
 レーモンドも「踊って皆で楽しめる歌だと思う。イントロが流れるとマイクの取り合いになりそうな気がする」と、メジャー9枚目のシングルに期待を寄せる。


[レーモンド松屋 オフィシャルサイト]
http://raymondm.com/index.html
[レーモンド松屋 ユニバーサルミュージック ジャパン]
http://www.universal-music.co.jp/raymond-matsuya/





nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

岩出和也(キングレコード)  「東京陽炎」  初の杉本眞人作品  代表曲へと意気込みを見せる [インタビュー]

岩出和也.jpg◆キングレコードの歌手、岩出和也が2017年4月に出した「東京陽炎」で初めて、作曲家でシンガーソングライターの杉本眞人の作品に挑戦している。もともと歌謡曲っぽい楽曲を歌うことが多かった彼だか、今作ではよりポップス寄りの歌となっている。その岩出は「自分の中では、杉本先生の歌をうたうことがマイブームになっていたが、これを歌うに際して久しぶりに厳しいレッスンを受けた」と話す。発売後5週連続でオリコン20位以内をキープするなど、ただのマイブームではなく、意外とピシャリとハマっていたようである。










 今までは声を引いて歌う歌唱法が多かった岩出だったが、「東京陽炎」では杉本からは「とくに ♪ 東京 ~ 陽炎 ~ とサビの部分では声を抜いて歌い上げるように。どうしてそこで引くのか。抜け!」と、その感覚をつかむまでは何度も指摘されている。
 レコーレディング前にキーを合わせる程度だったが、今回は2週間ほどかけて念入りに厳しいレッスンを繰り返している。そんなことの成果なのか「演歌の声と比べると、すっきりと聴こえると思います」と、自らの変化を認めている。

 「先生の指摘通りに歌えていなかったら、この楽曲はお蔵入りしていたかもしれません」と岩出。

岩出和也・東京陽炎.jpg 彼の歌はどちらかというと、歌謡曲っぽい楽曲だ、と多くが感じている。ところが岩出自身は「演歌」と位置付ける。それだけに彼にとっては、声を抜く歌唱法と相まって「東京陽炎」は、歌謡曲を通り越してポップスへと進化したと映るのである。

 それがファンの心を惹きつけたのだろうか。歌詞とメロディーのマッチングの良さもあるが、とにかく「東京陽炎」のチャートランキングは上位を確保しているなど「新たな岩出ファンが応援してくれています。悪くない反応です。これからもこの路線を歌って行けたらと思っています」と、気を良くしている。

■岩出の声を生かすために

 杉本眞人作品を歌うことがマイブーム-と言うように、岩出は今までから「惚れた女が死んだ夜は」(小林旭)「冬隣」(ちあきなおみ)「男宿」(鳥羽一郎)など、杉本が書いた楽曲の多くをカバーしてきた。いずれも杉本節と言っていい、彼独特のクセのあるメロディーが岩出の心を捉えてきた。

 「東京陽炎」は、念願が叶ってのオリジナル曲。
 斬新なジャンルの楽曲という岩出だが、岩出の声を生かした杉本節であり、ステージではスタンドマイクで格好良く歌うのも、ファンを満足させている。
 「今はデビュー以来の大きな変わり目に来ていると思います。ぜひこの楽曲を代表曲にする意気込みで、長く歌っていきたい」
 岩出は今までにない充実感を味わっているようである。

 8月28日に藤原浩とジョイントコンサーを東京・渋谷のライブハウス、マウントレーニア渋谷で開く。去年秋に初めて行ったところ、評判が良かったことから再演となった。





[岩出和也 オフィシャルサイト]
http://www.sunnysb.jp/iwade/
[岩出和也 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=20199




nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

野中彩央里(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  「宗谷海峡」  評判通りにオリコン初登場8位  本人も驚きのスタート [インタビュー]

野中彩央里1.jpg◆想像以上の評判の良さにびっくりしています-。
来年デビュー30周年を迎える徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、野中彩央里が2017年7月5日に出した自信作「宗谷海峡」が、全国のCDショップから高い評価を受けて、彼女は驚きの表情を隠せないでいる。野中持ち前のファルセット(裏声)は少し抑えて、歌の後半にかけてどんどんと押し気味に歌い上げていく。野中にとっては新しい歌謡曲調のメロディーが評判も押し上げているようである。7月19日には大阪・心斎橋筋のBIG CATで開かれる「第250回突破記念大阪流行歌ライブ」に出演して、新曲を披露する。


野中彩央里・宗谷海峡.jpg









 「海峡」(2001年)「夕月海峡」(2012年)と続く海峡もの3作目。今までと違って「宗谷海峡」は、野中が「どこで息継ぎをしたらいいのか分からないほどに、休むヒマがないんです」というように、歌のサビから、押して押して歌い終わるスタイルを採っている。
 「郡上恋唄」(2006年)から10作目という作曲家徳久広司の作品である。作詞は仁井谷俊也、編曲は丸山雅仁といった、いずれも野中を知りつくした3人でもある。

 「歌える人には、とことん歌い上げる作品を作りたい。今作では野中を休ませることなく、ラストまで歌い上げる曲を作った」
 徳久は野中にこう言っている。
 それに十分に応えて歌った彼女に、徳久は「合格」の言葉を贈った。

 同じ海峡ものの「夕月海峡」(作詞・下地亜希子、作曲・徳久広司、編曲・丸山雅仁)と比べてみても、野中の魅力であるファルセットが控え目なのが分かる。理由は「後半にかけて歌い上げるために、半音下げて歌唱にゆとりを持たせたため」(野中)である。
 確かに「宗谷海峡」は、耳にキンキンと響く印象が少なくて、歌に幅があるように感じる。これによって「歌の魅力が増している」(同)のだという。

 これの制作にあたって、徳久はカップリング曲の「愛してブギウギ」を含めて5曲を用意してきたという。すべてタイプの違った楽曲は「どれがメイン曲になってもおかしくないものばかり」だった。徳久は新曲のたびに4曲5曲と提案して、その中から選ぶ方法を取っている。今回も制作スタッフで検討を重ねた。
 「全員一致で『宗谷海峡』がメインに選ばれました。徳久先生をはじめスタッフは、私の声を知りつくしてくれている人たちなので、これが最適となったと思います」

■日本調アルバムも好評

 「宗谷海峡」のカップリング曲「愛してブギウギ」は日本調のブギウギメロディー。この日本調こそ、もうひとつの野中を表す音楽世界なのである。中学生の頃、テレビで初めて聴いた市丸の歌にハマったのがきっかけだった。
 「初めて聴いた市丸姉さんの歌は三味線の音と相まって、あまりにも心地よくて魅力的でした。もしかして私は昭和初期の生まれじゃないかしら、と思ったほどでした」
 野中の歌を作り続けている徳久も、2009年の「おりおりの酒」のカップリング曲に、ノリの良い日本調メロディーの「さいはて酒場」を書いている。前作、前々作でもカップリングには、オリジナル日本調ソングを収録するようになった。

 「これがまた評判なんですよ。ステージでも楽しみにしてくれている人がたくさんいるようになりました」

野中彩央里2.jpg

 そんな日本調の歌を集めたアルバムを出したい、と野中はかねてから想い続けていた。徳久も一昨年あたりから「日本調アルバムもいいね」と、言いだすまでになってきた。
 それが2016年11月、五月みどりの「おひまなら来てね」(1961年)などカバー曲9曲、オリジナル日本調「さいはて酒場」や彼女の大ヒット曲「雪国恋人形」などオリジナル7曲の計16曲を収録したアルバム「彩央里の特選!大人の歌謡曲」となって実現した。

 「宗谷海峡」「愛してブギウギ」ともに、振付の舞が付いて、日本調を盛り上げてくれる。CDに同梱されている譜面裏には、「宗谷海峡」の振付写真が付いている。

■11月に新曲でカラオケ大会

 野中の新曲は、前作の「別れの桟橋」以来、1年ぶりである。新曲は通常、東京からキャンペーンを始めるが、今回「宗谷海峡」では中部、関西からのスタートを切っている。7月11、12の両日は大阪府内で店頭歌唱キャンペーンを、同19日には大阪・心斎橋筋のBIG CATで開かれる「~ 23周年 第250回突破記念大阪流行歌ライブ スペシャル ~」で、日本調ソングとともに新曲「宗谷海峡」を歌う。

 また「宗谷海峡」では2017年11月下旬に東京都内でカラオケ大会を開く。「宗谷海峡」「愛してブギウギ」いずれかの歌唱音源を徳間ジャパンコミュニケーションズ本社に送ると、全員に寸評がもらえるほか、優秀者20人は11月の大会決勝に出場できる。

 野中は「『宗谷海峡』は、CDでも劇場で聴いてもらっているかのような感じに編曲されています。そんな歌を聴いて、歌って楽しんでもらいたいです」と話している。





[野中彩央里 オフィシャルサイト]
https://www.nonaka-saori.com/
[野中彩央里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/nonaka.html




nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

山城カミーラ美幸(ウェブクウ)   デビュー初の大阪キャンペーン  4年ぶりのサードシングル「海峡千里」  17年3月リリース [インタビュー]

山城カミーラ美幸1.jpg◆4年ぶりの新曲「海峡千里」をウェブクウから2017年3月に出した日系ブラジル3世の歌手、山城カミーラ美幸が、同年7月7日、初の大阪キャンペーンを東大阪市のCDショップ、ミヤコ瓢箪山店で行った。日本の演歌歌手に憧れて08年に来日、12年8月に「京都浪漫坂」(フリーボード)で歌手デビューした。今作は3枚目のシングル。同様に日本でデビューしているエドアルド(テイチクエンタテインメント)エンジュ(よしもとアール・アンド・シー)とはブラジル時代からの歌仲間である。


山城カミーラ美幸・海峡千里.jpg










 「海峡千里」は、愛おしい男性を海の向こうまで追いかけて行きたいけれど、それもままならない、切なくも激しい主人公の心の内を歌っている。作詞はたきのえいじ、作曲は佐田みさき、編曲は若草恵。
 そのプロモーションビデオ(PV)がまた衝撃的。
 着物のまま、海の中へと入って行くのである。今年2月に房総半島の白浜の海岸で撮影した。
 「誰もやっていない作品にしたかったけれど、監督が主人公の激しい気持ちを表現するために、衣装の着物のままで海に入ろう、と提案した時には、ちょっと驚きました」(山城)

山城カミーラ美幸4.jpg
4年間の沈黙を新曲「海峡千里」にぶつける山城カミーラ千里

 撮影は日の出とともに始めて、ほぼ昼ごろまでかかった。
 2月の房総の海はまだ冷たい。それだけに海に入るシーンは1発勝負。それでも胸元近くまで海に浸かっての撮影は、身体は凍るようで震えが止まらなかった。
 「近くには作曲家の佐田先生の別荘があるので、海から上がるとすぐにそこへ飛び込んで身体を温めました」

 出来あがったPVは1部がYouTubeで公開されているが、残念ながら海中での迫真の演技は今のところ見ることが出来ない。

■祖母のために歌う

 山城カミーラ美幸の本名はカミーラ美幸西村山城。山城は父方、西村は母方の姓である。ブラジルでは苗字はいくつ付けても良くて、5つも6つも付けている人もいるという。
 美空ひばりが好きだった鹿児島生まれの祖母の影響もあって演歌歌手を目指すようになった。ブラジルでは、歌好きの日系人グループの中にいたエドアルドやエンジュは、現地のカラオケ大会でよく顔を合す親しい仲だった。
 「エンジュは身長も高くてブラジル人の体形ですが、私は160センチで日本人の体形かな」
 3人の中で山城が最も早く、高校卒業後の17歳で日本へやって来た。来日してからは、知人の紹介で作曲家佐田みさきの下で歌唱指導を受けてきた。

山城カミーラ美幸5.jpg山城カミーラ美幸3.jpg
初めての大阪キャンペーンで楽しく歌えたと笑顔を見せる山城カミーラ美幸

 「2年前に95歳で亡くなった祖母は、80歳頃からは認知症を患い、私のことも解らなくなっていました。それでも歌手になるために日本へ行っていることだけは覚えていました。歌手になった姿を見せて喜ばせたかった」(山城)

 「海峡千里」の歌詞には、AMORE SAUDADE(アモーレ サウダージ)とポルトガル語が入っている。恋しい愛しいという意味である。「去年のブラジルオリンピックに合わせて、ブームに乗って出したかったのですが、間に合いませんでした」

■オブリガード大阪

 大阪初のキャンペーンで山城は紅色の振袖を着て現れた。レースの洋服地で母親がミシン縫いした和服だという。海に入る時に着た着物も、母親のお手製である。自らはハクビ京都きもの学院の講師も務めるほどで「着物への愛着度は高い」(山城)だけに、PV撮影時に着物での海中入りには当初抵抗もあったようだ。

 キャンペーンでは「海峡千里」とカップリングの「房総半島」のほかデビュー曲「京都浪漫坂」、前作の「海猫節」のオリジナル曲を歌ったほか、「岸壁の母」をポルトガル訛りのセリフ入りで聴かせた。

 山城は「初めての地でのキャンペーンでしたが居心地も良く楽しめました。CDもたくさん売れましたし、また大阪へ来ます」と話していた。





[山城カミーラ美幸 オフィシャルサイト]
https://www.facebook.com/kamila.yamashiro
[山城カミーラ美幸 ウェブクウ]
http://www.webkoo.co.jp/j-songs/ya/yamashiro-kamiramiyuki/




nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

藤原浩(キングレコード)  新境地の成人した子どもを歌う「二十歳の祝い酒」に挑戦  C/Wには明るくノリのいい「希望の星です ツル亀らじお」  長崎放送・NBCラジオ人気番組のテーマ曲 [インタビュー]

◆今回もユニークなタイトルの楽曲で話題を振りまくキングレコードの歌手、藤原浩。2017年4月に出した新曲「二十歳の祝い酒」のカップリングで、鶴と亀が登場する「希望の星です ツル亀らじお」といっためでたい歌に挑んでいる。担当ディレクターはメイン曲に、と推したというほどの楽しい楽曲。ノリが良くて世の中を明るくしてくれる、と藤原もノリまくっている。

藤原浩.jpg

 「希望の星です ツル亀らじお」は、長崎放送・NBCラジオの人気番組「ツル亀らじお」のテーマソングとして、リスナーからの一般公募を元に、84歳になる長崎新聞元編集委員の出島ひろし氏が作詞したものである。
 ラジオ番組は毎週日曜日に放送されており、もう16、7年も続いている演歌番組。藤原浩も何度か出演したことがある。

 キングレコードのディレクター、中田信也は「明るくていい曲なので、メイン曲でも良い」とノッていたが、最終的にはカップリングに収まった。

 藤原も「明るく楽しく歌うのに心がけました」と、まったく新しい試みに意欲的にチャレンジしている。

■成長した息子とのふれあいを歌う

藤原浩・二十歳の祝い酒.jpg 「雪舞の宿」「越前つばき」と艶歌が2曲続いた藤原に対して「キャパシティの大きさを見せるためにも、今までと違う路線をやってみよう、と提案されて実現したのが『二十歳の祝い酒』でした」と、藤原。
 メイン、カップリングのどちらも藤原にとっては新境地の作品。しかも、この「二十歳の祝い酒」は「河島英五さんを思い起こさせるフォーク歌謡路線の楽曲で、ストレートな詞の表現が特徴」。

 歌に登場するのは20歳になった息子とその父親。まだ小さかった昔を想い起しながら、ふたりで酒を酌み交わす。そんな歌である。
 20歳の頃の藤原は長距離トラックの運転手を始めたばかりだった。父とは疎遠になっていたという。酒も飲めなかったなど、決して等身大の歌ではない。しかし「歌の内容は親子の温かさを感じさせてくれる」とアピールする。

■いい歌を歌ってるね

 1994年5月、34歳を目前にしてソニーレコードから「真情」でデビューしている。来年はデビュー25周年を迎える。
 師匠の遠藤実からは「浩は涙もろくていい奴だけど、気が小さくて、後ずさりするような性格。でも本当は肝っ玉は大きいと思うよ」と言われたように、藤原は決して派手な歌い手ではない。

 そんな彼の性格を見抜いてか、遠藤は「苦労して大成したとアピールするのではなく、何もなかったかのように堂々とステージに立つのが格好いいよ」と助言している。

 「その言葉が今ならよく分かるようになりました」と藤原。2002年にキングレコードに移籍して「純子の涙」を出して16年目の今、藤原は「たくさんのの人たちから、いい歌を歌っているね、と言われるようになりたい」と話す。





[藤原浩 オフィシャルサイト]
http://www.hiroshi-fujiwara.com/
[藤原浩 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=17853




nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

市川たかし(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  デビュー10年目の「おんな傘」  よりしんみりと女性の恋心を歌う [インタビュー]

市川たかし.jpg◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、市川たかしは、今年1月に34歳を迎えたばかりである。2007年11月に「だからさようなら言わないで」でデビューしている。新曲「おんな傘」は6枚目のシングル。特技の日舞を生かすかのように、前々作の「夕霧草」からは衣装を和服に替えて、恋にゆれる女心を甘い声で歌い続ける。デビュー10年目。「歌いたかった素敵な作品と巡り合えました」と、気持ちを引き締めている。











市川たかし・おんな傘.jpg 「今までの作品の中で一番いい手応えを感じています」
 「おんな傘」は、デビュー4作目の「夕霧草」と曲調が似ているが、女心を歌にのせて表現することが、ようやく市川の身に付いてきたのかもしれない。歌に色が出てきたといった評価も聞かれる。
 こうした「しっとり路線が自分には合っているようです」と市川はいうが、「でも女心ってわからないところがありますね」とも。
 ももっとも作詞を担当した千倉安稀はちろんそう簡単にわかってたまるか-と、言いそうである。「おんな傘」は、女性の目線で一途な恋心を描いている。
 そのように難しい楽曲を歌(声)でどのように表現するかは、彼にとっては「夕霧草」からの課題でもある。

 「今作では雨が、女性の心を表すものとして、重要なファクターとして使われています。雨がこんなに女性の心の内を表せるのか、と驚いています」(市川)

 一途な女性を歌うのは「夕霧草」からである。
 「柔らかくて気高く芯がある女性を表現したいと常々思っています。今作では、1番から3番まで最後の ♪ ~ おんな傘 ~ をすべてファルセットを使うことで、女らしさを演じています」
 決して泣き歌にならなかったのも、ファンの心をとらえたのだろう。

■歌世界を人々へ

 6歳から習い始めた日舞は16年前に若柳流の名取の資格を修得。歌よりもキャリアは長い。高校時代にポップスを歌い始めた。出場したカラオケ大会の課題曲が演歌であったことから、演歌を歌うようになったという。
転機となった「夕霧草」から市川の作曲を手がけている幸耕平からは「歌は詞の世界観を理解して、聴く人に伝えることが大切」とアドバイスされている。

市川たかし2.jpg

 「そのアドバイスが最近、ようやくようやく理解出来るようになってきました。それが歌に少しでも反映されていればうれしいです」

 市川由紀乃さんの弟ですか、と訊ねるファンもいるという。「レッスンで一緒になることもありましたが、そんなことはありません」と市川は笑っている。
 10年の歳月の中で、市川たかしに花を咲かせたいといったファンも増えた。それに応えるのが自分の使命とばかりに、女ごころを歌う甘い声を響かせる。





[市川たかし オフィシャルサイト]
http://ameblo.jp/ichikawatakashi/
[市川たかし 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/ichikawa.html




nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

赤井林檎(ホリデージャパン)  真っ赤なジャケットで10年ぶりに復帰  ふる里へ想いをはせる「津軽三味線」を6月にリリース [インタビュー]

赤井林檎2.jpg◆ポケットにりんごのアップリケを付けた真っ赤なジャケットに身を包んで現れたのが赤井林檎。その名の通りにりんごのような出で立ちであった。かつて原田淳の名前で各地の病院を巡り、ボランティアで歌っていた。その際にいつも手土産に持って行っていたのが、ふる里津軽のりんごをだったことから、いつの間にか「りんごちゃん」のニックネームが付いた。その<りんご>を新たな芸名にして、2017年6月21日に出した「津軽三味線」で、10年ぶりに歌手復帰を果たした。同7月2日、東大阪市のイトーヨーカドー東大阪店で行われた「歌謡フェスタ in イトーヨーカドー東大阪店」で、その歌を披露した。


赤井林檎・津軽三味線.jpg









 出身は青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)で、作家の太宰治、歌手の吉幾三も同郷である。「最初にステージに立ったのは18歳だった」(赤井)と芸歴は古い。途中、吉本興業でぴんからトリオの宮史郎の付き人をするなど、下積み生活も長かった。

 本格的な歌手活動を始めたのは2003年。ガウスエンタテインメントから出した「女の運命」だった。07年まで「特急つがる」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)「風雪岬」(バップ)「酒しぐれ」(徳間コミュニケーションズ)をリリースするものの、病気や事故が続いてやむなく歌手を休業することになった。

 「人生の最後に花を咲かせたい」と歌手業に復帰した。と言ってもまだ65歳。復帰後初のキャンペーンとなった「歌謡フェスタ in イトーヨーカドー東大阪店」では、代表曲の「特急つがる」と新曲「津軽三味線」、そのカップリング曲の「大阪化粧」の3曲を披露したが、最後に「きょうは僕の歌を聞いて頂き、ありがとうございました」と、何とも控えめ。
 彼を応援する女性のひとりも「自分から前へ出ようとはしない性格」と、彼を評する。それがまた、女性人気を集めているのだともいう。

赤井林檎.jpg

 新曲「津軽三味線」は、五所川原が発祥の地である津軽三味線を盛り込むとともに、津軽の河原や野山で陽が落ちるまで遊んだ幼い頃の想い出を歌った望郷歌である。カップリングの「大阪化粧」とともに、赤井林檎が作詞・作曲をしている。

 真っ赤なりんごのようなジャケットに緑のシャツは<りんご>そのもの。大阪演歌を盛り上げる歌手がひとり帰ってきたようでもある。





nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

立樹みか(日本クラウン)  デビュー30周年記念曲「夢情話」  より艶っぽく歌う 2年ぶりの演歌 [インタビュー]

立樹みか.jpg◆2年ぶりに歌う演歌に心躍らせているのが日本クラウンの歌手、立樹みかである。2017年6月7日に出した「夢情話」は、本人が「今回のような艶っぽい演歌は初めて」というように、今までにない艶っぽさを感じさせる曲調。ファンからも色っぽいとか艶っぽいといった声がたくさん聞こえてくる。デビューして30年、立樹は「その年月の重みを大事にして歌っていきたい」と話す。




立樹みか・夢情話.jpg









 苦労を苦労と思わない性格のためなのか、立樹みかは「恵まれた30年でした」と、今までの歌手人生を振り返る。そして今、デビュー39枚目のシングルとして出合った楽曲は「気持ちを新たに原点に戻って歌う演歌」として、自身の気持ちを引き締める。

 普段の振る舞いや言葉から映る立樹のイメージは<男っぽい女>だが、実は一途で古風を求め、シャイな性格だという。そんな立樹が久しぶりに艶っぽい演歌を歌う。
 立樹は前作まで2作続けて歌謡曲を歌ってきた。衣装も洋服にしていたし、社交ダンスも習うなどして、歌謡曲の世界にどっぷりと浸かった。今回は一転しての演歌である。髪型も艶っぽく見せる工夫を凝らした。衣装の着物は落ち着いて見える紫色を初めて選んだ。

 「着物は身が引き締まっていいですね。着物に相応しい話し方もありますしね。色っぽさは演じるのではなく、さりげなく出てくる自然な姿を目指しています」
 背筋を伸ばして、身体を少し斜めに向け、椅子には浅く腰掛ける。取材に応じる立樹がいつも見せる<立樹ポーズ>だ。座る姿の美しさを意識したものである。

 ところで、そんな立樹の血液型は?
 「A型なのです。あぁ~っ やっぱり! と言われますよね。そこでたとえばB型です、なんて言うと、エッ~と、必ず変わり者に見られるでしょう。本当はそんな風に見られたいのですが・・・」

■3年目の歌好き歌謡祭を全国へ

 新曲「夢情話」まで、立樹はいろんな曲調の作品を歌ってきた。1曲1曲、楽しみながらも大切に歌ってきた。そのつど評判は気にかかるが、とりわけ今作はファンの反応は心配だった。
 「思った以上に好評ですね。難しい歌かも知れないけれど、いい歌だと言ってくれて、これからが楽しみですね」
 まずは胸を撫で下ろしたところである。
 6月の関西地区でのキャンペーンに続いて、7月からは九州、東海と主要地区を回る予定を立てている。



 一昨年から始めているカラオケ発表会を併催する立樹の歌謡ショー「歌好き歌謡祭」は、今年は、7月17日に京都府綾部市の綾部ホテルで、9月24日には大阪市鶴見区の区民センターで、そして9月27日に兵庫県宝塚市内でも予定している。
 また熊本、福岡でも企画するほか、今後は全国で展開していきたいとしている。

 30周年企画の第1弾として、2017年6月10日には、地元の静岡県熱海市にある立樹が経営するスナックを会場に、ファンクラブ主催のライブを昼夜2回に渡って行なっている。
 もちろん集まった人たちの評判も上々であった。新曲「夢情話」は演歌といっても、立樹にとっては艶歌という新たな曲調へのチャレンジでもある。歌うたびに色っぽさも増して、CDの売行きを後押ししてくれるかもしれない。


[立樹みか オフィシャルサイト]
http://tachiki-mika.com/index_b.html
[立樹みか 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/tachiki/new_release.html




nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Max Lux(マックス・ラックス)  日本人の心を歌う ロシアから来た女性コーラスユニット  東日本大震災の犠牲者の鎮魂歌「聖なる人」などをアピール [インタビュー]

マックス・ラックス.jpg◆2人のロシア人女性によるコーラスユニット・Max Luxが先頃、大阪にやって来た。「少女A」(中森明菜)「2億4千万の瞳」(郷ひろみ)などたくさんの人気曲を手がけてきた作詞家、売野雅勇がプロデュースしている。2016年11月にポニーキャニオンから発売された彼のデビュー35周年を記念したトリビュート・アルバム「砂の果実 Fujiyama Paradise Tribute」(収録15曲)を歌っている。それのプロモーションのための来阪であった。アルバムには荻野目洋子の「六本木純情派」ラッツ&スターの「め組のひと」など、彼の作詞によるヒット曲のほか、東日本大震災の犠牲者の鎮魂のために書いた「聖なる人」と中西圭三が作曲を手がけた「Respect すべての祝福されたSoulたち」など新たな3曲も収録されている。


売野雅勇35周年記念トリビュート・アルバム「砂の果実 Fujiyama Paradise Tribute」小.jpg











 LANA(ラーナ)とALICIA(アリシア)。その美しいロシア人女性2人は、来日7年目で、極めて日本語が流ちょうであった。記者は何故か学生時代にロシア語を専攻していたものの、今は会話どころか読むことすら出来ない。そんなことに一時は心配したインタビューだったが、それは取り越し苦労であることはすぐに分かった。

 日本人が大好きだというラーナは、もう何度も大阪へは来ているといい「ジョークにちゃんと返してくれる。そんなフレンドリーな大阪が好きです」と、大阪の魅力を話してくれた。
 乗り合わせたタクシーでは「人懐っこいドライバーが、話しに夢中になっていて走行メーターを倒すのを忘れていた、と笑い飛ばすほどの明るさ」に、すっかり大阪が気に入ったようす。

 一方のアリシアは「ロシア人と日本人はどこか似ていますね。優しくて親しみが持てる。とりわけ男性がエキゾチックで格好いい」と褒める。もちろん、これは記者のことではない。

■日本人の美しい心を歌う

 最初からまったく違和感なく会話が進んだ。これなら自分たちの歌で、日本人の心を伝えることができる。そう確信した。
 アルバムに収録した「聖なる人」は、大きな被害をもたらした東日本大震災を受けて書かれている。大震災が東北を襲った日、防災放送で津波の襲来を告げ、高台への避難を呼びかけ、自らの命と引き換えに多くの命を救った、宮城県南三陸町役場で防災担当をしていた若い女性職員の美しい心を歌ったものである。

 しかも彼女たち2人は、共に東日本大震災を東京で体験している。
 「詞とメロディーから感じたイメージをそのままに、気持ちを込めて歌うと、自然と聴いてくれる人たちに伝わる」とアリシアがいうと、ラーナも「ライブなどでは歌い始めから会場がシーンと静まる」と、誰もが彼女たちの歌世界に吸い込まれているようだ。

マックス・ラックス2.jpg

 それは美談と言い切るにはあまりにも悲しい出来事だったが、それを彼女たちは「マイナーな1980年代のメロディーで、涙してしまう楽曲」(ラーナ)といい、アリシアは「ロシアでも支持されそうです」と、ひとりの日本人の心を伝えようと歌っている。
 日本人の魂でもある人を愛する美しい心を表現する彼女たちの歌には、もちろんロシア人の中にひそむ哀愁や懐かしさや優しさも加わっている。入れたいけれど、そこは日本の歌ですからセーブしています」と笑う。

 もうひとつの「Respect すべての祝福されたSoulたち」は「ファンキーでノリの良いバラード」(売野)だし、「Take Me To Fujiyama」はラテン調なダンスミュージック。詞を書いた売野は「ダンスミュージックの枠を超えた、泣けるダンスミュージック」と解説している。

■大阪でライブを演ってみたい

 アルバムに収録された「聖なる人」をはじめ今回、新しく書かれた3作品をアリシアは「シングルカットして、さらに多くの人に聴いてもらいたい」という。
 彼女たちの声にはどこか懐かしさを感じさせるが、かつてのザ・スリー・ディグリーズのような女性コーラスを想わせるような存在を目指すというのも理解できる。

 2人は「フレンドリーでオープンハートな大阪でライブやコンサートを開きたい」と、関西にはゾッコンな様子であった。



「砂の果実 Fujiyama Paradise Tribute」(ポニーキャニオン、2016年11月16日)
【収録曲】
Respect すべての祝福されたSoulたち、夏のクラクション、想い出のクリフサイド・ホテル、摩天楼ブルース、夏の愛、Woman、め組のひと、水の星に愛をこめて、ブエノスアイレス Buenos Aires、六本木純情派、ジュリアに傷心、聖なる人、Merry Christmas In Tokyo、Take Me To Fujiyama(全15曲)






nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

キム・ランヒ(ホリデージャパン)  哀しみこらえてデビュー25周年記念ベストアルバム  18日にはチャリティーライブを開催 [インタビュー]

キム・ランヒ.jpg◆もう歌う気力がなくなった-。2017年1月、突然に歌手を廃業すると所属するレコード会社の社長に告げたホリデージャパンの歌手、キム・ランヒは、ただぼんやりとするばかりだった。彼女を韓国でスカウトして日本で歌手として育てた音楽事務所の谷田幸次社長が今年1月、がんで亡くなったのが理由だった。前年の11月には25枚目のシングル「あんた好きやねん」を出したところであった。そんなキムは大阪市内のホテルの喫茶室で、亜樹広俊ホリデージャパン社長の必死の説得に、歌手を続けることを決めた。今年5月には16曲を収録した「ベストアルバム」を出している。デビュー25周年を記念したもので、キムは「谷田さんの追悼盤」だという。







 キム・ランヒは1993年5月、吉幾三が作詞・作曲した「釜山」で徳間ジャパンコミュニケーションズからデビューしている。彼女を日本に連れてきたのはアイドルグッズなどを作って販売する出版会社を経営していた谷田であった。彼が韓国のライブハウスで歌うキムを見て、日本で新人歌手を育てたい、と説得したのだという。
 彼女のいとこは、韓国で谷田が手がけるグッズの製造に携わっていたが、それが谷田とキムが出会うきっかけであった。

キム・ランヒ ベストアルバム.jpg そんなこともあってキムの家族と谷田は長く親しい付き合いをしていたのだが、キムは「財布も持たずに、コンパクトとリップクリームなどを小さなバックに放りこんで、ほぼ家出同然に日本にやって来た」のだった。その翌日には、神戸市にあるラジオ関西の番組に出て、パーソナリティーの真似ごとをしている。デビューする1年前のことであった。もちろん日本語も片言であったのは言うまでもない。谷田の破天荒さがよくわかる出来事であった。

 そんな谷田によって、キムは日本で歌手デビューすることになる。しかも3年後には「まったく知らされないで、いつの間にか徳間からキングレコードに移籍していた」(キム)と、96年にはキングレコードから「泣き酒ですから」を出し、3年間在籍している。
 その後はガウスエンタテインメント、再び徳間ジャパンコミュニケーションズを経て、2012年からはホリデージャパンに移籍している。
 その移籍第1弾が25周年記念「ベストアルバム」にも収録されている、在阪作詞家、もず唱平による「銀座のタンポポ」(作曲・平尾昌晃、編曲・溝淵新一郎)であった。

 すべて谷田と共に歩んできた25年で「あっという間の出来事だった」とキムは振り返るが、彼がいなくなった空虚感はなかなか癒されない。
 「25年間でやることはやってきたし、1人では歌手は続けていけない。ピリオドを打って、ゆっくり休むつもりでいました」
 それでもホリデージャパンの亜樹社長に慰留されたキムは、今再び気丈に歌い続ける。
 「お前、根性だけは凄いな、と谷田さんは言ってくれました。天井が回るほど熱があっても顔は笑って、カラ元気を出して、仕事に穴を開けたことはありませんでした。これからも変わらずに頑張って歌っていきます」

■大阪の女

キム・ランヒ あんた好きやねん.jpg 6月18日には今回で5回目になるチャリティーカラオケ・ライブショー「東日本大震災復興支援 風化させない愛の輪」を大阪・東心斎橋の中華レストランで開く。キムが新曲の「あんた好きやねん」をはじめオリジナル曲を歌う歌うほか、一般参加の希望者によるカラオケショーやオークションが盛り込まれており、売上の一部は読売新聞・光と愛の事業団に寄付し、被災地の復興に役立ててもらう。
 25日にはNHK大阪ホールで開かれる宮路オサム、加門亮などホリデージャパンの歌手22人が出演する歌謡イベントにも出演することになっている。

 谷田が最後にプロデュースした25枚目のシングル「あんた好きやねん」は、作詞・作曲が秋浩二、編曲は猪股義周。「昭和の雰囲気を感じさせてくれる楽曲で、聴きやすく覚えやすい歌です」(キム)。
 キムにとっては「大阪純情」(1994年)「あんたの大阪」(1999年)に次ぐ、18年ぶり3枚目の大阪ものである。来日してずっと大阪に住み続ける彼女にとっては、意外とも思えるほどに大阪ものが少ないことに気が付く。


 ♪ 二度とあんたに 逢えないことは ~ わたし わかっているけれど あんた・あんた・あんた 好きやねん ~ と歌う新曲「あんた好きやねん」は、まるで谷田への別れのメッセージでもあるようだ。


[キム・ランヒ オフィシャルサイト]
http://www.sennen.co.jp/kimranhi01.htm
[キム・ランヒ ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/menu/artist_ka5_kim.html






nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

湯原昌幸(テイチクエンタテインメント)   粋でいなせな浮世絵ロック「北街・辛口・恋酒場」  新たな音楽世界を開拓  湯原ミュージックの集大成 [インタビュー]

湯原昌幸1.jpg◆江戸情緒をたっぷり感じさせてくれる浮世絵をモチーフに描かれたCDジャケット。テイチクエンタテインメントの歌手、湯原昌幸が2017年4月に出した新曲「北街・辛口・恋酒場」である。ご~んと鳴る鐘の音で始まるのが印象的である。笛、鉦、琴、鼓、能の相の手をブレンドさせた「まるで邦楽と洋楽のミックスジュースのような音楽」は、また時代劇でも見ているかのような雰囲気にさせてくれる。もちろん舞台は江戸の町である。湯原の今までの音楽の集大成というべき作品だともいう。


湯原昌幸・北街 辛口 恋酒場.jpg









 「♪ 暮れ六つの ~ で始まる歌詞を読んで、すぐに曲のイメージが浮んできた」
 江戸を舞台にした時代劇のワンシーンが、湯原の頭に浮んで来た。
 歌に登場する主人公の女性は粋で気位も少し高い。伊達男がまだたくさんいた「肉食系時代の女」で、「歌っていて実に気持ちのいい歌」だという湯原自らが作曲を手がけた。

 出来上がったのは、粋でいなせな浮世絵ロックであった。
 「僕の音楽は耳から血が出るくらいに考えて作っている」というほどに、どれも真剣勝負なのである。

湯原昌幸2.jpg 湯原が原点とするのは流行歌。その代表曲は「雨のバラード」(1971年)であるが、それを超える新しいスタイルに仕上げたのが、前作の「マッチ」であった。さらにそれを踏み台に、新たに<Love>をたくさん盛り込んで、ジャンプアップさせたのが「北街・辛口・恋酒場」という訳だ。
「バンド時代のサウンドを今の時代に合わせて、新たなオリジナル曲に生かしたかった。しかも何よりもリスナーが面白がってくれるといいなぁ、と思っていた」

湯原はテレビドラマ「水戸黄門」にも出演したことがあるが、池波正太郎に代表されるような、江戸の町が登場する時代劇小説の大ファンでもある。それがこの作品に生かされていることは間違いない。かつては東京・深川にも住んでいたことがある彼は、今も下町の匂いが残っているその町のイメージが作品につながっている。
 「江戸言葉こそ、今は聞かれなくなったけれど、深川は江戸の面影を残し、上品な土地柄でもあり活気もある。最近ではB、C級グルメがあふれている」
 深川は今も変わらず、彼が好きな街なのである。

 ただ湯原は、長く1ヶ所にいると息苦しくなるタイプだ、と自ら話している。それは音楽でも同じだ。しかも血液型はB型だから切り替えは早いのだという。
 「僕の中に今までとはまったく違った音楽の世界へ行ってみたい、そんな想いがあったんです。それが古希の記念盤でもある『北街・辛口・恋酒場』につながりました。だからジャケットのデザインも自分で決めた」
 変化を求めた先は、以前から心の中に合った江戸の情緒へのこだわりだったのだが。

■大衆演劇とジョイント

 湯原昌幸と言えば、やはり「雨のバラード」である。この歌がなければ始まらない。
 これからの梅雨のシーズンにはピッタリな歌である。湯原は50年近くにわたって、もう何万回も、これを歌い続けてきた。
 「声が出る限り、まだまだ歌う」と断言するのだが、その限界を見極めるのは妻の荒木由美子だといい「その時が来ると、肩をたたく約束が出来ている」のだそうだ。

湯原昌幸3.jpg

 と言ってもまだ70歳。新しいチャレンジも考えている。
 そのひとつが大衆演劇とのジョイントである。素材として「北街・辛口・恋酒場」は、これほどピッタリなものはない。とりあえず今年10月には九州で予定するほか、大阪など他所でもやってみたいと、と意欲を見せている。







[湯原昌幸 オフィシャルサイト]
http://www.havmercy.co.jp/yuhara/pg80.html
[湯原昌幸 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/yuhara/





nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

真咲よう子(日本クラウン)  3拍子演歌の「冬のあじさい」  紫陽花を歌うなら真咲が聴かせる4作目のあじさい演歌 [インタビュー]

真咲よう子2.jpg◆雨が似合う紫陽花の花は、今まさにその季節である。ところが真咲よう子が歌う新曲は「冬のあじさい」。季節は冬である。実際に春を待って咲く珍しい紫陽花があるのだという。その花を重ねたかのように、心の中に花を持ち続けてずっと耐える女性を歌った作品である今作は、真咲にとって59枚目のシングル。いなくなった大切な人の面影を偲んで、愛した人への一途な気持ちをしっとりと歌う3拍子演歌である。演歌歌手になって36年で初めて挑戦しているそれは、紫陽花の逞しさすら感じさせる。


真咲よう子・冬のあじさい.jpg









 真咲よう子が3月に出した、しっとり感があふれた3拍子演歌の「冬のあじさい」は、「あじさいの花」(1994年)「あじさいの雨」(2004年)「紫陽花の女」(2007年)に次ぐ作品で、愛しい人の面影を想い偲ぶ歌である。
 4作目になるあじさいを題材にした演歌は、各地で行ってきたキャンペーンでも「これを聴いて泣きだす人もいるし、<いい歌ですね>と共感してくれる声も聞こえてきます」(真咲)と、なかなかの好評である。中には今までの作品とガラッと変わっていることから「こんな歌も歌うのね」と、驚きの表情を見せる人もいるという。

 今までになかった作品だけに「チャレンジのつもりで歌っている」といい、今作ではサビの ♪ この想い どうすりゃいいの ~ とセリフのようなフレーズに感情を込めて歌い上げる。
 「セリフにメロディーが付いて、しゃべるように歌っています。俳優さんが役作りするように、好きだった人の面影を追いかけて、しみじみと歌います」

 確かに一編のドラマでも見ているかのように情景が浮かんでくる1曲である。そのためか女性の支持が多い作品だともいう。「みなさん思い思いにドラマを描いて聴いて、歌っているんでしょうか。わたしも心の中で物語を作って歌っています」

 当初は、男性ファンの支持が高いという「熱燗」がメイン曲になるはずだった。「冬のあじさい」はカップリング候補だったという。ところがレコーディング当日の会議で「あじさいをメインにしよう」ということになった。季節はこれから紫陽花だということと、真咲が持っている<あじさい>のイメージが、居酒屋演歌に勝ったようである。


■あじさいの女王が再び紫陽花を歌う

 演歌歌手、真咲よう子のスタートは1981年である。歌手としてのデビューはそれよりも早く、アイドル路線で売り出している。
 歌手を目指すきっかけは父の影響だった。小学3年から中学にかけて、週末になると車で歌のレッスンへ連れて行くほどの子煩悩な父親だったという。「父がいなかったら歌を続けていなかったでしょうね。いつも母と一緒になって夢を支えてくれていました」

 演歌へと転身することになったのは、1981年に出した「女のみれん」からで、これが歌手としての大きな転機となった。まだ22歳の時である。「レコードを5000枚売ったらごほうびをあげる、と言われていろんな所へ足を運んで、歌っては1枚1枚を売りました」
 目標の数字は突破したが、過労で倒れる、といったおまけも付いていた。

真咲よう子3.jpg真咲よう子1.jpg

 その年の夏、司会者の玉置宏が25周年記念のデュエット曲「東京ラスト・ナイト」を出すので、その相手役の女の子を募集するオーディションに合格したのをきっかけに、テレビやラジオへの出演が一気に増えた。レコードも10万枚が売れてヒット賞を獲得してクラウンでの好スタートを切ることになる。

 最初に紫陽花の歌を歌ったのは、それから10年以上が経っていた。以来、真咲は紫陽花のイメージが離れない。あじさい柄の着物の衣装で歌う今作にも、そんな縁が感じられる。
 今は着物が板に付いてきた真咲だが、演歌デビュー曲の「女のみれん」当時はまだ洋服だった。ところが「紅葉川」(1991年)を出す時、それを作曲した市川昭介から着物を勧められたのがきっかけで着物に替えた。以来、メインの衣装は着物と決めている。
 「冬のあじさい」では、深い紫陽花色の地に淡い色の紫陽花の花を咲かせた着物で歌う。<あじさいの女王>のようでもある。

真咲よう子・地下足袋.jpg
真咲の普段、地下足袋を愛用する。今回はキティちゃん柄だった。

 趣味はコレクション。とにかく集めるのが好きで、郵便局のスタンプやマンホールのデザイン写真も増えている。好きな食べ物はご飯と豆腐。意外と質素である。





[真咲よう子 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/masaki/wn.html
[真咲よう子 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/masaki/whats.html






nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

平成生まれの若者が演歌を聴き、歌手にインタビューした  演歌はオシャレだった !!  大阪アミューズメントメディア専門学校 [インタビュー]

◆小説家を目指す若者たちが演歌のライブを見るとどのように感じるのか-。
 そんなことが知りたかった。

 大阪アミューズメントメディア専門学校ノベルス学科の学生たちが実習の一環として、2017年5月17日に大阪・心斎橋のライブハウス、BIG CATで開かれた第249回大阪発・流行歌ライブに出演した永井みゆき、川崎修二、塩乃華織、羽山みずきの4人の歌手を取材した。ステージで歌う姿を見て、歌に耳を傾け、楽屋などで本人たちへインタビューもした。

大阪アミューズメントメディア専門学校ノベルス学科の学生・集合写真.jpg
演歌歌手のインタビューに挑んだ学生たち
前列左から梅田愛衣、渡邊真美、高橋友香、三堂真由子、渡辺崇嗣。2列目左から土井唯子、芦田紗里奈、湯前綾華、池田衛、林奎吾。3列目左から山下海、近藤樹、小西智裕、鈴木貴瑛。(敬称略)

 音楽と言えばJPOPの彼らにとって、演歌は今まで存在していないのと同じくらいに未知のものであった。その彼らが初めて生歌を聴き、それを歌う歌手から直接話を聞くと、演歌への想いも変わった。それを文章にした。

 取材に参加した学生は12人。歌手へのインタビューは4つの班に分けて行い、12人それぞれが記事を書いた。その中から歌手1人につき1作品を紹介する。
 まずはテイチクエンタテインメントの永井みゆきと日本クラウンの塩乃華織のインタビュー記事から。それぞれノベルス学科1年の芦田紗里奈さんと三堂真由子さんが書いた。記事はほぼ原文のままである。


■■心を惹かれ音楽アプリで再度、曲を聴きなおした  芦田紗里奈(永井みゆきを取材) =集合写真・2列目左から2人目

永井みゆき.jpg 私は演歌のことは分からず、今までもあまり触れてきませんでした。歌番組などで聴くことはありますが、やはり意味を理解できず興味が持てずにいました。ところが今回「大阪発・流行歌ライブ」を聴きに行って、初めて演歌に心を惹かれました。

 私がインタビューさせて頂いた永井みゆきさん = 写真・右 = は、綺麗に響き渡る高い声で歌を届ける方だと思いました。興味がなかったはずなのに、気が付けば、永井さんの歌に引き込まれて聴き入っていました。
 更に、会場に響き渡っている永井さんの声が忘れられず、家に帰ってから音楽アプリで永井さんの曲を調べて聴きなおしたくらいです。永井さんの歌で演歌に少し興味が出てきたので、これからは歌番組やNHK紅白歌合戦などで演歌が流れてきたときは、耳を傾けて聴いてみようと思いました。

 今回のライブで永井さんは「蛇の目小紋の女」「大阪すずめ」「ふるさと館山」「石狩挽歌」「地吹雪情話」の5曲を歌っていましたが、この中でいま、一番思い入れのある曲は「蛇の目小紋の女」だそうです。
 「蛇の目小紋の女」は永井さんの新曲で、蛇の目傘を差した小紋の着物を着ている女性を主人公にした純愛がテーマの曲。永井さんの恩師、たかたかし氏が書いた曲で、レコーディングのときはいつも以上に緊張したそうです。永井さんは「蛇の目小紋の女」を歌うにあたって「新たな代表曲になるように頑張りたい」と話していました。

 演歌を歌っているときは迫力のある永井さんですが、プライベートでは祭りとお酒が好きという面も持ち合わせている女性でした。大阪府岸和田市出身で、子供の頃はよく山に遊びに行ったり、川で釣りをしたりしていたそうです。その経験は、演歌を歌うときに歌詞の情景を想像しやすく、表現するときにもプラスになっているそうです。

 一番好きな祭りはもちろん「だんじり」。大好きなお酒も「だんじり」。焼酎ならば2日で一升瓶を空けてしまうほど。理想の男性は「だんじり」を曳ける人だとも。

 最後に、演歌を歌うときに意識していることを聞くと「詩を大切にすること」と教えてくれました。そして、若い世代の人達にも演歌に触れてもらえるように「幅広い世代を意識している」そうです。


■■見える景色が180度変わった演歌  三堂真由子(塩乃華織を取材) =集合写真・前列右から2人目

塩乃華織.jpg 2017年5月17日に第249回「大阪・流行歌ライブ」が行われた。
 塩乃華織さん = 写真・左 = は今年2月22日に発売された新曲「赤い橋」を含めた5曲を歌い上げた。

 約1年ぶりとなる新曲「赤い橋」は作詩を担当するたきのえいじ氏の故郷である愛媛県大洲に実際にかかる「長浜大橋」をモチーフにしている。夢を追いかけて故郷を立つ好きな男性についていきたいけど追いかけきれずに故郷でずっと待ちつづける、哀愁が醸し出される1曲となっている。

 「赤い橋」を歌うときにどのようなことに気をつけているのかを訊ねると「本当は好きな男性と共についていきたいけれども、故郷で待つことにした女性の切なさを歌っています。ですが身を引いたその彼女の心の強さも出るように心がけています。もし、わたしが彼女だったとしても、きっと相手のことを思って身を引きますね。そんなところもシンクロして、よりいっそう気持ちをこめて歌えるんですよ」と、朗らかに笑った。


 だからこそ「赤い橋」を聴いたときに切ないだけではなく、胸を打ち震えさせることができるのだ。

 「赤い橋」は彼女にとって初のご当地ソングとなる。そのカップリング曲は「鴨川なさけ」である。京都の鴨川はゆったりと流れているが、歌はそれとは対照的にロッカバラードに恋を表現している。

 オリジナル曲を歌うときのこだわりを聞いた。
 「それぞれの曲で主人公の気持ちになって、悲しい曲でも同じような歌いかたにならないように努めています。そのなかで自分に合った型を見つけるようにしていますね」。

 オリジナル曲で思い入れが一番強い曲は何かも尋ねた。
 塩乃さんは「ん~、むずかしいですねぇ……。ファンの人には『ほっといてんか あんな阿呆』がわたしによく似合っている、フィットしていると言ってもらっています。けれども『イエスタディにつつまれて』がファン層を広げた、きっかけの曲でもあります。他の曲も同じで、それぞれにいろんな形で思い入れがあります」と応えてくれた。

 彼女は1曲1曲に真摯に向き合い、探求しつづけるストイックさがあるからこそ、作品の1つひとつに独自の顔が生まれるのだろう。

 そんな彼女が演歌以外のジャンルで挑戦したいものはあるのだろうか?
 「あくまでも演歌を軸としてやっていきたいです。ただ演歌を歌うから演歌しか聴かないということはないですね。そうすると視野が狭くなって、表現が単調になるかもしれないので。普段は違うジャンルを積極的に聴いて刺激を受けることで、曲により深みが出るようにしています」。

 彼女は趣味でも旅行や、たこ焼きの食べ歩き、御朱印集めなど、自分から外の世界へ向かっている。そういうふうに周囲から新たな感覚を奮い起こしているからこそ、彼女の曲はたくさんの表情を見せ、聴く人を魅了するのだ。

■積み重ねの大切さ

 今回、私は初めて「生の演歌」というものを聴いた。それまで私にとって「演歌」は正直、たまに祖父母の家にお邪魔したときにテレビから流れてくる、「どこか古めかしい、なんとなく地味な印象の曲」というものでしかなかった。嫌いというわけではないが、自分から進んで聴こうと思ったことはなかった。
 「生の演歌」を聴き、「古めかしくて地味な曲」というイメージは一瞬で吹き飛ばされた。

 普段聴きなれているJ‐POPとはまったく勝手が違っていた。曲調はもちろんだが、発声も、表現も、気迫も……。私の知らなかった世界がそこにあった。
 古めかしいと思っていたメロディも、むしろ飾り気のないストレートな情のように感じ取った。なんか地味だと感じていた歌詞も、あらためて見つめてみると胸を突くほどオシャレだった。
 見える景色は180度変わった。

 歌手の方々の話を聞いていると、総じて「縁」を大切にしていた。それは歌手の方だけではない。今回の取材に際して私たちを快く受け入れてくださった、浪花演歌倶楽部をはじめとするスタッフの方々も「縁」をとても大事にしていた。
 1人ひとりとの出会いを大切にするというのは、簡単に見えて、案外難しい。
 地道なことを積み重ねることの重要さを学んだ。
 私も、少しずつでも意識していこうと思う。まずは目の前にあるこの記事から。


[大阪アミューズメントメディア専門学校]
http://www.amg.ac.jp/
[同ノベルス学科ブログ]
http://www.amg.ac.jp/blog/novels/2653.html



nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽
前の20件 | - インタビュー ブログトップ